第二十一話 追放された高等法院
1787年8月15日。
ヴェルサイユ宮殿。
王国中に、衝撃が走った。
パリ高等法院のトロワ追放。
国王の命令に従わず、改革法案の登録を拒み続けたパリ高等法院に対し、ルイ十六世はついに強硬な措置を取った。
判事たちに対して、首都パリを離れ、シャンパーニュ地方の都市トロワへ移るよう命じたのである。
それは、王権に古くから認められてきた措置だった。
王の命令に抵抗する高等法院を地方へ追放し、政治の中心から遠ざける。
過去の国王たちも、同じ手段を用いてきた。
ルイ十五世の時代にも、高等法院と王権の対立は繰り返されている。
したがって、法的に見れば異例のことではない。
絶対王政の国王として、ルイ十六世にはそれを命じる権利があった。
だが、その政治的な影響は、ルイの想像をはるかに超えていた。
国王執務室。
ルイは机に向かい、地方から送られてきた財政報告を読んでいた。
数字を追っているはずなのに、内容が頭へ入ってこない。
目で文字を追うたび、別の光景が脳裏をよぎる。
群衆。
怒号。
処刑台。
白く輝く刃。
その記憶を振り払うように、ルイは帳簿の端を強く握った。
指先が、わずかに震えている。
そのとき、扉が静かに開いた。
「陛下。」
ブリエンヌが入ってきた。
いつものように整えられた聖職者の衣服。
落ち着いた足取り。
しかし、その表情には隠し切れない疲労が浮かんでいた。
手には、何通もの報告書が抱えられている。
「パリから報告が届きました。」
ルイは顔を上げた。
「高等法院はトロワへ向かったのか?」
「はい。判事たちは命令に従い、すでにパリを離れ始めています。」
「抵抗は?」
「彼ら自身による武力抵抗はありません。」
その言葉に、ルイの肩からわずかに力が抜けた。
少なくとも、兵士と判事が正面から衝突する事態にはならなかった。
だが、ブリエンヌは報告書を置こうとしなかった。
何かを言いにくそうに、指先で紙の縁を押さえている。
ルイは、その仕草を見逃さなかった。
「まだ何かあるのか?」
「……パリ市内で抗議が始まっています。」
抜けかけていた力が、再び肩へ戻った。
ルイの背筋が固くなる。
「暴動か?」
その声は、自分でも分かるほど強張っていた。
「いえ。今のところ、暴動と呼べるほどではありません。」
ブリエンヌは慎重に答えた。
「最初は嘆願です。弁護士や法曹関係者が集まり、高等法院の帰還を求めています。商人や一部の市民も、それに同調し始めました。」
「最初は、ということは?」
ブリエンヌは言葉を濁した。
「このまま静かに収まる保証はありません。」
ルイは唇を結んだ。
喉の奥が、急に乾いていく。
机の上に置かれていた水へ手を伸ばしたが、杯に触れる直前でやめた。
手が震えていることを、ブリエンヌに見られたくなかった。
「軍は?」
「まだ動かしておりません。」
「動かすな。」
ルイは即座に命じた。
「兵を街路へ出せば、それだけで人々を刺激する。」
「承知しております。」
「監視だけに留めろ。挑発を受けても、安易に武器を抜かせるな。」
「はい、陛下。」
ブリエンヌは静かに頭を下げた。
だが、その返事を聞いても、ルイの胸騒ぎは収まらなかった。
数日後。
パリ。
高等法院の判事たちが姿を消した法曹街には、奇妙な静けさが広がっていた。
建物そのものは残っている。
重厚な扉も、石造りの柱も、王国の司法を象徴する装飾も、昨日までと変わらない。
しかし、その内部で審理を行う者たちはいなかった。
判事たちは、国王の命令によってトロワへ追放された。
その事実が、パリ市民の間でさまざまな噂を生んでいた。
「聞いたか?」
カフェの片隅で、一人の男が新聞を広げた。
周囲にいた客たちが、すぐに身を乗り出す。
「高等法院が追放された。」
「知っている。国王が無理やり法案を登録させた後、今度は判事たちを追い払ったそうだ。」
「王は法まで力でねじ伏せるつもりなのか?」
「次に追放されるのは誰だ?」
「国王に反対した者は、全員パリから追い出されるのではないか?」
話は、口から口へと広がっていく。
事実と推測。
推測と誇張。
誇張と恐怖。
その境界は、熱気に満ちたカフェの中で急速に曖昧になっていた。
別の男が声を上げる。
「高等法院は国民を守ろうとしたのだ。」
「新しい税を止めたのも高等法院だ。」
「王の勝手な課税に反対したから追放されたんだ。」
すると、隣の席にいた商人が眉をひそめた。
「だが、あの者たちは貴族への課税にも反対していたではないか。」
「それでも国王に逆らった。」
「だから正しいというのか?」
「少なくとも、国王に何でも好き勝手させるよりはましだ。」
誰かが頷き、誰かが反論する。
高等法院が本当に民衆のために戦っているのか。
それを正確に理解している者は、ほとんどいなかった。
だが、重要なのは事実だけではなかった。
人々がどう受け止めたか。
それこそが、政治の現実を作り始めていた。
印刷所では、高等法院を擁護するパンフレットが次々と刷られた。
国王と大臣を批判する風刺文。
追放された判事たちを勇敢な自由の守護者として称える文章。
王権の横暴を訴える匿名の論説。
それらは書店だけでなく、カフェや酒場、街角でも配られた。
読める者が声に出して読み、読めない者がその言葉を聞いた。
一枚の紙から、十人へ。
十人から、百人へ。
言葉は火の粉のように、パリの街を飛び回っていった。
ヴェルサイユ宮殿。
ルイは、パリから届いたパンフレットを手にしていた。
そこに描かれていたのは、巨大な王冠で市民を押し潰そうとする国王の姿だった。
その前に法服姿の判事たちが立ち、市民を守っている。
王の顔は醜く歪められ、手には鎖と鞭が握られていた。
ルイは長い間、その絵を見つめていた。
笑うことも、怒ることもできなかった。
ただ、胸の内側が冷えていく。
「私が、暴君か。」
小さく呟く。
前世の最後にも、同じような言葉を浴びせられた。
暴君。
国民の敵。
裏切り者。
祖国に対して陰謀を企てた男。
そして最後には、国王という名さえ奪われた。
市民ルイ・カペー。
その呼び名が耳の奥で蘇り、ルイは思わず首筋へ手を当てた。
そこには何の傷もない。
それでも、刃が触れたような冷たさを感じた。
「陛下。」
向かいに立つブリエンヌが、心配そうに声をかけた。
ルイは慌てて手を下ろした。
「高等法院が……民衆の味方だと言われている。」
声に、困惑が滲んだ。
「私の知る限り、高等法院は民衆によって選ばれた議会ではない。」
「その通りです。」
「判事の職は売買され、法服貴族たちが地位を世襲している。彼らは特権階級だ。」
「はい。」
「しかも、彼らは貴族や聖職者を含めて土地へ課税する改革に反対した。」
ルイはパンフレットを机へ置いた。
「平等な課税を拒んだ者たちが、なぜ自由の守護者になる?」
その問いに、ブリエンヌはすぐには答えなかった。
机の上の風刺画を一度見下ろし、それから静かに口を開く。
「陛下。人々は、高等法院の政策そのものを支持しているわけではありません。」
「では、何を支持している?」
「国王に抵抗しているという、その一点です。」
ルイは黙った。
ブリエンヌは続ける。
「人々の多くは、税制度の細部を知りません。土地税が誰に、どのような割合で課されるのか。印紙税が何を対象とするのか。改革によって国庫がどれほど救われるのか。そこまで理解している者は少ないでしょう。」
「だが、高等法院が国王に反対していることだけは分かる。」
「はい。」
「つまり、高等法院が正しいから支持されているのではない。」
ルイは、確かめるように一語ずつ口にした。
「国王に『ノー』と言える存在だから、支持されている。」
「その通りです。」
ブリエンヌは静かに頷いた。
「王権に不満を抱く者たちにとって、高等法院は唯一目に見える抵抗者です。目的が異なっていても、同じ敵に立ち向かっているように見える。」
「敵の敵は味方、か。」
「政治とは、時にそのようなものです。」
その答えに、ルイは背もたれへ身を預けた。
現代でも、同じ構図を何度も見たことがある。
思想も目的も異なる者たちが、共通の敵を前に手を結ぶ。
敵を倒した後のことなど考えず、目の前の怒りだけで集まる。
理念ではない。
利害ですらない。
感情によって、人は同じ旗の下へ集まる。
そして今、その旗に書かれているのは、高等法院の名だった。
「では、彼らに改革の目的を説明すればよいのではないか?」
ルイは身を乗り出した。
「国庫が空になりかけていることも、特権身分を含めた課税が必要なことも、すべて公表する。そうすれば、誰が改革を妨害しているのか分かるはずだ。」
ブリエンヌの表情が曇った。
「危険です。」
「なぜだ?」
「国家財政が破綻寸前であると公式に認めれば、債権者たちはどう考えるでしょう。」
ルイの口が止まった。
「国王には返済能力がない。」
ブリエンヌが、ルイの考えを代わりに言葉にした。
「そう判断すれば、貸し手は資金を引き揚げます。国債はさらに値下がりし、新しい借入も困難になるでしょう。」
「説明しなければ、民衆は我々を暴君と思う。」
「説明すれば、債権者は我々を破産者と思います。」
その言葉は、刃のように鋭かった。
ルイは何も答えられなかった。
右へ進めば壁。
左へ進めば崖。
留まれば、足元から地面が崩れていく。
未来を知っているはずなのに、正しい道が見えない。
むしろ結末を知っているからこそ、すべての道が処刑台へ続いているように思えた。
それからも、新しい報告が次々とヴェルサイユへ届いた。
「地方の高等法院が、パリ高等法院を支持する声明を出しました。」
「法服貴族たちが抗議集会を開いております。」
「パリの弁護士が、司法活動の停止を検討しています。」
「国王の措置を批判するパンフレットが各地で配布されています。」
「ブルターニュ、ボルドー、グルノーブルでも、不穏な空気が広がりつつあります。」
報告が一通届くたび、机の上に新しい重みが加わった。
紙そのものは軽い。
しかし、そこに書かれた言葉は、石のようにルイの胸へ積み重なっていった。
抗議。
抵抗。
追放。
専制。
自由。
暴君。
その中に、財政改革という言葉はほとんどなかった。
誰も国庫の残高を見ようとしない。
誰も膨れ上がった債務の返済期限を見ようとしない。
誰も、数か月後に政府が支払い不能へ陥る危険を語ろうとしない。
人々が見ているのは、国王と高等法院の争いだけだった。
「私は……。」
ルイは報告書を握りしめた。
「国家を守ろうとしているだけなんだ。」
誰に向けた言葉でもなかった。
ブリエンヌも、返事をしなかった。
ルイは、自分が善人であると言いたかったわけではない。
改革に失敗がなかったとも思っていない。
国王である自分にも、多くの責任がある。
アメリカ独立戦争への介入を決めたのも自分だ。
借金によって戦費を賄うことを認めたのも自分だ。
改革の好機を逃し、優柔不断に大臣を交代させてきた責任もある。
それでも、今進めようとしている改革は、特権を守るためのものではない。
むしろ反対だった。
貴族にも、聖職者にも、土地を持つ者すべてに負担を求める。
王国の財政を支えてきた平民だけに、これ以上の重荷を背負わせない。
そのための改革だった。
だが、民衆の目には、国王が新しい税を押しつけようとしているようにしか見えていない。
「陛下。」
ブリエンヌが静かに言った。
「正しい目的が、正しい評価を受けるとは限りません。」
ルイは疲れた目で彼を見た。
「それでは、何のために正しくあろうとする?」
ブリエンヌは答えられなかった。
その夜。
ヴェルサイユ宮殿は静まり返っていた。
華やかな鏡の間にも、広大な庭園にも、夜の闇が降りている。
しかし、国王の執務室だけは明るかった。
机の上では、何本もの蝋燭が燃えていた。
短くなった蝋燭から、溶けた蝋が燭台へ垂れている。
ルイは一人で報告書を読み続けていた。
同じ行を何度も読み返している。
目は文字を追っているのに、意味が頭へ入ってこない。
部屋の外で床が軋むたび、肩が動いた。
風が窓を叩くたび、遠くの群衆が扉へ押し寄せてきたように感じた。
怒号はない。
足音もない。
それでも、ルイの耳には聞こえていた。
王を殺せ。
共和国万歳。
市民ルイ・カペー。
指先から力が抜け、羽根ペンが机の上へ落ちた。
乾いた音が響く。
ルイは反射的に立ち上がった。
椅子が後ろへ倒れそうになり、慌てて掴む。
「……何をしているんだ、私は。」
荒くなった呼吸を整えようとする。
だが、胸が締めつけられ、うまく息を吸えない。
扉が開いたのは、そのときだった。
ルイの身体が跳ねた。
「あなた?」
入ってきたのは、マリー・アントワネットだった。
寝間着の上に薄い上着を羽織り、心配そうにこちらを見つめている。
「どうした?」
ルイは、何事もなかったように椅子を戻した。
しかし、声は掠れていた。
「また眠れていないの?」
「少し仕事が残っているだけだ。」
王妃は机へ近づいた。
「少し?」
机の上には、うずたかく積まれた書類がある。
財政報告。
抗議文。
国債価格の記録。
高等法院に関する報告。
王を批判するパンフレット。
どの紙にも、赤字、借金、追放、反対、危機といった言葉が並んでいた。
「これを全部、今夜読むつもり?」
「読まなければならない。」
「明日では駄目なの?」
「明日では遅いかもしれない。」
その答えに、マリーは悲しそうに目を細めた。
「あなたは、いつもそう言うわ。」
「実際に時間がない。」
「そうではなくて。」
王妃はルイの向かいに座った。
「あなたはいつも、明日には何か恐ろしいことが起きると思っている。」
ルイは何も答えなかった。
思っているのではない。
知っているのだ。
いつか、恐ろしいことは本当に起きる。
民衆は武器を取り、宮殿へ押し寄せる。
王家は捕らえられ、国王は裁判にかけられる。
そして、広場に設けられた処刑台で首を落とされる。
だが、それをマリーに話すことはできない。
「あなたは、間違ったことをしていると思う?」
王妃は静かに尋ねた。
ルイは視線を落とした。
「……分からない。」
それは、国王として口にしてはならない言葉だった。
国王は迷ってはならない。
命令を下す者が、自分の命令を疑ってはならない。
それでも今のルイには、断言することができなかった。
「昔なら、王の命令は絶対だった。」
ルイは机の上の風刺画へ目を向けた。
「少なくとも、皆がそう信じていた。王が命じ、高等法院が登録し、臣民が従う。それで国は動くはずだった。」
「今は違うの?」
「命令を出すほど、反発が強くなる。」
ルイは両手を組んだ。
震えを隠すためだった。
「説得しようとすれば、弱腰だと思われる。強制すれば、暴君だと呼ばれる。改革を進めれば敵が増え、改革を止めれば国庫が破綻する。」
乾いた笑いが漏れた。
「どうすればよいのだろうな。」
マリーはしばらく黙っていた。
政治の細かな仕組みを、彼女がすべて理解しているわけではない。
しかし、目の前の夫が追い詰められていることは分かった。
「でも。」
王妃は、机の上で固く組まれたルイの手へ、自分の手を重ねた。
「あなたは、この国を救おうとしているのでしょう?」
ルイはその温もりに驚いたように顔を上げた。
「そのつもりだ。」
「なら、今できることを続けるしかないわ。」
「その結果、国民に憎まれてもか?」
マリーの指先が、わずかに強くルイの手を握った。
「少なくとも、私はあなたが何も考えずに命令を出しているのではないと知っている。」
その言葉に、ルイは目を伏せた。
「救おうとするほど、敵が増えていく。」
「国を救うことと、皆に好かれることは違うのでしょう。」
「だが、国王は国民の支持なしに国を治められない。」
「それなら、諦めずに伝え続けるしかないわ。」
マリーは微笑んだ。
力強い笑顔ではなかった。
彼女自身も、宮廷の視線や悪意ある噂に傷ついている。
それでも、夫を安心させようと笑っていた。
ルイは、重ねられた手を見つめた。
その手さえ、いつか失う。
前世の記憶が囁いた。
王妃は自分より先に裁かれる。
外国と通じた女。
オーストリア女。
国家の敵。
そう呼ばれ、群衆の憎悪を浴びる。
そして最後には、自分と同じ処刑台へ送られる。
ルイの指に、無意識のうちに力がこもった。
「痛いわ。」
「あ……すまない。」
慌てて力を緩める。
マリーは責めなかった。
ただ、不思議そうに夫を見つめた。
「何をそんなに怖がっているの?」
ルイは答えられなかった。
1787年9月。
対立は、意外な形で動き始めた。
追放されたパリ高等法院の判事たちは、トロワで審理を続けるよう命じられていた。
だが、首都から遠く離れた土地では、司法機関として十分に機能することができない。
弁護士や訴訟関係者の多くはパリに残り、裁判手続きは滞った。
高等法院を追放した王政府もまた、政治的な代償を払い続けていた。
抗議は収まらない。
地方の高等法院も反発する。
借入に必要な信用は日に日に損なわれていく。
王政府は、改革を進めるために高等法院を追放した。
だが、その追放によって、改革そのものを進めることがさらに難しくなっていた。
国王と高等法院。
どちらも相手を完全に屈服させることができない。
そして、どちらにも長期対立を続ける余裕はなかった。
妥協のための交渉が始まった。
数週間後。
ブリエンヌが国王執務室へ入ってきた。
その足取りは、いつもより少しだけ軽かった。
「陛下。」
「何か進展があったのか?」
「高等法院との交渉がまとまりました。」
ルイは椅子から身を起こした。
「彼らが折れたのか?」
ブリエンヌは一瞬、答えを選ぶように黙った。
「折れた、と表現してよいかは分かりません。」
「では?」
「妥協です。」
ブリエンヌは書類を机へ置いた。
「パリ高等法院がトロワから帰還することを認めます。その代わり、問題となっていた新税の一部については、王政府も譲歩します。」
「戻ってくるのか。」
「はい。」
史実においても、1787年9月、追放されていたパリ高等法院はパリへの帰還を許された。
土地税に関する強硬な計画は後退し、王政府と高等法院の間に一時的な妥協が成立したのである。
ルイは大きく息を吐いた。
何週間も胸の上に載っていた石が、ようやく少しだけ軽くなったように感じた。
「これで騒ぎも収まるな。」
「一時的には。」
「改革も進められるか?」
その問いに、ブリエンヌは答えなかった。
ルイの表情から、安堵が消えていく。
「なぜ黙る?」
「陛下。」
ブリエンヌは申し訳なさそうに口を開いた。
「彼らはパリへ戻ってきます。」
「それは聞いた。」
「そして戻ってきた後、再び王政府の政策を審議します。」
「当然だ。」
「必要と判断すれば、再び反対するでしょう。」
ルイは瞬きをした。
「待て。」
話を整理するように、片手を上げる。
「我々は改革を進めるために彼らを追放した。」
「はい。」
「だが、抗議が広がったため、彼らを戻す。」
「はい。」
「戻ってきた彼らは、また改革に反対する。」
「その可能性は極めて高いかと。」
ルイはしばらくブリエンヌを見つめていた。
やがて、喉の奥から奇妙な笑いが漏れた。
「……なんなんだ、それは。」
笑うしかなかった。
勝った者がいない。
問題も解決していない。
高等法院は追放され、英雄になって戻ってくる。
王政府は権威を示すために追放を命じたが、わずか数週間で帰還を認める。
その結果、王権は強さを示すどころか、圧力に屈したように見える。
「私にも分かりません。」
ブリエンヌも、疲れ切った顔で苦笑した。
「政治とは、こんなにも馬鹿げたものだったのか。」
「私も、この職に就く以前はもう少し理性的なものだと思っておりました。」
二人の笑いが、静かな執務室に響いた。
だが、その笑顔は長く続かなかった。
机の上には、別の報告書が置かれていた。
国債の市場価格。
新規借入の条件。
財務省の現金残高。
どの数字も悪化していた。
高等法院との和解が成立しても、市場の信頼は戻らなかった。
投資家たちは、王政府の動きを冷静に観察していた。
改革法案を提出した。
高等法院が拒否した。
国王が強制登録した。
判事たちを追放した。
抗議を受け、数週間で帰還を認めた。
そこから導かれる結論は、あまりにも明白だった。
王政府には、改革を最後まで実行する力がない。
財政を立て直すための新税は導入できない。
それでも、利払いと償還期限は迫ってくる。
ならば、フランス国債を買うことは危険だ。
国債の価格が下がり始めた。
新たに資金を貸す者は、以前より高い利子を要求した。
一部の銀行家は、追加の保証がなければ融資できないと通告してきた。
王国の信用が弱まるほど、借金の利子は高くなる。
利子が高くなるほど、財政は悪化する。
財政が悪化するほど、さらに信用を失う。
抜け出すことのできない悪循環だった。
財務省の金庫は、日ごとに軽くなっていった。
軍人の給与。
官吏への支払い。
年金。
宮廷費。
過去の国債に対する利子。
返済期限は、政治的な事情など考慮してくれない。
高等法院が賛成していようと、反対していようと、支払日は予定どおり訪れる。
「あと、どれほど持つ?」
ルイが尋ねた。
ブリエンヌは最新の資金繰り表へ目を落とした。
「新しい借入ができるなら、まだ時間はあります。」
「借りられなければ?」
「……数か月先の支払いさえ、確約できません。」
ルイの胃が縮んだ。
何度聞いても慣れることのできない答えだった。
国家破産。
その言葉は報告書には書かれていない。
だが、すべての数字が同じ結末を指し示していた。
ルイは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
庭園は美しく整えられている。
噴水。
彫像。
左右対称に伸びる並木。
何もかもが、王権の秩序と永続性を象徴していた。
だが、その美しい景色を維持している国家の土台は、今にも崩れようとしている。
「ブリエンヌ。」
「はい、陛下。」
「次はどうする?」
ブリエンヌは答えなかった。
彼もまた、選択肢がほとんど残されていないことを知っていた。
新しい税を導入しようとすれば、高等法院が反対する。
高等法院を押さえつければ、民衆と地方が反発する。
支出を削ろうにも、短期間で削減できる額には限界がある。
債務の支払いを止めれば、その瞬間に国家の信用は崩壊する。
残された手段は、一つしかなかった。
「……さらに新しい借入の承認を求めます。」
ルイは目を閉じた。
予想していた答えだった。
それでも実際に聞くと、身体の奥から力が抜けていく。
「また借金か。」
「それ以外に、当面の支払いを維持する方法がありません。」
「新しい借金で、古い借金を返す。」
「はい。」
「そのために、さらに高い利子を約束する。」
「おそらくは。」
ルイは窓枠へ手を置いた。
冷たい感触が、掌から伝わってくる。
「それは改革ではない。」
「承知しております。」
「解決ですらない。」
「承知しております。」
「ただ、破綻する日を先へ延ばすだけだ。」
ブリエンヌは、苦しそうに頭を下げた。
「その一日があれば、別の道を探せるかもしれません。」
ルイは振り返った。
「我々は、ずっと同じことを言っているな。」
アメリカ独立戦争のときも、借金によって時間を買った。
ネッケルの時代にも、公債によって時間を買った。
カロンヌも借金を重ね、その時間で改革を実現しようとした。
そして今、ブリエンヌも新しい借入によって時間を買おうとしている。
王国は十年以上、未来の収入を切り売りしながら生き延びてきた。
だが、未来は無限ではない。
借金で買った時間にも、必ず終わりが来る。
「分かった。」
ルイは静かに言った。
「借入案を準備しろ。」
「よろしいのですか?」
「よいはずがない。」
ルイは自嘲するように笑った。
「だが、兵士にも役人にも、明日から給与は払えないとは言えない。債権者にも、利子を諦めろとは言えない。」
「陛下……。」
「買えるだけの時間を買おう。」
その言葉を口にした瞬間、ルイの胸を暗い予感が貫いた。
時間を買う。
だが、その時間を使って何をするのか。
高等法院は改革に反対する。
特権階級は課税を拒む。
民衆は王権への不信を強めている。
市場は国家の返済能力を疑っている。
残された時間が長くなればなるほど、対立の炎も大きくなるのではないか。
ルイは、自分の首へそっと触れた。
脈が激しく打っていた。
生きている。
まだ、自分は生きている。
だが、破滅の足音は確実に近づいていた。
⸻
パリでは、高等法院の帰還を祝う声が上がった。
馬車が街路を進むと、人々は判事たちを自由の守護者として迎えた。
歓声が響き、窓から身を乗り出した市民が手を振った。
追放は、高等法院を弱体化させなかった。
むしろ、彼らへ新しい権威を与えてしまった。
国王に逆らい、追放され、それでも帰還した者たち。
その姿は、王権に不満を抱く者たちに希望を与えた。
国王の命令は、もはや絶対ではない。
抵抗すれば、撤回させることができる。
その認識が、貴族から法曹家へ、法曹家から市民へ、そして市民から民衆へ広がっていく。
高等法院は、自分たちが何を目覚めさせたのか理解していなかった。
彼らの多くが望んでいたのは、革命ではない。
共和政でもない。
身分制度の廃止でもなければ、貴族特権の撤廃でもない。
彼らが守ろうとしていたのは、伝統的な法と、自分たちの権限と、法服貴族としての地位だった。
だが、一度燃え始めた炎は、火をつけた者の命令には従わない。
国王に抵抗できることを民衆が知ったとき、その抵抗は高等法院だけのものではなくなる。
やがて人々は問い始める。
なぜ国王だけが決めるのか。
なぜ貴族は税を免れるのか。
なぜ聖職者は特権を持つのか。
なぜ国民の代表が、政治に参加できないのか。
この時点では、まだ誰もその先を見通していなかった。
高等法院の判事たちも。
ブリエンヌも。
マリー・アントワネットも。
そして、未来の結末を知るルイ十六世でさえ、自分がその炎をどう止めればよいのか分からなかった。
1787年の夏。
高等法院の追放と帰還は、王政府の弱さを王国中へ示した。
財政危機は政治危機へ姿を変え始めていた。
それでも、本当の災厄はまだ訪れていない。
翌1788年。
フランス王国は、人間が生み出した借金と対立だけではなく、自然そのものまで敵に回すことになる。
冬の寒さ。
夏の旱魃。
そして、空から降り注ぐ巨大な雹。
財政危機の火へ、飢餓という油が注がれようとしていた。




