第四十五話 扉の向こう
石の扉が開く。
低い音が。
地下全体を震わせた。
「下がれ!」
ガイルが桐生の前へ出る。
カイルも剣を構えた。
だが。
何も出てこない。
「……何だ?」
扉の向こう。
暗闇。
その奥に。
青い光が一つずつ灯っていく。
十。
二十。
いや。
もっと。
「道……?」
桐生が呟く。
長い通路だった。
壁には巨大な石柱。
床には青白い線が走っている。
古い。
なのに。
壊れていない。
「入るぞ」
ガイルが言う。
「待ってください」
「何だ?」
「普通こういうの」
「入ったら駄目なやつじゃないですか?」
「ここまで来て?」
「ここまで来たからです」
カイルが鼻で笑う。
「じゃあお前だけ残るか?」
桐生は暗い地下室を見る。
「……行きます」
「だろ?」
ガイルが笑う。
その時。
「待て」
アルベルトだった。
彼は老人を見ている。
「父を殺したと言ったな」
「ああ」
「なぜだ」
「言っただろう」
「欲を出した」
「それだけか?」
アルベルトの声が震える。
「二十年以上」
「クロイツ家はお前たちに従っていたのか?」
老人は少し考えた。
「従っていた?」
「違う」
「互いに利用していた」
「我々は財務院が必要だった」
「クロイツは情報と権力を欲しがった」
「だがグレゴールは」
「自分が上に立てると思い始めた」
老人が笑う。
「よくある話だ」
アルベルトの拳が震える。
桐生は。
その肩へ手を置いた。
「アルベルトさん」
「止めるな」
「止めません」
「ただ」
「今ここで殺しても」
「聞けなくなります」
アルベルトは老人を見る。
長い沈黙。
そして。
拳を下ろした。
「……聞いた後ならいいのか?」
「それはガイルさんに相談してください」
「俺?」
「護衛なので」
「雑に投げるな」
ほんの少しだけ。
張り詰めた空気が緩む。
「行きましょう」
桐生が言った。
「この人が見せたいものを」
「見ます」
◇
通路を進む。
老人が先頭。
少し離れてガイル。
桐生。
アルベルト。
カイル。
「罠なら斬る」
ガイルが言う。
「構わん」
「本当に?」
「ああ」
「随分余裕ですね」
桐生が聞く。
「私が死んでも」
「もう止まらん」
「何が?」
老人は答えない。
やがて。
通路が終わる。
広い空間。
「……これは」
桐生が息を呑んだ。
巨大な円形の部屋。
中央に。
透明な柱。
その中を。
青い光が流れている。
周囲には。
何十もの台座。
ほとんどは空。
「魔石?」
カイルが近づく。
「触るな!」
老人が初めて声を荒らげた。
カイルが止まる。
「何だよ」
「死にたいなら触れ」
「先に言え」
「今言った」
「ムカつく爺だな」
アルベルトは壁を見ていた。
「文字がある」
古い文字。
桐生には読めない。
「読めます?」
「一部だけだ」
アルベルトが指で追う。
「王国成立以前の文字だ」
「これは……」
「供給?」
「いや」
「配分」
「何を?」
老人が答える。
「魔力だ」
桐生が中央の柱を見る。
「この場所は」
「魔石を作る場所じゃない」
「集めた魔力を」
「各地へ配る施設だった」
「各地?」
「そうだ」
「ここだけではない」
老人は床を指す。
青い線。
「この線は地下を通っている」
「王都」
「アストラ」
「北方」
「南方」
「かつては」
「広大な地域が繋がっていたらしい」
桐生の表情が変わる。
「待ってください」
「魔力を送れる?」
「ああ」
「どれくらいの距離を?」
「知らん」
「物は?」
「送れない」
「人は?」
「送れない」
「魔力だけ?」
「そうだ」
桐生は少し安心した。
「何だ」
ガイルが聞く。
「いや」
「人まで送れたら」
「俺たちが港でやってきたこと全部何だったんだろうと思って」
「今それ考えるか?」
「大事です」
老人が初めて。
わずかに笑った。
「安心しろ」
「古代人も」
「物を運ぶには船と馬車を使っていた」
「よかった」
「何がだ」
「本当に大事なんですって」
だが。
問題はそこではない。
「今も使えるんですか?」
「分からん」
「二十年間調べてきたんでしょう?」
「起動しなかった」
「なぜ?」
「核がなかった」
「核?」
老人が中央の透明な柱を見る。
「この施設を動かすための」
「巨大な魔石だ」
「それが?」
「失われていた」
アルベルトが何かに気付く。
「軍用魔石……」
全員が彼を見る。
「海岸の隠し倉庫」
「大量の加工済み魔石があった」
「まさか」
老人が頷く。
「あれは」
「この施設を動かすために集めた」
「軍の備蓄じゃない?」
「表向きはな」
「じゃあ」
桐生が聞く。
「誰が集めた?」
老人は。
また答えない。
「あなたたち?」
「そうだ」
「王国軍の物資を?」
「必要だった」
「またそれですか」
桐生の声が低くなる。
「必要なら」
「何してもいいんですか?」
「良いとは言っていない」
「では?」
「やるしかなかった」
「違うでしょう」
老人が桐生を見る。
「何が違う」
「あなた」
「最初からそれしか言ってない」
「必要だった」
「仕方なかった」
「守るためだった」
桐生は老人を見る。
「だから」
「セイル商会を潰した」
「エドワードさんを殺した」
「ロイドさんの家族を人質にした」
「グレゴールを殺した」
「何を守ってるんです?」
老人の表情が。
初めて消えた。
「世界だ」
静寂。
「……大きく出ましたね」
「冗談ではない」
老人が壁へ近づく。
古い地図。
青い線が。
各地へ伸びている。
その一部。
北方。
赤い印。
「二十年前」
「この施設の一部が一瞬だけ起動した」
「その時」
「北方でも何かが動いた」
「何が?」
「分からない」
「だが」
老人はセレナたちの船団が来た北を指す。
「北方諸都市は」
「その時から魔石の産出量が増えた」
「そして今」
「アストラ北部を掘り返したことで」
「施設が再び起動した」
桐生は思い出す。
二十七隻。
北方から来た船団。
魔石を売りに来た。
「北方の魔石が増えたのも」
「これと関係が?」
「可能性はある」
「セレナさんたちは知ってる?」
「おそらく知らん」
「では」
アルベルトが聞く。
「何が世界を危険にする?」
老人が。
地図の一点を指した。
海の向こう。
黒く塗り潰された場所。
「ここだ」
「何がある?」
「古代の記録では」
老人は古い文字を読む。
「終端」
「終端?」
「魔力を配る網の」
「最後に繋がっていた場所だ」
「そこが?」
「二十年前」
「一度だけ」
「向こうから」
「魔力が流れ込んだ」
「逆に?」
「ああ」
「その量は」
老人の顔から。
完全に余裕が消える。
「この王都を」
「一晩で消せるほどだった」
ガイルが剣を握り直す。
「だから止めた?」
「そうだ」
「エドワードは?」
「施設を壊そうとした」
「俺の親父は?」
カイルが聞く。
「彼は」
「エドワードを手伝った」
カイルの目が鋭くなる。
「それで殺したのか」
「……そうだ」
剣が抜かれた。
「カイル!」
ガイルが間へ入る。
「どけ!」
「今は駄目だ!」
「こいつが!」
「分かってる!」
ガイルが真正面から受け止める。
「だからこそ」
「全部吐かせてからだ!」
「お前までそれ言うのかよ!」
桐生は老人を見る。
「一つ」
「分からない」
「何だ」
「二十年間」
「止めたかったんですよね?」
「ああ」
「なら」
「なぜ今」
「軍用魔石を集めて」
「起動させようとしてるんです?」
老人が黙った。
「矛盾してる」
「昔は止めた」
「今は動かそうとしてる」
「何が変わったんです?」
長い沈黙。
そして。
老人が言った。
「時間がなくなった」
「またそれですか」
「違う」
老人は中央の柱を指す。
「見ろ」
青い光。
その中に。
ほんの僅か。
黒いものが混じっている。
「何です?」
「逆流だ」
桐生の顔から笑みが消える。
「向こう側から?」
「ああ」
「二十年前より?」
「強い」
「放っておけば?」
「分からん」
「分からない?」
「止まるかもしれない」
「施設が壊れるだけかもしれない」
「あるいは」
「突然すべて流れ込むかもしれない」
「だから」
「先に起動して」
「制御する?」
「そうだ」
桐生は頭を抱えた。
「最悪だ」
「何がだ?」
「あなた」
「本当に全部一人で決めてる」
「他に誰が決める」
「それですよ」
「誰にも言わない」
「誰にも相談しない」
「情報を隠す」
「邪魔する人は消す」
「結果」
指を折る。
「クロイツは暴走」
「エドワードさんは反発」
「セイル商会は海賊化」
「アストラは衰退」
「王国軍の物資まで盗む」
「全部」
「あなたが一人で守ろうとした結果でしょう」
老人が桐生を睨む。
「では」
「お前ならどうする」
「世界が滅びるかもしれない秘密を」
「市場で話し合うのか?」
「極端だなぁ」
「答えろ」
桐生は。
少し考えた。
「分けます」
「何?」
「あなた一人が持ってるものを」
「分ける」
「知識」
「責任」
「危険」
「利益」
「全部」
老人が鼻で笑う。
「理想論だ」
「そうかもしれません」
「でも」
「一人で二十年やった結果がこれなら」
桐生は周囲を見る。
「別の方法」
「試してもいいでしょう」
老人は黙った。
その時。
アルベルトが声を上げた。
「待て」
「どうしました?」
「この地図」
壁の一部。
王都から伸びる青い線。
アストラ。
北方。
南方。
そして。
「ここ」
一本だけ。
新しい線が光り始めている。
「さっきまで光ってた?」
「いや」
老人が顔色を変えた。
「そんなはずはない」
「何が?」
「この線は」
「二十年前に切断した」
「どこへ繋がってる?」
老人が。
ゆっくり地図を辿る。
その先。
「アストラ……」
桐生が呟く。
「違う」
老人が首を振る。
「アストラの」
「さらに地下だ」
青い線が。
強く光る。
同時に。
中央の柱が脈打った。
ドン。
地下が揺れる。
「何だ!?」
二度目。
ドン。
そして。
遠く離れたアストラでは。
◇
「地震?」
エレノアが机を押さえた。
城が揺れている。
「違います!」
兵士が飛び込んでくる。
「北部です!」
「北部?」
「魔石鉱床のある土地から」
「光が!」
エレノアが窓へ走る。
遠く。
北の空。
青い光。
地面から。
空へ向かって伸びている。
「何……あれ」
リディアも言葉を失う。
港では。
北方商人たちが騒ぎ始めていた。
セレナが。
青い光を見ている。
「まさか……」
「知ってるんですか?」
エレノアが聞く。
セレナは答えない。
「セレナさん!」
ようやく。
彼女が振り返る。
「北方でも」
「三日前から同じ光が出ています」
エレノアの表情が変わる。
「三日前?」
「はい」
「だから」
「私たちはアストラへ来たんです」
「商売のためでは?」
「それも本当です」
「では」
「もう一つの理由は?」
セレナは。
青い光を見る。
「北方の魔石が」
「一斉に」
「壊れ始めています」
「壊れる?」
「中の魔力が抜けている」
エレノアは息を呑む。
魔石。
北方商人たちが大量に持ち込んだ商品。
アストラ港には。
今。
その魔石がある。
「全部ですか?」
「最初は古いものだけでした」
「でも」
セレナの顔が強張る。
「今朝から」
「新しい魔石も始まった」
その瞬間。
港から。
悲鳴。
「魔石が!」
「光ってるぞ!」
「離れろ!」
北方船。
積み荷の中。
無数の青い光。
リディアの顔色が変わる。
「まずい」
「何が?」
「魔石を積んだ船」
「何隻あると思ってるんです?」
エレノアが港を見る。
二十隻。
倉庫。
市場。
人。
「全員を離して!」
「はい!」
「港を閉鎖!」
「待ってください」
リディアが止める。
「閉鎖したら逃げ場がなくなります」
「じゃあ?」
「船を沖へ」
「魔石だけを分ける」
「でも触っていいのか分からない!」
二人が止まる。
判断材料がない。
桐生はいない。
ガイルもいない。
カイルもいない。
エレノアは。
一瞬だけ目を閉じた。
そして。
「ヴァルターさんを呼んで」
「海軍に港の避難を任せます」
「リディアさん」
「商人と積み荷の整理を」
「私は北へ行きます」
「一人で?」
「兵を連れます」
「危険です」
「分かっています」
エレノアは。
父の手紙を思い出した。
領主になろうとするな。
守りたい人の隣に立て。
「だから」
「行きます」
北の空。
青い光は。
さらに強くなっていた。
税の期限まで。
残り五日。
だが今。
アストラで数えられているのは。
金貨ではなく。
魔石が壊れ始めるまでの時間だった。




