ローマの断罪
第57話 「ローマの断罪」
1791年2月24日。
パリ、オラトワール教会。
薄暗い聖堂の中で、新たに選出された二人の司教が祭壇の前に跪いていた。
ルイ=アレクサンドル・エクスピイ。
クロード・マロル。
二人は、聖職者民事基本法に基づく選挙によって司教に選ばれた者たちだった。
だが、ローマ教皇からの任命確認は受けていない。
彼らを司教として聖別しようとしているのは、オータン司教タレーランだった。
教会の外では、反対派の聖職者たちが抗議していた。
「その聖別は無効だ!」
「教皇の承認を得ていない者を、司教と認めることはできない!」
「生きている正統な司教を追い出し、別の者を座らせるつもりか!」
一方、教会の中では改革を支持する議員や聖職者が見守っていた。
「国家が定めた法に基づく、正当な選出だ。」
「ローマの返事を永遠に待つことはできない。」
「フランスの教会は、フランス国民のために存在する。」
聖別を前に、一人の司祭がタレーランへ近づいた。
「本当に、お進めになるのですか。」
「今なら、まだ延期できます。」
タレーランは祭壇の前に跪く二人を見つめた。
「延期すれば、何が変わるのです。」
「教皇から承認が届く可能性があります。」
「その可能性を待っている間、選出された司教区を誰が治めるのですか。」
「教皇の承認を欠いた聖別は、教会の分裂を決定的にします。」
タレーランはわずかに目を伏せた。
「すでに分裂は始まっています。」
「今日の儀式は、それを目に見える形にするだけです。」
「それでも、陛下はローマとの交渉を続けておられます。」
「国王は、国を止めることができない。」
タレーランは静かに答えた。
「教皇の返事を待っている間にも、法律は施行され、人々は暮らしている。」
やがて鐘が鳴らされた。
儀式が始まる。
タレーランたちは、二人の頭上へ手を置いた。
祈りが捧げられ、新たな司教の誕生が宣言された。
改革派からは拍手が上がった。
だが教会の外では、抗議の声がさらに激しくなる。
同じ日に、同じ場所で。
ある者たちは二人の正当な司教が生まれたと考えた。
別の者たちは、二人の偽司教が教会へ侵入したと考えた。
もはや問題は、法文の解釈だけではなかった。
どちらの司教が本物なのか。
どちらの司祭が授ける秘跡を信じるべきなのか。
フランスには、互いを認めない二つの教会が生まれようとしていた。
⸻
1791年3月10日。
ローマ、教皇宮殿。
教皇ピウス六世は、フランスから届けられた書簡と聖職者民事基本法を前に、枢機卿会議を開いていた。
教会財産の国家管理。
修道会の解体。
教区の再編。
市民選挙による司教と司祭の選出。
教皇の承認を経ない司教の就任。
そして聖職者に対する、国家と憲法への宣誓。
一人の枢機卿が発言する。
「ルイ十六世は、国家が教義や秘跡へ介入しないことを法文に加えました。」
「宣誓も世俗の職務に限ると説明しております。」
「宣誓を拒んだ者を投獄しないとも定めました。」
「国王は、ローマとの断絶を避けようとしております。」
別の枢機卿が首を横に振る。
「言葉を付け加えたところで、制度の本質は変わりません。」
「司教を選ぶ者は誰ですか。」
「国民です。」
「司教区を作り替えた者は誰ですか。」
「国民議会です。」
「教皇の承認を不要と定めた者は誰ですか。」
「やはり国民議会です。」
「国家が教会組織を作り替えた後で、信仰には介入していないと言うことができるでしょうか。」
ピウス六世は、ルイから届いた手紙へ目を落とした。
ルイは改革の必要性を訴えていた。
高位聖職者と農村司祭の格差をなくすこと。
救貧、施療、教育を安定させること。
教会財産の会計を明らかにすること。
宣誓を信仰ではなく、公的な職務へ限定すること。
そこには、教会を破壊しようとする意図は見られなかった。
しかし教皇にとって、国王の意図は問題の中心ではなかった。
「我々が判断するのは、国王の心ではありません。」
ピウス六世は言った。
「制定された法です。」
「善意を持つ世俗君主であっても、教会の権限を自らの判断で分け与えることはできません。」
「国王が慎重に使うからという理由で、その権限を認めれば。」
「次の国王も。」
「次の議会も。」
「同じ権限を自らにあると主張するでしょう。」
教皇は立ち上がった。
「聖職者民事基本法を承認することはできません。」
「条件付きの承認も行いません。」
「その誤りを、明確に示します。」
⸻
こうして作成されたのが、教皇教書『クォド・アリクァントゥム』だった。
その内容は、ルイが期待していたような妥協案ではなかった。
教皇は、聖職者民事基本法を厳しく批判した。
この法は、汚れた思想から生まれたものである。
教会の神聖な権利を侵し、教皇の首位権を破壊する。
司教区を世俗の都合で廃止し、カトリック信徒ではない者まで参加する選挙で司教を決めることは認められない。
教皇の承認を受けずに就任した司教は、正当な牧者ではない。
修道会の解体と教会財産の接収も、教会の権利を侵す行為である。
さらに教皇は、フランスが掲げる自由と平等の理念にも強い警戒を示した。
宗教について、誰もが自由に考え、自由に語り、自由に印刷できるとする原則は、カトリック信仰と社会の秩序を危険にさらす。
国民議会は、行政改革の名を借りて、カトリック教会を国家の下へ置こうとしている。
教皇は、フランスの改革をイングランドの過去になぞらえた。
国王が教会の権限を奪い、ローマから切り離した時代。
ヘンリー二世と、聖トマス・ベケットの対立。
そしてヘンリー八世による、ローマ教会との断絶。
そこに記された警告は明白だった。
このまま進めば、フランスはローマから分離した国教会になる。
ルイが教会の首長を名乗っていなくても、結果は同じである。
教皇は、ルイが議会から強い圧力を受けていたことを認めていた。
それでも、国王が法を承認した責任まで消えるとはしなかった。
教皇は以前から、聖職者民事基本法を裁可しないよう求めていた。
にもかかわらず、ルイは国の混乱を恐れ、最終的に法を受け入れた。
教皇は、その判断を明確な過ちとした。
⸻
教書は特別の使者によってフランスへ送られた。
その一通は国王へ。
もう一通は、意見を求めてきたフランスの司教たちへ届けられた。
ルイは教書を最後まで読むと、しばらく言葉を発することができなかった。
ネッケルが、慎重に口を開く。
「教皇は、修正を求めているのですか。」
「違う。」
ルイは首を横に振った。
「修正すれば認めるとは書いていない。」
「我々には、教会制度を変える権限そのものがないと言っている。」
「救貧や司祭の待遇改善については。」
「それらが必要であっても、国家が教会の財産と制度を支配する理由にはならないという立場だ。」
ルイは教書を机へ置いた。
「私が入れた制限も、ほとんど意味を持たなかった。」
「宣誓を世俗の職務へ限ると書いても。」
「宣誓する対象の憲法に、教会制度が含まれている以上は認められない。」
「宣誓拒否を犯罪にしなくても、職を失わせること自体が良心への強制だと考えている。」
ネッケルは教書の一節へ目を落とす。
「自由と平等そのものにも、強く反対しています。」
「ああ。」
ルイの表情が曇る。
「これは、司教の任命方法だけの争いではない。」
「教皇は、我々が国民に認めようとしている自由そのものを危険視している。」
ルイは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
教会との妥協を探すことはできると思っていた。
教皇の権威を残しながら、国家の行政制度を整える。
信仰を守りながら、聖職者の特権と不公平を改める。
その中間に道があると考えていた。
だが、教皇の返答は、その道の存在を認めていなかった。
「陛下。」
ネッケルが尋ねる。
「議会へ、この教書を公表なさいますか。」
「公表する。」
ルイは答えた。
「都合の悪い返事だからといって隠すことはできない。」
「全文を示す。」
「教皇が何を認めず、何を恐れているのか。」
「国民にも判断してもらう。」
⸻
教皇教書が国民議会で読み上げられると、場内は激しい怒号に包まれた。
改革派の議員が机を叩く。
「教皇は、フランス国民には自らの教会制度を決める権利がないと言っている!」
「これは宗教上の助言ではない!」
「フランスの主権に対する公然たる介入だ!」
別の議員も続く。
「人間の自由と平等まで否定するというのか!」
「教皇は旧体制と特権を守りたいだけだ!」
反対派聖職者は立ち上がり、教書を掲げた。
「教皇聖下は、教会が国家の役所ではないと示されたのです!」
「議会は司教を作れない!」
「国王も、神から教会へ与えられた権限を奪うことはできない!」
改革派から野次が飛ぶ。
「では、フランスの法律よりローマの命令を優先するのか!」
「教皇はフランス国民ではない!」
「教皇はカトリック教会の長だ!」
「それならローマへ行け!」
「信仰を捨てた者が教会を名乗るな!」
議場は二つに割れた。
ルイは壇上へ立ったが、怒号は収まらない。
「静粛に!」
議長が何度も木槌を打つ。
やがてルイは、強い声で言った。
「教皇の言葉に従う者を、外国の手先と呼んではならない!」
「国の法律に従う者を、神の敵と呼ぶことも許さない!」
議場が徐々に静まっていく。
「教皇には、カトリック教会の教義と教会法を判断する権威がある。」
「しかし、フランス国民の市民としての権利を決めるのは、ローマではない。」
「同時に、国民議会が人の信仰を作ることもできない。」
急進派の議員が尋ねる。
「では陛下は、聖職者民事基本法を撤回なさるのですか。」
ルイは答えられなかった。
撤回すれば、国家による救貧制度も、農村司祭の待遇改善も、教会会計の公開も揺らぐ。
撤回しなければ、教皇から分裂を進める国王と見なされる。
「教書を精査する。」
ルイはようやく答えた。
「だが、教皇が否定したという理由だけで、法のすべてを即座に捨てることはしない。」
「フランスの秩序と、信仰の平和。」
「その両方を守る方法を探す。」
反対派聖職者が叫ぶ。
「教皇聖下の判断は、すでに示されました!」
「これ以上、何を探すというのですか!」
その言葉に、ルイは返せなかった。
⸻
事態をさらに悪化させたのは、ローマへ届いた新たな報告だった。
パリで、教皇の承認を受けないまま新たな司教が聖別された。
しかも、その司教座には、教会法上の正統な司教がまだ存在している。
ピウス六世は、この行為を単なる制度上の誤りとは考えなかった。
それは教会の分裂が、実際の司教と祭壇を伴って始まった証拠だった。
1791年4月13日。
教皇は、さらに厳しい教書『カリタス』を発した。
今度の教書は、国王との交渉を目的としたものではない。
フランスの枢機卿、司教、司祭、そしてすべての信徒へ向けられた公の命令だった。
教皇は、聖職者民事基本法を分裂を生む法として断罪した。
国民によって選ばれ、教皇の承認を受けずに聖別された司教を、教会へ侵入した偽の牧者とした。
その司教たちには、教会を統治する権限がない。
彼らが行う任命や命令も、教会法上の効力を持たない。
さらに教皇は、国家と憲法への宣誓を行ったすべての聖職者へ命じた。
四十日以内に宣誓を撤回せよ。
撤回しなければ、聖職者としての職務を停止する。
なおも職務を続ければ、さらに重い教会法上の処分を科す。
新たな司教を聖別した者。
聖別を受けた者。
その者たちから聖職を与えられた者。
いずれも正当な教会権限を持たない。
そして信徒たちには、国家によって立てられた司教や司祭を避けるよう求めた。
彼らを正当な牧者として認めてはならない。
彼らから秘跡を受けてはならない。
正統な司教と、宣誓を拒んだ司祭に従うべきである。
もはや、解釈の余地はほとんど残されていなかった。
⸻
『カリタス』がフランスへ届くと、宣誓した聖職者たちは動揺した。
グレゴワール司祭は、議場で教書を読んだ。
「私は、信仰を捨てたつもりはありません。」
彼は静かに言った。
「国民と法律に忠実であることが、神への裏切りになるとも考えておりません。」
「よって、宣誓を撤回しません。」
改革派から拍手が上がる。
だが、同じ決断を迷わず下せる者ばかりではなかった。
地方のある司祭は、教皇教書と宣誓証書を机へ並べていた。
宣誓を撤回すれば、国家から与えられた教区を失う。
村の学校と救貧院も、新たな管理者へ渡されるかもしれない。
しかし撤回しなければ、教皇から聖職を停止される。
これまで自分が行ってきたミサも、洗礼も、婚姻の祝福も、信徒から疑われることになる。
教会の外には、村人たちが集まっていた。
「司祭様は、宣誓を撤回なさるのですか。」
「教皇聖下に背くおつもりですか。」
一方で、別の者が訴える。
「司祭様がいなくなれば、誰が救貧院を守るのですか。」
「誰が子どもたちを教えるのですか。」
司祭は答えられなかった。
神への服従。
教皇への服従。
国王への忠誠。
国民への責任。
村人たちへの責任。
それらが、もはや一つの道には並んでいなかった。
⸻
ルイは二通目の教書を読み終えると、震える手で机へ置いた。
「私は、宣誓を拒む者を投獄しないと決めた。」
「だがローマは、宣誓した者へ聖職の停止を命じた。」
「国家は俸給と教区を示し。」
「教皇は救いと教会への所属を示す。」
「その間に立たされた司祭に、自由な選択があると言えるのか。」
側近は答えられなかった。
「陛下。」
司法を担当する大臣が尋ねる。
「教皇教書の国内での公表を禁止しますか。」
「禁止しない。」
ルイは答えた。
「教皇の言葉を隠せば、信徒の信仰を国家が管理することになる。」
「では、教書に従って宣誓を撤回した司祭は。」
「宣誓を撤回したという理由だけで、逮捕してはならない。」
「宣誓を続ける司祭も、国家が保護する。」
「その者を襲い、礼拝を妨害することは許さない。」
「双方を保護するのですか。」
「ああ。」
ルイは教書を見つめた。
「ローマがどちらか一方だけを正しいと定めても。」
「フランス国王である私は、双方の命と自由を守らなければならない。」
それが亀裂を埋める答えになるかは分からない。
同じ教会に、二人の司祭を置くことになるかもしれない。
同じ村の中で、異なるミサが行われるかもしれない。
それでも、信仰の違いを理由に人を牢へ入れるよりはよい。
少なくともルイは、そう信じるしかなかった。
⸻
教皇が与えた四十日の期限は、その日から数え始められた。
宣誓した司祭たちは、四十日の間に選ばなければならない。
国家が認めた教区に残るのか。
教皇の命令に従い、宣誓を撤回するのか。
ある村では、同じ日に二つのミサが行われた。
一つは教区教会で、国家が認めた司祭によって。
もう一つは納屋の奥で、宣誓を拒んだ司祭によって。
教区教会の鐘が鳴る。
少し離れた納屋からも、祈りの声が聞こえる。
昨日まで同じ祭壇の前へ並んでいた村人たちは、二つの道へ分かれて歩いた。
教皇は、教会を守るために明確な線を引いた。
しかしその線は、法律と教義の間だけに引かれたのではない。
フランスの町を。
村を。
家族を。
そして一人ひとりの良心を、二つに切り分けていた。




