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第2話「頼る」

「夏都くん……」


 収録スタジオでよくお話しするようになった遊川さんですら私の存在に気づかなかったのに、夏都くんは私を見つけてくれた。

 背景に溶け込むだけだった私の存在に、夏都くんは気づいてくれた。


「あ、お腹が空いたなと思って……」


 見渡せば食べ物を売っている店がたくさんある中、夏都くんがなんの迷いもなく自分を見つけてくれたことが嬉しい。

 そんな気遣い屋さんの彼に心配をかけないように明るく振る舞うと、夏都くんは涙を拭う仕草で私の目元に触れてくれる。


「……私、泣いてませんよ」

「泣いているように見えただけです」


 泣き崩れてはいないけど、目元に涙が溜まっていることに気づかれてしまったかもしれない。

 そんな優しい夏都くんに、私ができることなんてあるのかなって不安になりそうになった。でも、すぐに私は夏都くんの異変に気づいた。


「夏都くん」

「ん? どうかしまし……」


 指で感じる温度なんて、たかが知れているかもしれない。

 でも、夏都くんが私に触れてくれるときの指の温度に違和感があった。

 私は手を伸ばして、夏都くんの額にそっと触れる。


「熱、ないですか」


 夏都くんは何を言われているのか、よく分からないような顔をして私を見た。


「なんとなく、いつもより体温が高いような気がするのですが……」

「熱かどうかはよくわかんないですけど、確かに頭がぼーっとするなーとは思って……」

「それが熱です」


 感染症が流行したことに加えて、声優という職業は常に喉を守らなければいけないこともあってマスク姿は定番中の定番。

 マスクを付けることに慣れすぎて、相手の体調の変化に気づきにくくなってしまった。


「感染症が流行ったときに、無理せず療養するって事務所に言われませんでしたか」


 夏都くんの服の裾を掴んで、夏都くんと従妹さんが住んでいるマンションの方へと誘導する。


「体調が悪いときは、マネージャーさんに連絡してください」


 こんな厳しい言い方をしなくても、夏都くんは当たり前のことを当たり前にこなすことができる人。それなのに、無理にしてまで仕事に着た理由が分からない。


「お母さんみたいなこと言って、ごめんなさい。でも、夏都くんのことが心配で……」

「仕事、しなきゃって……」


 騒がしい街の喧騒に、夏都くんの声が飲み込まれていく。


「仕事断ったら、干されるって思ったら……」


 真っすぐと未来を見つめる輝かしい夏都くんの眼差しを好きだと思っていたけど、後ろを振り返った彼の瞳に光が見えなかった。


「連絡……できなくて……」


 高校生の夏都くんが、どんなに声優としての仕事を獲得していたとしても。

 彼はまだ、新人声優だったということを思い出す。

 彼だけが、特別ではないってことを思い出す。


(やっと……彼の本音を聞けた……)


 そっと深呼吸をして、自分の声を発する準備を整える。


「夏都くん」

「すみません、風邪がスタジオに蔓延したらとか……気を回せなくて……」

「頼ってください」


 ゆっくりとした足取りで、なんとか従妹さんと住んでいるマンションまで歩こうとする夏都くんに付き添う。

 服の裾を掴んでいたはずの手は、いつのまにか握られていた。夏都くんの右手の熱が、だんだんと上昇しているような気がする。


「こんな都会に住んでると、引きますよね」

「従妹さんとシェアハウスされているので、当然のことかなと」


 夏都くんが話しかけて、私が言葉を返す。

 私が話しかけると、夏都くんが言葉を返す。


「……稼ぎたいですね」

「私も頑張ります」

「稼ぎたいって、立派な夢になるんですね」

「私たちにとっては、立派すぎる夢です」


 いつもと変わらない時間を共有し合いながら、マンションまでの道のりを少しでも短く感じてもらえたらって配慮をしてみる。

 それが上手くいっているか分からないけど、何もしない無言の時間を過ごさせるよりはよっぽどいいと思いたい。


「従妹さんって、本当に帰ってこないんですね」

「ブラック企業ではないんですけど、会社で寝泊まりって生活が当たり前みたいです」


 風邪を悪化させないために必要そうな物を買い込んで、夏都くんをマンションまで連れてくることができた。


「何か、お昼ご飯作りますね」

「すみません、何から何まで……ではなく!」

「大声は禁止ですよ」

「……ありがとうございます」


 夏都くんは言葉を言い直して、リビングに置いてあるソファに寝転がった。


「熱、測ってくださいね」


 もともと私は、風邪も引かないと言ってもいいくらいの健康体だった。

 小学校も中学校も高校も皆勤賞を狙うことができるくらい健康だけが取り柄だったのに、ある日、突然、関節が痛みを訴えるようになった。


(痛いって、言ったんだけどな……)


 生活ができなくなるくらい関節が痛みを訴えていたのに、その痛みを理解してくれたのは大学病院の先生だけだった。

 近所のお医者さんは湿布と痛み止めを処方するだけで、ずっと様子を見ましょうと言い続けた。


「人を頼るときって、難しいですね……」


 キッチンをお借りしようとしていると、夏都くんがぽつりと言葉を零した。

 テレビもパソコンも付いていない部屋では、夏都くんの声がよりよく聞こえるような気がする。一人だけ、声の響きが違うような気がする。


「一人で頑張って乗り越えなきゃいけないところと、素直に人を頼っていいところの違いって……どこにあるのかなって」


 人を頼るべきタイミングは分かっていても、自分一人でなんとかできるんじゃないかって思ってしまう。

 だから、今も昔も、自分の人生はこんなに窮屈なものになってしまったのかもしれない。

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