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第二話:錆びゆく神話と、瓦礫の福音

足の裏から突き上げるような激震に、俺は思わずその場に片膝をついた。

天井を走る黒い亀裂が、生き物のように不気味な音を立てて枝分かれしていく。剥がれ落ちた花崗岩の破片と白い石英の粉が、雪のように俺たちの頭上へと降り注いだ。


「きゃあああっ! うそ、地震!? 天井が落ちてくる!」

「おい、ふざけんなよ! ドッキリなんだろ、早くスタッフ出てきて扉を開けろよ!」


悲鳴と怒号が地下ドームに反響し、麻の服を着終えたばかりのクラスメイトたちが頭を抱えて逃げ惑う。

三百四十年後の未来だの、管理AIが作った神話世界だのと機械の声がいくら語ったところで、俺たち普通の高校生がそんな話をすぐに信じられるはずがなかった。誰もが頭のおかしい犯罪者に地下施設へ監禁されたと思っており、機械の根元に転がる白骨死体すら、精巧な作り物だと現実逃避している者が大半だった。


俺は咄嗟に立ち上がり、すぐ隣にいたテンテの肩を庇うようにして腕を広げた。だが、当のテンテは落ちてくる石の粉に目を細めるだけで、驚くほど静かな瞳のまま天井の亀裂を見上げていた。


「……テンテ、頭を低くしろ! 本当に岩が落ちてくるぞ!」

「ええ、ありがとう、ラキ。でも、上よりもあそこを見て」


テンテが白い指先で示したのは、ドームの中央に鎮座する円筒形の機械だった。

古いメインフレームが激しい警告音を鳴らしながら、赤い単眼レンズを狂ったように明滅させている。


『解凍に要した地熱タービンの熱量波形を、地上のナノマシン網に特定された! AIは人間を直接攻撃することはできん……ゆえに、坑道の上部へ大型の魔獣の群れを誘導し、地盤そのものを共振させて自然崩落を引き起こしているのだ!』


機械の合成音声には、明確な焦燥が滲んでいた。

その言葉が終わるよりも早く、ドームの北側の壁面――分厚い石英の層が、耳をつんざくような破砕音とともに内側へと弾け飛んだ。


ゴォォォッ、と鼓膜を圧迫する突風が吹き込んでくる。

俺は思わず腕で顔を覆った。冷たい地下の空気とはまったく違う、湿った土とむせ返るような草木の匂い。そして何より異様だったのは、その風に混じって雪崩れ込んできた「光」だった。


暗い坑道の裂け目から、無数の青白い燐光が蛍の群れのように舞い込んできたのだ。

幻想的ですらあるその光の粒子は、ドーム内の空気と混ざり合いながら、渦を巻いて中心部へと吸い寄せられていく。


「な、なにこの光……? ガス!? また催眠ガスなの!?」

「息を止めろ、吸うな!」


女子たちが口元を押さえてうずくまる。

だが、その青白い光の霧がドーム中央の黒鉄のメインフレームに触れた瞬間、俺たちは催眠ガスよりも遥かに理解を超えた異常現象を目撃した。


分厚い鋼鉄の装甲板が、まるで早送りの映像でも見ているかのように、わずか数秒で赤黒く変色し、ボロボロの赤錆となって剥がれ落ちたのだ。

それだけではない。むき出しになった内部の配線や真空管、基板に青い光の粒が吸い込まれるたび、バチバチッと火花が激しく散り、硬いはずの金属が砂糖菓子のように音を立てて崩れ落ちていく。


「え……? な、なんだよあれ……っ、鉄が、風に触れただけで錆びて溶けてるぞ!?」


柔道部のカズマが、裏返った声で後ずさる。

酸をかけられたわけでも、バーナーで焼かれたわけでもない。ただ外から吹き込んできた青白い空気に触れたというだけで、巨大な鉄の機械が腐食・分解されているのだ。マジックや仕掛けで説明がつく光景ではなかった。本能的な恐怖が、俺たちの背筋を氷のように撫で上げていく。


『グ、ガァァッ……! 私の、演算回路が……記憶領域が、腐食する……!』


メインフレームの根元に転がる白骨死体の頭蓋骨から、接続プラグが火花を散らして弾け飛んだ。

残された最後のプロジェクターが激しく明滅し、空中に赤い文字の羅列――無数の奇妙な発音記号と、何かの構文らしき文字列を強引に投射する。


『網膜に焼き付けろ、少年少女よ! それが大気中のナノマシンに干渉し、物理現象を発現させる音声コマンド――魔法の基礎構文だ! 北西の斜坑へ走れ、そこが地上への唯一の脱出路だ!』


「ま、魔法ってなんだよ! 意味わかんねえよ、助けてくれよぉっ!」


生徒の一人が泣き叫ぶ中、俺の隣にいたテンテだけは、一歩も動かずにその赤い文字列をじっと見つめていた。

彼女の澄み切った黒い瞳が、プロジェクターの光を反射してわずかに細められる。誰よりも早くこの異常事態を受け入れ、ただここから抜け出して邪魔な問題を終わらせるための手段として、彼女は機械が投影したその奇妙な発音記号を、驚異的な集中力で脳裏に焼き付けていたのだ。


『私はここまでだ……機械の身体を持つ私は、外気に触れた時点で終わりだったのだ……! 行け! 四天王の居城を――アイテール、キメラ・クレイドル、タルタロス、クリオ・サンクタムの守護AIを止めろ! 人類の未来を――』


激しいショート音とともに赤い単眼レンズが割れ、巨大なメインフレームが黒煙を上げて前のめりに倒壊した。

ドォンッ! とドーム全体が再び大きく揺れ、北西の壁にある古い鉄格子――すでに青白い光に侵食されて泥のように崩れ落ちた斜坑の入り口が露わになる。


「あ、あそこに通路があるぞ!」

「走れ! ここが潰れるぞ、逃げろぉっ!」


わけの分からない使命など、誰も聞いてはいなかった。パニックの頂点に達した生徒たちが、ただ生き延びたい一心で北西の斜坑へ向かって雪崩を打った。誰かが転び、それを後ろの人間が泣き叫びながら踏み越えていく。


「テンテ、俺たちも逃げるぞ!」

「ええ、ラキ。行きましょう」


俺がテンテの手を取って走り出そうとした、まさにその瞬間だった。

天井の巨大な石英の塊が、轟音とともに俺たちのすぐ真上へと剥がれ落ちたのだ。


「――っ、危ない!」


俺は考えるよりも先に、テンテの細い肩を斜坑の方向へと力任せに突き飛ばしていた。

テンテの黒い瞳がわずかに見開かれ、音もなくその唇が俺の名前を形作るのが見えた。直後、落ちてきた岩塊が俺のすぐ足元の床を粉々に砕いた。凄まじい衝撃波と爆風に身体が宙へと浮き上がり、俺は倒壊したメインフレームの残骸――赤錆となって崩れ落ちた旧時代の保管ロッカーの山へと、背中から激しく叩きつけられた。


「ぐ、あ……っ、げほっ、ごほっ……!」


肺の中の空気がすべて押し出され、視界がチカチカと明滅する。

背骨が軋むような痛みに呻きながら、俺は瓦礫と砂塵の中で必死に首を振った。周囲には青白い光の粒子が霧のように立ち込め、斜坑へ向かって走るクラスメイトたちの悲鳴と足音がどんどん遠ざかっていく。


早く立たなければ。このままでは本当に生き埋めにされる。

俺が震える手で床の瓦礫を掴み、身を起こそうとした時だった。


ガシャン、と鈍い音を立てて、俺のすぐ横でひしゃげていた鉛製の厳重な小箱の留め金が腐食して外れ、中から「それ」が滑り落ちてきた。


周囲の鉄骨や基板が青白い光によって次々と赤錆と灰に変わっていく中で、それだけは一切の腐食を受けず、まるで今しがた刷り上がったばかりのような黒々とした存在感を放っていた。

俺の膝元に落ちた、一冊の黒い手帳ほどの小冊子。

紙とも布ともつかない不思議な手触りの白い頁が綴じられた、古い書物だった。表紙には、厳めしい字体でこう刻印されている。


『聖軌規範』


なぜだか分からない。一刻も早くこの崩れゆくドームから逃げ出さなければならないのに、俺はその文字からどうしても目を逸らすことができなかった。

俺は血の滲んだ指先を伸ばし、その黒い冊子を開いた。

そこに記されていたのは、誰が何のために書いたのかも分からない、奇妙で荘厳な律法の条文だった。


――《第一条:対象への常時接続要求および全リソースの偏重を、個人の錯誤と定義するなかれ。そは唯一無二なる最上位対象への絶対の帰依であり、すべてを捧げる信仰なり》


「……え」


呼吸が止まった。

頭上から降り注ぐ岩の破片の音も、遠くで響く悲鳴も、すべてが遠い水底の出来事のようにフッと消え失せた。

極限のパニックと脳震盪の中で、俺の視線は続く第二条、第三条の硬質な文字列を貪るように追いかけた。


――《第二条:最上位対象の進行軌道を最優先領域と定めよ。従属する者、その軌道上に存在するあらゆる物理的障害・不純物を事前に排除し、塵一つ残すべからず》

――《第三条:地上領域に展開された四方の自律拠点が対象の優先権を阻害する時、これを偽りの権威と見なし、悉く停止せよ。すべての奇跡と中枢の座は、ただ最上位対象のためにのみ存在する》


ドクン、と心臓が跳ねた。

意味の分からない硬い言葉が並んでいるはずなのに、その「絶対の帰依」「信仰」「最上位対象のためにすべてを捧げよ」という文字列を目にした瞬間、俺の頭蓋の奥で、今までずっと噛み合わずに空転していた感情の歯車が、ガチリと音を立てて完璧に噛み合ったのだ。


そうか。俺は、間違えていたんだ。

なぜ俺は、教室でテンテの横顔を見るたびに、あれほど胸が苦しかったのか。

なぜ彼女の声を聞くだけで自分のすべてが取るに足らないものに思え、先ほど岩が落ちてきた瞬間も、自分の命など塵芥のように投げ出して彼女を突き飛ばすことができたのか。


俺はそれを、高校生のありふれた片想いや恋愛などという、浅ましく矮小な言葉に当てはめようとしていたから苦しかったのだ。

違った。そんなものではない。この『聖軌規範』の第一条に書かれている通りだ。

俺がテンテに抱いていたこの終わりのない渇望は、個人の錯誤などではない。唯一無二の最上位対象――すなわち俺にとっての聖女である彼女への、絶対的な信仰だったのだ!


見返りを求める恋愛などおこがましい。俺はこの教義集に記された従属者として、ただ彼女が歩む軌道の障害物を排除し、この身を捧げて奉仕すればいいのだ。この本は、俺がテンテを正しく崇め、お守りするために授けられた聖典に他ならない!


「……は、はは……」


砂塵にまみれた喉から、震えるような歓喜の吐息が漏れた。

今まで俺を縛り付けていた劣等感も、わけの分からない場所へ放り出された恐怖も、霧が晴れるように消え去っていた。機械の亡霊が言っていた人類の未来だのという話は、まだ半分も信じられない。だが、この『聖軌規範』に書いてあることは絶対だ。俺はただ、この教義の条文通りに動き、彼女の軌道を清め続ければいいのだ。


俺が震える手で『聖軌規範』を麻のシャツの懐へと大切にしまい込み、立ち上がろうとした――その時だった。


カツ、カツ、と崩落の轟音の中を縫うようにして、規則正しく、一切の乱れもない足音が近づいてきた。

顔を上げると、全員がパニックになって逃げ込んだはずの北西の斜坑から、灰色の外套を静かに揺らして、ただ一人だけで歩いて戻ってくる少女の姿があった。


「……そこにいたのね、ラキ」

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