第1話「夢を叶えられるかなんて、まだ誰も知らないから」
収録が始まる前のロビーで、私は久しぶりに共演する夏都くんの姿を探す。
まだ時間的に余裕があるせいか、キャストさんもスタッフさんも揃っていない。
(さっきから、同じことを繰り返し考えてる……)
行っては戻って。
戻っては進んで。
それらを繰り返す思考と感情。
(会いたい……な……)
結論は出ていないのに。
まだ、心が動き始めていないのに。
それでも、夏都くんに会いたいって気持ちだけは先行して動き始めてしまう。
「あー! すみません! 雑誌、広げっぱなしなの俺です!」
悲鳴を上げたのも、ロビーに顔を見せたのも、同じ人物。
この声を聞くと、安心する。
この声を聞くと、安心できる。
夏都会くんに、今まで何度も何度も助けてもらった。
泉夏都くんに、いつも私は支えてもらっていた。
「おはようございます、夏都くん」
「おはようございます! っていうか、貸し切りみたいに好き勝手しちゃって、すみません!」
「まだ人がほとんどいないので、気にしている人もいないみたいですよ」
収録が始まるまで待機するための場所で、雑誌を広げたまま、どこかへ行っていた夏都くんのことを気にかける。
他人に迷惑をかけるようなことをする人ではないと自信があるからこそ、夏都くんに何かあったのかと心配になる。
「……いつかは表紙とか、憧れちゃいますよね」
表紙を飾っているわけでもない雑誌を手にした夏都くんの表情は笑顔を保ちつつも、どこか寂しそうに見える。
そうさせているのが自分だとしたら、声をかけたいって思う。夏都くんを元気にできるような、魔法の言葉を送りたいと思う。
(けど……)
声の掛け方が、よく分からない。
言葉の送り方も、よく分からない。
「すみません、夢みたいなこと言って困らせて……」
「私は何も困ってなんか……」
「冬優さん、笑ってないですよ」
それは、夏都くんも同じです。
夏都くんは、作り笑顔。
私は、そもそも笑顔の作り方すら忘れてしまっている酷い状況。
「冬優さんって、俺の前だと表情が硬くなっちゃうんですよ?」
「…………」
「気づかなかったでしょ?」
返す言葉もなかった。
表情が強張ってしまう自覚があったのかもしれないけど、夏都くんと一緒にいるとき本当にずっとそうだったのかなって自身のことを振り返ってしまう。
「楽しいときもありました……」
「俺のこと、気遣ってくれて、ありがとうございます」
「嬉しいときだって、夏都くんと一緒のときに経験して……」
思わず声を荒げそうになったけど、夏都くんはこっそりと唇に指を当てて私のことを制止させる。
ここは、大声を上げてもいい場所じゃないって諭してくれる。
「収録、頑張りましょうね」
夏都くんからの好意を拒み続けてきた私に否があるとはいえ、夏都くんとの距離が開いたような感覚に陥る。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
収録が始まってしまえば、セリフの掛け合いが一切ない私と夏都くんが言葉を交わす機会もなくなる。
何事も起きることなく、与えられた仕事を終えると、私の視線は再び夏都くんを探し始める。
(今日は、夏都くんが扉係……)
夏都くんが率先してやっていることを邪魔するわけにはいかないため、私は夏都くんに挨拶をしてスタジオをあとにした。
(夏都くんと、話したかったな……)
そんな気持ちがあったとしても、夏都くんの行為を拒み続けた私に、そんな資格があるのかと自身に問いかける。
(おとなしく、帰ろ……)
進学を希望していない高校生は、土日を有効に使うことができる。
学校に申請書さえ出せば、アルバイトをして高校卒業後の支えを蓄えることができる。
でも、声優として食べていきたい人間にとっては、土日に声優のお仕事が入っていたら、とても嬉しい。
(ここは節約しないとなのに……)
午前に入っていた収録が終わり、家に帰るために駅へと向かう。
その過程で、我慢していた食欲を誘惑するための飲食店の香りに負けそうになっている最中。
少しでも節約をして高校卒業に備えたいのに、先輩声優にご馳走してもらう身分でもない下っ端声優は心が揺れる。
「はぁ」
家に帰れば、食べる物がある。
そんな高校生ならではの贅沢に甘えようと思って、パン屋の中には入らずに食欲を制御する。
再び駅に向かうために足を動かそうとすると、目の前を遊川さんが通り過ぎていった。
「…………」
泣くのを誤魔化すように何度も目元を擦りながら、駆け足気味で駅の中へと入っていく遊川さん。街の背景に溶け込んでいる私に気づくことはなかった。
(遊川さんでも、泣いちゃうことあるんだ……)
先輩声優が、どうして泣いているのかは分からない。
家族や恋愛に関してとか、仕事と関係のないところで泣いていたのかもしれない。
泣いている理由が仕事とは限らないけど、先輩声優でも泣くことがあるっていう事実が心を痛めてくる。
(泣くって、本当に辛いから……)
遊川さんは目元を拭いながら、そのまま駅のホームへと向かって行く。
(私も、身体を動かせなかったときは……)
毎日、泣いた。
布団の中で隠れて、毎日泣いた。
なんで自分の身体なのに、自由に動かすことができないんだろうって泣いた。
《《ただの関節痛》》だって、家族から病気に対する理解を得られなかったことが悔しくて怖くて泣いた。
(また、戻っちゃうのかな……)
手を開いて、閉じて。
指を伸ばして、折り曲げて。
それらの行為を正常に行うことができるのに、今日も私は薬漬けの日々を送っている。
「冬優さん!」
軽く息を切らして、夏都くんがパン屋の前にいる私を見つけて声をかけてくれた。




