第十五話:南下の轍と、焚き火の昔話
白骨の城塞都市センダリオンを出てから三日間、俺たち十五人の『新月の巡礼団』と案内人のヤヒロを乗せた三台の馬車は、南へと続く巡礼路を驚くべき速さで進んでいた。
この巡礼路は、三百四十年前に東北と東京を繋いでいた大動脈――かつての国道四号線や東北自動車道の跡地に沿って伸びているらしい。もちろんアスファルトはとうの昔に風化して土と草木に還り、ところどころにコンクリートの巨大な橋脚が墓標のように突き出しているだけだ。
だが、先頭の一号車に掲げられた『星標の旗』――俺が灰と泥で『無明の矩形』を描き込んだあの旗が純白の光を放ち続けているおかげで、馬車の前方十メートルほどの範囲にある雑草や小石、倒木の枝は、馬車が近づくたびに目に見えない力に押し退けられるように左右へと退いていった。
さらに、俺がセンダリオンで丸一日かけて車軸を削り、白い豚の脂を塗り重ねたこの二号車は、それだけの速度で土の道を走っているにもかかわらず、ギィという軋み音ひとつ立てず、まるで静かな水面を滑る舟のように一切の揺れも生んでいなかった。
「……本当に信じられませんねぇ。本来ならセンダリオンから南の関所までは、馬車でも五日はかかる悪路のはずなのですが。これならあと数日もすれば、かつての『トウキョウ』の大廃墟群を抜けて、西へ続く大街道――昔の東名や国道二号と呼ばれた巡礼路へ入れますよ」
三日目の夕暮れ時、かつての栃木あたりの開けた河原で馬車を止め、野営の準備をしていた時のことだった。
馬に水を与え終えた案内人のヤヒロが、焚き火のそばに腰を下ろしながら、糸のように細い目をさらに細めて感嘆の声を漏らした。
ヤヒロの言葉通り、俺たちの旅路はまずこの道を真っ直ぐ南下して旧東京へと向かい、そこから太平洋側の旧東名高速や旧国道二号線に沿った巡礼路を通って、本州の西端から九州の福岡へと抜けるルートになっている。
俺は焚き火から少し離れた場所で、テンテが座るための平らな石の上に乾いた麻布を敷き、その周囲の地面から小石や枯れ枝を一つ残らず拾い集めて排除していた。
「なあ、ヤヒロさん。あんた、この先の東京の街にも行ったことがあるのか?」
焚き火に薪をくべていたカズマが尋ねると、ヤヒロは柔和な笑みを浮かべて頷いた。ナギが焚き火のそばで控えめに同調の魔法を維持してくれているおかげで、ヤヒロとの会話はすっかり自然なものになっている。
「ええ、何度か。トウキョウはセンダリオン以上に古い時代の巨大な石柱が林立する、不思議な街ですよ。……それにしても、皆様を見ていると本当に興味深いですね。これほど強大なマナを操る『星巡りの巡礼団』でありながら、まるで昨日今日まで普通の学び舎で机を並べていたかのような、不思議な仲の良さを感じます」
ヤヒロはそう言いながら、さりげない風を装って、俺とテンテの方へと視線を滑らせた。
領主ムネヒラから「あの黒き規範の書と巡礼団の正体を探れ」と命じられているこの男は、こうして雑談に混ぜて俺たちの素性や関係性を聞き出そうとしているのだろう。トオルがわずかに警戒の目を向けたが、人の良いカズマやミホは、長旅の退屈さもあってか、あっさりとその話題に乗っかった。
「まあな! 俺たちは元々、同じクラスの仲間だからな! シンジは昔から真面目な学級委員長で、トオルは学年トップの秀才だしよ」
「そうそう! でね、ヤヒロさん、そこにいるテンテちゃんは、私たちの学校でも一番綺麗で、勉強も運動もなんでもできる憧れの優等生だったんだよ!」
ミホが自分のことのように誇らしげに胸を張り、俺が整えた石の席に静かに腰を下ろしたばかりのテンテを指差した。
テンテは焚き火の炎に白い横顔を照らされながら、「やめてよ、ミホ。大袈裟だわ」と穏やかに微笑んでみせた。
「へえ、さもありなん。あれほどのマナを無詠唱で操られるのですから、生まれながらの才女であらせられたのでしょう」
ヤヒロが感心したように頷き、それから、焚き火の端で黙々と小石を熱している俺の方へと細い目を向けた。
「では……そちらのラキ殿は? 失礼ながら、道中ずっと黒髪の娘御の馬車の手綱を握り、こうして休む時も誰より熱心に身の回りの世話を焼いておられますが。お二人は、古くからの恋人同士か、あるいは許嫁か何かで?」
その問いかけに、焚き火を囲んでいたクラスメイトたちの空気が、一瞬だけ妙な具合に止まった。
ミホが「えっ、ラキくんとテンテちゃんが恋人!?」と目を丸くし、カズマが吹き出しそうになるのを堪えながら首を横に振った。
「いやいや、ヤヒロさん、それはないって! ラキとテンテさんは、あの山の地下で目覚めるまでは、教室でほとんど喋ったことすらなかったはずだぜ」
「え……? そうなのですか?」
ヤヒロが意外そうに眉を上げる。
カズマは焚き火の枝をいじりながら、懐かしむように言葉を続けた。
「ああ。ラキは昔から、いつも教室の窓際の席で一人で外を見てるような奴でさ。悪い奴じゃないんだけど、誰かと群れるのが嫌いなのか、放課後もすぐに一人で帰っちまうような目立たない奴だったんだよ。一方のテンテさんは、先生からも生徒からも頼りにされるクラスの中心人物だろ? 住む世界が違うっていうか、接点なんて全然なかったよな、シンジ?」
「ま、まあ、そうだな。ただ……」
シンジが少し言葉を選ぶように頬を掻き、隣に座るトオルを見た。
トオルは焚き火の火を見つめたまま、静かに口を開いた。
「接点はなかったかもしれないけど……僕は何度か見たことがあるよ。放課後の誰もいない教室や、体育の時間のグラウンドの端から、ラキがずっと遠くにいるテンテさんのことだけを目で追っているのをね」
「えっ、なにそれ! ラキくん、昔からテンテちゃんのことが好きだったの!?」
ミホが驚いたように声を上げ、俺の方を振り返った。
俺は焼けた白い小石をテンテのスープの木椀に沈めながら、顔色一つ変えずに淡々と答えた。
「好きだとか、そんな浅ましいものじゃないと何度も言っているだろう。あの頃の俺は、まだ自分の役割を知らなかっただけだ。今は『聖軌規範』があるから、自分が何をすべきか正確に理解している。ただそれだけのことだ」
俺が大真面目にそう答えると、カズマたちは「はいはい、またその信仰の話な」「まあ、あの坑道でラキが命がけでテンテさんを庇ってから、すっかり騎士様みたいになっちまったもんな」と苦笑いを浮かべた。
すると、それまで黙って話を聞いていたヤヒロが、ふと顎に手を当てて、テンテの方へと向き直った。
「なるほど……。ラキ殿のひたむきな想いはよく分かりました。ですが、不思議なこともありますね。それほどまでに接点のなかったラキ殿が、いきなりそこまで身の回りに付きっきりになって、独特の作法で世話を焼かれるようになったというのに……娘御の方は、少しも嫌がるご様子がない。それどころか、馬車の手綱も、食事の器も、ラキ殿以外の者が触れるのをあまり好まれないように見受けられますが」
ヤヒロの鋭い観察眼に、ミホが「あ……言われてみれば、そうかも。テンテちゃん、他の男子にはすごく丁寧だけど一歩距離を置いてるのに、ラキくんが焼けた石を入れたスープだけはいつも全部飲んでるよね」と首を傾げた。
焚き火の周りの視線が、一斉にテンテへと集まる。
俺もまた、木の椀を手にしたまま、少し離れた石の上に座るテンテを見た。
パチ、と焚き火の薪が爆ぜる音が響く。
テンテはクラスメイトたちやヤヒロの視線を受けても、慌てることも、顔を赤らめることもなかった。彼女はゆっくりとスープの木椀を両手で包み込むと、誰に対しても変わらない、どこまでも清らかで穏やかな優等生の微笑みを浮かべて言った。
「だって、ラキはあの崩れる岩の下で、自分の命を投げ出して私を助けてくれたもの。それに、彼がしてくれることはすべて、私たちが安全に旅をするための真面目な気遣いでしょう? それを無下にする理由なんてないわ」
一点の曇りもない、完璧な優等生の答えだった。
「なんだ、やっぱりテンテちゃんが優しいから、ラキくんのこだわりにも付き合ってあげてるだけじゃん!」とミホが納得したように頷き、カズマたちも「だよなあ、さすがテンテさんだぜ」と笑い合う。
だが――ヤヒロだけは、笑っていなかった。
そして、テンテのすぐ斜め前に座っていた俺の目にも、彼女のわずかな仕草が見えていた。
「ラキとは接点なんてなかった」とカズマが言った時、テンテの膝の上に置かれた白い指先が、スカートの布地が破れそうなほど強く握りしめられていたのを。
そして今、彼女が「無下にする理由なんてないわ」と微笑みながら器のスープに口をつけたその瞬間――伏せられた長い睫毛の奥で、彼女の黒い瞳が焚き火の炎を映してギラリと揺らめき、俺の過去を勝手に語ったカズマと、余計な詮索をしたヤヒロの首筋を、まるで氷の刃で撫でるかのように冷たく一瞥したのを、俺とヤヒロの二人だけは目にしていた。
ヤヒロの背中がビクリと震え、その細い目から余裕の笑みがスッと消え失せた。彼は額にうっすらと冷や汗を浮かべ、「……なるほど、まことに慈悲深いお心ですな」とだけ呟いて、早々に視線を焚き火の灰へと落とした。
俺はそんなヤヒロの動揺など気にも留めず、懐から『聖軌規範』を取り出して、明日の朝までに実行すべき新しい頁を静かに開き始めた。
ここを過ぎれば、もうすぐかつての日本の中心――三百四十年後の「東京」へと辿り着く。そこでどんな光景が待っていようと、俺のやるべきことは何一つ変わらないのだ




