ごおさんとおの前
偶然、ごおさんとおの前の、昭和53年9月の時刻表を入手した。
当時の価格は450円である。
昭和53年10月改正号の価格が500円なので、ダイヤ改正を機に11%も値上げしている。令和7年末の今、デフレが終わってインフレが話題になるが、昭和53年当時、物価とは年々上がるのが普通だった。
その値上げ前の時刻表9月号巻頭の「お知らせ」によれば、10月1日から国鉄の特急、急行、寝台料金が改定されるとある。時刻表の値段も便乗値上げしたような格好だ。ちなみに特急料金は300円、急行料金は100円、寝台料金は500円の値上げとなっている。グリーン料金、指定席料金、A寝台料金などは据置きであった。
ごおさんとお改正前のダイヤで目を引くのは、上野発の特急列車の速さである。
ごおさんとお後に比べて明らかに速い。
青森ゆき特急の最速列車「はつかり5号」は上野ー青森間を8時間15分で結ぶ。改正後の最速列車「はつかり11号」は8時間43分だから、30分近く速い。下り5号以外の「はつかり」も8時間30分前後で結ぶから、最速列車といえども、改正後は随分遅くなった。これを「改正」と言えるのか。利用客からすれば、特急料金は値上げされるわ、到達時間は余計にかかるわだから、明らかなサービスダウンだったことになる。
仙台ゆきエル特急「ひばり」は3時間58分が改正後4時間15分なので、こちらも15分ほど余計にかかる。新潟ゆきエル特急「とき」や長野ゆきエル特急「あさま」もそれぞれ遅くなっている。駅の窓口や車掌さんはイヤミを散々言われたことであろう。決めたのは経営陣なのに、文句を言われるのは現場だから、釈然としないものがあったかもしれない。
ごおさんとお改正前の「はつかり5号」は、これぞ特別急行列車と言うべき列車であった。
列車番号1M、上野16時ちょうど発、途中停車駅は宇都宮、福島、仙台、盛岡の県庁所在都市の中心駅のみ、終着の青森には0時15分着。車両は583系の13両編成、グリーン車1両と食堂車1両を組み込む。
ちなみに、上りの2M「はつかり1号」は青森を4時50分発で、盛岡、仙台、福島、宇都宮、大宮と停車し、上野に13時14分着。下りより9分延着で、停車駅もひとつ多い。
山陽本線には寝台特急「安芸」が運転されていた。
この列車、呉線経由で新大阪と下関を結んでいたが、なぜ呉線を経由していたのだろうか。
下りの呉線内停車駅である広には4時28分発、呉には4時38分着、上りは呉23時59分発、広0時36分発と、決して使い勝手のいい時間ではない。
下りは新大阪23時21分発、大阪23時9分発で、広島には5時11分着。大阪を23時57分発の寝台特急「さくら」、0時12分発の「はやぶさ」、0時29分発の「みずほ」は、広島にそれぞれ4時26分、4時41分、4時57分に着く。上りは広島23時29分発で、大阪5時29分着。広島23時12分発の寝台特急「金星」、23時33分発の「さくら」は、大阪にそれぞれ3時41分、3時59分に着く。
つまり、後続の長距離寝台特急を先行させるために、呉線経由にしたと考えられる。呉線の三原ー海田市間は87km、山陽本線の同区間は65.6kmで、21.4kmの差がある。
下り「安芸」は徳山6時52分着、防府7時19分発、小郡7時34分着、宇部7時57分着、下関8時38分着。
上り「安芸」は下関20時5分発、宇部20時42分発、小郡21時5分発、防府21時21分発、徳山21時47分発。
広島県西部の旧国名を列車名としていたものの、実際には山口県の各都市を結ぶ列車の位置づけであったと言える。「安芸」というより「長門」か「周防」、もしくは「防長」のほうが相応しい。
ただ、新幹線開通後に、これら山口県の工業諸都市への夜行需要がどの程度あったのか。九州ゆき寝台特急が多数運転されていた時代、「安芸」でなければならぬ需要は乏しかったろう。ごおさんとおで廃止されたのもやむを得ないと思われる。
筆者は詳しくないが、SLブームの時代を過ごした方にとって、「安芸」という列車名には感慨深いものがあると思われる。蒸気機関車C62やC59が牽引する急行列車で、ヘッドマークが取り付けられていた。なので、「安芸」の列車名はごおさんとおの手前まで生き残ったのであろう。
紀勢本線の特急「くろしお」は気動車であった。
ごおさんとおで、紀勢本線は新宮ー和歌山間が電化され、「くろしお」には381系振り子電車が新製投入されたが、それまでは80系気動車での運転であった。
電化区間の制約がなかったため、「くろしお」の運転区間は新宮ー天王寺間にとどまらず、名古屋ー天王寺間であった。名古屋9時50分発1D「くろしお5号」は紀伊半島をぐるりと回って、天王寺に18時14分に着く。上りは天王寺9時10分発2D「くろしお2号」が17時42分名古屋着。グリーン車を2両、食堂車を1両連絡した10両編成である。
特急「くろしお」は名古屋発着の他に、新宮発着が4往復、白浜発着が1往復あり、食堂車は新宮発着の3往復にも連結、営業していた。
この「くろしお」の80系の先頭車両にはキハ81も使われていた。かつて東北本線で特急「はつかり」が客車列車から気動車化された際に作られたボンネットタイプの車両で、ブルドッグを想像させるデザインであった。ごおさんとおの「くろしお」電車化で、引退した。
名古屋ー天王寺を直通する列車は特急「くろしお」だけでなかった。
急行「紀州」は下り2本と上り1本が直通した。名古屋8時19分発901Dの1号が天王寺17時24分着。名古屋10時42分発903Dの2号が天王寺19時44分着。天王寺10時30分発902Dの5号が名古屋19時25分着。
この直通急行「紀州」には夢がある。食堂車つきの「くろしお」で紀伊半島を回るのもいいが、直角シートの急行型気動車に揺られて、窓を開け放って、ビール片手に弁当をつつきながら、潮風とディーゼル排煙の匂いを満喫するのもわるくない。この「紀州」、山陰本線になぞってみれば、大阪ー博多を直通する特急「まつかぜ」だけでなく、急行「だいせん」や「白兎」が博多まで直通するような趣きがある。
ごおさんとお後も、名古屋ー天王寺を直通する列車は、寝台車つき夜行鈍行「はやたま」が残ったが、この列車、改正前の列車名は「南紀」であった。ごおさんとおで列車名を名古屋ー紀伊勝浦間の特急に譲り、令和の今もそれは続いている。
大阪からの北海道周遊券や東京からの九州周遊券は、紀勢本線経由の移動を認めていたのであろうか。
筆者は北海道ワイド周遊券を持って関西本線経由で名古屋まで東進したことがあるが、さすがに紀伊半島を南下して北海道を目指そうとは思わなかった。せっかくの北海道旅行に、紀伊半島でまる一日を過ごしたくなかったためである。
けれども、今から思えば、北海道からの帰路、紀伊半島をぐるりと回ることができたのなら、やっておけばよかった。わたしの記憶が正しければ、周遊券の有効期限は周遊区間内ギリギリまで有効で、出発地に戻るのには有効期限内に収まる必要はなかったはずだったから。




