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凡人がなるルイ16世  作者: 山口祐輝


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第二十話 親臨座

1787年8月6日。

ヴェルサイユ宮殿。

夜明け前から、宮殿の廊下には慌ただしい足音が響いていた。

侍従たちが燭台の火を確かめ、近衛兵が配置につき、役人たちは何度も書類の束を確認している。

普段の朝とは明らかに空気が違った。

これから開かれるのは、政策を話し合うための会議ではない。

国王が、自らの命令を法として押し通すための儀式だった。

国王の居室では、ルイ十六世が鏡の前に立っていた。

侍従が彼の肩に青い王衣を掛ける。

深い青の布地に、金色の百合の紋章が無数に縫い込まれている。

胸元には勲章。

腰には儀礼用の剣。

頭に王冠は載せていない。

それでも、鏡の中に立っている男がフランス国王であることを疑う者はいなかった。

いや。

疑う者など、いてはならないはずだった。

しかし、ルイ自身だけは、鏡に映るその姿を見ても安心できなかった。

堂々とした王衣の下で、指先がわずかに震えている。

ルイは震えを隠すように右手を握り締めた。

(これが、絶対王政の国王か。)

鏡の中の自分を見つめながら、胸の奥で自嘲する。

豪華な衣装。

長い歴史によって築かれた権威。

何千人もの兵士。

何万人もの役人。

数千万の臣民。

それらすべての頂点に立ちながら、たった一つの勅令さえ、思うように通すことができない。

名士会は改革を拒んだ。

パリ高等法院も、新たな課税を登録しようとしなかった。

国債市場では、王政府の返済能力を疑う声が広がっている。

新たな借款を募集しても、以前と同じ条件では資金が集まらない。

利率を引き上げれば、将来の負担がさらに増える。

引き上げなければ、今を乗り切るための金さえ借りられない。

そして、支払期限は国王の都合など待ってくれなかった。

兵士への給金。

官吏への俸給。

軍需品の代金。

過去の借金に対する利払い。

どれか一つでも滞れば、王政府の信用は崩れ始める。

一度でも支払いが止まれば、次の借款はさらに難しくなる。

借りられなくなれば、支払いはまた止まる。

破綻は、ある日突然訪れるのではない。

今日まで当然に回っていた歯車が、一つずつ軋み、止まり、その遅れが別の歯車へ伝わっていく。

ルイには、その音が聞こえるような気がしていた。

扉が静かに開いた。

「陛下。」

ロメニー・ド・ブリエンヌが入室し、深く頭を下げた。

その顔には、眠れぬ夜を重ねた疲労が刻まれている。

彼もまた、現在の財政がどれほど切迫しているかを知っていた。

むしろ、日々集まってくる数字を直接見ているだけに、ルイ以上に現実的な恐怖を感じていたかもしれない。

「準備は整いました。」

「そうか。」

ルイは短く答えた。

ブリエンヌは顔を上げたが、すぐには次の言葉を口にしなかった。

何かを言おうとして、ためらっている。

やがて、慎重に尋ねた。

「陛下。」

「本当によろしいのですか。」

ルイは振り返らず、鏡の中に映るブリエンヌを見た。

「何がだ。」

「本日の親臨座でございます。」

「高等法院の反対を退け、国王の御名によって勅令を登録する。」

「形式上は、陛下の正当な権限です。」

「しかし、一度これを行えば、もはや後戻りはできません。」

ルイはゆっくりと窓辺へ歩いた。

夏の陽光が、ヴェルサイユの庭園を照らしている。

遠くでは噴水が上がり、幾何学的に整えられた植え込みがどこまでも続いていた。

その美しさは、王国の混乱など存在しないかのようだった。

「高等法院が自ら登録する可能性は?」

「ほとんどありません。」

「説得を続ける時間は?」

「ありません。」

「新たな借款だけで乗り切れるか?」

ブリエンヌは唇を固く結んだ。

「それも、難しいでしょう。」

「ならば、他に方法があるか?」

ブリエンヌは答えなかった。

答えられなかった。

沈黙こそが、何より明確な返答だった。

ルイは庭園を見つめたまま、静かに息を吐いた。

「名士会を招集すれば、特権を持つ者たちも危機を理解してくれると思っていた。」

「彼らが改革に同意すれば、高等法院も従うと思っていた。」

「高等法院に財政の実情を示せば、少なくとも時間を与えてくれると思っていた。」

「私は、ずっと誰かが理解してくれることを期待していた。」

ブリエンヌは何も言わない。

「だが、誰も責任を負おうとはしない。」

ルイの声には怒りよりも、深い疲労が滲んでいた。

「名士たちは、改革の必要性は認めると言いながら、自らの特権に触れる部分では反対する。」

「高等法院は、財政危機の深刻さを認めながら、新税には全国三部会の同意が必要だと主張する。」

「誰もが国を救わなければならないと言う。」

「だが、そのために自分が何かを失うことには同意しない。」

「陛下……。」

「分かっている。」

ルイは遮った。

「彼らにも言い分がある。」

「高等法院は、王権の暴走を防ごうとしている。」

「新税を国王の命令だけで課すことを認めれば、将来、どのような税でも同じ方法で課されるかもしれない。」

「今日の改革が正しくとも、明日の国王が正しいとは限らない。」

ルイはそこで言葉を切った。

自分の首に、冷たい木の感触が蘇る。

群衆の怒号。

押さえつけられた身体。

目の前で鈍く光る刃。

耳元で読み上げられる、ルイ・カペーという名。

それは遠い未来の出来事であるはずなのに、ルイにとっては昨日の記憶よりも鮮明だった。

首筋に冷たい汗が滲む。

息が浅くなりそうになる。

ルイは窓枠に手を置き、意識して呼吸を整えた。

(まだだ。)

(今日は、処刑の日ではない。)

(私はまだ王だ。)

それでも、胸の奥に巣食う恐怖は消えなかった。

今日の親臨座が、処刑台へ続く道の一歩になるのではないか。

強権を用いれば、専制君主と呼ばれる。

退けば、決断できない無能な王と呼ばれる。

改革すれば特権身分が反発し、改革をやめれば財政が崩壊する。

どちらへ進んでも、足元には奈落が口を開けている。

「陛下。」

ブリエンヌの声が、ルイを現実へ引き戻した。

ルイは窓枠から手を離した。

「他に道がないのなら、行くしかない。」

「余は今日、一人の政治家として彼らを説得するのではない。」

ルイは鏡の前へ戻り、自らの王衣を整えた。

「フランス国王として、登録を命じる。」

「それがどのような結果を招こうとも、命令を下した責任は余が負う。」

ブリエンヌは深く頭を下げた。

「御意にございます。」


その日、ヴェルサイユ宮殿にはパリ高等法院の判事たちが集められていた。

大広間の両側には、赤と黒の法服を身にまとった判事たちが並んでいる。

廷臣たちも集まり、儀式の開始を待っていた。

誰もが口を閉ざしている。

衣擦れの音。

咳払い。

書類をめくる音。

それらの小さな音だけが、不自然なほど大きく聞こえた。

判事たちは、今日何が行われるのかを知っている。

国王が彼らの意見を聞くために呼び集めたのではない。

高等法院の同意を得るためでもない。

すでに決定された勅令を、国王の権威によって登録させるためである。

やがて、扉の外から杖で床を打つ音が響いた。

「国王陛下、ご入場!」

広間にいた者たちが一斉に立ち上がる。

扉が大きく開かれた。

近衛兵を先頭に、ルイ十六世が姿を現す。

青い王衣。

百合の紋章。

胸を張り、ゆっくりと歩くその姿は、ブルボン王朝の権威そのものに見えた。

少なくとも、外見だけは。

ルイは無数の視線を感じていた。

判事たちの視線。

廷臣たちの視線。

書記官たちの視線。

誰もが自分を見ている。

誰もが、自分が強い王であるか、弱い王であるかを見定めようとしている。

足を止めてはならない。

俯いてはならない。

震えていると悟られてはならない。

ルイは歩調を崩さず、広間の中央を進んだ。

その後ろをブリエンヌ、大法官、王族、廷臣たちが続く。

広間の奥には、国王のための高い座席が用意されていた。

親臨座。

フランス語では、Lit de justice。

直訳すれば「正義の寝台」。

中世以来、国王が高等法院へ臨席し、自らの権威によって勅令の登録を命じるために行われてきた、特別な儀式である。

高等法院は、国王の勅令を登録することによって法として発効させる。

登録に先立ち、法令に問題があると考えれば、国王へ建言することもできる。

しかし、国王自身が親臨座を開けば、高等法院の審議は停止する。

王の臨席によって、司法権はその源泉である国王のもとへ戻る。

少なくとも、王政の理屈ではそうなっていた。

国王が命じる。

高等法院が登録する。

それで終わるはずだった。

だが、二百年前ならともかく、今は1787年だった。

人々は王権を敬いながら、その限界について語り始めている。

法とは何か。

国家とは何か。

課税する権利は誰にあるのか。

国民の同意とは何を意味するのか。

かつて宮廷と法学者だけが論じた問いが、今では新聞や冊子を通じて、パリの広場やカフェにまで広がっていた。

ルイは所定の座へ腰を下ろした。

全員が着席する。

大法官が立ち上がり、厳粛な声で手続きの開始を告げた。

読み上げられるのは、王国の財政を立て直すための勅令だった。

印紙税。

そして、土地の収益に応じて負担を求める領地補助税。

身分ではなく、財産と収益を基準に負担させる。

従来、十分な税を負担してこなかった特権身分にも課税する。

国家財政の立場から見れば、必要な改革だった。

しかし、高等法院から見れば、それは国民の正式な同意を経ずに導入される新税だった。

勅令の朗読が終わる。

広間に沈黙が落ちた。

ルイは肘掛けに置いた手へ、わずかに力を込めた。

「諸君。」

声が震えないよう、ゆっくりと言葉を発する。

「余が本日ここに臨んだ理由は、すでに理解していることと思う。」

「フランス王国の財政は、重大な危機に直面している。」

「これは将来起こるかもしれない危機ではない。」

「すでに我々の目前に迫っている危機である。」

判事たちは無言で国王を見つめている。

「王国を維持するためには、財政を立て直さねばならない。」

「そのためには、一部の身分だけに負担を押しつける従来の制度を改める必要がある。」

「土地から利益を得る者には、身分の違いを問わず、その力に応じた負担を求める。」

「これは貴族を罰するためではない。」

「聖職者を辱めるためでもない。」

「フランスに属する者すべてが、フランスを支えるためである。」

言葉を重ねるごとに、ルイの声はわずかに強くなった。

「余は、諸君の権利を軽んじているのではない。」

「諸君が王国の法と慣習を守ろうとしていることも理解している。」

「だが、国庫が尽きれば、法を執行する役人に俸給を払うことさえできなくなる。」

「軍を維持できず、道路を直せず、穀物不足に備えることもできない。」

「国家が倒れた後に、法だけを守ることはできない。」

ルイは広間を見渡した。

「ゆえに、余は命じる。」

「これらの勅令を登録せよ。」

短い言葉だった。

しかし、その言葉には何世代にもわたって継承されてきた王権の重みが込められていた。

判事たちの間に、低いざわめきが広がった。

互いに顔を見合わせる者。

視線を伏せる者。

怒りを隠そうともしない者。

やがて、一人の判事が立ち上がった。

年齢は五十を越えている。

表情には緊張が見えたが、その声は明瞭だった。

「陛下。」

「我々は、王国の財政が危機にあることを否定しておりません。」

「改革が必要であることも認めております。」

「ならば、なぜ拒む。」

ルイの問いに、判事は一礼してから答えた。

「我々には、王国の基本法と臣民の権利を守る義務がございます。」

「新たな恒久税を定める権限は、高等法院にもございません。」

「国王陛下お一人にもございません。」

広間の空気が張り詰める。

「課税には国民の同意が必要です。」

「そして、その同意を正当に示すことができるのは、全国三部会のみでございます。」

全国三部会。

その言葉を聞いた瞬間、ルイの胸の奥が強く締めつけられた。

群衆。

三色旗。

議会。

自分を国王ではなく、ルイ・カペーと呼ぶ人々。

未来の記憶が、断片となって脳裏をよぎる。

ルイは反射的に首元へ手を伸ばしかけた。

だが、寸前でこらえた。

王衣の下で爪を掌へ食い込ませ、現在へ意識を引き戻す。

1787年。

まだバスティーユは陥落していない。

まだ王政は倒れていない。

まだ自分は、フランス国王だ。

「全国三部会を招集せよというのか。」

「王国全体へ新たな税を課すのであれば、それが正しい手続きであると考えます。」

「最後に招集されたのは、1614年だ。」

「ゆえに、今こそ招集すべきでございます。」

「招集の準備だけで、どれほど時間がかかると思っている。」

「正しい手続きには、時間が必要です。」

「国庫には、その時間がない。」

判事は沈黙した。

ルイは身を乗り出した。

「余は諸君に、抽象的な危機を語っているのではない。」

「数か月後、あるいは数週間後に迫る支払いについて語っている。」

「兵士への給金が止まれば、軍の規律はどうなる。」

「官吏への俸給が止まれば、地方行政はどうなる。」

「債権者への返済が止まれば、王政府へ次に金を貸す者はいるのか。」

「信用を失った国家が、どのようにして危機を乗り切るというのだ。」

判事は静かに答えた。

「危機が深刻であるからこそ、法を守らねばならないのでございます。」

「危機を理由に法を曲げることが認められれば、王権に限界はなくなります。」

別の判事も立ち上がった。

「陛下。」

「我々が拒んでいるのは改革そのものではございません。」

「同意なき課税でございます。」

「国民の財産を徴収するのであれば、その国民を代表する者の承認が必要です。」

「高等法院が国民を代表しているというのか。」

ルイの声に、初めて鋭さが混じった。

判事たちの多くは、法服貴族と呼ばれる特権身分である。

官職を所有し、世襲し、そこから社会的地位を得ている。

彼らは民衆の選挙によって選ばれた代表ではない。

それにもかかわらず、国民の権利を守る者として振る舞っている。

「諸君は王権の専制を非難する。」

「だが、諸君自身も国民から選ばれたわけではない。」

「農民が諸君に、自分たちの代表となってほしいと頼んだのか。」

「都市の職人が諸君に、自分たちの税を決めてほしいと頼んだのか。」

「諸君が守っているのは、本当に国民の権利か。」

「それとも、自分たちの権限と特権か。」

何人かの判事が顔色を変えた。

広間のざわめきが大きくなる。

大法官が静粛を求めたが、緊張は収まらない。

先ほどの老判事が、ゆっくりと立ち上がった。

「陛下の御指摘は、重く受け止めねばなりません。」

「我々が完全でないことも承知しております。」

「しかし、不完全な防壁であるからといって、それを壊してよいことにはなりません。」

ルイは老判事を見つめた。

「防壁か。」

「さようでございます。」

「何を守るための防壁だ。」

「法を守るためにございます。」

「誰から守る。」

老判事は一瞬だけためらった。

しかし、やがて国王の目をまっすぐに見返した。

「必要とあらば、国王からも。」

広間から、すべての音が消えた。

誰も身動きしない。

咳払い一つ聞こえない。

それは、絶対王政の国王に対して公然と告げるには、あまりに危険な言葉だった。

ブリエンヌの表情が強張る。

廷臣たちは息を呑んだ。

ルイの背中を、冷たいものが流れ落ちた。

怒りではない。

恐怖だった。

目の前の判事が恐ろしいのではない。

この言葉の先に待っているものが、ルイには見えてしまう。

国王にも限界がある。

国王の命令よりも上位に、守るべき法がある。

その考えが広がれば、やがて人々は問うだろう。

国王とは何のために存在するのか。

国王を必要としない国家はあり得るのではないか。

そして最後には、国王そのものを裁くことができるのではないか。

(知っている。)

(私は、その問いの答えを知っている。)

答えは、断頭台だった。

ルイの耳の奥に、まだ存在しない群衆の歓声が蘇る。

視界の端が暗くなる。

玉座の肘掛けを握る手に、汗が滲んだ。

それでも、逃げることはできなかった。

ここで立ち去れば、王権はさらに軽く見られる。

怒鳴れば、専制君主であることを自ら証明する。

ルイは一度だけ目を閉じた。

そして、ゆっくりと息を吸った。

「余は、法を壊したいのではない。」

声はかすかに低くなっていた。

「国家を守りたいのだ。」

ルイは目を開いた。

「余が求めているのは、宮廷を飾るための金ではない。」

「新たな戦争を始めるための金でもない。」

「この国が明日も国として存在するための金だ。」

「諸君は、国王の権力を恐れている。」

「それは理解しよう。」

「だが、余は国家の崩壊を恐れている。」

ルイはそこで一度、言葉を止めた。

「そしておそらく、諸君が恐れるものも、余が恐れるものも、どちらも現実になり得る。」

誰も答えなかった。

「国王が危機を理由に法を無視すれば、専制への道が開かれる。」

「高等法院が法を理由に必要な改革を妨げ続ければ、国家破綻への道が開かれる。」

「一方だけが正しく、一方だけが間違っているわけではない。」

「だからこそ、我々はここまで追い詰められた。」

老判事が静かに尋ねた。

「それでも、陛下は登録を命じられるのですか。」

ルイは苦い笑みを浮かべた。

「余が命じなければ、諸君が自ら登録するのか。」

老判事は答えなかった。

「全国三部会の招集まで、必要な資金を諸君が用意してくれるのか。」

それにも答えはない。

「支払いが止まったとき、責任を負ってくれるのか。」

沈黙。

ただ沈黙だけが続いた。

ルイは、その沈黙の意味を理解した。

判事たちは国王の政策に反対できる。

しかし、国家財政を運営する責任までは負わない。

反対する者と、決定する者。

法を守る者と、金を用意する者。

その役割は分かれている。

だからこそ、誰も全体の責任を負わないまま、国家だけが追い詰められていく。

ルイは玉座からゆっくりと立ち上がった。

王衣の裾が床へ広がる。

広間にいる全員が、国王を見上げた。

「余は諸君の建言を聞いた。」

「諸君の懸念も理解した。」

「だが、フランス国王として、王国の存続を危険に晒すことはできない。」

ルイは大法官と書記官へ視線を向けた。

「勅令を登録せよ。」

「これは余の意思である。」

「そして、その結果に対する責任は余が負う。」

書記官の顔が青ざめた。

彼は震える手で羽根ペンを握り、記録簿へ文字を書き込んでいく。

紙の上をペン先が走る音が、静まり返った広間に響いた。

印紙税。

領地補助税。

国王の命令によって、二つの勅令が登録される。

形式上、改革は成立した。

法的な手続きは終わった。

王権は勝利した。

そのはずだった。

だが、判事たちの表情には、敗北した者の諦めがなかった。

ある者は怒りを隠さず、ある者は冷ややかな目で国王を見つめている。

彼らにとって、この登録は正当な立法ではなかった。

国王が権力によって作り出した、法の外形にすぎない。

退席の準備が始まる中、一人の判事が隣の者へ小さく呟いた。

「今日、登録されたのは法律ではない。」

「力だ。」

声は小さかった。

だが、その言葉は不思議なほど遠くまで届いた。

ルイの耳にも入った。

足を止めそうになる。

振り返り、反論したい衝動が湧いた。

自分は私欲のために権力を使ったのではない。

国家を救うためだった。

特権身分にも公平な負担を求めるためだった。

財政破綻を避けるためだった。

しかし、ルイは何も言わなかった。

どれほど正しい目的を掲げても、最後に用いたものが強制であることは否定できない。

ルイは前を向いたまま、広間を退出した。

王衣の下で、握り締めた拳だけが震えていた。


翌日。

パリ高等法院は、国王の命令による登録を正当なものとは認めない姿勢を示した。

親臨座の間は、国王の臨席によって審議が封じられる。

だが、国王が去れば、判事たちは再び声を上げることができる。

彼らは宣言した。

前日の登録は不法である。

強制された登録に、正当な効力はない。

新税の承認には、全国三部会が必要である。

国王が王権によって反対を押さえ込んでも、対立は終わらなかった。

むしろ、それまで財政改革をめぐる争いだったものが、国家の統治原理をめぐる争いへ変わり始めていた。

国王は、必要な改革を実施する権利があると主張する。

高等法院は、国王にも越えてはならない限界があると主張する。

どちらが正しいかという問題では、もはやなかった。

誰がフランスを代表するのか。

誰が税を決めるのか。

王権は法の源なのか、それとも法に縛られるのか。

三部会を招集すべきなのか。

百七十年以上も開かれていない議会に、国家の未来を委ねてよいのか。

一つの新税をめぐる対立が、王政そのものの正統性を揺さぶり始めていた。


数日後。

パリの街角では、親臨座の出来事を伝える印刷物が飛ぶように売れていた。

新聞を読めない者のために、広場や酒場では文字の読める者が記事を読み上げている。

「国王が高等法院を黙らせ、無理やり新税を登録させたそうだ。」

「新しい税だと?」

「今度は紙にも税をかけるらしい。」

「その次は何だ。パンか。塩か。それとも、空気にまで税をかけるのか。」

「高等法院は国民を守ろうとした。」

「国王は三部会を開くのが怖いのだ。」

噂は事実よりも速く広がった。

王政府が公平な課税制度を作ろうとしていることは、ほとんど語られなかった。

特権身分にも負担を求める改革であることも、十分には伝わらない。

人々の記憶に残ったのは、国王が判事たちの反対を無視し、強権によって新税を押しつけたという一点だった。

「専制。」

その言葉が、冊子や新聞の中に現れ始める。

「恣意的な権力。」

「法を踏みにじる王。」

「国民の同意なき課税。」

かつてなら、宮廷の外へ漏れることさえなかった批判が、今では印刷され、何百部、何千部と複製されていく。

警察が一つの冊子を押収しても、別の印刷所から新たな冊子が出る。

著者を捕らえようとすれば、その行為自体が専制の証拠として語られる。

王政府が反論を出すころには、人々の印象はすでに固まっていた。

奇妙なことに、高等法院の判事たちは特権身分だった。

彼らの多くは官職を所有し、免税特権や社会的威信を享受している。

国民から選ばれた代表でもない。

それでも今や、パリの民衆の目には、彼らが国王の専制に立ち向かう「自由の守護者」として映り始めていた。

国王が公平な課税を実現しようとし、特権身分である判事たちがそれを阻んでいる。

本来なら、そう理解されてもおかしくない対立だった。

しかし、実際に人々の支持を集めたのは高等法院だった。

改革の内容よりも、改革を押し通した方法が問題とされた。

ルイが期待していた「改革への理解」は生まれなかった。

代わりに広がったのは、王が再び専制政治へ戻ろうとしているという疑念だった。


ヴェルサイユ宮殿。

夜。

国王執務室には、大量の報告書が積まれていた。

パリの世論。

高等法院の決議。

国債価格の動き。

地方から届いた反応。

どの報告にも、事態が改善したとは書かれていない。

勅令は登録された。

それでも、税を実際に徴収できるかは別の問題だった。

高等法院が正当性を否定し続ければ、地方の司法機関も抵抗する可能性がある。

徴税を担当する役人が命令に従わなければ、紙の上の税は一リーブルの収入にもならない。

ブリエンヌは最後の報告書を読み終え、重い動作で閉じた。

「陛下。」

机の向こうで、ルイは黙って座っている。

王衣はすでに脱いでいた。

簡素な服に着替えた姿は、昼間に絶対王政の威厳を示した人物とは別人のようだった。

肩は落ち、目の下には濃い影ができている。

「登録そのものは完了しております。」

ブリエンヌは慎重に言葉を選んだ。

「しかし、高等法院は登録の正当性を認めておりません。」

「知っている。」

「パリでは、高等法院を支持する声が強まっています。」

「それも読んだ。」

「地方の高等法院が同調する可能性もございます。」

ルイは返事をしなかった。

「そして……。」

ブリエンヌは一度、言葉を切った。

だが、隠しても意味はない。

「我々は勅令を登録させることには成功しました。」

「しかし、その代償として、民意を失いつつあります。」

ルイは机の上に置かれた一枚の冊子を手に取った。

そこには、国王が法を踏みにじったと書かれている。

まるで、自分が国民を苦しめることを楽しむ暴君であるかのような文章だった。

「民意。」

ルイは乾いた声で繰り返した。

「不思議な言葉だ。」

「形は見えない。」

「誰がそれを代表しているのかも分からない。」

「それなのに、王冠よりも重い。」

ブリエンヌは黙って頭を下げた。

ルイは冊子を机へ戻した。

前世で知っていたフランス革命は、もっと単純な物語だった。

贅沢を続ける無能な王。

国民の苦しみを理解しない王妃。

特権にしがみつく貴族と聖職者。

そして、圧政に耐えかねて立ち上がる民衆。

だが、実際にその時代を生きてみれば、何も単純ではなかった。

国王は国家を救うために改革しようとしている。

高等法院は王権の専制を防ぐために抵抗している。

貴族の中にも改革を望む者がいる。

民衆は公平な税を求めながら、新税そのものには反発する。

誰もが自分こそフランスを守っていると信じている。

誰もが一部では正しい。

だからこそ、誰も譲れない。

善意と善意が衝突し、正義と正義が互いを傷つける。

そして、その間にも国庫の金は減り続ける。

「陛下。」

ブリエンヌが声を落とした。

「高等法院が抵抗を続けるのであれば、さらに強い措置が必要になるかもしれません。」

ルイは顔を上げた。

「強い措置とは。」

「判事たちをパリから追放することも、検討せねばなりません。」

部屋の空気が重くなる。

「追放。」

ルイはその言葉を小さく繰り返した。

高等法院を服従させるため、パリから遠ざける。

王権の歴史において、前例のない手段ではない。

命令に従わない司法官を地方へ追放することは、歴代の国王も行ってきた。

だが、今それをすればどうなるか。

高等法院は、さらに英雄視される。

国王は批判者を力で黙らせた専制君主と呼ばれる。

それでも放置すれば、王命が公然と無視される。

ルイは額へ手を当てた。

逃げ道が、一つずつ塞がれていく。

「今日、力で登録させた。」

「明日は、力で判事を追い出すのか。」

「その次は?」

誰に問いかけたわけでもなかった。

「反対する新聞を閉じるのか。」

「批判する者を捕らえるのか。」

「群衆へ兵を向けるのか。」

声が次第に掠れていく。

その先にある光景を、ルイは知っている。

軍隊。

暴動。

宮殿へ押し寄せる群衆。

逃亡。

裁判。

そして、処刑台。

ルイは無意識に自分の首へ触れた。

脈が、指先へ激しく伝わってくる。

生きている。

まだ首はつながっている。

それを確かめても、恐怖は消えなかった。

「陛下。」

ブリエンヌの声に、ルイは我に返った。

すぐに手を下ろす。

「すまない。」

「いえ。」

長い沈黙が続いた。

やがてルイは、机に積まれた報告書へ目を落とした。

「信用とは、奇妙なものだな。」

「はい。」

「触れることはできない。」

「金庫へ入れることもできない。」

「軍隊に守らせることもできない。」

ルイは一枚の国債価格表を手に取った。

「だが、国家は信用によって金を借り、役人を働かせ、商人に物を納めさせる。」

「信用がある間は、空の国庫でも国を動かせる。」

「信用を失えば、金貨を積んでも疑われる。」

ブリエンヌは静かに頷いた。

「その信用を、我々は今日、どれほど失ったのだろうな。」

「……まだ、取り戻すことはできます。」

それが慰めであることを、二人とも分かっていた。

ルイは疲れた笑みを浮かべる。

「信用を積み上げるには、何十年もかかる。」

窓の外では、ヴェルサイユの庭園が闇に沈んでいる。

「失うのは、一日か。」

誰も答えなかった。


その頃、パリ高等法院では、判事たちが再び集まっていた。

国王の命令に従うべきだと主張する者もいた。

これ以上の抵抗は王国を混乱させるだけだという声もあった。

しかし、多数を占めたのは、ここで退けば高等法院の存在意義そのものが失われるという意見だった。

「一度、強制登録を認めれば、次も同じことが行われる。」

「国王は財政危機を理由に、いかなる税でも課せるようになる。」

「我々が屈すれば、王権を制限する者はいなくなる。」

「ならば、抵抗するのか。」

「抵抗する。」

「国王陛下に対しても?」

短い沈黙の後、老判事が答えた。

「国王に忠誠を尽くすためにこそ、誤った命令には抵抗せねばならない。」

判事たちは決意を固めていった。

服従ではなく、抵抗。

沈黙ではなく、建言。

国王が力を用いるなら、高等法院は法を掲げる。

王政府と司法官たちの争いは、もはやヴェルサイユとパリの間だけでは収まらない。

やがて国王は、抵抗を続けるパリ高等法院をトロワへ追放することになる。

そして、その知らせは地方へ伝わる。

地方の高等法院も動き始める。

都市では抗議が起こり、新聞は国王を批判し、王権に対する不信が王国全体へ広がっていく。

ルイ十六世が親臨座で示したのは、絶対王政に残された最後の力だった。

だが、その力を用いた瞬間、誰の目にも明らかになってしまった。

王が命じれば、法令を登録させることはできる。

しかし、人々を納得させることはできない。

命令によって、紙の上の服従は得られる。

だが、失われた信用まで取り戻すことはできない。

王権は勝った。

そして、その勝利によって、以前よりも弱くなった。

革命まで、あと二年。

フランス王国を支えていた亀裂は、ついにパリを越え、地方へ向かって走り始めていた。

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