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凡人がなるルイ16世  作者: 山口祐輝


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逃げない王

第60話 「逃げない王」

一七九一年四月十八日、夜。

パリ。

テュイルリー宮殿。

昼間の騒ぎが嘘だったかのように、宮殿の中は静まり返っていた。

だが、それは安らかな静けさではなかった。

廊下の向こうから、ときおり国民衛兵の靴音が聞こえてくる。

窓の外には、まだ何人もの市民が残っていた。

彼らは宮殿を見上げ、国王一家が密かに脱出しないか監視していた。

ルイは執務室の机に座り、一本の蝋燭に照らされた地図を見つめていた。

パリから東へ伸びる街道。

シャロン。

サント=ムヌー。

ヴァレンヌ。

そして国境に近いモンメディ。

その周辺には、ブイエ将軍が指揮する部隊が駐屯している。

そこまで辿り着けば、少なくともパリの群衆からは逃れられる。

国王の命令に従う兵士たちに守られ、国民議会に対して新たな交渉を求めることもできるかもしれない。

地図の脇には、宿駅の位置や馬の交換場所まで記された書類が置かれていた。

それを用意したのは、ルイではなかった。

「陛下。」

低い声とともに扉が開いた。

部屋へ入ってきたのは、黒い外套をまとったアクセル・フォン・フェルセンだった。

その後ろには、マリー・アントワネットが立っている。

ルイは二人の顔を見た。

「これは、君が用意したものか。」

フェルセンは否定しなかった。

「はい、陛下。」

「本来なら、もう少し時間をかけて準備すべきことでした。」

「ですが、今日の出来事で状況が変わりました。」

「国民衛兵すら、ラファイエット将軍の命令に従いませんでした。」

「国王陛下が宮殿から出ることを、群衆が実力で阻止したのです。」

ルイの手が、わずかに震えた。

昼間の光景が蘇る。

馬車を取り囲む群衆。

扉を叩く手。

王妃へ浴びせられる罵声。

命令を聞かず、道を開けようとしなかった国民衛兵。

そして、馬車の中で自分の呼吸が次第に浅くなっていった感覚。

ルイは震えを隠すように両手を組んだ。

フェルセンが続ける。

「陛下は、もはや自由ではありません。」

「今日、群衆はサン=クルーへ行くことを禁じました。」

「明日は、誰に会うかを決めるでしょう。」

「その次は、何を言うかを決めます。」

「最後には、どの法案を承認するかまで群衆に決められることになります。」

ルイは答えなかった。

フェルセンの言葉は、否定できないほど正しかった。

「モンメディへ向かうべきです。」

フェルセンは地図の東端を指した。

「国外へ亡命するのではありません。」

「フランス国内にとどまり、ブイエ将軍の保護を受けるのです。」

「そこで陛下は、自由な意思で国民議会と交渉できます。」

「軍隊を率いてパリへ攻め上る必要はありません。」

「ただ、国王が群衆の監視下に置かれていないことを示せばよいのです。」

マリーも静かに口を開いた。

「私も、ここにとどまり続けることが正しいとは思えません。」

「今日、あの人々は私たちの馬車を止めました。」

「もし、あの場で誰かが扉を開けていたら。」

「もし、子どもたちに手を伸ばしていたら。」

そこで声が震えた。

マリーは唇を結び、ルイを見つめた。

「次も、何も起こらないとは限りません。」

「あなた一人の問題ではないのです。」

「マリー=テレーズも、ルイ=シャルルもいます。」

ルイは目を閉じた。

子どもたちを守らなければならない。

その思いは、胸を締めつけるほど強かった。

逃げるべきだ。

今すぐにでも。

そう考えた瞬間、別の光景が脳裏をよぎった。

暗い塔。

閉ざされた扉。

泣き声。

家族と引き離される自分。

そして、革命広場に築かれた処刑台。

冷たい朝の空気。

鳴り響く太鼓。

群衆の向こうで光る、斜めの刃。

「……っ。」

ルイの呼吸が乱れた。

椅子の肘掛けを握る指に力が入る。

マリーはすぐに彼の隣へ歩み寄った。

「大丈夫です。」

ルイの手を両手で包み込む。

「ここには私がいます。」

「急いで答えを出す必要はありません。」

ルイは何度か浅い呼吸を繰り返した。

やがて、マリーの手の温かさを確かめるように、その指を握り返した。

「怖い。」

ようやく、それだけを口にした。

「ここに残ることも。」

「逃げることも。」

「どちらも怖い。」

フェルセンは何も言わなかった。

ルイはゆっくりと目を開き、地図へ視線を戻した。

逃亡に成功すれば、家族を守れるかもしれない。

だが、夜陰に紛れてパリを離れれば、国民はどう受け取るだろう。

国王が国外の軍隊と結び、革命を武力で押し潰そうとした。

貴族と聖職者の特権を復活させようとした。

改革を約束した言葉は、すべて嘘だった。

そう考える者が必ず現れる。

一度失われた信頼を取り戻すことは、どれほど制度を整えることより難しい。

これまでルイは、国民議会とともに改革を進めてきた。

税制を見直した。

徴税制度を調べた。

国民を知るための記録を整えようとした。

教会財産を国家の管理下へ移す際にも、教会が担ってきた救済を失わせない方法を探した。

不完全であっても、一つずつ議論し、反対意見を聞き、妥協点を見つけようとしてきた。

それなのに国王が秘密裏に姿を消せば、そのすべてが疑われる。

ルイは地図から手を離した。

「フェルセン。」

「はい。」

「この計画は使わない。」

マリーが息を呑んだ。

フェルセンも表情を硬くする。

「陛下。」

「今日の出来事をご覧になったはずです。」

「見た。」

「だからこそ、逃げることはできない。」

ルイは震える息を吐いた。

「今日、私は群衆によって自由を奪われた。」

「だが、だからといって夜の闇に隠れて逃げれば、私は自分から国民の信頼を捨てることになる。」

「私が求めているのは、絶対王政を取り戻すことではない。」

「国民を従わせるための軍隊でもない。」

「ただ、恐怖や暴力に脅されることなく、自分の意思で国政を担う自由だ。」

フェルセンは地図を見下ろした。

「その自由を、パリの群衆が認めるとお考えですか。」

「分からない。」

ルイは正直に答えた。

「認められないかもしれない。」

「また宮殿を囲まれるかもしれない。」

「それでも、私は議会に問わなければならない。」

「群衆にではない。」

「法律に問う。」

ルイは地図を折り畳み、フェルセンへ差し出した。

「私は逃げない。」

「少なくとも、憲法が作られるこの時に、国民へ何も告げずパリを去ることはしない。」

フェルセンは、すぐには地図を受け取らなかった。

「陛下のご決意は立派です。」

「ですが、立派な決意が人の命を守るとは限りません。」

「分かっている。」

「私は立派だから残るのではない。」

ルイは苦しそうに微笑んだ。

「逃げた後に起きることが、あまりにも怖いのだ。」

その言葉を聞き、フェルセンはようやく地図を受け取った。

深く一礼する。

「承知いたしました。」

「ですが、状況が変わった時には、どうかご再考ください。」

「その時は、もう一度話そう。」

フェルセンが部屋を去った後、マリーはルイの隣に立ち続けていた。

「本当に、これでよいのですか。」

「分からない。」

ルイは再び同じ言葉を口にした。

「正しいかどうかは分からない。」

「だが、逃げないと決めたのなら、次にするべきことは決まっている。」

「議会へ行くのですね。」

「ああ。」

ルイは窓の外を見た。

「私は国王としてではなく、一人のフランス人として、自分にも自由があるのかを問う。」

⸻

翌朝。

パリ市内では、早くもサン=クルー事件を報じる新聞が売られていた。

「国王、反革命のミサへ向かおうとする。」

「市民と国民衛兵が逃亡を阻止。」

「外国人の王妃、再び陰謀を企てる。」

刺激的な見出しが並んでいた。

実際には、ルイはサン=クルーで復活祭を過ごそうとしただけだった。

国外へ逃げる準備などしていなかった。

それでも、人々の不安にとって事実は二の次だった。

教皇は聖職者民事基本法を厳しく非難している。

宣誓拒否神官は各地で国家への反対を訴えている。

亡命貴族は国境の外から改革を批判している。

その中で国王が宣誓拒否神官によるミサを望めば、反革命の意思表示だと疑われる。

テュイルリー宮殿の執務室には、朝からラファイエットが訪れていた。

軍服姿のラファイエットは、疲れ切った表情をしていた。

「陛下。」

彼は腰に差していた剣を外し、机の上へ置いた。

「昨日、私は国民衛兵を指揮することができませんでした。」

「兵士たちは命令に従わず、国王陛下の馬車を通すことを拒みました。」

「指揮官として責任を取らなければなりません。」

「辞任するつもりか。」

「はい。」

ラファイエットは顔を上げた。

「命令が実行されないのであれば、私が指揮官の地位にとどまる意味はありません。」

ルイは机の上の剣を見つめた。

「昨日、君は群衆を排除するため、戒厳令を宣言することもできると言った。」

「はい。」

「私が許可していれば、発砲したか。」

ラファイエットは答えるまでに時間を要した。

「まずは威嚇にとどめたでしょう。」

「ですが、それでも群衆が退かなければ。」

その先は言わなかった。

言う必要もなかった。

ルイは自分の首に触れた。

刃の落ちる音が、耳の奥で響いた気がした。

「私は昨日、発砲を拒んだ。」

「そのご判断は正しかったと思います。」

「だが、その結果、国王の移動は群衆の意思によって止められた。」

「はい。」

「もし発砲すれば、国王が民を殺したと言われる。」

「発砲しなければ、群衆が国王の行動を決める。」

ルイは小さく息を吐いた。

「どちらを選んでも、法律ではなく力が勝つ。」

ラファイエットは黙っていた。

「君の辞任は、今すぐには受け取らない。」

「陛下。」

「昨日の問題は、君一人の失敗ではない。」

「国民衛兵が誰に従うのか。」

「国王に従うのか。」

「議会に従うのか。」

「パリ市に従うのか。」

「それとも、その場に集まった群衆に従うのか。」

「誰も明確な答えを持っていない。」

ルイは立ち上がった。

「議会へ行こう。」

「陛下ご自身が、ですか。」

「ああ。」

「昨日の出来事を、一人の指揮官の辞任だけで終わらせてはならない。」

⸻

国民議会。

サン=クルー事件の報告を受けた議場は、開会前から騒然としていた。

「国民衛兵は国王の逃亡を防いだのだ。」

「逃亡の証拠などない。」

「国王が宣誓拒否神官のミサへ行こうとしたこと自体が問題だ。」

「信仰の自由は国王には認められないのか。」

「国王は一私人ではない。」

「だからといって囚人でもない。」

議長が何度木槌を打っても、ざわめきは収まらなかった。

やがて扉が開き、ラファイエットを伴ったルイが議場へ入ってきた。

議員たちは驚いて立ち上がった。

ルイは玉座へ向かわなかった。

議員たちと同じ床の上に立ち、議長へ一礼した。

「発言を許していただきたい。」

議長が頷く。

「国王陛下の発言を認めます。」

ルイは議場を見渡した。

数百の視線が自分へ向けられている。

敵意。

疑念。

期待。

同情。

そのすべてが重なり、息が詰まりそうになる。

机の下に隠すこともできない足が震え始めた。

それでもルイは、その場から動かなかった。

「諸君。」

「昨日、私は家族とともにサン=クルーへ向かおうとした。」

「しかし、宮殿の門を出ることはできなかった。」

「群衆が馬車を取り囲み、国民衛兵の一部も道を開けることを拒んだからだ。」

議場の一角から声が上がった。

「国民は、陛下が逃亡すると恐れたのです。」

ルイは声の方を見た。

「その不安があることは理解している。」

「亡命した貴族が国外からフランスを脅かしている。」

「教会の改革を巡り、国民は二つに分かれている。」

「王妃がオーストリア出身であることを、不安に思う者もいる。」

マリーへの疑いを口にすることは苦しかった。

しかし、それを無視しては議論にならない。

「だから、私はこの場で明言する。」

議場が静まった。

「私は逃げない。」

短い言葉だった。

だが、その一言は議場の隅々まで届いた。

「私は国外へ亡命しない。」

「外国の軍隊を呼び込み、フランス国民へ武器を向けるつもりもない。」

「国民議会が憲法を完成させるまで、私は国民とともにこの国に残る。」

議員たちの間にざわめきが広がった。

ルイは声を強める。

「だが、それと昨日の出来事が正しかったかどうかは別の問題だ。」

「私は国王である。」

「公人であり、国家に対して責任を負っている。」

「したがって、私の行動に一定の制約が必要だという意見は理解できる。」

「だが、その制約は法律によって定められるべきだ。」

「宮殿前に集まった群衆の怒声によって決められるべきではない。」

一人の急進派議員が立ち上がった。

「陛下。」

「国王の移動を認めれば、反革命派が陛下の周囲へ集まる危険があります。」

「地方の軍隊が国王を擁し、議会へ圧力をかけるかもしれません。」

「その危険を、どのように防ぐのですか。」

「法を作ればよい。」

ルイは答えた。

「私がパリの外へ出る際には、目的地と日程を事前に議会へ知らせる。」

「必要であれば、議会が選んだ代表者を同行させてもよい。」

「護衛も、王室だけで決めるのではなく、国民衛兵と協議して選ぶ。」

「秘密の出発ではない。」

「国民に対して開かれた移動にする。」

別の議員が立ち上がった。

「それでも、宣誓を拒んだ神官のもとへ向かわれるおつもりですか。」

ルイは一度、目を閉じた。

「それについても、私は問いたい。」

「人権宣言は、信仰の自由を認めている。」

「では、その自由は国王にも認められるのか。」

「それとも国王だけは、国家が選んだ神官からしか聖体を受けてはならないのか。」

聖職者席から声が上がる。

「宣誓拒否神官は、国家に逆らった者です。」

「国家の俸給を受ける公職者として扱わないことには異論はない。」

ルイは答えた。

「だが、公職を失うことと、祈りを捧げることまで禁じられることは同じではない。」

「反乱を呼びかけたなら、その行為を裁けばよい。」

「暴力を扇動したなら、法に従って罰すればよい。」

「しかし、誰と祈ったかだけで罪人とするなら、我々は信仰を国家への服従を測る道具に変えてしまう。」

議場のあちこちで議論が起こった。

「宣誓拒否神官を自由にすれば、地方の分裂が深まる。」

「すでに分裂している。」

「教皇の命令に従う者を放置できない。」

「心の中まで国家が支配するのか。」

議長が木槌を打った。

「静粛に。」

ルイは議員たちの声が収まるのを待った。

「私は今日、この場で結論を命じるために来たのではない。」

「三つのことを、議会で検討してほしい。」

ルイは指を一本立てた。

「第一に、国王と王族の移動をどこまで制限できるのか。」

二本目の指を立てる。

「第二に、国王を含むすべてのフランス人に、どこまで信仰の自由を認めるのか。」

そして三本目。

「第三に、群衆が威圧によって公職者の行動を妨げた時、国家はどう対応するのか。」

ルイは一度、言葉を切った。

「私は特権を求めているのではない。」

「国王だから自由にさせろと言うつもりもない。」

「一人のフランス人に認められる自由を、私にも認めてほしい。」

「もし国王であるがゆえに制限が必要なら、その制限を法に記してほしい。」

「私は法に従う。」

「だが、名もなき恐怖と、その場の怒りに従うことはできない。」

議場は静まり返った。

ルイの足はまだ震えていた。

声も、完全には震えを隠せていなかった。

それでも、最後まで言葉を続けた。

「昨日、私は民衆に発砲することを拒んだ。」

「今日、私は逃亡することを拒んだ。」

「次に選ぶべきものは、暴力でも逃亡でもない。」

「議論と、法律である。」

誰もすぐには声を上げなかった。

やがて一人の穏健派議員が立ち上がる。

「国王の自由と安全に関する特別委員会の設置を提案します。」

別の議員も続いた。

「信仰の自由と、公職としての聖職者の義務を分けて検討すべきです。」

急進派からは反対の声が上がった。

「国王の言葉だけを信じることはできない。」

するとルイは、その議員へ向き直った。

「信じなくてもよい。」

議員が言葉を止める。

「だからこそ、約束を言葉だけで終わらせず、法律にするのだ。」

しばしの沈黙の後、議長が木槌を打った。

「国王及び王族の移動、警護、信仰の自由について、特別委員会を設置する動議を採決に付します。」

採決の結果、動議は賛成多数で可決された。

それは国王に無制限の自由を与える決定ではなかった。

サン=クルーへ行くことが認められたわけでもない。

宣誓拒否神官の立場が保障されたわけでもなかった。

ただ、昨日まで群衆の力によって決められていた問題を、法律の言葉で議論するための場所が作られた。

ルイが議場を出ようとした時、ラファイエットが後ろから呼び止めた。

「陛下。」

ルイが振り返る。

「先ほどのお言葉は、本当に守られるのですね。」

「逃げないという言葉か。」

「はい。」

ルイはすぐに答えられなかった。

怖くないから残るのではない。

未来に希望を持てたからでもない。

パリに残れば、自分を待っているのは再び処刑台かもしれない。

それでも、秘密の馬車へ乗ることだけは選ばなかった。

「ああ。」

ルイは頷いた。

「私は逃げない。」

「だから君にも頼みたい。」

「国王を守るために国民へ銃を向けるのではなく。」

「国民を守るために国王を閉じ込めるのでもなく。」

「法が決めた境界を守ってほしい。」

ラファイエットは机に置いてきた剣を思い出すように、自分の腰へ手を触れた。

「その境界を、議会が定めることができれば。」

「定めさせよう。」

ルイは答えた。

「逃げ道を探すより、ずっと難しいだろう。」

「だが、今度は難しい方を選ぶ。」

宮殿へ戻ったルイは、執務室の机を見た。

昨夜まで広げられていた東への地図は、もうなかった。

蝋燭の跡だけが机に残っている。

マリーが静かに尋ねた。

「道を閉ざしたことを、後悔していますか。」

ルイは窓の外を見た。

テュイルリー庭園の向こうには、春のパリが広がっている。

その街には、自分を憎む者もいる。

疑う者もいる。

それでも信じようとする者も、まだ残っているかもしれない。

「後悔する日は来るかもしれない。」

ルイは答えた。

「それでも、今日はこれでよかったと思いたい。」

マリーが、そっと彼の手を握った。

その手はまだ冷たく、わずかに震えていた。

ルイは震えを止めようとはしなかった。

恐怖が消えたわけではない。

勇敢になったわけでもない。

ただ、恐怖に押されて走り出すことを、今日は選ばなかった。

史実であれば、この日から国王一家は東への逃亡を本格的に考え始める。

だが、この世界のルイ十六世は、地図を閉じた。

彼が選んだのは、夜の街道ではない。

逃げることのできない議場で、自らの自由を求め続ける道だった。

その道が処刑台を避ける道なのか。

それとも別の形で、同じ場所へ続く道なのか。

今のルイには、まだ分からなかった。

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