583系の活用方法
寝台座席兼用電車、583系。
当初の目的どおりに活用できた期間は、思いのほか短かった。
特に、最初に投入された大阪ー九州間は、昭和42年から昭和50年のわずか7年半ほどで、実質的な役目を終えたと言っていい。
わずか5年間に434両も増備されたにもかかわらず、早々に用無しとなって、西の583系はあちこちで余剰留置の憂き目に遭った。その後、奇っ怪な近郊型車両に改造された車両が数多く出たことを考えると、当時の国鉄の車両計画は杜撰だったように感じる。
では、昭和53年10月改正当時、583系電車を活用できる場は他になかったのだろうか。
東北の583系は、東北本線の「はつかり」「みちのく」「はくつる」「ゆうづる」が本来の目的で活用されていたが、上野発の夜行列車は東北本線だけを走っていたのではない。
まず、目につくのは奥羽本線の寝台特急「あけぼの」だ。
この列車、特急でありながら、寝台幅52cmの旧式車両を使っていた。すでに二段式B寝台が登場していた当時、最もサービスレベルの低い寝台特急だったと言える。であれば、同じ三段式寝台とは言え、106cm幅の下段寝台をもつ583系に置き換えれば、よほどサービス向上につながったであろう。
もうひとつは、スピードアップが期待できる。走行距離の短い秋田止まりの3・2号はともかく、青森ゆきの1・4号は1時間30分ほど時間短縮が可能だったはずだ。とすれば、下りは弘前には8時頃に着くことができ、上りは弘前を20時30分頃に発つことができたから、秋田ー青森間はよほど使い勝手のいい時間帯になったものと思われる。
ペアになるのは、羽越本線の特急「いなほ」であろう。
青森発の「あけぼの4号」は上野に6時30分に着く。寝台を畳んで、上野発11時19分の青森ゆき「いなほ3号」で折返す。青森には21時45分着。
青森発の「いなほ4号」は上野18時33分着、寝台をセットして、上野発22時ちょうど発の青森ゆき「あけぼの1号」で折返す。青森には8時30分頃には着くであろう。
この単純な運用は、とてもわかりやすい。
もっとドラスティックに、西の583系の多くを東北へ集中させて、エル特急「はつかり」のすべて、寝台特急「ゆうづる」のすべてと、寝台特急「あけぼの」のすべて、特急「いなほ」のすべてを583系に替えると、もう12編成ほどが必要になる。156両が消化できる。
西の583系は、北陸本線に夜行列車がまだまだ健在だったので、「雷鳥」と夜行列車のペアは十分考えられたはずだ。わかりやすいところでは、新潟「雷鳥」と寝台特急「つるぎ」の組み合わせであろう。片道7〜8時間はこの電車の本領を発揮しやすい。
寝台特急「北陸」と「はくたか」をペアにして、金沢「雷鳥」の運用に加えるという手もある。大阪から「雷鳥」で金沢、寝台特急「北陸」で上野、折返し特急「はくたか」で金沢、「雷鳥」で大阪に戻るという運用。もうひとつは、金沢まで「雷鳥」、金沢でひと晩明かし、「はくたか」で上野、折返し寝台特急「北陸」で金沢、「雷鳥」で大阪に戻る。
東京発の九州寝台特急に充当して、スピード重視の列車を設定したとすれば、どんなダイヤが組めたであろう。
仮に東京ー博多1,176.5kmを平均85km/hで走破したとする。14時間弱かかる。東京を19時に出れば、博多には9時前には着く。18時発なら8時前に着く。
昭和53年10月改正前までの東北本線1M特急「はつかり5号」並みの90km/h平均なら、13時間で着くので、東京19時00分発、博多8時00分着のダイヤを実現できる。ビジネス特急としては理想的であろう。ただ、ブルートレインの他の列車をごぼう抜きしてゆくので、その整合を取る必要はあろう。
寝台特急「さくら」を583系に置き換えると、16時30分東京発で博多着5時30分。当時のエル特急「かもめ」は博多ー長崎を2時間半ほど、「みどり」は博多ー佐世保を2時間ほどで結んでいたから、長崎には8時、佐世保には7時30分に着く。クハネの貫通扉も活用できる。
寝台特急「はやぶさ」の場合、16時45分東京発で博多5時45分、熊本7時15分着。当時のエル特急「有明」は熊本ー西鹿児島を3時間20分ほどかかっていたので、西鹿児島には10時30分頃の到着となる。これなら、上り「はやぶさ」で折返すこともできるので、客車列車のように鹿児島で車両が一泊する無駄も解消できる。
全て複線電化の東京ー熊本間1,294.9kmなら14時間半ほどなので、寝台特急「みずほ」の東京17時発なら、博多6時着、熊本7時30分着が可能になる。
もっとも、電車寝台を使うなら、東京発はもっと遅くてもよい。「さくら」を18時発にすれば、博多7時、長崎は9時30分で、ビジネス客と観光客にも使い勝手はわるくない。
583系電車は、その後の東北新幹線開業で、当初目的を完全になくした。
かろうじて「はくつる」「ゆうづる」で高速寝台特急という特徴を維持したが、新幹線が夜行需要をかなり減らしたことは間違いない。
ただ、昼も夜もにこだわらなければ、どうか。
余剰車両を改造するにせよ、なにも近郊型などにせず、特急型のまま、寝台設備を取り外して座席を取り換えるか、寝台専用にして、夜行列車のスピードアップを図る道もあったのではなかったか。
東京発の九州特急を電車化すれば、大幅なスピードアップが期待できるのは、前述のとおりである。
その際、寝台を二段化すれば、当時のサービスレベルからすれば、開放型A寝台と変わらない。A寝台では規程で乗れないビジネス客から敬遠される恐れもあるので、B寝台扱いでA寝台に近いところまで寝台料金を上げてもよかったと思う。昼の座席特急との兼用運用しないなら、それなりの寝台専用車両に改造できたはずだ。
一方、寝台設備を取り外して、座席専用車にすれば、天井が高いだけに、とても開放的な車内を実現できたと思われる。
向かい合わせの4人がけボックスシートを取り外し、進行方向を向いた2人がけシートを取り付ける。ゆとりある窓配置に合わせれば、ゆとりある座席配置にできたろう。交直流電車なので全国どこでも使うことができるのも利点だ。
歴史に「もし」はない。
が、「もし」を綴ってみた。
類例なく、あまりに特徴がある車両だっただけに、「もし」の想像はいかようにもできる。過去の時刻表から夢想できる悦楽であろう。




