第3話「なんで、私が」
「冬優さん」
名前を呼ばれる。
「冬優さん、好きです」
その声で名前を呼ばれると、下に向けていたはずの視線を上に向けたくなってしまう。
「大好きです、冬優さん」
わざと私の耳元近くで名前を呼ばれたことに大きく反応した私は、自分の耳を塞いで彼の声が聴こえないように工夫する。
「こういうときに仕事声を使うのは……」
「さすがに自分で自分の声をいいとは思わないですけど、冬優さんの反応を見ると、俺も声優だったんだなーって実感できます」
自分はもう、恥ずかしすぎて彼の方を振り向くことすらできなくなっている。
「冬優さん、俺の名前を呼んでください」
自分の手で両耳を覆ったところで、どうしても聴覚は音を拾ってしまう。
「冬優さんに呼ばれたい」
逃げられないところまで追い詰められているのに、その追い詰めるって言葉の使い方を間違えているとすら思える。
「冬優さんに呼んでほしい」
観念した私は、彼の方を振り向いた。
彼の声を受け入れるために、押さえていた両耳からゆっくりと手を離す。
「…………夏都くん」
声には、魔法の力があると思った。
だから、私は声優業界に足を踏み入れた。
私も声の力で多くの人たちに幸せの魔法をかけてみたいと思ったから、自分の声に自信を持って夏都くんに声を届けた。
「あー……」
「夏都くん……?」
「彼氏と彼女の関係だったら、冬優さんのこと抱き締められるのに……」
夏都くんは一旦屈んで、地面と睨めっこするかのように顔を伏せてしまった。
その伏せている顔を覗きたいと思って夏都くんに近づくけど、私が行動するよりも早く夏都くんは勢いよく立ち上がってしまう。
「出会って間もないっていうのは、どうしようもないので置いておきます」
夏都くんの表情を覗き込む前に、夏都くんは自身の顔を整えてしまった。
真摯な瞳と真剣な声だけが、今の私を引き寄せていく。
「冬優さんを悩ませているのって、俺よりも年上ってことですか?」
私が病気を患わなかったら、もっと素直に恋愛をできていたのか。
「それとも、互いに新人声優ってところですか? 恋愛に現を抜かしている場合じゃないとか」
病気を患わなかった人生を歩んでみない限り、私が積極的に恋愛できていたかどうかなんて分からない。
ただ分かっているのは、私が病気を患ったっていう事実は決して覆らないということだけ。
「それとも」
夏都くんの言葉が止まる。
「この間、空き教室で見つけたカプセル」
一瞬だけ視線を背けられたけど、その視線はすぐに私の元へと戻ってきた。
「サプリメントじゃなくて、薬だからですか」
ふと周囲を見渡せば、イルミネーションが綺麗な街路樹を見るための人で賑わっている。
でも、私と夏都くんの間に賑わいなんてものは存在しない。
私たちの間に流れている空気は、冷たいけれど優しいもの。
その冷たさにも、与えられる優しさにも泣きそうになるけど、涙腺が緩んでしまわないように手に力を込める。
「どうして薬だって気づいたんですか」
見事に言い当てられた。
サプリメントだと誤魔化すこともできたけど、嘘を吐き通すのは誠実ではないと思ったから私は夏都くんの指摘を認めた。
「俺が、薬剤師が主人公の異世界転生物に出演していたからです」
夏都くんは私の目をしっかりと見て、はっきりとした口調で説明をしてくれる。
「薬の数え方は錠で、サプリは個か粒なんですよ」
語気を強め、自分の考えに疑いはないって気持ちを言葉に込めてくる夏都区。
「主人公が、ヒロインに説明してました」
私と夏都くんが空き教室で会ったときに、自分が何を言葉にしたかなんて正直覚えていない。
でも、夏都くんが私の言葉をずっと気にかけてくれたというのなら、私は自ら薬のネタバレをしてしまっていたということ。
「普段の会話なら、錠でも個でも粒でもなんでもいいと思います」
夏都くんに指摘されることで、自分がどんな失敗をしてしまったか自覚する。
でも、どんなに後悔したところで、夏都くんと出会った昼休みの時間に戻ることはできない。
「言葉を大切にする職業に就いている冬優さんなら、数え方は間違わないだろうなって」
「随分と信頼されてますね、私」
「ほんの少し気にかけていた程度のことです」
「普通は、気に留めませんよ? 忘れてくれても良かったんですよ」
私が生きる世界に、こんなにも自分を気にかけてくれる人がいたことに喜びを感じる。
でも、その喜びを夏都くんの前で晒すわけにはいかない。
観念しましたと言わんばかりに、私は気にしないでほしいという意味合いを込めた笑顔を作り込んで夏都くんと視線を交える。
「十六歳以下で発症すると、若年性特発性関節炎って呼ぶらしいんですけど」
自分の部屋で、養成所で使う台本に書き込みをしていたときのこと。
ボールペンを持っていた指の関節がこわばっていて、動かし辛かったことが始まりだった。
「私が発症したのは、十七歳のときでした」
テストで百点を取っても、授業で描いた絵が入賞しても、両親は褒めてくれなかった。
上には上がいるんだから、ここで満足しないで努力を続けなさい。
昔から終わりの見えない努力を強いられてきた私だけど、小学校の先生が授業で私の朗読を褒めてくれた。
初めて褒められるという経験を与えてもらった私は、今年の夏も暑いと唸りながら養成所のレッスンに勤しんでいた。
(なんか、指が動かしづらい……)
念願の声優事務所に所属が決まり、あとは養成所をきちんと卒業するのみ。
次から次へとレギュラーを射止めている七春ちゃんに追いつくためにも、灼熱の太陽が輝く十七の夏にアルバイトと高校と養成所と声優のお仕事の四つを両立させていた。




