第2話「同級生」
(気まずい……)
階段を使って、ビルの一階まで下りてくる。
(気まずい、気まずい、気まずい!)
ビルの外へ出て、新鮮な空気を吸い込む。
後ろを振り返っても、泉くんがビルの入り口までやって来る気配は感じられないことに安堵の息を漏らす。
(同じ高校の人と一緒に仕事は気まずい……)
同じスタジオで共演していた泉夏都くんとは、同じ高校に通っているという共通点がある。
私も泉くんも同じ高校の制服を着てのお仕事で、自分が通っている高校がどこなのかを隠すことはできない状況。
(別のクラスで良かった……)
空は、あの日と同じ灰色の雲に覆われていた。
雪は降ってこないけど、吐く息の白さは周辺の空気が冷たいということを伝えてくる。
「はぁ」
指を、曲げて、伸ばしてを繰り返す。
指を伸ばしたら、また曲げる。
その動作を、繰り返す。
(スタジオでも、学校でも、気を遣わせるわけにはいかない……)
癖のようになっている、この動作。
この動作を繰り返さなくてもいいはずなのに、私は自分の指が正常に動くかどうかを確かめる。
「あの二人、隠す気ないもんなー」
「こっちからすると、やっと週刊誌が取り上げてくれたかーって感じ」
鞄からスマホを取り出し、何か連絡が来ていないか確認していたときのことだった。
ビルの中から外へと出るために、二人組の男性が会話をしながらビルの出入り口へと向かってくる声が聞こえてきた。
「もう付き合って、何年?」
「三年?」
私とは別スタジオで収録してた同業者たちは、ビルの外で突っ立ったままの私に気づくことなく横を通り過ぎて行こうとする。
「お疲れ様でした」
私は、彼らが同業者と気づいていた。
でも、相手は私の存在に気づいていないみたいだった。
「お疲れ様でした……」
「お疲れ様です……」
無視されると気づいてしまったから、私は先手をとって挨拶を済ませた。
「誰だっけ?」
「関係ない人かと思って、無視しそうになった……」
全部、聞こえています。
声優という職業柄のせいなのか、小声で喋っている内容ですらも聞き取れてしまう滑舌の良さ。
声の大きさも加減できるとは思うけど、そこまで私に気を遣ってはいられないということらしい。
(顔と名前を覚えてもらうって、大変……)
心で小さく呟いた言葉は、灰色の空に溶け込んでいく。
コートの襟を整えて、鞄から手袋を取り出そうとしたときのことだった。
(さっき、週刊誌って言ってたよね)
体から熱を逃がす前に手袋をはめなければいけないのに、私は同期の七春ちゃんの情報を探すために手袋よりも先にスマホを取り出した。
「…………」
スマホ画面に、人気声優河原木七春と南友哉の熱愛ニュースが飛び込んでくる。
スマホ画面いっぱいに広がる七春ちゃんと南さんへの祝福コメント。
(この世界には日向で生きていく人と)
指を、曲げることができない時期があった。
指の関節が炎症を起こして、うまく曲げることができないときがあった。
ベッドで横になる、過去の自分。
部屋に置いてあるパソコン画面に映るアニメーションから、七春ちゃんの声が流れてくる。
七春ちゃんが表紙を飾る雑誌が散財している部屋。
あのときの私はアニメを観る元気もなければ、雑誌に手を伸ばすこともできなかった。
(日陰で生きていく人がいる)
ベッドの上で、涙を零した。
何度も、何度も。
でも、ほぼ寝たきりの状態の私の涙を拭ってくれる人は現れなかった。
(帰らなきゃ……)
曇り空だった空から、雨が降り始める。
私を始め、街を行く人たちは傘を持っていなくて焦った様子。
「っ」
雨が激しくなると同時に、私の瞳から流したくない涙が零れてくる。
公の場で泣いてはいけないと分かっていても、私の涙は零れてきてしまう。
「近くにコンビニあるので!」
後から来た彼に、手を引かれる。
「走りましょう」
降りしきる雨の中、同じ高校に通うことを証明する制服姿の私と彼は走った。
私が泣いていたってわかる跡は、雨に流されて消えてしまった。
「橋本さん」
コンビニまでやって来ると、コンビニで雨宿りする人々が大勢いた。
私はコンビニの外で、コンビニの屋根を借りて雨宿り中。
ずぶ濡れなのは私だけでなく、少し安堵する。
「ありがとうございました」
泉くんが、コンビニで購入したビニール傘を手渡してくれる。
「お互いに、風邪を引くと大変ですからね」
「っ」
同業者の、泉夏都さん。
同じ高校の同じ学年に属する、泉夏都くん。
どっちの顔も知っているからこそ、上手く感謝の気持ちを伝えられているかどうか分からない。
ぎこちない笑顔かもしれないけど、なんとか泉くんに気持ちが伝わるように努めてみた。
「どうかしました……」
「橋本さんの笑った顔が、久しぶりで嬉しくて」
照れくさそうに自分の髪に触れる泉くんが、嘘を言っているようには感じない。
でも、私は満面の笑みを浮かべられるような人間ではないと自覚があるから、彼の言葉に疑問を持ってしまった。
「……私、笑えてましたか?」
「はい、無自覚なところも可愛いです」
役者歴は後輩の、泉夏都さん。
年齢は二歳年下の、泉夏都くん。
女性を喜ばせる言葉を随分と知っている年下くんに、とても驚かされた。
「橋本さん?」
「可愛いとか言われ慣れていないので……」
「照れている姿も可愛いです」
挨拶くらいしか交わしたことがないはずなのに、彼は朗らかな笑みを浮かべて嘘偽り一つありませんと言わんばかりの真っすぐさを言葉に乗せた。
「……ありがとうございます」
可愛いって言葉は、河原木七春ちゃんのためにある。
私に、可愛いって言葉は相応しくない。
それなのに、泉くんは私に可愛いって言葉を与えてくれる。
「あ、でも、お礼を言われるようなことをしていないというか……って!」
驚いているのは私の方だと思っていたのに、泉くんは大きく驚いてみせた。
「すみません! 制服……」
制服がびっしょりなのはお互い様なのに、泉くんは一方的に私に謝罪をしてくる。




