第29話 誰も探さなかった草
「四百ネイ」
キアリーは、僕の手のひらを覗き込んだ。
銅貨が四枚。
「これで何を頼もうってんだ」
「頼むんじゃなくて、相談」
「それ、頼むって言うんだよ」
学園の中庭だった。
夏の休みの十九日目で、鍛錬場からは掛け声が聞こえている。休みでも剣術科は交代で出てくるらしい。キアリーは汗まみれの稽古着のまま、井戸の縁に腰かけていた。
「で、何が要るんだ」
「満月草」
「なんだそれ」
「分からない」
「分からないものを探すのか」
「名前だけは分かってる」
「どこに生えてる」
「それが分からない」
キアリーは、しばらく僕の顔を見ていた。
それから、水をひと口飲んだ。
「お前、この前から顔色が悪いぞ」
「そうかな」
「薬草園にこもりっぱなしだって聞いた」
「……うん」
「何作ってんだ」
「言えない」
「そうかよ」
キアリーは、それ以上聞かなかった。
去年からそうだ。この男は、言えないと言われたことを二度は聞かない。
「まあいいや。聞いてやるよ」
「え」
「先輩に。剣術科は卒業したやつが冒険者になってるのが多いんだ。誰か知ってるかもしれん」
「ありがとう」
「四百ネイは取っとけ。何の足しにもなんねえから」
* * *
キアリーが先輩に聞いて回るあいだ、僕は図書室へ行った。
薬草図鑑は、三段の棚にぎっしり並んでいる。学園のものと、王立図書館から移されたものと、寄贈されたものがまざっていて、並びに規則がない。
満月草を見つけるのに、二時間かかった。
載っていた。
三行だけだった。
〈満月草。多年草。葉は満月の色を帯ぶ。水中に生ずるという〉
それで終わりだった。
産地がない。用途がない。花期も、採取の時期も、効能も、何もない。
僕は同じ棚の図鑑を七冊引いて、全部を確かめた。
五冊には載っていなかった。二冊に載っていて、そのうち一冊は、さっきと同じ三行をそのまま写したものだった。
「書いた人も、見たことがなかったんだと思うよ」
昼を過ぎて、図書室に来ていたゲルダ先生が言った。
「見たことがあれば、もっと書くさ。薬師ってのは、見たものは書きたがるもんだよ」
* * *
三日後、キアリーが報告に来た。
「二人に聞いた」
「うん」
「一人は北の湿地だって言ってた」
「北」
「もう一人は、そんな草はないって言ってた」
「ない?」
「聞いたこともない、作り話だろって」
僕は薬品店にも行った。三軒とも、名前を知らなかった。一軒の主人は「月だの星だの、空のものがつく草は偽名が多い」と言った。高く売るために、それらしい名前をつけるのだという。
北の湿地へ行く金はない。
そもそも、北の湿地がどこなのかも分からない。
* * *
四日目に、キアリーが言った。
「先輩の上に、もう一人いる」
「上?」
「上級生。うちの科じゃないけど、たまに鍛錬場に来るんだ。ギルドに繋がってるって話だ」
その人は、鍛錬場の日陰で本を読んでいた。
背が高かった。
僕より頭ひとつ分。座っているのに、それが分かった。学園の上着を着ていたが、袖をまくって腕を出している。日に焼けた腕に、細かい傷が何本も走っていた。
髪をかき上げたとき、耳が見えた。
横に、長い。
人の耳が付いている位置から、そのまま外へ伸びている。先が細く尖っていて、こちらを見たとき、わずかに動いた。
顔立ちは、作り物のように整っていた。
耳長族を見るのは初めてではない。王都の通りでもたまに見かける。南方の村に住む少数民族で、数は少ないが、魔法の巧みな使い手として冒険者に多いから、名前だけなら子供でも知っている。
ただ、学園にいるのは知らなかった。
「メリィ先輩」
キアリーが声をかけた。
「あー、剣術の。何」
「この前の話なんすけど」
メリィ先輩は本を閉じて、僕のほうを見た。
上から下まで、ひと通り。
「その子が、例の?」
「はい。同級生のフェイっす」
「ふうん」
「薬作ってて、それで――」
キアリーが、そこで一度言葉を切った。
「あー、いや。とにかく素材が要るんすよ。満月草っての」
「二人で採りに行く気?」
「いや、場所が分かったら何人か集めるつもりっす。俺とこいつと、あと一人か二人」
「あてはあるのか」
「同級生が一人。……ただ、そいつ今こいつとやり合ってるんで、来るかどうか」
「やり合ってる」
「はい」
「へえ」
メリィ先輩は、そこで初めて少し笑った。
何がおかしいのか、僕には分からなかった。
「満月草ね。知らないな」
「知らないんですか」
「知らない。けど、知ってそうなやつは知ってる」
* * *
二日後、僕らは冒険者ギルドの一階にいた。
天井が高くて、煙草の匂いがした。壁一面が板張りで、紙が何百枚も画鋲で留めてある。依頼書らしい。人が入れ替わり立ち替わり、その前を通っては剥がしていく。
隅の卓に、一人の男が座っていた。
四十くらい。左手の指が二本ない。
「学園の後輩だって?」
「はい」
「何期だ」
「四年です」
「若えな」
男は、メリィ先輩に一度目をやってから、僕を見た。
「満月草、だったか」
「はい。ご存じですか」
「ああ」
僕は、息を止めた。
「西のだ」
「西の」
「西のダンジョン。中層に湖がある。あの湖の縁に、びっしり生えてる」
「……びっしり」
「びっしりだ」
僕は、意味が分からなかった。
「あの、待ってください。図鑑に三行しか載ってないんです。知ってる人も、ほとんどいなくて」
「そうだろうな」
「でも、びっしり生えてるんですか」
「生えてる」
男は、卓の上のコップを回した。
「坊主。中層までは片道二日だ。その二日がまるまる毒だ。息を吸うだけで喉が焼ける種類が三つと、触れば腫れるのが二つ。回復術師なしじゃ、まず往復できん」
「はい」
「で、その草は何に使う」
僕は、答えられなかった。
「答えられねえだろ。誰も知らねえからだ」
男は笑った。
「使い道の分からん草を採るために、毒の中を四日歩いて、回復術師に日当を払う。そんな馬鹿がいるか?」
「……いません」
「だから誰も採らねえ。採らねえから流通しねえ。流通しねえから、値もつかねえ。値がつかねえから、図鑑にも載らねえ」
男は、指の足りない左手で卓を叩いた。
「あるのに、ないことになってる。そういう草だ」
* * *
「僕、自分で行きます」
ギルドを出たところで、僕はそう言った。
「金がないので。場所が分かったなら、あとは行くだけです」
キアリーが、鼻で笑った。
「なんだよ」
「お前が?」
「うん」
「片道二日だぞ。往復で四日だぞ。全部毒だぞ。お前、鍬持って行くのか」
「……包丁は持ってく」
「もっと悪いわ」
キアリーは、井戸端で水を浴びたときみたいに頭を振った。
「俺が取ってくる」
「え」
「お前が行って死んだら、薬も何もねえだろ。俺が行く」
「一人じゃ無理だよ」
「分かってるよ。だから人を集めんだろ」
帰り道、僕はずっとギルドの男の言葉を考えていた。
四十年、誰も探さなかった。
隠されていたわけでも、失われていたわけでもない。ただ、探す理由を誰も持たなかった。それだけで、草は一冊の図鑑の三行になった。
似たような話を、僕は最近どこかで聞いた気がした。
聞いた場所は、すぐに思い出せなかった。
* * *
話し合いは、その翌日の夕方、薬草園の小屋で開かれた。
集まったのは四人だった。
僕。キアリー。メリィ先輩。そして、エスタ。
エスタは、扉の一番近くに立っていた。
椅子はあったのに、座らなかった。
僕のほうは一度も見なかった。
「じゃ、話をまとめようか」
メリィ先輩が、机に腰かけて足を組んだ。
「西のダンジョン、中層まで。片道二日、往復で四日。採るだけ採って帰る。それだけ」
「はい」
「前はあたしとあんたね」
先輩は、キアリーを顎で指した。
「後ろが治療科の子と、そこの荷物持ち。回す魔法はその子で、荷物持ちがその補助。……ま、そんな感じ」
「そんな感じって」
「そんな感じだよ」
先輩は、あっさり言った。
「ちゃんとした編成を組みたいなら金を払って人を雇いな。これは学生の遊びだ。四人いりゃ足りる」
「……はい」
「で、先輩は魔法ですか。それとも剣ですか」
メリィ先輩は、上着の裾を少しめくった。
腰の左右に、短い剣が一本ずつ提げてあった。
刃渡りは腕の長さもない。柄のところに、細かい文字が彫ってある。
「両方だよ」
「両方」
「魔法をこれに乗せて、走りながら斬る。習ったやり方じゃない。あたしが勝手にやってるだけ」
「強いんですか」
「強いよ」
即答だった。
「ただね、燃費が最悪なんだ。一分保たない日もある」
メリィ先輩は、裾を戻した。
「だから今回、あんたの薬を当てにしてる。回復術師の魔力と、あたしの魔力と、両方ね」
「……はい」
「そこは期待してるよ。面白そうの半分は、それ」
「はい」
「で、回復術師の相場から話そうか」
メリィ先輩は、指を折り始めた。
「まず日当。中層の護衛なら、回復術師で三万ネイ。駆け出しでも一万は切らない」
「三万」
「次に毒の加算。一種につき五千だ。西は五種あるから、二万五千」
「それも一日ごとですか」
「毒は毎日効くからね。日当と同じで、日ごとにつく」
先輩は、三本目の指を折った。
「最後に危険手当。日当の五割だから、一万五千」
「……一日で、七万ですか」
「そう。三万と、二万五千と、一万五千で七万。それが四日」
「二十八万ネイ」
エスタが言った。
「ん、早いね」
「治療科の教本に相場表が載ってます」
キアリーが、椅子の上でのけぞった。
「二十八万!?」
「これでも安いほうだよ」
メリィ先輩はあっさり言った。
「回復術師は足りてないからね。あたしのとこ、来ない? 卒業したら組むつもりなんだけど。三年目には倍出せると思うよ」
「結構です」
「即答だなあ」
「わたし、冒険者になる気はありません」
エスタは、まっすぐ言った。
「王立病院に入ります。前からそう決めてます」
「もったいない」
「もったいなくありません」
メリィ先輩が、少し首をかしげた。
「……病院ねえ」
「はい」
「あんた、この夏も出てるだろ。交代の当番じゃない日にも」
エスタの返事が、一拍遅れた。
「……当番は、詰めてもらってます」
「ふうん」
メリィ先輩は、そこで口を開きかけた。
開きかけて、閉じた。
「まあ、いいや」
僕は、黙って聞いていた。
聞きながら、まずいな、と思っていた。
二十八万ネイ。僕の手元には四百ネイしかない。父に借りたとしても、小遣いの五年分近くになる。
「あの」
僕は、言った。
「お金が、ないんです」
「知ってる」
メリィ先輩が言った。
「キアリーから聞いた。だから今日は、金の話をしに来たんじゃない」
「え」
「学生の遊びだよ、これは。依頼じゃない。あたしは西の中層まで二回入ってる。道は覚えてる。面白そうだから来た」
「……いいんですか」
「よくはないけどね」
メリィ先輩は笑った。
「面白そうってのは、理由として十分だよ」
* * *
問題は、回復術師だった。
エスタは、まだ扉の前に立っていた。
「エスタ」
キアリーが言った。
「頼む。お前がいないと、そもそも入れない」
「……」
「日当は出せねえ。悪いけど」
「そんなの、いいです」
「じゃあ」
「条件があるんだけど」
小屋が、静かになった。
メリィ先輩が足を組み替えた。キアリーが座り直した。僕も、たぶん身構えた。
回復術師が条件をつける。当然だ。無償で毒の中に入れと言われているのだから、何か言う権利がある。
「なに」
「フェイが痩せること」
沈黙があった。
長い沈黙だった。
キアリーが、ゆっくりと僕のほうを見た。
メリィ先輩は、天井を見上げた。
僕は言った。
「え? なんで?」
◆
なんで、と言われた。
わたしは、自分でも驚いていた。
小屋に来るまで、わたしは条件をつけるつもりなんてなかった。日当が出ないことも、四日毒の中に入ることも、来る前から分かっていた。断るつもりもなかった。
なのに、口が勝手に動いた。
動いた理由が、自分で分からない。
分からないまま、わたしは言った。
「なんでって、なに」
「いや、痩せるのと、ダンジョンに何の関係が」
「あるでしょう」
「ある?」
「中層まで片道二日よ。荷物を背負って、毒の中を歩くの。体が重ければ息が上がる。息が上がれば毒をたくさん吸う。毒をたくさん吸えば、治すのはわたし」
「……ああ」
「分かった?」
「うん。それは分かった」
分かった、と彼は言った。
「でも、それなら僕が留守番したほうが早くない?」
わたしは、彼の顔を見た。
「素材を採ってきてもらえばいいんだよね。僕が行かなくても、三人で行けるなら、そのほうが確実だし。僕、足手まといだし。日数も減るし――」
「フェイ」
「なに」
「あなた、自分の話をしてる?」
彼は、きょとんとしていた。
わたしは、それを見て、頭の後ろのほうが冷たくなるのを感じた。
正しいのだ。
彼の言っていることは、全部正しい。荷物を運ぶだけなら三人でいい。足手まといが減れば日数も減る。毒を吸う人間が一人減れば、わたしの負担も減る。
全部正しくて、全部、わたしの言ったことの答えになっていない。
わたしは、何を言えばよかったのだろう。
あなたが毎日揚げ物を食べているのを見ていたくない、と言えばよかったのか。
膝に手をついて立ち上がるのを見ていたくない、と。
去年の冬、あなたの腕が崩れて飛んでいくのを、わたしは見ていた。
見ていることしかできなかった。
あのとき、わたしは馬鹿と言った。大馬鹿とも言った。
それしか言えなかった。
今日も、同じだった。
言えるわけがない。
「……知らない」
わたしは、そう言った。
「え」
「知らないって言ったの」
扉を開けた。
「エスタ!」
キアリーの声が背中に当たったけれど、わたしは止まらなかった。
◆
扉が閉まった。
小屋の中に、三人が残された。
僕は、しばらく動かなかった。
動かないまま、さっきの会話を最初から順番に辿り直していた。
彼女は条件を出した。僕はその理由を聞いた。彼女は理由を説明した。僕はそれを理解した。理解したうえで、もっと効率のいい案を出した。
どこにも、間違いがない。
「フェイ」
キアリーが言った。
「今のは、お前が悪い」
「どこが?」
キアリーは、答えなかった。
答えずに、頭をがりがりと掻いて、天井を見て、それから僕を見た。
その顔が、怒っているのではないと気づくのに、少しかかった。
叱られているのだと思っていた。
そうではなかった。
キアリーは、僕を気の毒そうに見ていた。
「……メリィ先輩」
僕は、助けを求めるつもりで言った。
「僕、何か間違えましたか」
メリィ先輩は、まだ机に腰かけていた。
足を組んだまま、しばらく僕を眺めていた。
「あんたさ」
「はい」
「あの子が何に怒ってるか、分かってる?」
「痩せないことに、です」
「そう」
メリィ先輩は、それだけ言った。
「……違うんですか」
「さあね」
「教えてくれませんか」
「やだよ」
彼女は机から降りて、上着の埃を払った。
「人から聞いた答えは、忘れるからね」
扉に手をかけたところで、メリィ先輩が振り返った。
「ああ、そうだ。学園に出す探索の許可申請、あたしが出しとくよ。学生だけで入るときは要るんだ」
「お願いします」
「任せとけって」
* * *
その夜、僕は自室で手記を開いた。
眠れなかったからだ。理由は、いつもと違った。
地脈の図の頁を、順に繰っていった。
北の山村の老婆の頁を過ぎて、その先。読めない書き込みばかりの、図の余白。
一つ、目に留まった。
〈西の穴、中層。湖あり。水の底に、月の色の葉〉
この頁を書いた誰かは、そこに立っている。
〈毒五種。喉と皮膚。往復四日。同行者なし〉
〈用途、不明〉
僕は、その三文字をしばらく見ていた。
用途が分からないのに、この人はそれを見に行った。
一人で。毒の中を、四日かけて。
〈されど、美し〉
僕は手記を閉じた。
窓の外は暗くて、何も見えなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日の22時に次話を更新します。
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