第17話 古書貸本屋
講義の合間を縫って、私は古書貸本屋まで足を伸ばす事にした。
学園から最寄りの都電の停留所までは、丘陵を下って15分ほどかかる。そこから路面を走る都電に揺られて30分弱。窓の外では、戸建ての商店や民家が並ぶ郊外の街並みから、しだいに背の高い商業楼館が増えていく。
目的の店は、皇城の南側に広がる官庁街に隣接した商業区域にある。
官庁街そのものは、空堀を挟んで皇城に接する整然とした区画だ。幅の広い道に沿って、皇国の政治を担う各庁舎が四角く並び、建物の前には刈り込まれた植え込みと警備の詰所が置かれている。どの庁舎も石や鉄筋混凝土を使った堅牢な造りで、見ているだけで肩が凝りそうなほど格式張っている。
そのすぐ隣にある商業区域はもう少し人間味がある。役人相手の食堂、筆記具屋、印章店、仕立屋、そして資料を扱う本屋や貸本屋が軒を連ねている。
私の馴染みの古書貸本屋も、その一角にあった。
古書貸本屋と聞くと暗くて狭い店を想像しそうなものだが、この店は違う。磨かれた大きな窓のある、鉄筋混凝土造りの4階建ての楼館で、入口の上には金属板の看板がきらりと光っている。
中へ入ると、平日の昼間だというのに客は多かった。
1階は貸本専用で、技術書、医術書、農業書、法律書、役所の手引書などが分野ごとに並んでいる。官庁街には膨大な蔵書を誇る立派な皇立図書館があるけれど、原則として貸し出しはしていない。だから業務で手元に資料を置きたい官僚や商会員は、こういう店を利用するらしい。
2階へ上がると、そこは古本売場だった。学術書、辞書、古い統計資料、注釈の多い法令集。客の数はぐっと減るが、その分、棚の前に立つ人達の目つきは真剣だ。
私の目的は3階である。
階段を上がると、買取窓口の奥で帳面をめくっていたおっちゃんが顔を上げた。私の学生服を見るなり、にやりと笑う。
「そろそろ来る頃だと思ってたよ」
「ご無沙汰しています」
学生がわざわざ官庁街の古書貸本屋まで来る事は少ない。おまけに私は、期末ごとにここへ古本を売りに来ている。顔を覚えられるのも当然だった。
私が学園近くの古書店ではなく、ここまで足を伸ばす理由はいくつかある。
まず、この店は良心的だ。学生相手でも買い叩かず、相場を見てきちんと値をつけてくれる。次に、皇都でも随一と言われる品揃えがある。流通している本ならたいていここで手に入る。そして買取の幅も広い。古文書から絵本まで、価値があると判断すれば引き取ってくれる。
さらに大事なのは、演劇用の脚本や台本を扱っている事だった。
私は背負い鞄を下ろし、中に詰めてきた本を買取台へ並べていく。
「今回は多いな」
「ちょっとお金が必要になったので、頑張りました」
庶民寮には、私のように奨学金で生活している苦学生が多い。そのため期末ごとに談話室で本の交換会が開かれる。卒業や退学で不要になった参考書や資料本を並べ、欲しい人が自由に持っていく仕組みだ。
私は交換会の終盤まで残った本から、売り物になりそうなものを見繕っている。最後まで残った本は学園そばの古書店が廃棄処分を兼ねてまとめて引き取るので、私の行為は本の有効活用である。少なくとも自分ではそう思っている。
まあ、学生の持っている本なんぞ、売れても毎回せいぜい千銭幣程度なのだけど。
金策の本命は、研究室の廃棄本だ。
学園では期末になると、研究室の移動や棚卸しが行われる。無価値な紙資料の山に紛れて、まだ値のつく本が廃棄される事も多い。私は賢者の石の力を利用して、そういった廃棄品の中からめぼしいものを拾い上げて換金している。
もちろん、廃棄場からこっそり拾っているわけではない。片付け作業中に声を掛け、もらって良いか確認している。研究用の資料や物品を探すために他の研究室の廃棄品を物色する者はそこそこいるので、私だけが特別に目立つわけでもない。
たぶん――。
「おおっ、統歴1132年の統計年鑑じゃねえか。ちょうど切らしていたんだ」
おっちゃんの声が弾んだ。
統歴は、かつて皇国の列島を含め、世界の全人類文化圏を統一した大帝国が定めた暦である。帝国そのものは千年以上前にとっくに崩壊しているが、暦は今でも広く使われている。今は統歴1160年なので、30年ほど前の統計年鑑という事になる。
「あいかわらず良い目利きだな。引き取れないような本は混じっちゃいない」
おっちゃんはほくほく顔で査定を進めていく。帳面に書き込み、棚の在庫表を確かめ、時々本の奥付を見てうなずく。
提示された金額は、ほぼ事前の想定通りだった。
「悪いな。貴重な資料もあるが、買取金額としてはこんなもんだ」
「いえ、十分です」
本当に良心的な値段だ。これだけあれば、寮費増額の二月分くらいは賄える。
「この額だと現金ではなく払札にさせてくれ。入帳払札なので現金には替えられないが、銀行でお前さんの口座に入れてもらえる」
入帳払札は、商会や店がまとまった額を支払う時に使う証書だ。商印章と魔署紋で支払い先と金額を封じてあり、銀行の窓口で確認してもらうと、現金ではなく口座に記帳される。
小心者の私にとっては、現金を学生服の懐に入れて都電に乗るよりも、よほどありがたい。
「卒業は来年だっけか?古本屋の仕事に興味はねえか」
「無事に卒業できるなら再来年ですね。本には興味がありますが、どちらかというと販売より制作の方です」
「劇作家にでもなりたいのか?」
「その才能があればなりたいのですが、なかなか自分で物語を作るのは難しくて……」
「そんな悲観しなくても、その年なら才能はこれからいくらでも伸びるだろう」
優しい言葉だが、これまでに新しい物語を考える挑戦をして、その困難は身にしみているので、素直には受け取れない。
「神殿の子ども達が演じる慈善公演の人形劇で、脚本を一つ頼まれてしまったんです。まずは自作ではなく、既存の絵本を脚本化しようと思っていまして。最近、新しく入った絵本はありませんか?」
異世界の物語を使うつもりではいるが、もしこちらの世界にちょうど良い話があるなら、それを使う方がずっと面倒は少ない。
おっちゃんは棚の方をちらりと見て、首をひねった。
「本は増えているけど、同じような話ばかりだな。帝国時代の古文書でも新しく見つかれば、目新しい話が仕入れられる事もあるんだけどな」
「帝国時代の本って、千年以上も前の本がちゃんと残っているものなんですか?」
「帝国時代の紙は今のと違って丈夫だからな。丁寧に保存されているものはちゃんと読む事ができるぞ。ただ、馬鹿な連中がみんな焼き払っちまったからほとんど残っていないけどな」
帝国時代には、暦だけでなく共通の度量衡、貨幣基準が全世界で整えられていた。世界規模の平和が続いた帝国最盛期には、学問や技術だけでなく、演劇や文学も花開いていたと伝えられている。
統歴という年号が今でも使われているように、その遺産は日常のあちこちに残っている。数字の書き方、書類の様式、街道や都市計画の考え方まで、私達は千年以上前に滅びた帝国の恩恵を、今も当たり前のように受けている。
けれど帝国が崩壊すると、制度を支えていた図書館も学校も書写所も、戦乱の中で次々に失われた。
とくに書物は受難続きだった。支配者が変わるたびに、正統性に都合の悪い史料は禁書になり、改竄され、廃棄された。国家ぐるみの焚書が行われた時代には、感知魔術による捜索まで行われ、根こそぎ廃棄されてしまっているのだ。
皇国も例外ではない。
およそ180年前、皇国の貴族連合が大陸へ攻め込んだ際には、帝国時代の古文書や技術書が大量に持ち帰られた。けれど、その中に皇統の正当性を揺るがす内容が見つかった事で、多くの史料がまた禁書として処分されてしまった。
「先代の女皇陛下は、印刷も学校も出版制度も整えた。おかげで今は、技術書も教科書も法律書も安く手に入る。けどな、あの時代に必要とされたのは、国を立て直すための実用品だ。娯楽の読み物は後回しになったし、貴族が自分達を立派に見せるために広めていた貴族礼賛や血統をありがたがらせる類の物語なんぞは、むしろ真っ先に叩き潰された」
先代の女皇陛下が貴族を嫌っていたのは有名だ。貴族達の家名を含む地名を禁止して、全て改名させるほどの徹底ぶりだったようだ。
――婚姻から3日で夫を暗殺されたら、そりゃあ恨みも骨身に染みるだろうけどね。
「だから子ども向けのお話も、今残っているのは劇や人形劇で使われ続けてきた定番ものが中心なんだよ」
「うーん。人形劇に使えそうな目新しい話はありませんか……。そうすると、自分で作るしかないのかな……」
児童向けの話なら異世界との文化差をあまり気にせず使えそうなものも多い。今回のような大人数での人形劇には向かないけれど、例の火口綿売りの少女も使えそうだし、他にも思い当たる話はいくつかある。
「おっ、自作でも面白い脚本なら買い取るぞ。自信があれば持ってこいよ」
「でも、自作の脚本とか、検閲で逮捕されたりしません?」
おっちゃんは笑った。
「最近の検閲で気をつけるのは、極端な貴族礼賛くらいだな。もちろん反体制的な内容や公序良俗違反は引っかかる。皇室を茶化したり、治安を乱す扇動を書いたりすれば別だ。だが、普通の人形劇や子ども向けの話で捕まる事はまずない」
「検閲って、もっと怖いものかと思っていました」
「今の目的は出版前に届け出て版元や作者名を明らかにして、責任の所在をはっきりさせる事だ。もし問題があれば刷れないけどな」
なるほど。注意は必要そうだけど、普通に創作するだけなら問題はなさそうだ。
私は少しだけ期待して、最後に聞いてみた。
「ちなみに、演劇のためではなく、一人で楽しめる長い物語はないでしょうか?」
「この国で物語といえば演劇だからな。新聞社も読み物欄は何度か試している。だが、書き手は一度の舞台で終わる話に慣れているからな。読み切りはともかく、続きが気になる長い話を書ける者がなかなか見つからない。連載を始めても、原稿が止まったり紙面を取られたりして、最後まで続かなかったそうだ」
おっちゃんはそこで言葉を切り、私を値踏みするように眺めた。
「だから誰かが面白い話を作りさえすれば、需要はあると思うぞ」
きっと需要はある。文化も技術も制度も十分に成熟している。
――くう、もったいない。異世界のような面白い連載物語を、こちらでも読めたらいいのになぁ。
そんなことを考えていると、おっちゃんはふと思い出したように口を開いた。
「そういやお前、いっつも一人で来るよな」
「はい?」
「友達が本だけってのは寂しいぞ。せっかく平和な時代に生まれたんだから、本を読む以外の青春もちゃんと楽しんでおけよ」
――これでもちゃんと友達はいるんだから!やめて、生温かい目でこっちを見ながらうなずかないで!
悪魔: 友達が石だけからは脱却。でも会話相手は今もほとんど石。




