02 坊ちゃん復活
時は、数日ほど戻る。
彼は今朝も、大型のワゴンを運んでいた。
ワゴンの中には、10人前はあろうかという量の朝食。
それをやっとのことで押して、赤いじゅうたんの敷かれた長い長い廊下を進む。
窓の外には地平線のような緑の草原。
いつもであれば全身を浸すほどの朝日が差し込んでくるのだが、今日はあいにく雨模様だった。
反対側にある壁は白塗りなのだが、暗いので今朝は灰色に見える。
壁には扉ひとつなく、この屋敷の主が描かれた肖像画だけが、等間隔に掛けられている。
暗い緑と灰色に挟まれた廊下を、這う蛇のように無言で進むひとりの男。
しばらく進んでいくと、ようやく両開きの扉にさしかかった。
男はふぅ、とひと息ついてから、ドアをノックする。
「しゅるしゅる。ボンクラーノ様、おはようございます。朝食をお持ちいたしました。しかし、今日こそは部屋から出てきてくださいませんか。今日は、お父様であるブタフトッタ様から、頸飾の授与が……」
……ズバァァァァァァァーーーーーーーーーンッ!!
男の言葉は、破られるような勢いで開かれた扉の音によって遮られた。
ギョロリと剥かれた蛇のような瞳に映っていたのは、肉ダルマ。
「しゅるっ!? ぼ……ボンクラーノ様っ!? ついに、部屋から出る気になったのですね! ずっと寝込まれていましたから、しゅるは心配で心配で……!」
普通、寝込んだ人間というのは痩せるものだが、いま目の前にいるボンクラーノは丸々と太っていた。
彼はストレスでいつもの倍を食べるようになり、それなのに身体を動かさずに寝ていたためである。
その見目の変化を例えるならば、グルメ番組のデブタレント。
ただでさ太っているのにさらに肥え、生命の危機を心配したくなるほどの痛々しさ。
それはさすがのシュル・ボンコスも、顔を歪めるほどであった。
「しゅ……ふしゅるふしゅる。大丈夫ですか、ボンクラーノ様」
するとボンクラーノは答えるかわりに、その場にどすんと座り込んでしまった。
そして、真綿で首を絞められているようなハスキーボイスで一言。
「疲れたボン。朝食よりも、車椅子を持ってくるボン」
それが有無を言わせぬ不機嫌さだったので、シュル・ボンコスは慌てた。
「しゅるっ!? はっ、はい、ただ今……!」
ワゴンをそのままにして、来た廊下を駆け戻る。
しかし屋敷には車椅子などなかったので、大急ぎで調達した。
しばらくして車椅子を押して戻ると、ボンクラーノは廊下の真ん中で寝ていた。
周囲にはワゴンから取ったであろう朝食が、熊に食い散らかされた跡のように散らばっている。
「しゅるる……! お待たせしましたボンクラーノ様! 車椅子です!」
手配した車椅子はかなり大型のものだったのだが、それでもボンクラーノは座ることができなかった。
自分の不摂生を棚に上げ、「チッ」と舌打ちするボンクラーノ。
「使えないヤツだボン……。オッサンであれば、こんなグダグダにはならないボン……」
その一言で、シュル・ボンコスに火が付いた。
彼はオッサンに負けてなるものかと、頭をフル回転させる。
いまから新しい車椅子を手配していては、日が暮れてしまう。
それに今日はブタフトッタの所に出向かなくてはならないので、のんびりしているヒマはない。
それらを勘案して、彼が取った行動はというと……。
ワゴンにあった棚をすべて取り払い、ボンクラーノが乗れるだけのスペースを作り上げることだった。
しかしこれが、坊ちゃんの逆鱗に触れる。
「ボンに、こんなものに乗れというのかボン!? ふざけるなボン! ボンを誰だと思ってるんだボン! やっぱりお前は、どうしようもなく使えないヤツだボンっ! ボンにはやっぱり、オッサンがいちばんなんだボンっ!」
「ぐぐぐっ……!」
屈辱に歯をくいしばるシュル・ボンコス。
結局、屋敷にあった『輿』を室内に運んできて、使用人総出で乗せ、そのままブタフトッタの所に運ぶこととなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ボンクラーノと父のブタフトッタは同じ住所に住んでいるのだが、そこはちいさな街ひとつ分くらいある広大な敷地。
しかも世帯主であるブタフトッタは屋敷をいくつも持っているので、会いに行くにもかなりの労力を必要とする。
朝のこの時間、ブタフトッタは朝食用の屋敷にいた。
そこは、屋敷というよりも塔のよう。
頂上である食堂は一面ガラス張りになっていて、下界を一望できる高みにある。
そして、そこは食堂といいつつも、果物しかなかった。
しかし、果物だけはこの世にあるすべてがあるではないかと思えるほどの品揃え。
中央には巨大な蓮の花が咲いたような寝床があり、ブタフトッタは溶けた雪のようにそこに横たわっている。
彼はまわりにたくさんの果物があるというのに、そのひとつも口にしていない。
それでは彼がここで、何を食しているのかというと……。
彼が眺めていたのは、無数の『ぱいたん』。
世界各地から集めた幼子たちの体液を舐めしゃぶるのを朝の日課としていた。
彼女たちはここに監禁され、果物だけしか与えられていない。
果物ばかりを食べていると、身体は甘い匂いを放つようになり、体液は果物と同じようにフルーティになるという。
彼のまわりは甘やかな香りと、自分を無条件で好きでいてくれる甘美なるささやきで満たされていたのだ。





