第十四話:白亜の交渉と、案内人の影
朝靄が立ち込めるセンダリオンの南門前で、俺たち十五人を乗せた三台の馬車は完全に包囲されていた。
閉ざされた分厚い木と石の城門の前には、魔獣の甲殻鎧に身を包んだ五十人以上の精鋭兵たちが、黒曜石の鉾を隙間なく並べて壁を作っている。さらに、両脇の石造りの建物の屋根の上には、動物の骨を削り出して作った強弓を構えた弓兵たちがずらりと並び、いつでも矢を放てる姿勢で俺たちを見下ろしていた。
「な、なんだよこれ……! おい、なんで城の兵隊が俺たちに武器を向けてるんだ!?」
「ムネヒラ様、これはどういうことですか! 俺たちは正式に『新月の巡礼団』として認められたはずじゃ……!」
先頭の一号車の御者台から、カズマとシンジが困惑と恐怖に声を裏返らせて叫ぶ。
兵士たちの列が左右に割れ、そこから進み出てきた領主ムネヒラは、三日前に謁見の間で見せた温厚な笑みなど微塵も浮かべてはいなかった。目の下に濃い隈を作ったその顔には、隠しきれない興奮と、ギラつくような執着が張り付いている。
「――騒ぐな、若者たちよ。お前たちの命を奪うつもりはない。ただ、お前たちが普通の巡礼団でないことは、昨日の広場の奇跡を見れば一目瞭然ゆえな」
ナギの通訳を介して響いてきたムネヒラの声は、低く張り詰めていた。
彼は一歩前へ出ると、太い指を真っ直ぐに伸ばし、二号車の御者台に座る俺の胸元を指差した。
「そこの少年よ。お前が『星標の旗』の隅に灰と泥で描き込んだあの四角い紋様……あれは単なる信仰の祈りなどではない。我が白亜城の地下書庫に眠る、建国以前の古文書に記されていた『神々の理を書き換える古の印』そのものだ!」
「なっ……!? 古文書に記された印だと……!?」
トオルが息を呑み、俺の方を振り向く。
だが、ムネヒラは構わずに鋭い目で俺を見据えながら言葉を続けた。
「城の学者どもに丸一日かけて古文書を調べさせ、ようやく合点がいったぞ。この世界のマナとは、古の時代に天を統べていた『見えざる大いなる仕組み』の力であり、その仕組みを根本から動かし、従えるための『黒き規範の書』がどこかに実在するという伝承がな! 少年よ、お前が懐に持っているその黒い冊子こそ、四聖地の神々すら従える古の秘宝であろう!」
ムネヒラの言葉に、周囲の精鋭兵たちがざわめき、より一層強く鉾の柄を握りしめた。
「どうだ、少年よ。お前たちがこのまま過酷な巡礼を続ければ、いずれ道中で命を落とし、その秘宝も失われるやもしれん。その黒い冊子を、このセンダリオンを治める私に譲り渡してはくれぬか。さすればお前たち全員に生涯の安全を保証し、望むだけの富を与えよう!」
二号車の幌の中でミホが小さく悲鳴を上げ、他の生徒たちも一斉に動揺して俺の方を見た。
だが、御者台に座る俺は、ムネヒラの言葉を聞いて心の底から呆れ果てていた。
大いなる仕組みだの、世界を支配する古の秘宝だの、この男はいったい何を寝ぼけたことを言っているのか。
俺は左手で馬の手綱を握ったまま、右手で麻のシャツの懐を軽く叩き、冷え切った声で言い返した。
「――なにを勘違いしているのか知らないが、お前の言っているような秘宝なんて俺は持っていない」
「なに……? とぼける気か、小僧!」
眉を吊り上げるムネヒラを真っ直ぐに見下ろし、俺は淡々と、しかし絶対の確信を込めて告げた。
「この『聖軌規範』は、世界を支配するための道具なんかじゃない。これは、その歩む軌道を清めるための、ただの『信仰の実行集』だ。ここに書かれた手順を一つずつ実行すれば、眠りが守られ、進む道から不純物が消える。それ以上でもそれ以下でもない。お前のような俗物に譲り渡す理由など、万に一つもない」
「……っ、ただの信仰の実行集だと……!?」
俺が一切の嘘もハッタリもなく、大真面目にそう言い切ったことで、ムネヒラは逆に虚を突かれたように息を呑んだ。
トオルやシンジも「ラキ、お前、それをただの信仰の手順書だと思ってやってたのかよ……!」と引きつった顔をしているが、俺には連中がなぜ驚くのか理解できない。書いてある通りに実行しているだけなのだから、実行集以外の何物でもないだろう。
その時、スッ、と俺のすぐ後ろで二号車の幌の布が静かにめくられた。
「……ラキの言う通りよ、領主様。それは彼個人の大切な信仰の書物なの。他の誰が手に取ったところで、意味をなさないわ」
背後から聞こえてきたのは、氷のように澄み切ったテンテの声だった。
俺が振り返ると、テンテが荷台の入り口から顔を出し、俺の背中のすぐ後ろで静かに前を見据えていた。
彼女は俺の持つ冊子が何であるかなど一切気にも留めず、ただ俺が大切にしていたものを横から奪おうとしたムネヒラを見据えていた。その黒い瞳は絶対零度の冷たさに沈み込み、彼女の周囲に漂う青い光の粒が、威嚇するようにバチバチと激しい火花を散らし始める。
もしここで力ずくで奪おうとすれば、城門ごと自分たちが光で消し炭にされる――三日前に門の前で起きた奇跡を知るムネヒラと兵士たちは、テンテのまとう圧倒的なマナの圧力に呑まれ、ゴクリと生唾を呑み込んで一歩後ずさった。
数秒間の張り詰めた沈黙のあと、ムネヒラは額の脂汗を袖で拭い、苦渋に満ちた顔で片手を挙げて弓兵たちに弦を緩めさせた。
「……ふむ。どうやら、力ずくで譲り受けるというのは無理な相談のようだな。あわや神罰を招くところであったわ」
ムネヒラは強引に笑みを作って鉾を下ろさせると、懐から一つの条件を切り出した。
「よかろう、その冊子を今ここで渡せとは言わぬ。戦闘は避け、このまま南門を開けてお前たちを通そう。――だが、ただで見逃すわけにもいかん。その冊子を渡さぬ代わりに、我が城の『案内人』を一名、お前たちの巡礼団に同行させることを条件とする!」
「え……? 案内人、ですか?」
シンジが戸惑いながら聞き返す。
ムネヒラは大きく頷き、自分のすぐ後ろに控えていた一人の人物を手招きした。
進み出てきたのは、灰色の旅装束に身を包み、背中に細身の黒曜石の短剣を差した、二十代半ばほどの青年だった。糸のように細められた目と、感情の読めない薄い笑みを浮かべた、いかにも斥候や密偵といった風貌の男だ。
「この男の名はヤヒロ。我が城で最も南の街道の地理に詳しく、馬の扱いにも長けた男だ。これから福岡までの遠い道のり、お前たちだけでは道に迷うこともあろう。表向きは道案内としてお前たちを助けさせ、同時に――お前たちが掲げるその旗と、その『規範』とやらがどのような奇跡を起こすのか、私の目となって見届けさせる。このヤヒロを連れて行くというなら、今すぐ門を開けよう。どうだ?」
要するに、俺の『聖軌規範』を監視し、あわよくば道中で隙を見て奪い取るか、その秘密を探るためのスパイを一人つけるということだ。
カズマが「そんな怪しい奴、連れて行けるかよ!」と叫ぼうとしたのを、トオルが慌てて手で制した。
「……待て、カズマ。ここで五十人の兵隊と戦うわけにはいかないし、実際にここから先の本州の道を知っている案内人がいるのは、僕たちにとっても悪くない条件だ。一人くらいなら、僕たち十五人でいくらでも目を光らせておけるよ」
シンジもトオルの言葉に頷き、俺の方を振り返った。
「ラキ、テンテさん、それでいいか?」
俺は進み出てきたヤヒロという細目の男を一瞥した。
スパイだろうが監視だろうが、俺にはどうでもいいことだ。この男が道案内をして馬車の進行が速まるなら『聖軌規範』の第四条に適うし、もし道中でテンテや俺の教典に指一本でも触れようとするなら、その瞬間に排除すればいいだけの話だ。
「ああ、構わない。先頭の馬車に乗せておけ」
「……私も異存はないわ。道をよく知る方がいてくださるなら、心強いもの」
俺が短く頷き、テンテも穏やかな優等生の微笑みを浮かべて賛同した。ただ、テンテがヤヒロを一瞥したその一瞬だけ、彼女の黒い瞳がひどく冷たく細められたのを、俺はすぐ近くで目にしていた。
「決まりだな! 門を開けよ! 『新月の巡礼団』のご出立だ!」
ムネヒラの号令とともに、閉ざされていた分厚い南門がギギギと重い音を立てて左右へと開かれていく。
案内人のヤヒロは「それでは、よろしくお願いいたしますね、皆様」と慇懃に頭を下げ、シンジやカズマたちが乗る先頭の一号車の御者台の隣へとひらりと乗り込んだ。
「よし、今度こそ出発だ! 馬を出せ!」
シンジの声とともに、三台の馬車がゆっくりと動き出した。
先頭の一号車に掲げられた『星標の旗』――俺が灰と泥で『無明の矩形』を描き込んだあの旗が純白の光を放つと、南門の外に続く荒れた土の街道から雑草や小石がひとりでに左右へと退き、まるで舗装されたかのような滑らかな道が真っ直ぐに現れた。
さらに、俺が昨日丸一日かけて車軸を削り、白い豚の脂を塗り重ねたこの二号車は、ギィという軋み音ひとつ立てず、まるで静かな水面の上を滑る舟のように、一切の揺れも振動もなく滑らかに街道へと滑り出た。
「す、すげえええっ! 道が勝手に綺麗になって、馬車が全然揺れねえぞ!」
「これなら歩くより何倍も速く進めるよ!」
後ろの荷台から、ミホやナギたちの明るい歓声が上がる。
城壁を抜け、朝の光が降り注ぐ緑の巡礼路へと出た俺は、手綱を握りながら背後の幌の中をほんの少しだけ振り返った。
幌の影の奥で、テンテは座席に深く腰を下ろし、俺が血を滲ませながらささくれを取り除いた荷台の木の縁を、白い指先でそっと撫でていた。俺と視線が合うと、彼女は風になびく黒髪の隙間から、俺だけに向けてほんのわずかに唇の端を緩めてみせたのだった。
こうして俺たち十五人の高校生は、領主が差し向けた一人の案内人を伴い、三台の馬車を連ねてさらなる南――九州へと続く長い街道を走り始めた。




