第31話 荷物持ちの仕事
「登録、千ネイね」
窓口の人は、書類を差し出しながら言った。
僕は、財布の中身を机に出した。
銅貨が四枚。
「……四百ネイです」
「足りないね」
「はい」
「じゃあ、また今度」
「待ってください」
冒険者ギルドの一階は、朝から人でいっぱいだった。
依頼書の貼ってある壁の前に人だかりができていて、順番待ちの列が窓口まで伸びている。僕の後ろにも、もう三人並んでいた。
「キアリー」
「なんだよ」
「六百ネイ」
キアリーは、ものすごく嫌そうな顔をした。
「お前な」
「ごめん」
「泣きそうな顔すんな」
「泣いてない」
「泣きそうな顔してんだよ」
キアリーは腰の袋を開けて、中を覗いた。
覗いて、少し考えて、それから銭を出した。
一枚ずつ、手のひらの上で数えた。
「六枚」
「ありがとう」
「貸し一な」
「うん」
「利子は取らねえよ。取ったら、お前一生返せねえだろ」
袋の口を結ぶ手つきを、僕は見ていた。
キアリーの手元に、余っている銭などない。
学費は免除されている。寮費も特待生の分は引かれる。それでも、飯代と稽古着の繕いと、木剣の修理代は自分持ちだ。村からは何も来ない。逆に、休みのたびに少し送っている。
去年、一度だけ本人から聞いた。
六百ネイが、この男にとって何日分なのかは知らない。
聞いたことがない。
「……あとで返す」
「知ってるよ」
「本当に返すからね」
「うるせえな。分かってるって言ってんだろ」
キアリーは、袋を腰に戻した。
書類に名前を書いて、指を出して、小さな盤の上に押しつけた。
ちくりとした。
「はい、これ」
薄い金属の板が出てきた。
手のひらに収まる大きさで、片面に線が刻んである。裏返すと、名前と、四年と、学園の印が入っていた。
冒険者ギルド登録証。
「登録は、しといて損はないよ」
窓口の人が言った。
「素材を売るのも、依頼を受けるのも、これがないと話にならないからね。学生の登録も最近増えてるし」
「そうなんですか」
「増えてるよ。……半分は、やめてくけどね」
「キアリーは、いつ登録したの」
「去年」
「聞いてない」
「言ってねえもん」
キアリーは、自分の登録証を出して見せた。
僕のより、少し曇っていた。角が丸くなっている。
何度も出し入れしたものの、曇り方だった。
* * *
待合所は、ギルドの奥にある。
長椅子が並んでいて、壁際に水の樽が置いてある。依頼を受けた者同士が打ち合わせをする場所らしい。
メリィ先輩とエスタは、先に来て待っていた。隅の一角に、四人で集まった。
「よし。始めるよ」
メリィ先輩が立ち上がった。
声が、変わった。
「西のダンジョン、中層。片道二日。目的は満月草の採取、以上。倒すことは目的じゃない。避けられる戦闘は全部避ける」
よく通る声だった。
さっきまでの、面倒くさそうな喋り方ではない。一語ずつがはっきりしていて、待合所の端まで届いている。
近くの長椅子にいた三人組が、こちらを見た。
見て、それから話をやめた。
僕は、思わず見上げていた。
背が高い。座っていても分かったが、立つともっと高い。日に焼けた腕。横に長く伸びた耳。整いすぎた顔立ち。
その全部が、喋り始めた途端に別のものになっていた。
「すごい」
つい、声が出た。
横で、椅子が鳴った。
エスタが座り直した音だった。
「なに」
「なんでもない」
「なんか言った?」
「言ってません」
エスタは前を向いた。
そのまま、こっちを見なかった。
「――三人とも、自分の仕事を一つずつ覚えて」
メリィ先輩が言った。
「ダンジョンで死ぬのは、だいたい自分の仕事を忘れたやつだ」
最初は、エスタだった。
「回復と解毒。それは当たり前」
「はい」
「本番はそこじゃない。あんたの仕事は、残量の管理だよ」
「残量」
「魔力。自分のと、あたしのと、あとその二人の分。四人分を頭の中で数え続ける」
エスタが、少し身を乗り出した。
「治療科では、自分の分だけ数えろって習います」
「病院ならそれでいい。病人は逃げないからね」
メリィ先輩は、指を四本立てた。
「ダンジョンでは、帰り道の分を残しとかないと全員死ぬ。誰の分をいつ切るか、その判断はあんたがする。あたしじゃない」
「……はい」
「もう一つ。的にならないこと」
「的」
「回復術師を先に潰すのは、魔物でも人間でも同じだ。あんたが立つ場所は、常に誰かの後ろ。前に出たくなったら、出る前に一回止まれ」
エスタは、頷いた。
頷いてから、無意識みたいに、自分の手のひらを見た。
次が、僕だった。
「あんたは荷物持ち」
「はい」
「ただし、ついてくればいいってもんじゃない」
メリィ先輩は、床に座って、指で線を引いた。
「戦闘中、あんたは三つやる。一つ、邪魔にならない位置にいること。二つ、後ろを見ること。三つ、投げること」
「投げる?」
先輩は上着から、小さな布の玉を出した。
親指の先ほどの大きさだった。白くて、少しふくらんでいる。
「保水玉。中は綿と布繊維。ここに回復薬を吸わせる」
「吸わせて、どうするんですか」
「投げる。味方に当てる」
「……当てるんですか」
「当てるんだよ」
先輩は、その玉を指で弾いて、キアリーの胸に軽く当てた。
玉は、そのまま床に転がった。
「今のは何も起きないだろ。こいつは登録した魔力に触ると繊維がほどける。登録してないやつには、ただの布の玉」
「登録」
「出発前に四人分やっとく。エスタの魔力を登録した玉は、エスタに当たったときだけ弾ける」
僕は、床の玉を拾い上げた。
軽い。
驚くほど軽かった。
「壁に当たっても、地面に落ちても、割れない。だから一度外しても拾い直せる。……ただし」
「ただし?」
「当たらない」
先輩は、あっさり言った。
「小石ほどの重さのものを、動いてる味方に、動きながら当てる。あたしは三年やってまだ半分外す」
「三年で半分」
「三年で半分」
「僕、出発まで十日もないんですけど」
「だろうね」
先輩は笑った。
「だから期待はしてない。十本持って、一本当たれば上出来。でも、その一本で誰かが立ち上がることがある」
「……はい」
「スリングショットを使う。手で投げるより、まっすぐ飛ぶ」
先輩は、細い革紐のついた道具を放ってよこした。
木の柄に、二股。ゴムのような弾力のある紐。子供が鳥を狙うのに使うやつと、形はほとんど同じだった。
「これ、玩具ですか」
「玩具だよ」
「玩具でいいんですか」
「玩具が一番よく飛ぶ」
* * *
「登録は、今やっとこうか」
先輩は袋から保水玉を一掴み出して、長椅子の上に並べた。
二十個あった。
「手を出して。指先でいい」
エスタが指を触れると、白かった玉に、薄く色が差した。
薄い金色だった。彼女の治癒の光と同じ色だ。
「これがエスタの分。五個」
キアリーの分は、少し赤みがかった。
メリィ先輩の分は、青。
「僕のは」
「あんたのはいらない」
「え」
「自分で飲めるだろ」
先輩は、色のついた玉を袋に戻した。
「玉は、手が離せない相手に届けるためのものだよ。あんたは瓶から飲めばいい。一つ無駄にする理由がない」
「……はい」
「三つ覚えといて。金がエスタ、赤がキアリー、青があたし」
先輩は袋の口を縛って、キアリーのほうへ向き直った。
最後が、キアリーだった。
キアリーは、さっきからそわそわしていた。
「じゃあ、俺は」
メリィ先輩は、キアリーのほうを見た。
見て、少し首をかしげた。
「剣士のやることは、一つだけだろ」
それで終わりだった。
「……え、それだけっすか」
「それだけ」
「俺、もっとこう、陣形とか」
「前に立て。それ以上あたしが言うことはない」
キアリーは、ぽかんとしていた。
それから、だんだん顔が赤くなった。
「……っす」
「返事は元気だね」
* * *
解散したのは、昼前だった。
ギルドを出ると、日射しが痛いくらいだった。
「先輩、すごいね」
僕は言った。
「あんな喋り方する人だと思わなかった」
「……そう」
エスタは、前を向いたまま歩いていた。
「エスタもすごかったよ。四人分数えるって、たぶんすごく難しいのに、すぐ分かってた」
「……別に」
「難しくないの?」
「難しいわよ!」
なんで怒られたのか、分からなかった。
* * *
出発までの日々は、こう過ぎた。
朝は薬草園にいた。
畝を広げた。三番目の畝の先に、四番目を作った。土を起こして、石を拾って、水を運ぶ。
十日で痩せるというのは、たぶん無理だ。分かっている。
それでも、桶を持つ回数を倍にした。
『やりすぎだ』
「まだやる」
『倒れるぞ』
「倒れたら回復薬飲む」
『馬鹿か』
* * *
六日目だった。
四番目の畝の端で土を起こしていたら、門の閂が鳴った。
顔を上げると、誰もいなかった。
門のところに、桶が置いてあった。
水が入っていた。
汲みたてらしく、外側に水滴がついている。
石畳のほうを見たが、もう誰もいなかった。
『行ったぞ』
「誰が」
『言わん』
「言ってよ」
『……治療科の上着を着てた』
僕は、桶を見た。
それから、水を飲んだ。
冷たかった。
* * *
昼は、調合だった。
魔力回復薬を六本。エスタに言われた最低の数だ。
一本目は、あの晩と同じようにできた。二本目も。三本目で少し濁って、作り直した。
五本目を作っているとき、気がついた。
あの晩と同じことを、毎回やっている。
四日間で、誰が、いつ、どれだけ使うか。それを頭の中で並べてから、素材に手を伸ばしている。
うまく作ろうとは、もう思っていなかった。
六本目ができたとき、七本目も作った。
* * *
夕方は、スリングショットだった。
石垣に的を描いて、保水玉を撃った。
出発までに、三百回は撃ったと思う。
止まっている的なら、五回に三回は当たるようになった。
コロンに動いてもらった。
『僕を的にするな』
「頼むよ」
『……一回だけだ』
十回撃って、一回も当たらなかった。
『下手だな』
「知ってる」
* * *
八日目に、一つ分かったことがある。
当てようとすると、外れる。
的の位置を目で追って、そこへ撃とうとすると、玉はいつも少し後ろへ飛んだ。相手が動いた分だけ、遅れる。
かわりに、相手がこれから行く場所を考えて、そこへ撃つと当たった。
見るのをやめて、考えるほうに切り替える。
どこかで聞いた話だと思った。
コロンには言わなかった。言ったら『遅い』と言われるに決まっている。
* * *
出発の前の日の夜だった。
僕は棚の前に立っていた。
回復薬が並んでいる。苦みを後ろへ送るやつ。魔力回復薬が七本。保水玉が二十個、革の袋に入れて。
一番端に、濁った瓶が一本。
一瞬、あの緑の一本かと思った。あれは家の物置にある。ここにあるのは、別の失敗作だ。
復活薬の、十七本目。
まだ、何も起きない。
「行ってくるよ」
『聞いてない』
「聞いてよ」
『……ふん』
コロンは葉陰に引っ込んだ。
しばらくして、声だけが返ってきた。
『死ぬなよ』
「うん」
門の閂を下ろした。
空を見上げると、月が出ていた。
半分より少しだけ膨らんだ形をしていた。満ちるまでには、まだ七日ほどある。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日の22時に次話を更新します。
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