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第四十七話 二十年待っていた

「エレノア様!」


 声は。


 地面の下から聞こえた。


 低く。


 遠い。


 人の声にも。


 何か別のものにも聞こえる。


『エレノア』


 もう一度。


「……私を知ってる」


 エレノアは石の階段を見下ろした。


 北部の崖。


 さっきまで壁だった場所が割れ。


 地下へ続く入口が現れている。


「行くんですか?」


 セレナが聞く。


「行きます」


「ですよね」


「止めないんですか?」


「止めたら聞きます?」


「……多分」


「嘘ですね」


 騎士が前へ出た。


「我々が先行します」


「お願いします」


 エレノアを中央に。


 セレナ。


 騎士六人。


 残りは入口を守る。


「何かあれば」


「すぐ戻ります」


「絶対ですよ」


「はい」


 松明を持つ。


 一段。


 また一段。


 地下へ。


 だが。


 途中から。


 松明が必要なくなった。


「光ってる……」


 壁に。


 細い青い線。


 一定の間隔で。


 奥へ続いている。


「北方にも?」


 エレノアが聞く。


「似たものはあります」


「でも」


「ここまで大きくない」


 セレナが壁へ近づく。


「古代遺跡なら」


「北方にもいくつかあります」


「使えるんですか?」


「ほとんど壊れています」


「魔石を入れると光る壁とか」


「水が出る設備とか」


「その程度です」


 セレナは青い線を見る。


「これは」


「生きてる」


◇


 長い階段の先。


 巨大な部屋。


「……何?」


 エレノアが立ち止まる。


 壁一面に。


 無数の絵。


 街。


 船。


 畑。


 工房。


 そして。


 空を覆う青い線。


「魔法陣?」


「違うと思います」


 セレナが一つを指す。


「これ」


「北方です」


「分かるんですか?」


「山の形が同じ」


 別の壁。


「これは王都」


 さらに。


「南方」


 そして。


 中央。


 海に面した小さな街。


「アストラ……」


 エレノアが呟く。


 そこから。


 すべての地域へ。


 青い線が伸びていた。


『エレノア』


 声。


「どこです!」


 騎士たちが剣を抜く。


『奥へ』


「姿を見せてください!」


『奥へ』


 それだけ。


「嫌な感じですね」


 セレナが言う。


「はい」


「帰ります?」


「……」


「聞いただけです」


「行きます」


「でしょうね」


 さらに進む。


 扉。


 開いている。


 その先に。


 小さな部屋。


 そして。


「人?」


 椅子に。


 一人の男が座っていた。


 エレノアの足が止まる。


 銀色の髪。


 痩せた顔。


 閉じた目。


 古い服。


「そんな……」


 男は。


 動かない。


「知ってる人ですか?」


 セレナが聞く。


 エレノアは。


 答えられなかった。


 知っている。


 城に。


 肖像画がある。


 幼い頃。


 何度も見た顔。


「お父様……?」


◇


「触らないで!」


 セレナが止めた。


 エレノアの手が。


 男の頬の直前で止まる。


「でも」


「落ち着いてください」


「本当に本人か分かりません」


 エレノアは震えていた。


「父です」


「顔は」


「そうかもしれません」


「でも二十年前に亡くなったのでしょう?」


「……はい」


「なら」


「確認してからです」


 セレナが騎士へ指示する。


「周囲を」


「はい!」


 騎士たちが部屋を調べる。


「呼吸は?」


「ありません」


「脈は?」


「ありません」


「死んでる?」


「ですが」


 一人の騎士が男の腕を見る。


「温かい」


 エレノアが息を呑む。


「お父様!」


「待って!」


 その瞬間。


 男の目が。


 開いた。


「――エレノア」


「……!」


 間違いない。


 声。


 幼い頃。


 聞いた。


「お父様!」


 エレノアが駆け寄る。


 男の手が上がる。


 エレノアの頬へ。


 触れる。


「大きくなったな」


 涙が溢れた。


「どうして」


「どうして……!」


「すまない」


「ずっと」


「会いたかった」


「私も」


 エレノアが。


 父の手を握る。


 セレナだけが。


 男を見ていた。


「エレノア様」


「少し離れてください」


「何で!」


「お父様です!」


「分かっています」


「でも」


 セレナの顔が強張る。


「その人」


「何でエレノア様が今何歳か」


「知ってるんです?」


 静寂。


 エレノアが止まる。


「……え?」


 セレナは男を見る。


「二十年間」


「ここにいたんですよね?」


「外へ出られない」


「なのに」


「なぜ彼女を見て」


「大きくなったと言えるんです?」


 男は。


 微笑んだまま。


 答えない。


「お父様?」


 エレノアが手を離す。


「あなたは」


「誰ですか?」


 男が。


 ゆっくり笑った。


「やはり」


「人は変わらない」


「……何?」


「疑う」


「恐れる」


「分ける」


 声が変わる。


 一人の声ではない。


 何人もの声が。


 重なって聞こえる。


 騎士たちが剣を構える。


「エレノア様!」


「下がって!」


 男の身体から。


 青い光が溢れる。


 輪郭が崩れる。


 光になる。


「お父様……」


『この姿が』


『最も話を聞いてもらえると判断した』


 エレノアの表情が変わった。


 悲しみ。


 そして。


 怒り。


「父の姿を」


「勝手に使わないで」


 青い光が揺れる。


『不快であったか』


「当たり前です!」


『記録する』


「記録?」


『次回から使用しない』


「次回も会うつもりなんですか?」


『必要ならば』


 セレナが呟く。


「何なの……これ」


 青い光が。


 部屋の中央へ集まる。


 人の形。


 顔はない。


『私は』


『管理者』


「名前は?」


『ない』


「何を管理しているの?」


『循環』


「魔力の?」


『そうだ』


 エレノアは涙を拭う。


 父ではない。


 なら。


 領主として聞く。


「なぜ」


「私を呼んだんです?」


『権限が必要だった』


「権限?」


『中央管理施設の再起動には』


『現地管理者の承認が必要』


「私が?」


『アストラ管理者の血統』


 エレノアの表情が変わる。


「父も?」


『エドワード・アストラは』


『前管理者』


「……父は」


「ここへ来たの?」


『来た』


「いつ?」


『二十年前』


「何をしたの?」


『停止を選択した』


 エレノアが息を呑む。


「何を?」


『循環網を』


 青い光が壁へ走る。


 地図。


 王都。


 北方。


 南方。


 すべてを繋ぐ線。


『異常流入を検知』


『エドワード・アストラは』


『全経路の遮断を承認した』


「だから」


「魔石が?」


『循環停止後』


『残留魔力が各地で結晶化』


 セレナが顔を上げる。


「待って」


「じゃあ」


「私たちが掘っている魔石は」


『循環網停止によって生じた副産物』


 エレノアは理解する。


「魔石は」


「元々地下にあった鉱物じゃない?」


『一部は異なる』


『だが現在流通する高純度魔石の多くは』


『停止後に形成』


 セレナの顔色が変わる。


「再起動したら?」


 青い光が揺れる。


『結晶化した魔力を回収する』


「回収?」


『魔石内部の魔力を循環網へ戻す』


「だから」


「北方の魔石が壊れてる……」


『そうだ』


「待って!」


 セレナが前へ出る。


「北方は」


「魔石で生活している都市もある!」


「工房も」


「暖房も」


「治療院も!」


「全部抜かれたらどうなる!」


『循環再開後』


『魔力は供給される』


「いつ!」


『完全再起動後』


「何日後!」


『算定不能』


「ふざけないで!」


 セレナが怒鳴る。


「その間に冬が来たら!」


『人的損失予測――』


「予測じゃない!」


 セレナの拳が震える。


「人が死ぬの!」


 青い光は。


 沈黙した。


 エレノアは。


 父の手紙を思い出していた。


 人を差し出して。


 何かを守ろうとだけはするな。


「再起動を」


「止められますか?」


『可能』


「なら止めてください」


『拒否する』


「なぜ?」


『外部経路からの異常流入が増大』


『停止を継続した場合』


『循環網崩壊確率が許容値を超える』


「崩壊したら?」


『予測不能』


「またそれ?」


『ただし』


『最悪の場合』


 壁に。


 黒い光。


 海の向こうから。


 こちらへ流れ込んでくる。


『広域魔力災害が発生』


『複数都市の消失を予測』


 セレナが黙る。


「つまり」


 エレノアが言う。


「再起動しても危険」


「止めても危険」


『そうだ』


「それを」


「私に選べと?」


『そうだ』


「嫌です」


 即答だった。


 管理者の光が。


 僅かに揺れた。


『理解不能』


「二つしかないのがおかしい」


『選択肢は二つ』


「父も」


「そう言われたんですか?」


『そうだ』


「それで父は止めた」


『そうだ』


「なら」


 エレノアは管理者を見る。


「私は」


「父と同じ選び方はしません」


『第三の選択肢は存在しない』


「今は、でしょう?」


 エレノアは。


 少しだけ笑った。


「そういうのを考えるのが」


「得意な人を知っています」


◇


「もっと速く!」


「これ以上は船が壊れる!」


「壊さない範囲で!」


「無茶言うな!」


 アストラへ向かう船。


 桐生は船首に立っていた。


「あとどれくらい?」


「半日!」


 カイルが叫ぶ。


「半日……」


 ガイルが横へ来る。


「焦っても速くならんぞ」


「分かってます」


「なら座れ」


「無理です」


「珍しいな」


「何が?」


「お前が」


「金の話忘れてる」


 桐生が止まる。


 税。


 残り四日。


「……本当だ」


「いいのか?」


「よくないです」


「でも」


 桐生は前を見る。


「今はエレノア様です」


 その時。


 海が。


 光った。


「何だ!?」


 船員が叫ぶ。


 海面の下。


 青い線。


 一本。


 二本。


 無数。


「海の下にも……」


 カイルが呟く。


 青い光は。


 すべて。


 アストラ方向へ伸びている。


「速く!」


「だからこれ以上は――」


 突然。


 風が止まった。


 帆が落ちる。


「嘘だろ」


 船の速度が落ちる。


「カイルさん!」


「俺に言うな!」


 海面は。


 不気味なほど静か。


 そして。


 船の下から。


 巨大な影が通った。


「……何?」


 桐生が海を見る。


 ガイルが剣を抜く。


「下がれ」


 影が。


 もう一度。


 船の真下を通る。


 大きい。


 船より。


 遥かに。


「魔物?」


「こんなの知らねぇ」


 カイルの顔から笑みが消える。


 海面が盛り上がる。


「来るぞ!」


 水柱。


 巨大な何かが。


 海から姿を現した。


 青白い身体。


 石と金属。


 生き物ではない。


「魔導兵……?」


 桐生が呟く。


 だが。


 北の土地で戦ったものとは違う。


 巨大。


 魚のような形。


 その背中に。


 古代文字。


 カイルが叫ぶ。


「舵を切れ!」


「風がない!」


「櫂を出せ!」


 巨大な魔導兵が。


 口を開く。


 青い光。


「まずい!」


 ガイルが桐生を突き飛ばす。


 光が放たれる。


 海面が爆発した。


「うわっ!」


 船が大きく傾く。


「浸水!」


「右舷!」


「塞げ!」


 桐生が起き上がる。


「何で攻撃してくるんです!?」


「聞いてみろ!」


「通じるなら聞きますよ!」


 巨大な魔導兵が。


 再び旋回する。


 その時。


 船上の。


 王都から持ち帰った帳簿。


 青く光った。


「……え?」


 桐生が見る。


 二十年前の帳簿。


 表紙に。


 今までなかった文字が浮かぶ。


「アルベルトさんいないと読めない!」


「何て書いてある!?」


「だから読めない!」


 カイルが叫ぶ。


「読めねぇもん持ってくんな!」


「今言います!?」


 再び。


 魔導兵が迫る。


 だが。


 今度は。


 攻撃しない。


 帳簿の光へ。


 反応している。


「待って」


 桐生が帳簿を持ち上げる。


「おい!」


「何してる!」


「分かりません!」


「分からねぇのにやるな!」


「でも」


 帳簿を。


 船縁から外へ向ける。


 魔導兵が止まった。


 青い目。


 桐生を見る。


 いや。


 帳簿を見ている。


 そして。


 頭を下げた。


「……は?」


 ガイルが剣を下ろす。


「何だ?」


 魔導兵の背中が。


 開く。


 内部に。


 人が乗れるほどの空間。


「乗れってこと?」


「やめとけ」


 カイルが即答する。


「ですよね」


「絶対やめろ」


「ですよね」


 桐生は。


 アストラ方向を見る。


 風はない。


 船では半日。


 いや。


 この状態ならもっとかかる。


 目の前。


 巨大な古代魔導兵。


「……速そうですよね」


「桐生」


「はい」


「やめろ」


「でも」


「やめろ」


「エレノア様が」


「それでもだ!」


 桐生は。


 魔導兵を見る。


「ガイルさん」


「何だ」


「一緒に来ます?」


「行かねぇよ!」


「ですよね」


 少し考える。


「じゃあ――」


「俺は行く」


 ガイルが言った。


「え?」


「お前一人で行かせたら」


「絶対死ぬ」


「さっき行かないって」


「気が変わった!」


 カイルが頭を抱える。


「お前ら二人とも馬鹿だろ!」


「カイルさんは?」


「行くわけねぇだろ!」


 沈黙。


「……船は誰が見る」


 カイルが魔導兵を見る。


「くそ」


「行くんです?」


「行かねぇ!」


「じゃあ」


「俺も行く!」


「どっちですか!」


「うるせぇ!」


 三人は。


 巨大な魔導兵を見る。


 アストラまで。


 残り半日。


 税の期限まで。


 残り四日。


 そして。


 桐生たちは。


 船を捨てた。

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