第15話 漏音対策
カレフィーネが部屋に戻ってきたのは、彼女には珍しく門限ぎりぎりの時間だった。
扉を開けた彼女は、手に一枚の新聞を掲げていた。
「ただいま。ねぇミリアナ、これもう見た?」
差し出されたのは号外だった。
大きな見出しには、皇立高等学園で行われた試験不正についての記事が載っている。
新聞社の学園内支部が追っていた件だ。助手待遇であるルッシェリーナの署名は記事に載っていない。けれど、この特報記事に、彼女の働きが大きく寄与している事を私達は知っている。
「おー、ルッシェリーナの頑張りがついに実ったんだね」
貴族寮で足止めのために受けた取材以降、ルッシェリーナから追求を受ける事はなかった。あの時の私の行動についてはまだ気になっているだろうが、学園関係者への取材など、この事件を追うのが忙しくてそれどころではなかったようだ。
私は紙面を受け取り、見出しから本文へと目を走らせた。
学園内の関係者の関与による受験票の偽造、成績登録の操作という事件の詳細と、学園が発表した関係者への処分方針や、今後の再発防止の対応などが書かれている。
「それでね、フェルディオ兄さんから、もう成績説明会の事を話しても大丈夫だって言われたよ」
カレフィーネはそう言って、机の椅子に腰を下ろした。
「ディアネリス教授から連絡があったみたい。その時、学園長に対する愚痴もたくさん聞かされたんだって。かなり長かったみたいで、兄さん苦笑いしていたよ」
妹の成績説明会に引っ張り出せるくらいだから、あの二人がそれなりに親しい事は知っていた。けれど、学園長への愚痴を長々と聞かされるとなると、思っていたより遠慮のない間柄なのかもしれない。
「でもね、魔署紋の複製方法についてだけは、あまり詮索しない方がいいって注意されたんだ」
カレフィーネは新聞の下の方を指で押さえた。記事でもそこは疑問として残されている。学園は調査中という形で濁しているらしい。
「受験票を偽造できる方法なんて、放っておいたら危ないのにねぇ」
「そうだね……」
私は曖昧にうなずいた。
――たぶん、諜報部の関与を表に出さずに済ませる話が、裏でついたんだろうなぁ。
もちろん口には出さない。
魔署紋の複製器具を諜報部が秘密裏に回収していた件は、このまま闇に葬り去ってほしい。『凄腕さん』が絡んだ一連の事件は、思い出すだけで心臓に悪い。
カレフィーネは新聞を丁寧に畳んだ。
それから、ふいに姿勢を改める。
「それでね、ミリアナ。相談があるの」
声の調子が変わった。
「相談?」
「うん。昨期末から隣の部屋が空き部屋になっているでしょう。寮母さんに聞いたら、しばらく次の入居予定者はいないらしいんだ」
私はうなずく。
今はちょうど新学期だ。隣の部屋は上級生が入っていたが、昨期末に二人ともめでたく卒業していった。廊下に面した扉は閉じたままで、ここ数日は人の出入りもなかった。
「それで、寮費を払えるなら、一人で部屋を使っても良いって言われたの」
一瞬、意味が頭に入ってこなかった。
「ええと……?」
「つまりね、私が隣の部屋へ移って、ミリアナと一人ずつ部屋を使ったらどうかなぁ、ってね」
胸の中でなにかが跳ねた。
――なんと!
それは、願ってもない話だった。
この相部屋暮らしで一番困っていたのは、賢者の石と自由に会話できない事だ。一人部屋になれば、部屋でできる事が格段に変わる。
だが、喜びをそのまま顔に出すわけにはいかない。
「寮費として二人分を支払うという事?」
「うん、そう。貴族寮の費用となると難しいけど、この寮の二人分なら、少し無理をすればなんとかなるかなって……。兄さんに話したら、兄さんが援助してくれる事になって……」
カレフィーネはそこで言葉を迷わせた。
「その、ミリアナさえ良ければ、部屋を一人ずつに分かれてもいいかなって」
「うん!もちろん!大丈夫!」
気をつかってくれるカレフィーネに遠慮して、少し悩んでみせるべきかと思ったけれど、こみ上げる嬉しさに私の自制心は脆くも崩れ去り、即答で了承してしまった。
――だって一人部屋だよ、一人部屋!我慢できるわけがない!
「それとね、兄さんはミリアナの分の費用も出すって言ってくれているのだけど……」
――……あ、いや、それは結構です。
これ以上フェルディオとの関わりが深くなるのは避けたい。あのような切れ者は、どこから私の秘密に気付くかわかったものではない。
「いや、それは悪いよ。私は赤の他人だし……」
「でもね、兄さんはミリアナの事をかなり気にかけているみたいよ」
「えっ、なんで?」
知らないうちに、なにかフェルディオに目をつけられるような真似をしでかしてしまったのだろうか。
「えっとね、ミリアナが露骨に兄さんを避けようとするから、自分はなにか失礼な事でもしたのかって心配しているみたいだよ」
「……」
「まあでも、大丈夫。ミリアナは人見知りが激しいだけだよって、ちゃんと説明しておいたからね」
――うぇ〜ん、人との距離感って難しいよ〜。
とにかくフェルディオの申し出については、私にも寮費を払えるあてがあるからと丁寧に、しかしきっぱりと辞退した。
「やっぱりね。私もミリアナは援助を断ると思っていたんだ。なら、私も寮費は自分で稼ぐ事にするよ」
「えっ、別にカレフィーネはいいんじゃない?」
「ううん、援助を断る場合には、兄さんが家庭教師先を紹介してくれる事になっているんだ。だから大丈夫!」
なんだか私のこだわりでカレフィーネに苦労を掛ける事になってしまったが、とにかくカレフィーネが隣部屋へ移る事になった。
「ミリアナと部屋が分かれるのは寂しいけれど、隣ならいつでも会えるしねぇ」
「うん、そうだね。朝の食事だって一緒に行けるよ」
そうして私達は、しばらく部屋替えに必要な段取りの話をした。
寮母さんへの手続きはいつ行くか。荷物をどう動かすか。追加で必要になる家具や布物はなにか。
少し感じていた寂しさもいつしか薄れて、私の胸には一人部屋になる事への期待が膨らんでいくのだった。
◇ ◇ ◇
翌日、カレフィーネの行動は早かった。
善は急げ、とばかりに朝のうちに寮母さんへ話を通し、必要な手続きを済ませ、昼過ぎにはもう隣部屋の鍵を受け取っていた。
彼女らしい手際の良さである。
私は授業の後、荷物運びを手伝った。二人で何度か廊下を往復し、寝具や本箱を運び込む。
「手伝ってくれてありがとう。あとは自分で整えるから大丈夫だよ」
「うん。じゃあ、また後で」
自分の部屋へ戻るとそこは急に広くなっていた。
二段寝台の片側、机の片方、壁際の空いた空間。昨日まで当たり前にあったカレフィーネの気配が抜けて、部屋の空気が軽くなっている。
ついに手に入れた、自由に物語を楽しむ事ができる空間!
喜びが爆発しそうになり――だがそこで引っ越し作業中に気づいた事を思い出す。
壁だ。
この寮の壁はあまり厚くない。荷物を運んでいる時、隣でカレフィーネが箱を床に置く音がこちらまでかすかに届いていた。
壁に耳を当てると、今もカレフィーネが片付けをしている気配が感じられる。床板のきしむ音や、机を移動させている音が聞こえてくる。
――この壁の薄さ、頑張れば声も聞こえるよね……。
カレフィーネが盗み聞きのような真似をするとは思えないが、ふとした拍子に壁越しの声を拾われてしまうかもしれない。
「これは、対策を考えないと……」
賢者の石には、放送受信機のような音量調節の機能が付いていない。悪魔に声を小さくしてもらうには呪文のような手順が必要になるので、普段の会話のたびに使う気にはなれない。
必要なのは賢者の石が話す声を部屋の外に漏らさない事だ。なんとかして、賢者の石が出す声を小さくする必要がある。
ただ、単純に布で包むわけにはいかない。
悪魔へ質問する時には石に触れていなければならないし、布を何重にも巻けば、今度は私自身にも声が聞こえにくくなる。
――耳に押し当てて聴く道具を作るしかないかな。
自分だけに聞こえて、周りには漏れない。そんな都合の良い道具があればいいのだけれど、私の頭だけで考えても限界がある。
私はさっさと、知恵の悪魔に助けを求める事にした。
「エリ、賢者の石の声を周りに漏らさず、私だけが聞けるような道具って作れないかな?耳に当てて使う感じのもの」
『吸音材と遮音材を組み合わせれば、簡易的な消音器具を作成可能』
「吸音材と遮音材?」
『吸音材は音の反射を減らす材料。遮音材は音を通しにくくする材料』
なるほど。
要するに、外側で音を止め、内側で響きを抑えればいいわけだ。なんとなく完成形が想像できてきたぞ。
私は袖をまくった。
「よし。作ってみよう」
田舎育ちの私は、身の回りのたいていの事は自分でやってきた。衣服の繕いも、簡単な道具の修理も、必要なら自分で手を動かすしかなかったのだ。
まして今回は、自由に物語を聞ける環境がかかっている。やる気だけなら、今の私はどんな職人にも負けない自信がある!
まあ、やる気だけでどうにかなるなら、世の中に失敗作なんて存在しないんだけどね……。
悪魔:「貴族寮」「庶民寮」は通称。誰も呼ばないが、正式な寮名もある。




