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第八話 塩田の番人

 レオンが去った応接室には、まだ緊張が残っていた。


 三十日。


 その短い猶予が、領地の命運を握っている。


 ガイルが腕を組み、大きく息を吐いた。


「さて、どうする。」


「港を少し立て直したくらいじゃ、税は払えんぞ。」


 エレノアも不安そうに桐生を見る。


「何から始めればいいんでしょう。」


 桐生は机の上に広げられた領地の地図へ目を落とした。


「一つだけ教えてください。」


「この領地で、一番利益を生んでいる事業は何ですか。」


 エレノアは迷わず答えた。


「塩です。」


「港から王都へ運び、多くの商人が買い付けに来ます。」


「なら決まりです。」


 桐生は地図を巻いた。


「赤字を埋めるより、稼げる事業をもっと稼げるようにした方が早い。」


「まずは塩田へ行きましょう。」



 翌朝。


 一行は海沿いに広がる塩田へ到着した。


 一面に白く輝く塩田。


 職人たちは朝から忙しく働き、荷馬車がひっきりなしに行き交っている。


 エレノアは少し安心したように笑った。


「思っていたより順調そうですね。」


 その言葉をかき消すように、怒鳴り声が響いた。


「避けろぉぉっ!」


 一台の荷馬車が坂道を猛スピードで滑り落ちてくる。


 御者は必死に手綱を引いているが止まらない。


「危ない!」


 ガイルがエレノアを抱き寄せる。


 次の瞬間、荷馬車は横転した。


 積まれていた塩袋が次々と破れ、真っ白な塩が地面へ広がる。


 砂と混じった塩を見て、御者はその場に膝をついた。


「終わった……。」


 だが職人たちは誰も駆け寄らない。


 ただ、諦めたようにその光景を眺めているだけだった。


 桐生はその反応に違和感を覚えた。


「助けないんですか。」


 近くにいた若い職人が苦笑する。


「助けても売り物になりません。」


「こうなるの、今月だけでも三回目です。」


「三回?」


 エレノアが目を見開く。


「そんな報告は……。」


「上まで行きませんよ。」


 低い声が飛んだ。


 一人の老人が杖を突きながら歩いてくる。


 日に焼けた顔。


 鋭い眼差し。


 その姿には、この塩田で積み重ねてきた年月が滲んでいた。


「領主様が来るのも珍しいが、事故を見るのはもっと珍しい。」


 ガイルが一歩前へ出る。


「無礼だぞ。」


「無礼?」


 老人は鼻で笑う。


「無礼なのは誰だ。」


「事故は何度も起きてる。」


「職人はいくら辞めても補充されん。」


「それでも誰一人、この塩田を見に来なかった。」


 その言葉に、エレノアは俯いた。


 反論できない。


 老人の言うことは事実だった。


 桐生は二人の間へ入る。


「あなたのお名前は。」


「ヨハン。」


「この塩田を三十年以上見てきた。」


 桐生は横転した荷馬車の前へしゃがみ込む。


 車輪を回す。


 車軸に触れる。


 積み荷を固定していた縄を手に取る。


 そしてゆっくり立ち上がった。


「……妙ですね。」


 ヨハンが目を細める。


「何がだ。」


「荷車は壊れていません。」


「縄も切れていない。」


「積み方も間違っていない。」


 桐生は坂道へ視線を向ける。


「なのに毎月事故が起きる。」


「つまり。」


「事故じゃない。」


「必ず原因があります。」


 ヨハンの表情が変わった。


 値踏みするように桐生を見つめる。


「若造。」


「お前、本当に領主の人間か。」


「ええ。」


「でも今日は、領主として来たんじゃありません。」


 桐生は静かに笑う。


「この塩田で、一番困っている人に会いに来ました。」


 長い沈黙が流れた。


 やがてヨハンは背を向け、ゆっくり歩き始める。


「……付いてこい。」


「口だけじゃないなら、見せてやる。」


 一行はヨハンの後を追う。


 塩田の奥。


 誰も近付かない古い倉庫の前で、老人は立ち止まった。


 扉には大きな鉄の錠。


 その上には、新しい封印が貼られている。


 ヨハンは苦々しく呟いた。


「全部は、この倉庫が閉まった日から始まった。」


 桐生は封印を見つめる。


 塩ではない。


 本当に見るべきものは、この扉の向こうにある。


 そんな予感がしていた。

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