上野駅のりば案内
時刻表ピンクのページには、「主な駅のご案内」があり、駅構内図とのりば案内が書かれている。
上野駅ののりば案内によると、次のようになっている。
①② 京浜東北線(大宮方面)、山手線内回り(池袋方面)
③④ 山手線外回り(品川方面)、京浜東北線(桜木町方面)
⑤⑥ 高崎・上信越線普通列車
⑦⑧ 高崎・上信越線特急・急行列車
⑨ 高崎・上信越線普通列車
⑩ 常磐線急行もりおか・ときわ号
⑪⑫ 常磐線普通列車・取手方面快速電車
⑬ 東北線普通列車
⑭〜⑰東北線特急・急行列車
⑱ 東北線普通列車
⑲⑳ 常磐線特急・急行列車(もりおか・ときわ号は⑩番線)
目につくのは、急行もりおか・ときわ号の特別扱いであろう。
エル特急「ひばり」「とき」など本数の多い特急列車さえ与えられていない専用ホームを持つ。これはすごいことだ。
と思って、時刻表の常磐線のページを繰ると、7時20分発「ときわ3号」、8時ちょうど発「もりおか1号」は⑩番線から出る。
ところが、9時10分発「ときわ5号」は⑲番線である。10時ちょうど発のエル特急「ひたち5号」は、けしからぬことに急行の専用ホームの⑩番線を9時20分から占有する。エル特急「ひたち」は5号にとどまらず、12時発の9号、14時発の11号、16時発の15号、18時発の17号、19時発の19号、20時30分発の21号と、不届きな輩が多すぎる。ために、「ときわ5号」に限らず、16時4分発「ときわ11号」、18時19分発「ときわ15号」、19時13分発「ときわ17号」が、哀れにも専用ホームからしめだされてしまっている。
これなら、⑩番線を常磐線特急・急行列車としたほうが、実態に則していたのではないかと思われる。
ちなみに、5時9分発の451Mと、8時18分発459M、9時1分発6451M、22時32分発497Mは、普通列車の分際で⑩番線から出発する。不遜と言うべきであろう。
常磐線特急は⑲⑳番線から出発するはずだが、エル特急「ひたち」の多くが⑩番線を使うため、このふたつの番線から出る常磐線特急は7本に過ぎない。9時41分発「ひたち3号」、11時発「ひたち7号」、15時発「ひたち13号」、19時50分発「ゆうづる1号」、21時40分発「ゆうづる5号」、22時16分発「ゆうづる9号」、23時発「ゆうづる11号」がいずれも⑲番線から出る。⑲番線を使う列車は他に、先述の「ときわ5号」、「ときわ17号」、20時14分発「十和田1号」、20時50分発「十和田3号」、5本の普通列車となる。⑳番線を使う列車は、ない。
常磐線特急の異色は、7時ちょうど発エル特急「ひたち1号」の⑦番線と、23時5分発寝台特急「ゆうづる13号」の⑨番線で、いずれも高崎・上信越線の番線から出る。「ゆうづる13号」など特急・急行の発着番線でさえない。奥床しいと言うべきであろうか。利用客への案内では、ちょっとした混乱があったかもしれない。
東北本線の特急・急行は⑭〜⑰番線と実に4番線もの割当てがある。
ただ、それだけではとても追いつかなかったようで、それ以外の番線から出る特急・急行は少なからずあった。
8時3分発エル特急「つばさ1号」秋田ゆきは⑱番線から
9時ちょうど発エル特急「ひばり5号」仙台ゆきも⑱番線から
10時6分発急行「まつしま5号・ざおう3号」仙台・山形ゆきは⑬番線から
10時36分発急行「なすの1号」黒磯ゆきは⑱番線から
12時6分発急行「いわて1号・ばんだい3号」盛岡・喜多方ゆきが⑲番線から
12時36分発急行「なすの3号」宇都宮ゆきが⑬番線から
13時3分発特急「あいづ」会津若松ゆきが⑱番線から
13時36分発急行「まつしま7号」仙台ゆきが⑱番線から
15時30分発エル特急「はつかり11号」青森ゆきが⑱番線から
22時34分発寝台特急「北星」盛岡ゆきが⑦番線から
23時4分発急行「出羽」酒田ゆきが⑬番線から
それぞれ旅立ってゆく。
一方で、12時43分発559M黒磯・日光ゆきが⑰番線から出るように、普通列車が特急・急行ホームから出発する例もあった。
高崎・上信越線の特急・急行も同様で、⑦⑧番線だけではとても収まらない。
普通列車を含め、高崎・上信越線の枠の⑤〜⑨番線をフルに使っている。
ここにも例外はあり、11時3分発849M高崎ゆき、11時26分発853M高崎ゆきは⑬番線から、13時56分発861M高崎ゆき、15時56分発869Mは⑲番線から、19時56分発927M前橋ゆきは⑱番線から出る。
また、20時53分発急行「越前」福井ゆきは⑭番線、21時13分発急行「鳥海」秋田ゆきと、21時49分発急行「能登」金沢ゆきは⑬番線から、それぞれ出発した。
使用しない番線もあった。
⑫番線と⑳番線を使う列車は、昭和53年10月号の時刻表から見当たらない。
ダイヤが混乱した時の予備に充当するためだったのか、東北新幹線の建設工事に伴うものであったのか、よくわからない。
ちなみに、昭和53年9月号の時刻表によれば、⑫番線を使う列車は見当たらないが、⑳番線を使う列車は常磐線の特急・急行列車を中心に多々見られた。例えば、14時48分発特急「みちのく」青森ゆき、21時40分発寝台特急「ゆうづる3号」青森ゆき、22時10分発寝台特急「ゆうづる5号」青森ゆき、23時5分発寝台特急「ゆうづる7号」青森ゆきなど。
列車本数が多く、多様な車両が使われていた当時、複雑かつ柔軟な対応が必要だっただろうことは想像に難くない。大雪などでダイヤが大幅に乱れようものなら、どの列車をどのホームに入れるのか、ひとつ判断を間違えれば、混乱を極める。構内の案内も大変だったことであろう。食堂車のクルーが、急な番線変更に大わらわしたことがあったやもしれぬ。スマホもタブレットもパソコンさえなかった時代、すべて人手を介して処理していたのであるから、当時の上野駅がいかに大変な職場であったことか。ご苦労が偲ばれる。




