7-1
部屋に入ったまま、お昼ご飯も食べずに夕方まで勉強していると、玄関のベルが鳴った。
「さっきはごめんなさい。お庭からすぐ近くで横になってる姿が見えたから、眠ってるとは思わず入っていっちゃって」
奈津美さんが、今度は一人で立っていた。
キャップを被らず玄関に出ていったのは、まさかまた、お隣さんがくるとは思わなかったからだ。きっと荷物の配達とかだろう。それくらいなら一瞬で、顔をまじまじと見られる間もなく終わるって。
だから、一瞬迷ったけれど、そのまま「いえ、こちらこそすみませんでした」と、頭を下げた。
今さら、慌ててキャップで隠すのもかえって恥ずかしかった。だけど、やっぱり顔が赤くなってくるのを感じると、俯いて、はあと小さくため息をつく。
奈津美さんは、
「よかったら、食べてみない? トマトのグラニテ、作ってみたの」
そう言って、微笑んでくれたけれど、どう反応していいか分からず、
「なんですか? グラニテって」と、聞くだけになってしまった。知らなかったのは本当だったのだけど。
グラニテというのは、シャーベットのようなものみたいだ。
奈津美さんは、持ってきてくれた保冷バックからタッパーに入れたそれと一緒に、小さいグラスを出して、
「トマト好きじゃないって言ってたけど、これなら食べれるんじゃないかと思って。よかったらお父さんにも」
と、保冷バッグも手渡すと、そのまま帰ろうとした。
「あの、本当にすみませんでした。失礼なこと言ってしまって」
「失礼なこと?」
「いえ、その……」
ほぼ初対面の人に、ああやって感情的になってしまったことが恥ずかしかった。でも奈津美さんは、なんのことかわからないというふうに聞き返してきたので、改めて、さっきわたしが焦って八つ当たりした理由を説明するのも恥ずかしいような気がしてくる。
代わりに、
「よかったら、これ、一緒に食べませんか。たくさんいただいてしまったし」と、言うと、
奈津美さんは、「じゃあ、ハルトも呼んできていい?」と、離れに声をかけに行った。
キッチンに持って行って、タッパーを開けると、トマトのグラニテは、夕日を浴びた雪山のミニチュアみたいに見えた。
新雪のサクサクした感じよりは、粗くて、水分の多い雪道のようで。
シャーベットというか、カキ氷に近く、ざらざらと荒い氷河のように見える。薄いサーモンピンク色は、聞かなければブラッドオレンジのかき氷と思ってしまいそうだ。
トマトが好きじゃなくても食べられそうだと、わざわざ作ってきてくれたんだろうか。トマトが好きじゃない、というのは味のことではなかったので、ちょっと申し訳なく思った。
グラニテは、見ているだけで、ひんやりと、熱くなった心の中が静まる気がする。
奈津美さんは、きっとすごい料理が上手なんだろう。添えるためのカットしたレモンスライスと、ミントも一緒に入れてくれていた。そういう細かい心遣いのようなものは、なんとなく久しぶりで、嬉しくもあり、ちょっとだけ切なくなった。
奈津美さんが戻ってきたので、ふたりで一緒に、持ってきてくれていたグラスに取り分けると、レモンとミントを添えた。
「かわいい」
3つのグラスをトレーに乗せて、縁側に持っていく。
ちょうど離れからサングラスに金髪の彼がやってきて、奈津美さんは彼を呼び寄せると「ハルトです」と、挨拶するよう促した。
相変わらずサングラスをかけている彼は、ペコッと頭を下げて、何も言わずに端っこに座った。
わたしも、奈津美さんが戻ってくる間に、キャップを被っていた。迷ったけど、まだ、なんとなく勇気が出なくて。
奈津美さんを真ん中にして、3人並んでグラニテを食べる。
夕方で、ちょうど庭の向こうの空が、グラスの中と同じような薄いオレンジ色に染まっていた。
トマトのグラニテが、シャリシャリと音を立てながら、口の中で溶ける。
奈津美さんのいうように、トマトっぽさはあんまり感じない。レモンと、ほんの少しのお砂糖の甘さで、冷たい甘酸っぱさが喉をスッキリ洗い流していくようだ。
「美味しいです」
良かったと微笑んで、奈津美さんもグラニテを口に運んだ。
お昼を食べてなかったから、ひんやりとした氷は、あっという間に溶けて喉から体の中へと滑り落ちていく。
一口ずつ、小さなスプーンで大事に食べていたら、ハルトくんはグラスごと、ぐいっと口に流し込んでいた。ぽこんと雪山をひとつ、一瞬で飲み込んでしまって、呆気にとられる。
隣の奈津美さんも、それを見て声を出して笑って、「ほんと、面白い子」と、彼を見ながら目を細めた。二人は、やっぱり親子には見えない。
だって、わたしとお父さんならどうだろう。お父さんは、他の人の前で、わたしにそんなふうに優しく笑ったりしない気がする。
目の前のふたりは、もっと距離があるからこそ、そうやってあからさまに優しくなれる気がした。
それか、もしかしたら恋人同士なんだろうか。だとしたら、きっと奈津美さんがだいぶ年上だ。最初は驚いたのもあって全く見当つかなかったけれど、ハルトくんは、たぶんそこまでわたしと年の差がない気がする。
「二人は、どんな関係なんですか?」
気づいたら、そう口にしてしまっていた。
こういうとき、心の底からコミュ障の自分が歯痒い。
赤面症を理由に、普段人と関わることから逃げているから、こんな簡単なことをミスしてしまう。センシティブな話題だって、すぐわかることなのに。バカみたいにこんな正面から聞いてしまうなんて。
「ごめんなさい、親子かと思ったけど、それにしては奈津美さん若すぎるし、気になって」
慌てて、さらに正直に話してしまうと、奈津美さんは意外にもケラケラと、嬉しそうに笑った。
「さりげなく若いとか言ってくれて、ゆなちゃんいい子すぎる。全然気にしなくていいよ。そりゃ、気になるよね、どんな関係なんだって」
きっと奈津美さんは、人付き合いを苦手に思ったことなんてないんだろうな。さっきもあんなこと言ったわたしに、こうやって料理まで作って持ってきてくれるなんて。
「ハルトはわたしの甥っ子なの。あの子は、わたしの天使なんだ」
奈津美さんはそう言って、一瞬でグラニテを食べ終わり、庭に出ているハルトくんを見つめた。
天使は、庭に植えている野菜を真剣に眺めている。
それを聞くと、西日の下で、金髪のさらさらヘアをなびかせているハルトくんが、天使のように見えなくもない。 きっと、ハルトくんはお母さんにも、叔母さんである奈津美さんにも愛されてるんだろうな。誰かにそんなふうに言ってもらえる彼が羨ましかった。
「ゆなちゃんは、トマトのどこが嫌いなの?」
突然、奈津美さんからそう聞かれると、答えにつまってしまった。本当は、味が嫌いということではなかったから。
「赤いから……ですかね」嘘はつきたくなくて、ポツリと答えた。
「もうバレちゃってると思いますけど、わたし、人と上手く話せなくて。昔はそんなことなかったのに、近づくだけで、顔が赤くなるから」
慰めや、励ましの言葉を期待していたわけではないけれど、奈津美さんからは、思ってもなかった言葉が返ってきた。
「ハルトはね、人より光を眩しく感じるんだって、感覚過敏、とからしくて。だからああやってサングラスかけてるんだよね」
そうだったんだ。
「ゆなちゃんのキャップと、あの子のサングラスはちょっと似てるね。自分を守ってくれる鎧みたいな」
鎧か……そうかもしれない。キャップがあると、外に出るときも勇気が出るというか、守られてる気持ちになるのは確かだ。
「あの子小さい頃から、人との距離が近すぎるって言われて、苦労したんだ。私は全然気にならないんだけど、中学でも色々問題起こしてるらしくて」
わたしは、まだ奈津美さんが話終わらないうちに、反応してしまった。
「エッ、中学生なんですか!?」
もしかしたら同い年くらいかも、とは思っていたけど、金髪だし、サングラスだし、勝手に大学生くらいかと思っていた。まさか年下で中学生とは。
驚いているわたしの様子に、「そこ?」と、奈津美さんは笑った。
「ゆなちゃんも、面白いね」
それ以上、お互い何も聞かなかった。
トマトのグラニテのおかげか、体の中から熱が引いて、どこか顔の熱も覚ましてくれたような感じがする。
わたしは、被っていたキャップをとって、オレンジ色の太陽を見つめた。
なぜか、無性にそうしたくなって。
人前で隠すことなく、思いきって顔を出したのは久しぶりだった。




