表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/38

ここにも客車列車

 客車列車の続きである。

 昭和53年10月改正当時、普通客車列車は全国各地で多数運転されていた。こんな線区にも機関車が牽引する列車が運転されていたのかと、令和の今からすれば驚きさえある。蒸気機関車を置き換えたのは電気機関車やディーゼル機関車で、客車はそのまま使われたためであろう。


 九州・福岡県の室木線。鹿児島本線の遠賀川から室木までの11.2kmを結ぶ。この線は客車列車が一日6往復する。同じ車両が片道20分ほどを行ったり来たりするだけの単純な運用である。

 熊本県と鹿児島県にまたがる肥薩線。かつては鹿児島へのメインルートであったというが、海側の新線ができると、ローカル線に成り下がった。この線にも全線に渡って客車列車が見られたが、全線を直通する列車はない。八代ー人吉、人吉ー吉松、吉松ー隼人の3区間に分けられる。そのうち、県境区間で最も客が少なかったであろう人吉ー吉松間の普通列車は、全て客車列車であった。

 肥薩線の吉松から都城へ向かう吉都線。こちらには都城への通勤・通学列車に客車列車が2往復運転されていた。

 佐世保と諫早を結ぶ大村線。門司港と長崎を結ぶ寝台車つき普通夜行列車「ながさき」の他に、佐世保への通勤・通学列車に客車列車が1往復運転されていた。

 佐賀県の佐賀と西唐津を結ぶ唐津線。上りは佐賀への朝の通勤・通勤輸送に客車列車があったが、下りは夕刻に佐賀を出る便にはなく、朝の上り列車の折返しで、そのまま西唐津へ戻るダイヤであった。ラッシュ時の多客対応を主とする客車列車としては珍しい運用と思う。西唐津に午前中に戻った客車は、そのあと使われることなく、翌朝の佐賀ゆきまで休む。


 奈良県の王寺と和歌山を結ぶ和歌山線。

 朝は和歌山6時38分発の上り列車、夕方は王寺18時5分発の下り列車に客車の普通列車があった。

 明らかに和歌山への通勤・通学輸送のためではない。

 朝の上りは橋本に8時5分頃に着く。橋本は南海高野線への乗換駅である。おそらく南海で大阪に向かう通勤・通学客が集中したのであろう。また、県を越えて五条には8時27分に着く。通勤・通学輸送としては、このあたりまでであろう。高田9時13分着、王寺9時31分着は多くの始業に間に合わない。

 夕方の下りは、帰宅する王寺からの乗換客を五条あたりまで届けるための列車であったと思われる。五条着は19時16分。そこから先は県境を越えて、和歌山市駅に21時14分に着くまで、ほぼ翌日の上り始発のための回送列車に等しい状況だったろう。

 趣味的には興味深い客車列車であったが、わざわざこのために機関車を用意する必要があったのか、よくわからない。


 姫路駅に乗り入れる播但線、姫新線は客車の普通列車が多く見られた。特に播但線は、朝夕だけでなく、日中も多数運転されており、このあたり、京都に乗り入れる山陰本線、大阪に乗り入れる福知山線に似ている。

 姫新線の先、芸備線にも客車の普通列車は多く運転されていた。客数の多い広島近郊だけでなく、客数の少ない岡山・広島県境を越える列車にも充当されていた。何両編成だったのか、車内は閑散としたものであったろうと思われる。

 余談ながら、姫新線の線名は姫路と新見を結ぶことから名づけられたのであろうが、播但線に倣うなら、播磨と備中を結ぶ「播備線」としてもよかった。その場合、音からはディズニーのキャラクターが想像できるので、コラボによる集客も考えられたのではと思わなくもない。


 四国は、予讃本線や土讃本線に客車の普通列車は多数見られた。特に予讃本線の高松近郊では、客車による快速列車も運転されており、これはなかなか珍しいものであった。

 快速運転は高松ー多度津間であり、下りは高松4時7分発121列車、5時4分発221列車、14時54分発125列車、17時35分発129列車、上りは多度津7時28分発122列車であった。停車駅は坂出、丸亀で、他に端岡、鴨川、宇多津に停車する列車があった。

 所要時間はまちまちで、最速は121列車の35分。未明の讃岐平野を他の列車に邪魔されることなく走れるからであろう。最遅は125列車の1時間2分。普通列車の中には、この区間を1時間かからず走る列車が少なからずあったことから、どこが快速なのかとなる。停車駅を増やしてなんら差し支えないと思われるが、快速とした理由はよくわからない。

 四国は、他に高徳本線、徳島本線にも、高松や徳島の通勤・通学輸送に朝夕、客車の普通列車が運転されていた。


 山陰は客車列車の宝庫と言っていい状況であったが、本線に限らない。

 京都府北部の舞鶴線、さらに福井県に入って小浜線。ここにも客車の普通列車は普通に見られた。933列車のように、福知山ー東舞鶴間だけを結ぶ列車もあれば、935列車のように福知山ー敦賀間を直通する列車もあった。

 中には本線直通のロングラン列車もあった。941列車の始発駅は浜田で早朝6時25分に発つ。綾部に20時1分に着く。舞鶴線に入り、20時53分東舞鶴着。この列車の綾部までの列車番号は544である。

 敦賀16時31分発922列車は綾部に19時52分に着く。18分停車の後、東に進路を変え、終着の京都には22時14分。北陸本線のエル特急「雷鳥20号」なら敦賀を16時12分に出て京都に17時18分に着く。1時間後の「雷鳥22号」でも18時16分に着く。

 倉吉から山守をつなぐ倉吉線。ここにも客車の普通列車が5往復していた。いずれも区間列車で、同じ車両が線内を5往復していた。

 米子と境港をつなぐ境線。ここにも客車の普通列車はあった。うち、米子8時ちょうど発の623列車は、鳥取5時17分発の529列車からの直通列車である。

 大社線の125列車は大阪発の夜行急行「だいせん5号」の成れの果てである。時刻表ピンクのページの編成表によれば、座席車3両に寝台車6両、荷物車までついた12両の長大編成で、これが大社まで乗り入れる。大社7時20分着。126列車として折り返し、出雲市8時12分着。寝台車はどうしていたのだろう。125列車は寝台客がそのまま乗っていたであろうから、寝台を畳むことはなかったと思われる。ただ、「だいせん5号」の出雲市着が6時50分、発が7時7分なので、一部号車では寝台を畳む措置が取られていたのかもしれない。想像は膨らむ。大社線にはその後、127列車として出雲市を出て、大社8時36分着、128列車で出雲市に戻り、9時10分に着く列車があった。これにも「だいせん5号」の車両が使われていたのだろうか。


 北陸では本線以外に、都市の通勤・通学輸送に客車の普通列車がいくつか運転されていた。

 七尾線は金沢の、氷見線と城端線は高岡と富山のそれら輸送を担っていたものと思われる。意外なのは、高山本線で、客車列車が一切運転されていない。山に向かう路線には、長編成の客車列車を用意するほどの沿線人口がなかったためかもしれない。


 中央本線は、東海道本線や山陽本線と並んで、普通列車は電車がほぼ担っていた幹線であるが、中津川ー長野間に白昼堂々一往復する客車列車があった。下りは中津川7時39分発松本11時16分着の825列車。松本で1時間23分停車後に2825列車となって、長野には15時5分に着く。上りは長野11時41分発の836列車、中津川には17時54分に着く。この列車の設定意味はよくわからない。おそらく、電車を揃えることができないために、昔ながらの列車が残った結果と思われる。列車番号が上下で大きく異なることから推察される。

 中央本線は電車ばかりの線区だっただけに、この列車は乗客からすれば、きわめて奇異に映ったに違いない。いつもの電車と全く違う前時代的な編成が入ってくれば、本当にこれに乗っていいの?と戸惑う客がいたのではないか。

 余談ながら、中央本線の新宿からも客車列車は運転されていた。時刻表10月改正号によれば、新宿23時50分発9631列車岡谷ゆきと、0時30分発8401列車、急行「アルプス57号」松本ゆきがある。上りには岡谷13時5分発8404列車、急行「アルプス54号」新宿ゆきがある。こちらは臨時列車、季節列車だけに、どこかから寄せ集めてきた車両で運転されていたものと思われる。


 東北は山陰ほどではないものの、客車列車が主力として運転されていた。支線では、磐越西線、磐越東線、日中線、仙山線、陸羽東線、釜石線、山田線、大船渡線、八戸線、男鹿線、五能線、阿仁合線、津軽線で見られた。

 阿仁合線の客車列車は、下りが鷹ノ巣を20時57分に出て、阿仁合に22時2分に着く最終列車である。上りは翌朝5時35分に阿仁合を発ち、鷹ノ巣に6時40分に着く始発列車である。鷹ノ巣は奥羽本線との乗換駅だが、下り列車に接続するのは秋田を19時21分に出る急行「しらゆき・きたかみ3号」ぐらいしかなく、明らかに上り列車の回送のために運転されていたとしか思えない。上り列車は鷹ノ巣で7時6分発秋田ゆき432列車に接続するが、こちらも本線の列車接続を主目的としているようには見えない。いったいこの列車をわざわざ客車列車で運転していた理由はなんだったんだろう。本線には鷹ノ巣で阿仁合線で使う車両を「回収」する列車があったものと思われる。

 東北本線の539列車は盛岡7時11分発、沼宮内7時53分着の地味な列車である。この列車はしかし、花輪線経由で大館まで直通する列車を併結しており、途中、好摩で切り離す。普通、客車列車に併結するのは、客車列車であるが、ここに例外があり、花輪線に向かうのは気動車で、花輪線の列車番号は927Dとなる。きわめて珍しい。好摩まで、併結の気動車はエンジンを切って、電気機関車に牽かれるまま20.3kmを流されていたのであろう。エンジン音のしない気動車に揺られる心地とはどんなものであったのか、興味深い。


 客車列車がありふれていた時代、長い編成の列車が各地で見られたのだろう。

 地方にゆくと、かつて幹線と言われた線区でも、1両、2両の列車が当たり前になっている。2両ならともかく、1両ではもはや「列車」の体をなしていない。一時代が去ったということなのであろう。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ