第1話「同期」
「橋本冬優です」
私の人生は、いつも否定されるところから始まっている。
「キャラクターの人生を本物に変えるような……」
中学三年で声優の養成所に通うことを決めた。
決めたと言っても、中学三年の私には学費を支払う能力がない。
社会人になってから学費を返すという出世払いを約束して、私は声優の養成所に通った。
「そんな声の芝居ができる声優を目指しています」
いつかは両親に、自分の夢を認めてもらいたい。
そんな風に夢見ていたこともあったけど、その夢は両親の口癖によって打ち砕かれる。
『声優になんてなれるわけがないんだから、早めに諦めなさい』
一度だけじゃなく、二度、三度と繰り返され、次第にその口癖は数えきれなくなってしまった。
数えきれなくなったとき、あ、私は声優になれないんだって思い込みに変わりそうなほど心を砕かれた。
「今の挨拶で、ちゃんと自分の名前を名乗ることができた人はいませんでした」
初日のレッスン。
窓の外には、薄暗い空が広がっていた。
ただでさえ緊張で顔色が悪かったのに、空の色まで暗かったことが、私の気持ちを更に深く沈ませた。
「自分の名前、意識したことある?」
大きな鏡に囲まれたレッスン室に、ワックスが塗りたてなのではないかと思うほど傷ひとつない綺麗な床。
「この業界は、名前を聞いただけでわかるの」
光り輝くといっても過言ではないレッスン室の空気が一変して、また体に余計な力が入った。
「この人は、できるかどうかってことが」
凝り固まった体から発せられる声は、綺麗じゃない。
それが分かっていながらも、私は不安と緊張を上手く逃がすことができなかった。
(私は、夢を叶えられない人間……)
だから、私の声優人生は、始まった日に終わった。
そんな愕然とした絶望感に襲われたはずなのに、声の芝居に夢中になった私は夢を叶えるという奇跡を手にすることになった。
それなのに、四年後の自分は、口角を上げることができていない。
(この世界には)
声優を育成するための養成機関で、私は同い年の女の子と出会った。
そして私も、その女の子も一緒に、同じ声優事務所へと所属が決まった。
(日向で生きていく人と)
その女の子は、いつもマネージャーさんと笑顔を交えながら話をしていた。
(日陰で生きていく人がいる)
彼女と一緒に事務所に所属した年上の人たちは、女の子のことを羨ましそうな目で見つめていた。
「河原木は、本当に凄いよ!」
「土屋さんが、私のために動いてくれたおかげです」
この場を流れる空気は、三つに分かれると思う。
羨ましい。
彼女が活躍するのは、当然。
そして、妬ましい。
「こんなにオーディションに合格しまくってたら、年末の賞レースも夢じゃないよ」
「ありがとうございます」
マネージャーの話を受けて、謙遜する女の子。
そんな様子を見つめることしかできない年上の人たちは、とても悔しそうな顔をしていた。
「みんなも、河原木に続くように」
このときの私は、どんな顔をしていたのか。
(この世界には日向で生きていく人と、日陰で生きていく人がいる)
同い年の女の子を祝福していたのか。
それとも年上の同期さんたちと一緒になって、女の子を憎たらしそうな目で見つめていたのか。
そんな過去の感情を思い出せないほど、今の私は彼女に対して何も思わなくなってしまった。
「冬優ちゃん、お疲れ様っ」
「お疲れ様」
同い年の河原木七春ちゃんが、メインヒロインで出演するアニメーションの収録スタジオ。
「すっごく暑いねー」
「七春ちゃんたちの芝居の熱、凄かったよ」
「うわー、ありがとー」
同期の彼女と出会ったとき、まだ私たちは中学生だった。
制服姿で声優脳養成所に通って、制服姿で収録スタジオに通うっていう当たり前を過ごした仲なのに、彼女は制服を卒業する年齢になった。
「挨拶してくれて、ありがと」
「私が冬優ちゃんのこと、無視するわけないでしょ?」
メイン級の役を務める七春ちゃんとは座る席が離れているけれど、彼女は収録が終わると同時に私の元へと挨拶に来てくれた。
「またね、冬優ちゃん」
「また……」
七春ちゃんは自分を綺麗に魅せるための服を選んでいて、その選んだ洋服は七春ちゃんの可愛らしさを更に引き立てていく。
「七春、次のスタジオも一緒だったよな?」
一方の自分は、高校の制服姿。
高校生の制服は、高校生までしか着られない。
それはわかっているけど、高校生の制服姿は少し地味に思えてしまう。
毎日着こなして、見飽きるほど着慣れているからなのか、今だけ纏うことのできる制服姿に自信が持てない。
「友哉とは、本当に共演が多いよね」
共演者たちへの挨拶を済ませた七春ちゃんは、急いで次のスタジオに向かおうとする。
そこに、共演者の南さんが話しかける。
「あ、飽きたとは言わせませんからね」
「一緒に行こうって話だよ」
七春ちゃんと仲良く会話する南さん。
特別な好意があるわけではないのに、私は二人の関係を羨ましいと思ってしまう。
「冬優ちゃん、バイバイ」
私には、仲のいい共演者がいない。
私の交友関係は、今も四年前も変わっていない。
それなのに、同期の女の子は物凄いの勢いで交友関係を広げていく。
「扉、押さえるよ」
七春ちゃんがスタジオから出やすいように、私は出入り口の扉が閉じないように押さえる。
私にとっては当たり前の動作でしかないのに、七春ちゃんも南さんも私の心遣いに感謝の気持ちを述べてくれる。
「橋本さん」
「泉さん、お疲れ様でした」
現役高校生声優として知名度を一気に高めている泉くんに声をかけられた。
軽く会釈をして、扉から出て行く泉くんを見送ろうと思っていた。
でも、その予定は狂ってしまった。
「扉押さえるの、俺、代わります」
泉くんの手が伸び、私の代わりに扉を押さえてくれた。
ここで泉くんと役目を譲り合っても仕方がないと判断した私は、泉くんに扉が閉まらないように押さえる役目を譲った。
「ありがとうございます、泉さん」
「いえいえ、お気になさらずに」
出演者の人たちが帰るのを泉くんと一緒に見送る。
そして、スタジオに誰もいなくなったのを二人で確認する。
「橋本さんもどうぞ」
爽やかな笑みを浮かべている泉くんに一礼をして、スタジオを後にした。




