第八話 塩田の番人
レオンが去った応接室には、まだ緊張が残っていた。
三十日。
その短い猶予が、領地の命運を握っている。
ガイルが腕を組み、大きく息を吐いた。
「さて、どうする。」
「港を少し立て直したくらいじゃ、税は払えんぞ。」
エレノアも不安そうに桐生を見る。
「何から始めればいいんでしょう。」
桐生は机の上に広げられた領地の地図へ目を落とした。
「一つだけ教えてください。」
「この領地で、一番利益を生んでいる事業は何ですか。」
エレノアは迷わず答えた。
「塩です。」
「港から王都へ運び、多くの商人が買い付けに来ます。」
「なら決まりです。」
桐生は地図を巻いた。
「赤字を埋めるより、稼げる事業をもっと稼げるようにした方が早い。」
「まずは塩田へ行きましょう。」
◇
翌朝。
一行は海沿いに広がる塩田へ到着した。
一面に白く輝く塩田。
職人たちは朝から忙しく働き、荷馬車がひっきりなしに行き交っている。
エレノアは少し安心したように笑った。
「思っていたより順調そうですね。」
その言葉をかき消すように、怒鳴り声が響いた。
「避けろぉぉっ!」
一台の荷馬車が坂道を猛スピードで滑り落ちてくる。
御者は必死に手綱を引いているが止まらない。
「危ない!」
ガイルがエレノアを抱き寄せる。
次の瞬間、荷馬車は横転した。
積まれていた塩袋が次々と破れ、真っ白な塩が地面へ広がる。
砂と混じった塩を見て、御者はその場に膝をついた。
「終わった……。」
だが職人たちは誰も駆け寄らない。
ただ、諦めたようにその光景を眺めているだけだった。
桐生はその反応に違和感を覚えた。
「助けないんですか。」
近くにいた若い職人が苦笑する。
「助けても売り物になりません。」
「こうなるの、今月だけでも三回目です。」
「三回?」
エレノアが目を見開く。
「そんな報告は……。」
「上まで行きませんよ。」
低い声が飛んだ。
一人の老人が杖を突きながら歩いてくる。
日に焼けた顔。
鋭い眼差し。
その姿には、この塩田で積み重ねてきた年月が滲んでいた。
「領主様が来るのも珍しいが、事故を見るのはもっと珍しい。」
ガイルが一歩前へ出る。
「無礼だぞ。」
「無礼?」
老人は鼻で笑う。
「無礼なのは誰だ。」
「事故は何度も起きてる。」
「職人はいくら辞めても補充されん。」
「それでも誰一人、この塩田を見に来なかった。」
その言葉に、エレノアは俯いた。
反論できない。
老人の言うことは事実だった。
桐生は二人の間へ入る。
「あなたのお名前は。」
「ヨハン。」
「この塩田を三十年以上見てきた。」
桐生は横転した荷馬車の前へしゃがみ込む。
車輪を回す。
車軸に触れる。
積み荷を固定していた縄を手に取る。
そしてゆっくり立ち上がった。
「……妙ですね。」
ヨハンが目を細める。
「何がだ。」
「荷車は壊れていません。」
「縄も切れていない。」
「積み方も間違っていない。」
桐生は坂道へ視線を向ける。
「なのに毎月事故が起きる。」
「つまり。」
「事故じゃない。」
「必ず原因があります。」
ヨハンの表情が変わった。
値踏みするように桐生を見つめる。
「若造。」
「お前、本当に領主の人間か。」
「ええ。」
「でも今日は、領主として来たんじゃありません。」
桐生は静かに笑う。
「この塩田で、一番困っている人に会いに来ました。」
長い沈黙が流れた。
やがてヨハンは背を向け、ゆっくり歩き始める。
「……付いてこい。」
「口だけじゃないなら、見せてやる。」
一行はヨハンの後を追う。
塩田の奥。
誰も近付かない古い倉庫の前で、老人は立ち止まった。
扉には大きな鉄の錠。
その上には、新しい封印が貼られている。
ヨハンは苦々しく呟いた。
「全部は、この倉庫が閉まった日から始まった。」
桐生は封印を見つめる。
塩ではない。
本当に見るべきものは、この扉の向こうにある。
そんな予感がしていた。




