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たとえ愛が存在しなくても、この声にだけは愛を込めて  作者: 海坂依里
第6章「私たちの未来に名前をつけるなら」
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第1話「優しすぎる人は笑顔が綺麗」

「おはようございます、|KUGA promotionクガプロモーション所属の橋本冬優(はしもとふゆ)です」


 収録スタジオに入る前に、ロビーで緊張を解す。

 そうは思っていても、次から次へとやって来る先輩やスタッフのみなさんに対して、芝居もできないくらい体が硬直してしまう。

 そんな凝り固まった体を解してくれたのは、彼の声だった。


「おはようございます! V-leap(ヴイリープ)所属の泉夏都(いずみなつ)です」


 いつも、笑っている人だと思った。

 夏都くんの周りには、いつも人がいた。

 彼の笑顔に惹かれた人たちが集まって、彼の優しさというものに触れていく。

 優しさが次々に繋がって、彼に集う人々は増えていく。


(それは希望にも繋がるけど、多くの期待を背負うってことは不安にも繋がる)


 彼の笑顔に魅了された人たちは、彼のことを全力で守るはず。

 それだけ、彼は周囲から愛されている。

 愛されているっていう大袈裟な言葉を使わなくても、多くの好意に囲まれている。

 彼は、未来の声優業界を背負う人気者だから。


「制服を卒業する前に共演するっていう夢、叶えることができましたね」

「橋本さんと共演できるの、楽しみにしてました」


 私たちは、挨拶くらいしか交わしたことがなかった。

 ただの同級生どころか、同じ職業をやっている同士かも分からないと思っていた。

 彼から認識もされていないのが私だと思っていた。

 私たちの関係は、そんな薄っぺらい関係だと思っていた。

 だけど、私も彼も互いに互いのことを把握していたらしい。


「ちなみに橋本さん、今日の体調は?」

「ばっちりです」

「良かった」


 彼は、笑っていた。

 彼は、やっぱり笑っていた。

 彼が私に優しい笑みを浮かべてくれるから、また私は困ってしまう。


「夏都くんは、いかがですか」

「もうスタジオに、ウイルスをまき散らすようなことはしません……」


 どうやったら、彼を元気づけることができるのか。

 どういう言葉を選んだら、彼を励ますことができるのか。

 彼と関わらない人生を選んできた私だから、彼との接し方がまったく分からない。


「何かあったときは……」

「ちゃんと頼ること! 橋本さんと、約束しましたから」


 でも、彼が弱っているときまで、無理矢理な笑みを浮かべるような人じゃなくて良かった。

 駄目なときは駄目って、素直に気持ちを溢すことができる人だって知ることができて良かった。

 彼は最後の最期まで笑顔を貫くつもりなのかって、いつしか不安になったことがあるから。

 そんな私の不安を知ってか知らずか、彼はまた綺麗な笑みを浮かべてくれた。


「橋本さんこそ、約束、守ってくださいね?」


 相変わらず、彼の笑顔は眩しすぎて辛くなる。


(でも、彼には、笑顔こそが相応しい)


 だから、いつ雨が降るかも分からない曇り空を彼の背景には持ってきたくない。


「あ、粟津さん、来ましたね! 挨拶、行きましょ」


 無理に笑わなくてもいいよって声をかけることも可能だけど、苦笑いも彼にとっての大切な努力の過程だとしたら大きなお世話になってしまう。

 苦笑いだとしても、私を心配させないための笑みだと感じるのは本当。


「おはようございます! V-leap所属の泉夏都です」


 この苦笑いですらも彼の努力で成り立っているものだとしたら、それこそ私の一言が彼の努力を台無しすることに繋がってしまうかもしれない。


「橋本さんとは、久しぶりだね」

「粟津さん……覚えててくださったんですか」

「粟津さん、俺のことも構ってください」

「だって、泉くんとは久しぶりでもなんでもないから」


 今日の収録で一緒に仕事をする人たちに挨拶するため、私たちよりも後に来た粟津さんは別の方の元へと足を運ぶ。


「本当に俺たち、多くの人たちと一緒に作品作りをしてるんですよね」


 私は彼を追いかけることしかできないのに、彼は好きなタイミングで私の方を振り返ることができる。


(狡いなぁ)


 誰からも愛されるような笑顔を見せていた夏都くんも、自分を守るために動ける人なんだって知ることができて安心した。


「私、泉さんと、現役高校生を経験できて良かったです」


 どうやったら、彼のことを振り返らせることができるのか。

 どうしたら、自分の声を彼に届けることができるのか。

 きっと私は一生を懸けて、自分の声と向き合っていくのだと思う。


「上手く言えませんが……」


 自分一人じゃないって、嬉しいことだった。


「泉さんと話ができるようになって嬉しいです」


 彼と私の人生が交わることはなかったはずなのに、互いの人生を交えることができたような感覚を嬉しいと思った。

 見た目も性格もまったく違う二人なのに、言葉を交わせるようになったことを嬉しいと感じる。


「私、泉さんのことを、ずっと羨ましいと思っていたんです」


 泉くんが素敵だと気づいた人たちは、自然と彼に惹かれてしまう。

 でも、私は彼の素敵に違和感を抱いた。

 そんな素敵を認めることができなかった私だからこそ、私は夏都くんと一緒にいる時間を大切にしたいと思ったのかもしれない。


「泉さんに、ずっと片想いをしていたみたいな感じかもしれません」

「橋本さん、作家になれそう」

「調子に乗るべきですか?」

「ははっ、乗っちゃえ、乗っちゃえ」


 まるで、片想い。

 私だけが一方的に夏都くんのことを想っても、彼には気持ちが届かない。

 そんな片想いを続けてきたからこそ、私は両想いになるために必死なのかもしれない。


「そんな片想い相手と距離を縮めるために、私は夏都くんを追いかけます」


 私は心を落ち着けながら、夏都くんのための言葉を模索してみた。

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