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たとえ愛が存在しなくても、この声にだけは愛を込めて  作者: 海坂依里
第2章「青春を知らなかった少女」
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第2話「同級生」

「とても大事なサプリメントを落としてしまって……」

「え、あ、はい!」


 薬とは説明せずに、私はサプリメントを落としたと嘘を吐く。

 見た目で薬かサプリメントなんて、判断できないと信じる。


「落とした物を服用するのって思うかもしれないですけど、拾って飲まないといけないくらい大事なサプリで……」


 薬のことを説明したくない。

 どうかサプリメントって誤魔化しが通用しますようにと願いを込めて、泉くんに事の重大さを伝える。


「それくらい、手伝いますよ」


 そもそもサプリかどうかも怪しいような私の説明を追及することなく、泉くんは快く引き受けてくれた。

 泉くんが私の頼みごとを不快に思っていないことが分かると、酷く安堵する。凄く安堵じゃなくて、酷く安堵した。


「オレンジ色のカプセルで……」


 二人で、机の下を一緒に覗き込む。


「橋本さんの足元に、一個転がっていますよ」

「一!?」


 一錠でも足りなくなると困る。

 そんな事情を抱えていることもあって、泉くんの一という言葉に過剰に反応してしまった。


「足りません?」

「あと一錠……」


 一瞬、泉くんは薬を探す手を止めた。

 でも、何に引っかかりを感じたのか分からず、私は薬が転がっていた方向に視線をさ迷わせる。


「あ、泉くんのところまで転がって……」

「拾います」


 薬を手にした泉くんは、拾ったカプセルを私に手渡してくれた。

 心ここにあらずだった泉くんが、ようやく戻ってきてくれた感じがする。


「良かった……」


 まるで宝物を見つけたときのような喜び方をしてしまって、違和感を抱かれていないか緊張が走る。

 でも、何事もなかったかのように、薬に付いた埃を払い除ける。


「……橋本さん」


 薬に付いた汚れを気にするべきなんだろうけど、その汚れを気にしている余裕がない。


「どこか体調でも悪い……」


 ペットボトルの水で薬を服用する。


「いえ、ただのサプリメントですよ」


 机の上にはお昼ご飯を食べるときに飲んでいたと水筒と、水の入ったペットボトル。

 服用方法に気を遣う薬ということもあって、薬用の飲み物と食事用の飲み物の二種類を用意しなければいけない。

 飲み物を大量に用意してあることを、不審に思われたのかもしれない。


「泉くん、ありがとうございました。凄く助かりました」

「いえ、俺は拾っただけなので……」


 薬を飲み終わると、私たちは改めて椅子に座り直す。


「こんなとことで泉くんと会うなんて、驚きました」


 これまでの一連の動作に、深い意味はないということをアピールする。

 演じるのは、一般の人よりは得意なはず。

 何も起きていないってフリをしながら、私は泉くんとの話を進めていく。


「中学のときって、空き教室に入ったらダメって学校って決まりがあったんですよ」


 泉くんは、ごく普通に言葉を返してくれる。

 薬への追及がないということは、いつも通りを演じ切りたいという思惑が成功したということかもしれない。


「高校は基本的に自由に使っていいので、気分転換に教室以外のとこで食べるんです」


 飲み物を買いに行った小木下くんが帰ってくるのを待たずに、泉くんは手作りと思われるおにぎりを口にした。


「私は友達がいないので、好きなところでお昼を食べれるのは凄く助かってます」

「あの……」


 何か言い辛そうに口ごもる泉くん。


「いじめ……ですか?」

「ふふっ、違いますよ」


 彼が口ごもった理由が分かったのはいいけど、まるでドラマやマンガの中のような展開を妄想されてしまったことが可笑しくて笑ってしまった。


「私、留年しているのでクラスの子と年齢が違うんです」

「噂では聞いてました」


 泉くんが気にしすぎないように、軽く話を流そうと試みる。


「たまにいるらしいですよね。留学するために留年を選んだ人とか」

「かっこいいですよね」

「一時、橋本さんをアニメで見かけない時期があったので心配していたんですけど……」


 泉くんは、年上の同級生の話を真面目に聞いてくれる。


「学校を休む理由があったからなんですね」


 私の事情に踏み入ることなく、なんとなくの事情を察して話を進めてくれる。

 その気遣いに感謝しながら、私はいつも通りを装っていく。


「事務所が違うのに、よく私が声優だって気づきましたね」

「俺、最近まで橋本さんのことが嫌いだったんです」


 嫌いという言葉を受けてショックを受けるのではなく、ただ単純に泉くんが何を話したいのか気になる。


「ははっ、いきなりなんの話をするんだって感じですよね」


 泉くんも、そんなに深い話ではないですよって雰囲気を作りながら話を始める。


「スタジオの出入り口の扉って出入りしやすいように、誰かが押さえてくれるときがありますよね」


 泉くんの言葉を受けて、いつもお世話になっている収録スタジオの出入り口の扉のことを思いだす。


「私、扉を押さえるのは新人の仕事なのかと勝手に思っていたんですけど、この間ベテランの方が扉を押さえてくださって驚きました」


 本来は、本当は、新人の仕事かもしれない。

 でも、この間の収録スタジオで、ベテランの男性声優が私たち新人たちのために扉を押さえてくれたことに感動してしまった。

 気を遣わせてしまった悪い後輩の見本かもしれないけど、ベテランさんが優しくしてくれたことに喜びを感じた出来事でもあった。


「俺も橋本さんと同じで、扉を押さえるのって新人の仕事だと思ってるんですよ」


 スタジオの扉は、誰が押さえるべきか。

 その答えをくれる人は現れないからこそ、新人たちは自分の名前を覚えてもらうために扉を奪い合っているという事情を泉くんが教えてくれた。


「それで、今日は俺が扉の番をしてやるーって意気込んでいく日に限って」

「……私がいた?」

「はい、その通りです」


 これは、泉くんが私を嫌っているって話をしているはず。

 それなのに、当時を思い出しながら泉くんは柔らかな笑みを浮かべてくれる。


「この子は気が利くってアピールする場を、なんで先輩声優に奪われなきゃいけないんだって」


 泉くんの言葉が乱雑になっていくのを感じるけど、彼は力を抜いて首を横に傾けながら昔を懐かしんでいるように見えた。


「それは……申し訳ございませんでした……」

「橋本さんに対して、新人の仕事奪うなーって思ってました」


 これは、落ち込む話でもなんでもないってことを、泉くんの声と表情が教えてくれる。


「そんな思い出があって、どうして私のこと……」

「そんな思い出があったからです」


 私に向けるのすら、もったいないと思ってしまうような泉くんの素敵な笑顔。


「今日こそは今日こそはって、意気込むたびに橋本さんに奪われて」


 その笑顔を待ち望んでいるのは、泉くんのファン。


「共演するたびに橋本さんのことを目で追いかけていたら」


 私に向けるのは、間違っていますよって言いたくなるのに。


「橋本さんがスタジオで気を遣ってるとことか、優しさとか、そういうのに気がつくようになって……」


 惹かれる。


「今では、べた惚れです」


 泉くんの優しい笑みに。


「橋本さんが思っている以上に、俺は橋本さんのことが好きです」


 泉くんの優しい声に。

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