第十一話:白亜の謁見と、新月の名
センダリオンの中央にそびえる白亜城は、近づけば近づくほど圧倒的な威容を誇っていた。
鉄骨やコンクリートを使わず、巨大な白い花崗岩を隙間なく積み上げて造られた城壁は、かつての近代建築とは異なる重厚な威圧感を放っている。門の前ですでに衛兵からの急報を受け取っていたらしい城の役人たちに案内され、俺たち二十人は城の奥にある広大な謁見の間へと通された。
高い天井からは、魔獣の青い結晶石を幾つも組み合わせた巨大な灯具が吊り下げられ、磨かれた石の床を青白く照らし出している。
その最奥、幾重もの白い麻の帷が垂れ下がる壇上の座に、深い藍色の狩衣にも似た豪奢な装束をまとった、恰幅のいい中年の男が腰を下ろしていた。センダリオンを治める領主だ。その両脇には、城門の衛兵よりもさらに立派な魔獣の甲殻鎧を着込んだ近衛兵たちが、黒曜石の鉾を構えてずらりと並んでいる。
「――よくぞ参られた、北より現れし若き巡礼者たちよ。我が名はムネヒラ。このセンダリオンの街と、周辺の十の郷を束ねる領主である」
ナギが耳元に手を当てて青い光の波を同調させると、領主ムネヒラの低く威厳のある声が俺たちの頭の中へと響いてきた。
シンジとトオルが代表して一歩前に進み出て、最初の村で教わった通りに片膝をついて礼をとる。俺は後ろの列で立ったまま、万が一にも近衛兵たちの持つ石の鉾がテンテの方へ向けられることがないよう、いつでも前に飛び出せる位置で周囲を睨みつけていた。
「門の衛兵長から報告は聞いたぞ。そこの黒髪の娘御が、たった一言の神聖語で二十本の槍すべてにマナの光を宿してみせたと。さらに他の者たちも、通常の神官とは比較にならぬほど強いマナを秘めておるそうだな」
領主ムネヒラは壇上から身を乗り出し、値踏みするような鋭い視線で俺たち二十人の顔を順番に見渡した。
そして、満足げに顎髭を撫でると、思いもよらない言葉を口にした。
「どうだ、若者たちよ。お前たち、四聖地への巡礼などやめて、このまま我が城の『私兵』として仕える気はないか?」
「え……? し、私兵、ですか?」
シンジが驚いて顔を上げる。
ムネヒラは大きく頷き、両手を広げてみせた。
「いかにも。知っている通り、四聖地への道は文字通り死の旅路だ。これまでにも数え切れぬほどの巡礼団が、このセンダリオンで『星標の旗』を受け取って南へと旅立っていったが、生きて海を渡れた者など十団に一つもない。大半は道中の森で魔獣の群れに食い殺されるか、野盗に襲われて白骨となるのが関の山よ」
領主の言葉に、俺たちの後ろに並んでいたクラスメイトたちの間から、ゴクリと唾を呑み込む音が聞こえた。
ムネヒラはそんな生徒たちの動揺を見透かしたように、さらに穏やかな声で続けた。
「だが、お前たちほどの強いマナ使いが二十人も揃えば、我がセンダリオンの城壁を守る最高の盾となる! もし巡礼を諦めて私の私兵となるならば、お前たち全員に城内の石造りの屋敷と、柔らかい羊毛の寝台、そして毎日腹いっぱいの肉と焼きたてのパン、さらには月に一度の褒美を与えよう! どうだ、辺境の小さな村などとは比べものにならぬ、豊かな暮らしができるぞ!」
謁見の間が、一気にざわめき立った。
「おい、聞いたか……? 城の中の屋敷とベッドだってよ……」
「最初の村に残ったあいつらより、ずっと安全で贅沢な暮らしができるじゃない……!」
「福岡まで馬車で行けたとしても、その先は小舟で海を渡って、ヒマラヤの山奥まで歩くんだよ? そんなのやっぱり自殺行為だよ……!」
ここまでの五日間の野宿で、足の豆を潰し、泥水に塗れてすっかり疲れ果てていた数人の生徒たちの目が、領主の甘い提案に激しく揺れ動いた。
シンジが「おい、待てよみんな! 俺たちは四天王の城を止めるためにここまで来たんだぞ!」と小声で必死に呼びかけるが、一度火のついた恐怖と誘惑は止まらなかった。
「……シンジ、俺、ここで降りるわ」
列の後ろから、男子生徒の一人が手を挙げた。最初の村ではカズマの勢いに押されてついてきたものの、道中でずっと弱音を吐いていたグループだ。彼に続くように、さらに男子が二人、女子が二人の、合わせて五人が一歩前へと進み出た。
「ごめん、やっぱり俺たちには世界を救うなんて無理だよ! 五日間歩いただけでもう限界なのに、ここから何千キロも旅を続けるなんて絶対に死ぬ! この大きな街のお城で雇ってもらえるなら、俺たちはここで暮らすよ!」
五人がナギの通訳を介して「ムネヒラ様、私たちはあなたにお仕えします!」と叫ぶと、領主ムネヒラは「おお、賢明な判断だ! 歓迎するぞ!」と上機嫌で笑った。
カズマが「てめえら、ここまで来てまた抜けるのかよ!」と掴みかかろうとしたのを、トオルが静かに腕を伸ばして制した。
「やめろよ、カズマ。領主の前で騒ぎを起こしたら、僕たちまで馬車をもらえなくなる。……それに、最初の村の時と同じさ。嫌がる人を無理に連れて行く余裕は僕たちにはないよ」
俺はそのやり取りを、何の感情も湧かない冷めた目で眺めていた。
屋敷だの、柔らかい寝台だの、毎日の肉だの。そんな俗世の餌に釣られて聖女の傍らから去っていく連中など、最初から従属者たる資格はなかったのだ。『聖軌規範』第四条にある通り、進行を遅らせる負荷が自ら切り離されていくのは、むしろ喜ばしいことに他ならない。
俺がちらりと横を見ると、テンテはミホの隣で、離脱していく五人の背中をただ静かに見つめていた。
彼女は引き止める言葉も、非難の言葉も一切口にしなかった。ただ、二十人だった集団が十五人へとさらに減った瞬間、彼女の体側に下ろされた白い指先がほんのわずかに緩み、誰にも聞こえないほど小さな吐息が彼女の唇から漏れたのを俺は見た。
「して、残る十五名はどうする? そこの黒髪の娘御も、我が城に留まるならば最上級の客室を用意させるが」
領主ムネヒラが、期待を込めた目をテンテへと向けた。
その瞬間、俺の背筋を冷たい怒りが駆け抜けた。この俗物の男が、聖女たるテンテを自分の私兵として囲い込もうなどという不敬な考えを口にしたこと自体、到底看過できるものではない。
だが、俺が前に出るよりも早く、シンジが一歩前へと進み出て、深々と頭を下げた。
「お心遣いに感謝いたします、ムネヒラ様。ですが、俺たち十五人は、何としても西の聖地へ辿り着かなければならない使命があります。五人はこの街の守り手として残しますので、俺たちにはどうか約束通り『星標の旗』と馬車をお授けください!」
シンジの真っ直ぐな言葉と、その背後で一言も発さずに凛と佇むテンテの周囲で一段と強く輝きを増した青白いマナの光に、領主ムネヒラはゴクリと喉を鳴らして押し黙った。これ以上無理に引き止めればどうなるか、門の衛兵からの報告で理解しているのだろう。ムネヒラはやがて「……ふむ、致し方ない。それほどまでに神々への信仰が篤いのであれば、止めはせぬ」と重々しく頷いた。
「ならば、我がセンダリオンの聖堂より、正式な巡礼団の証たる『星標の旗』と三台の馬車を授けよう。……して、代表の者よ。聖堂の記録と旗の台帳に記すため、お前たちの『巡礼団の名』を申せ」
「えっ……巡礼団の名前、ですか?」
シンジが虚を突かれたように瞬きをし、トオルの方を振り返った。
トオルは少し考えるように顎に手を当てたあと、俺たちの後ろに立つテンテの長い黒髪と、これから始まる長い旅路を思い描くように目を細めて、静かに口を開いた。
「……僕たちは、暗い石の底から何も持たずに目覚めて、まだ光すら見えないゼロの場所から旅を始めた。これから少しずつ欠けた月が満ちていくように、世界の真実へと近づいていくんだ。……シンジ、『新月』というのはどうかな。『新月の巡礼団』だ」
「新月……始まりを意味する月、か。ああ、いい名前だな! ゼロから出発した俺たちにぴったりだ!」
シンジが力強く頷き、カズマやミホも「かっこいいじゃん!」「なんだか神秘的で素敵だよ!」と賛同の声を上げた。
俺もまた、その名前を聞いて静かに目を細めた。
新月。夜空のすべての星々を従える漆黒の天蓋であり、これからあらゆる光をその身に宿していく無垢なる始まりの象徴。テンテの黒髪の色にも通じるその名は、彼女が歩む軌跡に冠する呼び名として悪くない。
俺がテンテの方へ視線を向けると、彼女はミホから「テンテちゃん、『新月の巡礼団』だって! いい名前だよね!」と話しかけられて「ええ、そうね」と穏やかに頷いていたが、その視線だけは俺の方へと真っ直ぐに向けられており、俺が静かに頷くのを見て、ほんのわずかだけ黒目を細めた。
「ムネヒラ様! 俺たちの名は『新月の巡礼団』です!」
シンジがナギの通訳を介して高らかに宣言すると、領主ムネヒラは「よかろう、『新月の巡礼団』よ!」と応じ、傍らの神官に命じて、白銀の糸で星の紋様が刺繍された一本の美しい旗を運ばせてきた。
こうして俺たちは、五人の脱落者と引き換えに『新月』の名と、街道の障害を退ける『星標の旗』を手に入れたのだった。
だが、俺のポケットの中では、先ほどパン屋の軒先で拾い集めた冷えた白い灰が、その旗に『聖軌規範』の印を塗り込むべき夜を静かに待ち続けていた。




