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第3話「始まりは、勘違いから」

「傘が入手できたので、途中まで一緒に帰り……」

「俺が住んでるマンション、近くなんですけど」


 私に提案を持ちかける泉くん。

 だけど、途端に我に返ったらしくて、顔が赤く染まっていく。


「って、何もしません! ただ服を乾かした方がいいかなって……」


 互いの制服が、雨でとんでもないことになっている。

 そんな事情を理解していたからこそ、私は泉くんの好意に甘えさせてもらうことにした。


(スタジオ近くのマンション……)


 泉くんは従妹とシェアハウスとしているらしくて、広さが十分にあるマンションに住んでいた。


(家賃、高そう……)


 私の着替えを探しに行ってくれている泉くんを待ちながら、こんなにも高級そうなマンションに住んでいる泉くんの経済力に言葉を失う。


「服が乾くまで、これを着て待っていてください」


 部屋をじろじろと観察するのは失礼だとわかっていても、東京への憧れが詰め込まれたような仕様のマンションにどうしても視線を泳がせてしまう。


「アニメーターの従妹と一緒に住んでいるんですけど、あまりの忙しさにほとんど帰ってこないんです」


 声優もアニメーターも安い給料で働いているというけれど、力ある人は稼ぐことができるのだということを学ばせてもらう。


「こんなに広い部屋を独占できてラッキー……って、すみません! シャワー使ってください!」

「泉さんは……」

「俺はドライヤーを先に借りますね」


 教室で見かけるときと、なんら変わらない爽やかな笑顔を浮かべながら泉くんは私のことを見送ってくれた。


(こんなに優しくされるの……)


 脱衣所にやって来て、急いで制服を脱ごうと手を動かす。

 早く泉くんにお風呂を代わるためにも、私がお風呂を独占するわけにもいかない。


(いつ以来かな……)


 シャワーを終えて、リビングに顔を覗かせる。

 すると、泉くんは雨に濡れていた事なんて忘れてしまうほど、ゆったりとした時間を過ごしていたみたいだった。


「シャワーありがとうございました」

「こちらこそ、制服を大変な目に遭わせてしまって申し訳ございませんでした……」


 自分の家のはずなのに、泉くんはどこか挙動不審気味。

 ここは泉くんの家ではないのかって尋ねてみたくなるけど、話がややこしくなるのも泉くんを困らせるだけだと思って口を慎む。


「温かい飲み物をどうぞ」


 制服が渇くまで(くつろ)いでくれと言わんばかりに、私をもてなしてくれる泉くん。

 テーブルの上に、マグカップが置かれる。


「あの……橋本さんの手を引いたのには理由があって……」


 その理由を聞くために、顔を上げる。

 少し間ができたけれど、泉くんは意を決して話を先に進めることを決めたらしい。


「友哉さんのこと、好きだったんですか」

「……ともやさん?」


 どこかで《《ともや》》という響きを見かけたことも聞いたこともあるような気がするのに、誰の話をされているのかまったくわからなかった。


「え!? さっきまで共演していた南友哉(みなみともや)さんのことです……」

「あ、南さんの名前って、友哉さんでしたね」

「はい……」

「苗字で記憶してしまっていたので……すみません」


 七春ちゃんと会話をしていた南友哉さんの話だとわかると、七春ちゃんとの熱愛トークをしようとしているのだと察する。


「お付き合いされてたんですね、あの二人」

「あ、その……橋本さん」


 まるで緊張しているかのように、泉くんは私から目を逸らしてしまった。


「あの……タイミング的に、友哉さんの熱愛を受けて泣いていたのかと思って……」


 南さんの熱愛を受けて、泣く?

 誰が?

 泉くんの言葉を復唱する。

 すると、ビルの外で涙を零していたときのことを指していることに、ようやく気づいた。


「違います! あの、南さんにはなんの思い入れもないと言うか……」


 否定の言葉を返す。

 でも、否定の言葉を返したら返したで、泉くんは頭を抱えてしまった。


「私が、南さんを好きだと思ったんですね……」

「うわっ、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……」


 泉くんは自分の勘違いが原因で、私に声をかけてくれた。

 そんな後悔を反省するように項垂れてしまったけれど、私は泉くんが気にかけてくれたこと自体が嬉しいと思った。

 彼を元気づけるような言葉を見つけたいのに、その言葉も迷子になって焦りが生まれてくる。


「泉さん、あの……」

「ビルの出入り口に立っていた橋本さん、後ろ姿が泣いているように見えて……」


 スタッフに挨拶を済ませた泉くんがビルの出入り口に向かっているときに、私が目元を拭うような仕草をしてしまった。

 事情を知らない人からすれば、それは泣いているようにしか見えないかもしれない。


「雨の中を走れば、橋本さんの涙……誤魔化せると思って、つい雨の中を走ってしまいました……」


 ついさっきの出来事。

 ついさっき経験したばかり。

 それなのに、雨の中を走り抜けたときのことを思い出すと心が揺らされる。

 泉くんに手を引かれながら、雨に打たれたときのことを思い出すと心が揺れ動く。


「勘違い多すぎですね……俺……」


 両手を頬に押し当てて、泉くんは自分の顔を覆おうとした。


「気にかけてくれて、助かりました」


 頭を抱えている泉くんに顔を上げてもらいたくて、私はなんとか泉くんが落ち込まずに済む言葉を探してみる。


「何かお礼をしたいのですが……」

「お礼なんていいですって! 俺の勘違いが迷惑をかけちゃったというか……」


 体を縮こまらせて、反省の意を示す泉くん。

 でも、このままでは一方的に彼ばかりが申し訳ないって感情を背負ってしまう。


「えっと、シャワーを貸してもらったお礼というか……」

「さっきも言ったんですけど、橋本さんを助けたのには理由があって……」


 彼が落ち込まないようにするための言葉を見つけるよりも早く、泉くんは私の心を揺り動かすための言葉を与える。


「俺、ずっと前から橋本さんのことを想っていました」


 同業者の、泉夏都さん。

 同じ高校の同じ学年に属する、泉夏都くん。

 役者歴は後輩の、泉夏都さん。

 年齢は二歳年下の、泉夏都くん。


「好きです」


 交わっているようで、交わっていない人生を送っていた私たちの縁が、雨をきっかけに結ばれた。

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