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隣のトマト  作者: せともも
1章
6/9

 なんであの子は、あんなに怒ってたんだろう。

 やっぱり、俺にはわからなかった。

 サングラスのせいでよくは見えなかったけど、振り絞るように叫びながら、なのに泣きそうな声だった。

「申し訳ないことしちゃったな」奈津美がそう呟いて、小さくため息をついた。

 なんでだ? 奈津美はわざわざトマトを持って行っただけなのに、どうして自分が悪いと思うんだろう。それも俺にはわからない。

 もしかしたら、俺のせいかもしれない、また俺が何か失敗したのかも。

 昨日は笑っていたのに、何が悪かったんだろう。

 しばらく黙っていた奈津美が、思い立ったように、キッチンでガタガタと音を立て始めた。

「なにやってんの?」

「うん? トマトのグラニテ。作ろうと思って」

 グラニテってなに? なんで今? 聞きたかったけど、黙って見ていることにする。

 奈津美は、トマトとトントンと切ると、水や塩、シロップのようなものと一緒にミキサーに入れた。大きな音をたてて、それを回す。

 ミキサーの中で、赤いトマトが水と勢いよく混ざり合って、薄いピンク色になっていった。

奈津美が料理を始めると、横で見ているだけでワクワクしてくる。テキパキと流れるような作業で、一つの料理が出来上がるまで、まるでショーのようだ。

 トマトを切る音、ミキサーを回す音……小気味いいリズムを聴いているうちに、どんどん形を変えていって。あっという間に、奈津美はミキサーからトレーにピンク色のトマトの液を流し込んだ。

「これを冷凍庫で凍らすの。グラニテっていうのは、シャーベットみたいなものだよ」

 トマトのシャーベット……。シャーベットっていうと、甘い味しか想像できなくて、いつもサラダやパスタで食べているトマトと、うまく結びつかない。

 想像がつかないものといえば、さっきのあの子のこともそうだ。

 俺にならまだしも、奈津美にもあんなふうに怒って、普通なら俺だって腹が立つはずなのに、不思議と怒りは湧いてこなくて。むしろ、どうしてそんなに怒っているのか、理解できずにただあっけにとられてしまった。

「これでよし」

 冷凍庫に、トレーを滑り込ませると、奈津美は満足そうに手を叩いた。

「あの子は、なんで怒ってたんだろう」

 思わず声に出してしまった俺を、奈津美が振り返った。

 しまった。変なことを言った。

 あっちが帰れって怒ったんだから、そりゃ、そうしとく方がいいのかもしれないけど、なんていうか、さっきからずっと胸の奥がムカムカするというか。腹がたつのとも違って、あの子が部屋に戻っていく後ろ姿が、もやっと心に残っていた。

「ほら、オーヤだし、仲良くしたらって奈津美も言ってたじゃん。まあ別に、向こうが怒ったんだからしょうがないんだけどさ」

 奈津美は、しばらくじっと俺を見つめると、また頭にポンと手を置く。

「人の気持ちがわからない、なんてことないよ」と言った。

「ハルトはちゃんと考えてるし、それに成長していって、すごく変わったよ。そうやって、人の気持ちを、わかろうとすることが大事なの。だから、そんなふうに言われたことを気にしなくていいんだよ」

 やっぱり、奈津美には伝わっていたんだ。

 小さい頃から言われ続けて、いつの間にか、「人の気持ちがわからない俺」になった。一生懸命考えても、わかろうとしてても、何かあればまた言われる。

 考えてるよ、これ以上どうしろっていうんだよ。

 そう言いたかったけど、その代わりに友達と一緒にいることにした。俺は人の気持ちがわからないわけじゃない、だって友達がいるんだから。そう胸を張れる気がして。だから、誰かに呼んでもらえると、それだけで嬉しかったんだ。

     *

 庭でトマトに水をやっていると、奈津美がやってきた。

「できたよ、グラニテ。味見してみる?」

 小さな皿に、ほんの少し、砕けた雪みたいな、薄いピンクの氷がのっていた。

 口に入れると、さっき言っていた通り、シャーベットだ。シャーベットよりももうちょっと、ジャリジャリしている感じで、味もトマトの味はかすかにするけど、ちょっと甘酸っぱくもある。

 何にせよ、庭でギラギラした太陽に照らされていた俺は、一瞬で飲み込んでしまった。

「うん、うまい」

 そう言うと「ほんとに? 味わかった?」と、奈津美は笑った。

 じゃあ、もうちょっとたくさん味見させてくれればよかったのに、とも少し思ったけれど、奈津美はトレーに出来上がったグラニテを、大きなスプーンでタッパーに移している。

「これ、ゆなちゃんに持っていこうかと思って。一緒に行こうよ」

「うん」と、言いかけて、思った。

 俺は行かない方がいいかもしれない。奈津美だけならうまく行くことも、俺がいるとダメになるのかも。

「いや、やめとく」

「どうして?」

「別に、なんとなく」

 奈津美は、タッパーの蓋を閉め、保冷バッグに入れると、俺を見た。

「約束しよう、ハルト」

「約束?」

「人の気持ちがわからない、なんて気にしないでいいの。いつかきっとしっかり向き合える友達もできる。だから、間違った答えを選ばないで。ケンカや悪いことをする仲間と遊ぶときは、それが本当にいいことなのか、やりたいことなのか考えてからにして」

 一度も、俺に怒ったりしたことのない奈津美が、真っ直ぐにこっちを見て、そう言った。

 ケンカがいいことなんて思うわけない。やりたくてするわけない。だから、やるなってことなんだと思った。いつも選択肢をくれる奈津美の、何かをするな、とは言わない奈津美からのイエローカード。

「わかった。約束する」

 奈津美は頷くと、「そうだ」と、思い出したようにミントの葉っぱを何枚か、キッチンペーパーに包んで保冷バックに入れた。

「て言うかね、人の気持ちなんて一生懸命考えたってわからないことばっかりだよ。私だってそう。ハルトが特別じゃないんだから」

 そう言って、行ってくるね、と玄関から出ていった。

 ミントの爽やかな匂いが、部屋に残った。


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