↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/40

第33話 吟遊詩人が歌っている

 来たときに教わった窪みまで、湖から半刻かかった。


 四人とも、ほとんど言葉を交わさずに歩いた。エスタが先輩に肩を貸して、僕とキアリーが荷物を分けて持った。


 入り口をくぐると、水の落ちる音がした。行きに聞いたのと同じ音だった。それだけで、少し息がつけた。


* * *


 こちらの窪みは、奥の天井に細い裂け目が走っていて、煙がそこから抜けた。隅には、湖の岸で拾ったらしい流木が積んである。前に来た誰かが置いていったのだろう。


 火を焚いて、乾いた飯を食べた。エスタは、丸一日眠った。


 魔力を空にしたあとであれだけの光を出したのだから当然だと、起きてから本人が言った。目を覚ましたのは、次の日の夜だ。それからしばらくは自分の解毒で手一杯で、四人分を回せるようになったのは、さらに何刻か経ってからだった。


 僕はその間、荷物の中身を何度も確かめていた。瓶の水は減っていない。株も無事だ。葉は布の中で、まだ淡く光っている。石と土も、全部ある。


* * *


 三日目の夜。火を囲んで、全員がようやく動けるようになった晩に、僕は喋り始めた。


 喋り始めたら、止まらなかった。


「キアリー。あれ、すごかった」


「あー」


「本当にすごかった。あのさ、僕、保水玉を二十個持ってったんだよ。二十個」


 キアリーが、顔を上げた。


「当たったの、一個だけだった」


「十日練習して、三百回撃って、当たったの一個。それで最後の一個も外した。僕、あそこで終わったと思ったんだ」


 火の粉が上がって、消えた。


「そしたらキアリーが走ってきて、跳んで、剣の腹で下から当てたでしょ。空中の、あんな小さいのに。走りながら」


「……まあ」


「向きだけ変えたんだよね。叩いたら割れちゃうから。あれ、考えてやったの? それとも体が勝手に?」


「知るかよ」


「僕が外すの、見えてたってことだよね。走ってる途中で」


 キアリーは、また火のほうを向いた。


 耳まで赤かった。火のせいかもしれなかったが、たぶん違った。


「エスタも」


「……なに」


「エスタが一番すごい」


 エスタの肩が、少し動いた。


「四日ずっと、四人分の毒を見てたでしょ。一刻に一回、休みなしで。僕、何も感じなかったんだよ。喉も、手も、なんともなかった。全部エスタがやってくれてたんだよね」


「当たり前でしょう」


「当たり前じゃないよ。それで魔力が空になって、それでもあれが出せるってなに」


「魔力が入ってきただけでしょう」


「入ってきただけであんなの出ないよ! 岩肌が全部見えたんだよ、天井の穴の縁まで。先輩、あんな傷だったのに一息で治ってたし」


「……もういいでしょ」


「よくないよ。ちゃんと言っとかないと」


 エスタは、膝を抱えて顔を伏せた。


 しばらく、そのままだった。


「……ありがと」


「え?」


「なんでもない」


「先輩も」


 僕は続けた。


「先輩は……変でした」


「変って言われた」


「変です。だって、歩いてるだけなのに当たらないんだもん。すごいのは分かるんですけど、何がどうなってそうなるのか、全然分からなくて」


 メリィ先輩が、少し笑った。


「あれね、避けてないんだよ。相手が振る前に、振る場所を空けてるだけ。当たらないんじゃなくて、当てられない位置にいる」


 僕はそれを頭の中で並べ直してみて、やっぱり分からなかった。


「あの、龍葉斬って、耳長族の奥義なんですか」


* * *


 先輩の背筋が、伸びた。


「――よくぞ聞いてくれた」


 火の向こうで、先輩が身を乗り出してきた。さっきまでの気だるい座り方はどこへ行ったのか、両手を膝について、目がはっきりこちらを向いている。


「あれね、この夏の初めにできたばっかり。まだ三回しか使ってない。今日で四回目」


「……奥義じゃないんですか」


「あたしの奥義だよ。耳長族は関係ない」


 先輩は、火の枝を一本折った。


「あたしみたいな戦い方するやつ、うちの村にも一人もいないんだ。小剣二本で、走りながら魔法乗せて斬る。誰にも習ってない。強いよ。強いんだけどね」


「けど」


「地味なんだよ」


 折った枝を、火に放り込む。


「避けて、斬る。避けて、斬る。それの繰り返し。一時間やっても、見てる側には同じ絵しか見えない。……冒険譚に出てこないだろ、そういうの」


「冒険譚」


「吟遊詩人の歌だよ。勇者がさ、最後にどーんとやるじゃない。名前のついたやつを」


 僕は、なんと言えばいいのか分からなかった。


「あたしね、あれに憧れてたの。ずっと」


 先輩は、真顔だった。


「六つのときに旅の詩人が村に来てさ。三日いたんだけど、三日とも同じ歌を聞きに行った。鉄の勇者の話。最後に山を割るんだよ、一撃で」


「山」


「山」


「……本当ですか、それ」


「本当なわけないだろ」


 あっさり言ってから、先輩は火を見た。


「でも聞いたんだよ、六つで。あれが体に残ってんの」


 キアリーが、火の向こうで身動きした。聞いている顔だった。この男も、たぶん似たようなものを体に残している。


「だから、名前のついた一撃が欲しかった。三年考えた。全然できない。避けて斬る型に、どーんとやる技は乗らないんだ。理屈が合わない」


「合わないんですか」


「合わないよ。流れを止めて力を溜めるってことだからね。止まったら、あたしは死ぬ」


 先輩は両手を広げた。


「そこへ、春に戻ってきたらさ。中庭に穴が開いてた」


「……え」


「あたし、去年の秋から南にいたんだよ。遠征。半年まるまる学園を空けてた。休学扱いだね」


 そう言われて、思い当たった。


 この人と話すようになったのは春からだと、キアリーが言っていた。


「帰ってきたら、中庭が半分埋まってて、職人が出入りしてるわけ。窓も全部入れ替えてた。何事かと思って聞いたよ」


「聞いたら」


「龍が降りてきたって言われた」


 先輩は、火の枝でもう一本、適当な線を引いた。


「結界ごと、一撃だったって。黒く濁った膜を突き破って、呪われた大精霊をまとめて叩き伏せたって。……で、その話が街でも歌になってた」


「歌」


「吟遊詩人がね。酒場でも、宿場でも。あたしが聞いたのだけで三通りある」


「それ聞いて、分かったんだよ」


 先輩の声が、また少し高くなった。


「止まらなくていいんだって。あの龍だって、降りてきた勢いのままやったんだろ? 溜めるんじゃなくて、走ってきた分を全部乗せればいい。それで型ができた」


 満足そうに頷く。


「だから龍葉斬。葉の龍の斬撃。いい名前だろ」


 僕は、火を見ていた。エスタも火を見ていた。キアリーは口を半分開けたまま固まっていた。


「あの、先輩」


「なに」


「その話、誰がやったかは」


「聞いてない」


 即答だった。


「は?」


「聞いてないよ。興味なかったからね」


 先輩は、心底どうでもよさそうな顔をしていた。


「あたしが欲しかったのは型だよ。どう降りてきて、どう当てたか。それが分かればいい。誰がやったかなんて、知ったところで真似できないだろ」


 聞きながら、僕は何かが引っかかっていた。


* * *


 思い出したのは、屋台の煙の匂いだった。


 この夏の初め、キアリーと東通りに下りたとき、通りの先の広場に人が集まっていた。円になって立っていて、真ん中で誰かが弦を弾いていた。言葉までは聞こえなかった。時々、わっと声が上がっていた。


 僕は、串が冷めるほうを気にしていた。


 歌より、手に持っているもののほうが大事だった。だから僕らは広場を避けて、人の少ない道を通った。


「……キアリー」


「おう」


「あのときの、広場の」


「……あー」


 キアリーも、同じ顔をしていた。


「あれか」


「あれだよね」


「あのさ」


 キアリーが、先輩のほうを向いた。


「それ、俺ら」


 先輩の動きが、止まった。


「……は?」


「俺ら、いたんだよ。その中庭に」


 長い沈黙があった。先輩は僕を見て、キアリーを見て、エスタを見た。三回見た。


「……ちょっと待って。その、叩き伏せられた大精霊っていうのは」


「イーリス様です」


「今、地下の祠にいる」


「います」


「……三人とも、そこにいたの」


「いました」


 先輩は、両手で顔を覆った。そのまましばらく動かなかった。


「……あたし、六つのときの歌の話とか、した」


「しました」


「山割るやつの話も」


「しました」


「忘れて」


「忘れません」


「忘れろって」


 エスタが、笑った。三日ぶりに見る顔だった。


* * *


 しばらくして、先輩は指を三本立てた。


「一応、聞いとく?」


「何をですか」


「歌だよ。三通りあるって言ったろ」


「……聞きます」


「一つめは、龍が呪われた大精霊を罰しに来たってやつ。これが一番多い」


 先輩は指を折った。


「二つめが、聖女が大精霊の呪いを癒したってやつ。これは南で聞いた。えらく長い歌でね、聖女の髪の色まで歌ってた」


 隣で、腰かけ代わりの石がごとりと鳴った。


 エスタが座り直した音だった。


「……髪の色」


「金だって歌ってたよ」


「わたし、金じゃないです」


「そりゃそうだろ。歌だもの」


 エスタは膝を抱え直して、火のほうを向いた。耳が赤かった。


「で、三つめ」


 先輩は、三本目の指を折った。


「これがいちばん少ない。ギルドの前で一回聞いただけ」


「どんなのですか」


「大樹そのものが降りてきて、盟約を結び直したってやつ」


 僕は、しばらく何も言えなかった。


 春のことを思い出していた。


 学園が再開して、みんなが中庭のことを喋っていた。龍が誰かを食いに来たとか、大精霊が生徒を襲ったとか、そういう話だった。全部違っていた。


 僕は、そのたびに訂正した。


 龍じゃなくて、あれは大樹の使いみたいなものだと言った。大精霊様は襲ってなんかいないと言った。あの日あそこで起きたのは、盟約を結び直したことなんだと言った。


 三回か四回、同じことを言った。相手は毎回違った。


「……あの」


「なに」


「その三つめ、たぶん僕です」


 先輩の指が、止まった。


「は?」


「春に、学園で。間違ってる話を聞くたびに、そうじゃないですって言ってて」


「言ってて?」


「そのうち誰かが、外で喋ったんだと思います」


 長い沈黙があった。


 キアリーが、口を開いた。


「お前、詩人に歌わせてたのか」


「歌わせてない」


「歌になってんだろ」


「なってるけど」


 先輩は、まだ指を三本立てたままだった。


「……待って。じゃあ三つのうち一つは、この場にいる人間が出どころなの」


「たぶん」


「一番少ないやつが」


「……たぶん」


「一番合ってるやつが、一番少ないんだ」


 先輩は、指を下ろした。


「世の中そんなもんかね」


 僕は、それきり黙っていた。


 三つのうち、どれも本当のことは言っていない。僕が訂正した分ですら、途中で誰かの口を通るうちに形が変わっていた。


* * *


 翌朝、僕らはセーフティエリアを出た。


 外に出るまで、二日かかった。行きより時間がかかったのは、魔力を節約したからだ。エスタが解毒を回すのは一刻に一回ではなく、一刻半に一回になった。その分、進みが遅い。危ない場所は先輩が一人で先に見て、戻ってきて、全員で一気に抜ける。そういう歩き方を繰り返した。


 僕の荷物は行きより重かった。石と土が増えたからだ。途中で、キアリーが黙って半分持っていった。


「持てるって」


「お前が転んだら瓶が割れるだろ」


* * *


 裂け目から這い出したのは、六日目の明け方だった。


 四日で戻る予定が、二日延びていた。草の上に四人とも寝転んで、しばらく誰も何も言わなかった。空が白み始めていて、星が消えかけている。


* * *


 乗合馬車の中で、メリィ先輩はずっとにやにやしていた。


 膝の上に、麻の袋を抱えている。ダンジョンに入る前にはなかったものだ。


「先輩、なんすかそれ」


 キアリーが聞いた。


「これ?」


「さっきから、そればっかり触ってるじゃないすか」


 先輩が袋の口を少し開けて見せると、中に黒っぽいものが入っていた。茸だった。傘が黒紫で、柄が細くて長い。触れてもいないのに、袋の中で薄く光っている。


 僕は、身を乗り出した。


「……宵闇茸ですか」


「お、分かるんだ」


「図鑑でしか見たことないです。中層の毒気の中でしか育たないって」


「そう。だから誰も採らない」


 先輩は、袋の口を結び直した。


「魔力回復薬の高級素材。上等なのは、これが入ってる」


「いくらするんですか」


「一株で二万」


「二万!?」


 キアリーがのけぞった。


「十六株ある」


「……三十二万」


 エスタが言った。


「早いね、やっぱり」


 僕は、それでようやく分かった。


「先輩。最初から、これ目当てでしたよね」


 先輩は、袋を抱え直した。


「面白そうだから来たって言ったろ」


「言いました」


「嘘はついてないよ」


「……半分は、これですよね」


「半分はね」


 窓の外を見たまま、先輩は続けた。


「あたし、燃費が悪いって言ったろ。上等な魔力回復薬がいくらあっても足りないんだ。買うと高い。素材から作らせたほうが安い。……作れるやつが、同じパーティにいるならね」


 僕は、何も言えなかった。


 この人は、最初から全部組み立てていた。満月草の場所を知っている冒険者に繋いで、回復術師を口説いて、荷物持ちに投げ方を教えて、自分の素材を採って帰る。


 そのうえで、僕の頼みを全部通している。


「……ありがとうございます」


「礼はいいよ」


 先輩は、窓を向いたまま言った。


「あの大きいのは想定外だったからね。あれは誰も知らなかった。素材も採れなかったし、報告しても討伐金は出ない。……あたしの見立てが甘かった」


「先輩のせいじゃないです」


「あたしのせいだよ。連れてったのはあたしだ」


 それきり、先輩はしばらく黙っていた。


* * *


 ギルドで換金したのは、その日の夕方だった。


 窓口に袋を出すと、係の人が中を覗いて、顔を上げて、もう一度覗いた。それから奥へ引っ込んで、出てきたのは別の人だった。


 三十二万ネイだった。


「四等分ね。八万ずつ」


 先輩が言った。


「受け取れません」


 僕が言った。


「なんで」


「僕、何もしてないので。荷物持っただけです」


「投げただろ」


「外しました」


「じゃあキアリーが二人分」


「いや俺も……いいっす」


「なんでだよ」


「わたしもいりません」


 エスタが言った。


「お金のためにやったんじゃないので」


 先輩の眉が、ぴくりと動いた。


「あのさ。これ、あたしが一番めんどくさいやつだ」


 僕は、キアリーのほうを向いた。


「キアリー。僕の分、あげる。ギルドカードのお金も借りたし、先輩に話を通してくれたのもキアリーだし」


「いらねえよ」


「もらってよ」


「もらえるかよ」


「エスタも受け取ったほうがいいよ。あの回復魔法、八万ネイの働きじゃないよ。もっとすごかった」


「そういう問題じゃないでしょう」


「そういう問題だと思うけど」


 エスタは、少し黙った。


「……というか、あんた。これから調合があるんじゃないの。素材代、いるでしょうが」


「あ」


「あ、じゃないわよ。二万五千使い切ったって言ってたじゃない」


「言った」


「じゃあ受け取りなさいよ」


「エスタも受け取ってよ」


「わたしはいいの」


「よくないよ」


「――はい、そこまで」


 先輩が、三十二万ネイの袋を両手で持ち上げて、キアリーの腹に押しつけた。


「じゃあ、まとめてキアリー持っといて。あんたが管理して。必要なやつに必要なだけ渡せ。以上」


「ちょ、先輩」


「あたしの分は八万な。それだけ抜いといて」


 キアリーは、袋を抱えたまま棒立ちになった。


「これ、一番きついやつっすよ」


「知ってる」


* * *


 そのときだった。


「メリィ君」


 窓口の係の人が、帳面を見ながら言った。


「学園の探索許可申請ですが、こちらに控えが来ていません。出されましたか」


 先輩の動きが、止まった。


「……あー」


「出されましたか」


「あー、それはその」


「メリィ君」


 別の声だった。ギルドの入り口のほうからだった。


 振り返ると、学園長が立っていた。


 上着の裾に土がついていた。坂を上ってきたのだ、とすぐに分かった。手には杖を持っている。学園で見たことのないものだった。


 その顔を見て、僕は背筋が寒くなった。怒っていた。


 先輩が、ゆっくりと体の向きを変えた。


「……学園長先生」


「なぜ私がここにいるか、分かりますか」


「……えー」


「三日前です」


 学園長は、杖を突いて一歩前に出た。


「薬草園に、フェイ君の姿が数日見えませんでした。あの子が畑を空けるのは、去年の冬以来です。……いやな胸騒ぎがしましてな」


 僕は、何も言えなかった。


「坂を下りて、薬草園であの緑の精霊に尋ねました。七十を過ぎた男が、畑の隅でひとりごとを言っている絵です。見た者は、正気を疑ったでしょうな」


「……コロンが、話したんですか」


「三言だけ。西。穴。四人」


 学園長は、僕を見た。


「そこで私は学園に戻り、探索許可の申請を確認しました。どの棚にもありませんでした」


「……あー」


 先輩が、また言った。


「あー、ではありません」


 学園長は、先輩のほうを向いた。


「メリィ君。あなたは、この三人を連れて中層まで行きました。学園には何も届いていません。もし全員が戻らなかったとして、私はどこを捜せばよかったのです」


 先輩は、何も言わなかった。


 僕は、前に出た。


「学園長。先輩は、手伝ってくれただけです」


「フェイ君」


「満月草が要るって言ったのは僕です。お金がなくて、自分で行くって言ったのも僕です。先輩は、それを手伝ってくれただけで。叱るなら、僕を叱ってください」


 学園長は、少し困った顔になった。


「……フェイ君。君には止めんと言ったのは、私です」


「あ」


「石段の踊り場でしたな。私にできることはありますかと聞いて、たぶんないですと答えられた」


「……はい」


「言ったことは、撤回しません」


 学園長は、杖を持ち直した。


「三人とも、悪いことは何もしていません。それは分かっています。……ただ、一つだけ」


「はい」


「待つ人の気持ちも、考えてくれると助かります」


 僕は、黙った。


「すみません」


「もし君が帰ってこなかったら、どうなると思いますか」


「……それは、父さんと母さんが心配して」


「イーリス様です」


 僕は、顔を上げた。


「え」


「あの冬、盟約を続けることができたのは、君がいたからです。あの結界の半分は君のものです。……君がいなくなったら」


 学園長は、そこで言葉を切った。


「……いなくなったら」


「……聞きたいですか」


 僕は、答えられなかった。学園長も、それ以上は言わなかった。


 代わりに、少しだけ表情を緩めた。


「友人を、大切になさい」


「……はい」


「良い返事です」


 先輩が、後ろから僕の肩を叩いた。


「よかったじゃないかフェイ。あとは調合するんだろ?」


「メリィ君」


「はい」


「あなたは、こちらに」


「えっ」


「こちらに」


「あっ、ごめんなさい。ごめんなさい。いたた、ちょっと、耳は」


「よく聞こえるように、と思いましてな」


「引っ張らないでください!」


* * *


 ギルドの一階は、夕方になって人が増えていた。


 依頼を終えて戻ってきた組が壁際で酒を回している。誰かが何かを言って、どっと笑い声が上がり、遅れて手を叩く音が続く。数えるほどしか残っていない依頼書の前で、若いのが二人、押し合うようにして残りを覗き込んでいた。


 誰も、こちらを見ていなかった。


 耳を引っ張られていく先輩の後ろ姿も、その騒がしさにあっさり飲み込まれて、見えなくなった。


 僕らは、三人で外へ出た。


 外は、もう暗かった。空を見上げると、月が出ている。


 あと一日で、満ちる形をしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日の22時に次話を更新します。


少しでも「先が気になる」「雰囲気が好きだ」と思っていただけましたら、下部よりブックマーク登録や評価(☆☆☆☆☆)をいただけますと、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。