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第四十四話 第七倉庫

「燃やせ」


 王都第七倉庫。


 裏門に停められた三台の馬車には、古い帳簿が山積みになっていた。


「全部ですか?」


「全部だ」


「二十年前のものだけでは?」


 男は振り返る。


 胸元に。


 小さな鳥の徽章。


「残せば、繋がる」


「二十年前も」


「今もな」


 油が撒かれる。


 火種が近づく。


 その時だった。


「お待ちください!」


 一人の若い役人が走ってきた。


「何だ」


「港から急報です」


「アストラの船が」


「王都へ向かっています」


 鳥の徽章の男が目を細める。


「誰が乗っている」


「桐生真琴」


「ガイル」


「黒鴎団のカイル」


「それと――」


 一瞬。


 役人が躊躇する。


「アルベルト・クロイツ様です」


 男の手が止まった。


「……アルベルト?」


「はい」


 しばらく。


 沈黙。


「火を消せ」


「え?」


「帳簿は燃やすな」


「しかし」


「予定を変える」


 男は馬車を見る。


「これだけ良い餌を」


「燃やす必要はない」


◇


「速すぎる!」


 桐生は船縁にしがみついていた。


「速い船を頼んだのお前だろ!」


 カイルが叫ぶ。


「速さにも限度があるでしょう!」


「これでも帆を絞ってる!」


「もっと!」


「期限七日だぞ!」


「命も一個しかないんですよ!」


「桐生!」


 ガイルが背中を叩く。


「海ばっか見てると酔うぞ!」


「今言わないで……」


「もう酔ってんじゃねぇか」


「だから言わないで……」


 アルベルトだけが。


 船尾で静かに王都方向を見ていた。


「アルベルトさん」


「何だ」


「大丈夫ですか?」


「何がだ」


「王都へ戻るの」


 返事がない。


 自分を殺そうとした場所。


 父グレゴールも消えた。


 そして。


 これから向かう第七倉庫は。


 クロイツ家の秘密が眠る場所だ。


「怖くないと言えば嘘になる」


 アルベルトが言った。


「だが」


「逃げたところで、私は一生クロイツの名前から逃げることになる」


 海を見る。


「それは気に入らない」


「アルベルトさんらしいですね」


「褒めているのか?」


「今回は」


「お前もガイルに似てきたな」


「それはちょっと嫌だな」


「聞こえてるぞ!」


 ガイルの声が飛んできた。


 少しだけ。


 空気が軽くなる。


 だが。


 カイルは笑っていなかった。


「船だ」


 前方。


 一隻の商船。


 王都から南へ向かっている。


「何か変です?」


「あの積み方」


 甲板に。


 木箱が山積みになっている。


「重すぎる」


「沈みかけてる」


 すれ違う。


 その瞬間。


 アルベルトが立ち上がった。


「待て!」


「どうしました?」


「あの箱」


 商船の木箱。


 側面に。


 黒い鳥。


「クロイツ商会の印だ」


「追うか?」


 カイルが聞く。


 桐生は迷った。


 第七倉庫。


 税の期限。


 残り七日。


「いや」


「王都へ」


「いいのか?」


「はい」


「全部追ってたら間に合いません」


 カイルが笑う。


「少しは覚えたな」


「何を?」


「諦めること」


「嫌な言い方だな」


 だが。


 その通りだった。


 全部は追えない。


 今必要なのは。


 二十年前から魔石がアストラの産業に関係していた証拠。


 それだけ。


◇


 二日後。


「王都……」


 桐生は思わず声を漏らした。


 巨大だった。


 アストラとは比べものにならない。


 高い城壁。


 何本もの塔。


 無数の船。


 港には人と荷物が溢れている。


「止まってるな」


 カイルが言った。


「何が?」


「荷だ」


 よく見る。


 桟橋に大量の木箱。


 荷車は並んでいる。


 だが進んでいない。


「本当に遅いんですね」


「アストラが異常に速くなっただけかもしれん」


 アルベルトが答える。


「それ褒めてます?」


「今回はな」


「みんなその言い方使うのやめません?」


 船が港へ入る。


「身分証を!」


 役人が来る。


 アルベルトが前へ出た。


「アルベルト・クロイツだ」


 役人の顔が変わった。


「……少々お待ちを」


 走っていく。


 戻ってこない。


「どれくらい待つ?」


 ガイルが聞く。


「普通なら半刻ほどだ」


 アルベルトが答える。


「待てませんね」


 桐生が船を降りる。


「おい」


「何してる」


「入港許可待ってたら日が暮れます」


「でも勝手に――」


「船の許可ですよね?」


「俺たち歩いて行きます」


「屁理屈だな」


「急いでるので」


 カイルが笑った。


「好きになってきたぞ、そのやり方」


◇


 第七倉庫は。


 王都港の外れにあった。


「でかいな」


 ガイルが見上げる。


 石造り。


 三階建て。


 窓は少ない。


 正面には。


 クロイツ商会の鳥の紋章。


「ここです」


 アルベルトの声が硬くなる。


「入れる?」


「私の鍵がまだ使えれば」


 懐から鍵を出す。


 扉へ差し込む。


 回る。


「……使えた」


「歓迎されてますね」


「嫌な言い方をするな」


 中へ入る。


 暗い。


 大量の棚。


 木箱。


 樽。


「帳簿は?」


「三階の記録室だ」


「行きましょう」


 階段を上る。


 一階。


 二階。


 そして。


「待て」


 カイルが止まった。


「どうしました?」


「臭う」


「何が?」


「油だ」


 全員が止まる。


「火事?」


「まだ燃えてねぇ」


 ガイルが剣を抜いた。


「誰かいるな」


 三階へ上がる。


 廊下。


 誰もいない。


 だが。


 床に。


 油が撒かれている。


「急ぐぞ!」


 記録室。


 扉を開ける。


「……ない」


 アルベルトが呟いた。


「何が?」


「帳簿だ」


 棚が。


 空だった。


「全部?」


「古いものだけじゃない」


 アルベルトが棚を確認する。


「ここ十年分が」


「丸ごと消えている」


「運び出された?」


「おそらく」


 桐生は床を見る。


 埃の上に。


 車輪の跡。


「馬車」


「まだ新しいです」


 ガイルが窓を開ける。


 裏庭。


 轍が続いている。


「追うぞ!」


「待ってください」


「何でだ!」


「罠かもしれない」


「だったらどうする?」


 桐生は部屋を見る。


 帳簿はない。


 油。


 開いた扉。


 アルベルトの鍵が使えた。


「簡単すぎる」


「何が?」


「俺たち」


「ここまで一度も止められてない」


 アルベルトの表情が変わる。


「まさか」


 その瞬間。


 下から。


 扉の閉まる音。


 ガシャン。


「おい!」


 ガイルが階段へ走る。


 直後。


 下から。


 赤い光。


「伏せろ!」


 爆発。


 床が揺れる。


「くっ!」


 煙が上がる。


 そして。


 炎。


「火をつけやがった!」


 カイルが叫ぶ。


 一階から。


 炎が広がってくる。


「窓から出るぞ!」


「三階ですよ!」


「じゃあ燃えるか!?」


「それも嫌です!」


 ガイルが窓を見る。


「俺なら飛べる」


「一人でどうぞ!」


「お前抱えて――」


「絶対嫌です!」


 アルベルトは。


 空の棚を見ていた。


「……違う」


「何が?」


「帳簿を燃やすなら」


「ここで燃やせばいい」


「わざわざ運び出す必要がない」


 桐生が止まる。


 そうだ。


「俺たちに」


「追わせたい?」


 裏庭。


 轍。


 分かりやすく残された痕跡。


「でも」


 カイルが言う。


「追わなきゃ証拠は手に入らねぇぞ」


 炎が迫る。


 選ぶ時間はない。


「出ます!」


「どうやって!」


 桐生は窓の外を見る。


 三階。


 隣の建物。


 距離。


「カイルさん!」


「あ?」


「あそこ!」


 隣の倉庫との間。


 荷物を吊るす太い縄。


「行ける?」


 カイルが笑った。


「俺を誰だと思ってる」


 窓枠へ足をかける。


「海賊です」


「正解!」


 縄へ飛びついた。


「先に行く!」


 滑っていく。


「おい桐生!」


 ガイルが背後から近づく。


「まさか」


「抱えるぞ」


「ちょっと待っ――」


「時間ねぇ!」


「うわあああ!」


◇


「死ぬかと思った……」


 隣の倉庫の屋根。


 桐生は這いつくばっていた。


「大袈裟だな」


 ガイルが笑う。


「三階から縄一本ですよ!?」


「生きてるだろ」


「結果論!」


 最後にアルベルトが渡ってくる。


 直後。


 第七倉庫の三階にも炎が回った。


「燃えるな」


 カイルが言う。


「ええ」


 桐生は炎を見る。


 帳簿はない。


 でも。


 相手は燃やさなかった。


 持ち出した。


「追いましょう」


「今度はいいのか?」


 ガイルが聞く。


「はい」


「相手が追わせたいなら」


「追います」


「罠でも?」


「罠なら」


 桐生は立ち上がる。


「罠を作った人がいる」


「そいつに会えます」


 ガイルが笑った。


「やっぱ性格悪いな」


「褒めてます?」


「今回はな」


「もういいです、それ」


◇


 轍を追う。


 王都の裏通り。


 港湾地区を抜ける。


 馬車の跡は。


 地下水路の入口で消えていた。


「ここ?」


 ガイルが眉をひそめる。


「馬車は入れねぇぞ」


 アルベルトが壁を見る。


「いや」


「ここには旧搬入口がある」


「知ってるんですか?」


「クロイツ商会が昔使っていた」


「地下倉庫だ」


 カイルが呆れる。


「お前の家」


「地下倉庫多すぎねぇか?」


「私に言うな」


 アルベルトが壁の一部を押す。


 石壁が。


 ゆっくり開いた。


 暗い階段。


「……行きます?」


 桐生が聞く。


「ここまで来て帰るのか?」


 ガイルが先に降りる。


「ですよね」


 松明を持つ。


 地下へ。


 階段は深い。


 湿った空気。


 やがて。


 広い空間へ出た。


「何だここ……」


 ガイルが呟く。


 そこには。


 帳簿があった。


 山ほど。


「全部?」


 アルベルトが近づく。


「第七倉庫のものだ」


「じゃあ当たり?」


 桐生が一冊を開く。


 古い。


 二十年前。


 魔石。


 搬入。


 加工。


 運搬。


「ありました」


 ページをめくる。


 産出地――アストラ北部。


 消されていない。


「これだ!」


 アルベルトが声を上げる。


「これがあれば」


「アストラの魔石が二十年前から産業利用されていたことを証明できる!」


「持って帰りましょう」


 桐生が帳簿を閉じる。


 その時。


 拍手。


 暗闇の奥から。


 ゆっくり。


 音が響いた。


 パチ。


 パチ。


 パチ。


「見事だ」


 全員が振り返る。


 男が一人。


 暗闇から歩いてくる。


 老人。


 黒い外套。


 胸元には。


 鳥の徽章。


「お前……」


 カイルの声が低くなる。


「二十年前」


「セイル商会を海賊にした役人」


 男が笑う。


「久しぶりだな」


「カイル・セイル」


 カイルの表情が変わった。


「俺の名前を」


「知ってるのか」


「もちろん」


「お前の父親もよく知っていた」


 剣が抜かれる。


「カイル!」


 桐生が止める。


「離せ」


「まだです」


「こいつが親父を――」


「私ではない」


 老人が言った。


「何?」


「私は命令しただけだ」


 カイルの殺気がさらに強くなる。


「それを普通はやったって言うんだよ」


 老人は気にしない。


 視線は。


 アルベルトへ向いていた。


「大きくなったな」


 アルベルトが固まる。


「……私を知っているのか?」


「赤子の頃から」


「誰だ」


 老人が笑う。


「父親に聞かなかったか?」


「クロイツ家が」


「なぜ三代も財務院を支配できたのか」


 アルベルトの顔色が変わる。


「まさか」


「グレゴールはどこだ」


 老人の笑みが消えた。


「死んだよ」


 静寂。


「……何?」


 アルベルトの声が震えた。


「父が?」


「ああ」


「三日前」


「私が殺した」


 ガイルが剣を構える。


 桐生も息を呑む。


 老人は。


 淡々と続けた。


「グレゴールは欲を出しすぎた」


「アストラの魔石を」


「クロイツ家のものにしようとした」


「それは困る」


「なぜ?」


 桐生が聞く。


 老人が。


 初めて桐生を見る。


「魔石は」


「クロイツ家のものではない」


「王国のもの?」


「違う」


「では誰の?」


 老人は笑った。


「誰のものでもない」


 そして。


 地下の奥へ手を向ける。


 暗闇の中。


 一つ。


 また一つ。


 青い光が灯る。


「何だ……?」


 ガイルが呟く。


 壁一面。


 魔法陣。


 その中央に。


 巨大な石の扉。


「二十年前」


 老人が言う。


「我々がアストラで見つけたのは」


「魔石鉱床ではない」


 桐生の背中に寒気が走る。


「では?」


「遺跡だ」


 老人は答えた。


「地下深くに眠る」


「古代魔導文明の遺跡」


「魔石は」


「そこから漏れ出した欠片に過ぎない」


 誰も言葉を出せない。


「クロイツは金を見た」


「王国は兵器を見た」


「外国は力を見るだろう」


「だが」


 老人は石の扉を見る。


「中に何があるのか」


「二十年間」


「誰も知らない」


「開かなかったからだ」


 桐生が扉を見る。


「じゃあ」


「なぜ今?」


 老人が。


 桐生を見る。


「開いた」


 青い光が強くなる。


「お前たちが」


「北の土地を掘り返した日に」


 低い音。


 地下全体が揺れる。


 ゴゴゴゴゴ――。


「何だ!?」


 魔法陣が光る。


 老人が笑った。


「だから」


「時間がなかった」


「アストラを潰す必要があった」


「港を止め」


「人を追い出し」


「北の土地を封鎖する」


「誰にも」


「あれへ近づかせないために」


 桐生は老人を睨む。


「そのために」


「ロイドさんの家族を人質にした?」


「必要だった」


「火も?」


「必要だった」


「セイル商会も?」


「必要だった」


 カイルが踏み出す。


 今度は。


 桐生も止めなかった。


 だが老人は。


 さらに一言。


「そして」


「エドワード・アストラも」


 エレノアの父。


「何?」


 老人は。


 静かに言った。


「彼は事故で死んだのではない」


 地下の空気が。


 凍った。


「我々が殺した」


 カイルの剣が止まる。


 ガイルの顔から笑みが消える。


 桐生は。


 老人だけを見ていた。


「我々って」


「誰です?」


 老人は答えない。


「クロイツじゃない」


「財務院でもない」


「王国でもない」


「じゃあ」


「あなたたちは誰なんです?」


 老人が。


 胸元の鳥の徽章へ触れた。


「二十年前」


「エドワードも同じ質問をした」


 青い光が。


 老人の顔を照らす。


「そして」


「答えを知ったから死んだ」


 次の瞬間。


 地下の石扉が。


 ゆっくりと。


 開き始めた。

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