第四十二話 九十二枚
「追います!」
エレノアが立ち上がった。
「ガイル!」
「もう行ってる!」
割れた窓の向こう。
ガイルが庭を駆けていく。
偽の王命を持ってきた老人は、城壁の方へ逃げていた。
「黒鴎団にも伝えます」
カイルも扉へ向かう。
「港から船を出させねぇ」
「お願いします!」
エレノアの指示が飛ぶ。
もう迷っていない。
「城門を閉じてください。ただし港は止めない。商人には何も知らせないで」
桐生が彼女を見る。
「いいんですか?」
「ここで市場を止めたら」
エレノアは床に落ちた偽の王命を見る。
「偽物でも、相手の目的を達成させることになります」
桐生は頷いた。
「その通りです」
「それと」
エレノアが振り返る。
「桐生さん」
「はい」
「税を払いましょう」
「……今?」
「今です」
エレノアは帳簿を手に取った。
「あと九十二枚なのでしょう?」
「はい」
「なら今日作ります」
その声に。
リディアが笑った。
「賛成です」
「偽の王命を調べるのは?」
「レオンさんとアルベルトさんに任せます」
エレノアは二人を見る。
「できますか?」
レオンが僅かに笑う。
「領主らしくなりましたね」
「できますか?」
もう一度。
今度は強く聞く。
「失礼しました」
レオンが頭を下げた。
「引き受けます」
「私も調べよう」
アルベルトが偽書状を手に取る。
「この紙を使える人間は限られている」
「お願いします」
エレノアは港を見る。
「私たちは」
「今日中に金貨九十二枚を作ります」
◇
「とは言ったものの」
港へ向かいながら。
「九十二枚ってどう作るんです?」
桐生が聞いた。
エレノアが止まった。
「……桐生さんが考えるのでは?」
「え?」
「え?」
二人でリディアを見る。
「こっちを見ないでください」
「何かありません?」
「ありますよ」
「あるんだ」
「でも」
リディアは市場を指差した。
「まず見てください」
北方商人。
南方商人。
アストラの商人。
人は昨日より増えている。
だが。
奇妙だった。
「荷物が動いてない?」
「そうです」
交渉はしている。
値段も決まっている。
それなのに。
荷物が市場に残っている。
「何で?」
「金がないんです」
リディアが答えた。
「北方商人は南方の染料を欲しい」
「南方商人は北方の鉄を欲しい」
「なら交換すれば?」
「量も価格も違います」
鉄を金貨百枚分売りたい商人。
染料を金貨六十枚分買いたい商人。
差額四十枚。
それを払う現金が足りない。
「王都なら両替商がいるんですが」
「アストラには?」
「私くらいです」
「貸せないんですか?」
「全員に貸していたら私が破産します」
「ですよね」
桐生は市場を見る。
売りたい。
買いたい。
値段も合っている。
なのに。
金が間にないから止まっている。
「惜しいな」
桐生が呟く。
「何か一枚」
「間に挟めれば」
リディアが横目で見る。
「一枚?」
「例えば」
桐生は近くにあった木札を取る。
「鉄を預かった証明」
木札へ書く。
鉄 金貨百枚相当。
「これを鉄商人に渡す」
「その札で染料を買う」
「染料商人は?」
「札を持ってくる」
「誰に?」
「……俺たち?」
リディアが笑った。
「ようやく気付きました?」
「これ考えてたんですか?」
「似たようなことは」
「先に言ってくださいよ」
「桐生さんが悩んでいたので」
「楽しんでました?」
「少し」
エレノアが木札を見る。
「でも」
「これ、本当に使ってもらえるんですか?」
「そこです」
リディアが答える。
「ただの木札なら誰も受け取りません」
「アストラ領が」
「金貨と同じ価値で受け取ると約束すれば?」
エレノアの表情が変わる。
「例えば」
桐生も気付く。
「港の使用料」
「倉庫料」
「荷役料」
「全部、この札で払える」
「はい」
「さらに」
リディアが続ける。
「今日の市場終了時に」
「私が金貨へ交換します」
「ちょっと待ってください」
「結局リディアさんがお金を出すんじゃ?」
「全員が交換すれば、ですね」
リディアは市場を見る。
「でも」
「港で使えるなら」
「明日も商売する人は持っておく」
桐生は木札を見る。
ただの札。
でも。
受け取る人がいるなら。
動く。
「やります?」
桐生がエレノアを見る。
エレノアは少し考えた。
「偽造されたら?」
桐生とリディアが同時に止まった。
「……そこ考えてなかった」
「私は考えてました」
「嘘だ」
「失礼ですね」
リディアは別の木札を出した。
アストラ家の焼き印。
番号。
そして半分に割れる特殊な刻み。
「城側でも同じ番号を記録します」
「さすが」
「もっと褒めてください」
「後で」
「今してください」
「二人とも」
エレノアが呆れた。
「やりましょう」
◇
昼。
市場の中央。
エレノアが商人たちの前に立つ。
「本日より」
「アストラ港内でのみ使用できる取引札を発行します」
ざわめきが広がる。
「何だそれ?」
「金じゃないのか?」
「こんな木札で商品を売れと?」
予想通り。
反応は悪い。
一人の北方商人が声を上げた。
「そんなもの信用できるか!」
「そうだ!」
「金貨を出せ!」
エレノアは逃げなかった。
「では」
「私から使います」
商人たちが静かになる。
「アストラ領が北方商人から小麦を購入します」
「代金の半分を金貨」
「半分を取引札で支払います」
「待ってください」
桐生が小声で言う。
「小麦買うんですか?」
「領内で使えます」
「でも今、金ないですよ?」
「半分は札です」
「強くなったなぁ……」
「聞こえてます」
北方の小麦商人が腕を組む。
「その札」
「本当に金貨に換えられるのか?」
「本日の市場終了後」
「リディア商会が交換します」
一斉に。
視線がリディアへ向く。
「……私を盾にしましたね」
「駄目ですか?」
「嫌いじゃありません」
リディアが前へ出る。
「保証します」
空気が変わった。
アストラ領だけではない。
この地域最大の商人。
リディア・ヴァレンスが保証する。
「なら」
小麦商人が言った。
「試してみるか」
最初の札が渡る。
金貨二十枚分。
その札を持った商人は。
しばらく市場を歩き。
南方の商人の前で止まった。
「その香辛料」
「札でもいいか?」
南方商人が迷う。
札を見る。
リディアを見る。
エレノアを見る。
「……十枚分なら」
取引成立。
札が。
別の人間へ渡った。
「あ」
エレノアが声を漏らす。
次。
香辛料商人が、その札で倉庫を借りる。
アストラ領へ戻る。
別の札は鉄を買う。
その札で荷役代を払う。
さらに別の札は。
黒鴎団の護衛料へ。
「おい」
カイルが木札を持ってきた。
「俺たちの給料これなのか?」
「使えますよ」
「酒買える?」
「店が受け取れば」
「使えねぇじゃねぇか!」
「じゃあ受け取ってくれる酒場を探してください」
「俺が営業すんのかよ!」
「新しい仕事ですね」
「海賊に何させてんだ!」
だが。
夕方には。
港の酒場三軒が札を受け取るようになっていた。
「……使えるじゃねぇか」
カイルが呟く。
「営業上手ですね」
「うるせぇ」
◇
市場終了。
リディア商会の前。
「交換に来た商人は?」
桐生が聞く。
「七人です」
「金額は?」
「金貨三十一枚分」
「発行した札は?」
「百四十枚分」
桐生は驚いた。
「百九枚分」
「まだ市場に残ってる?」
「はい」
「みんな」
「明日も使うつもりです」
リディアが笑う。
金貨を増やしたわけではない。
でも。
止まっていた取引が動いた。
そして。
取引が動けば。
港には金が落ちる。
荷役。
倉庫。
場所。
護衛。
食事。
宿。
修理。
「集計出ました!」
エレノアが帳簿を持って走ってくる。
「今日一日の港収入」
「経費を引いて」
息を整える。
「金貨百三十七枚です」
桐生が止まった。
「百三十七?」
「はい」
「必要なのは?」
「九十二枚です」
ガイルが笑う。
「じゃあ」
エレノアが。
ゆっくり頷いた。
「払えます」
誰も。
すぐには声を出さなかった。
十三日前。
金貨八百四十枚。
どう考えても届かなかった。
魔石を売れば簡単だった。
でも売らなかった。
未来の倉庫を売った。
南方の船が来た。
道を塞がれた。
海へ出た。
北方の船が来た。
市場を開いた。
そして。
「払える……」
エレノアがもう一度言った。
今度は。
少しだけ声が震えていた。
「お父様が残したものを」
「売らなくても」
「はい」
桐生が答える。
「アストラが稼いだ金です」
エレノアは目を閉じた。
そして。
笑った。
「では」
「払いましょう」
「今すぐ?」
「今すぐです」
「期限まで七日ありますよ」
「だからです」
エレノアは顔を上げる。
「向こうが決めた期限より」
「先に払います」
ガイルが大笑いした。
「いいな、それ!」
「俺も好きだ」
カイルも笑う。
リディアは帳簿を閉じた。
「では」
「税に回す分を分けます」
桐生も笑った。
ようやく。
終わる。
税の問題だけは。
◇
だが。
その夜。
「桐生!」
城の扉が勢いよく開いた。
ガイルだった。
「捕まえた!」
「誰を?」
「偽の王命を持ってきた爺さんだ!」
全員が立ち上がる。
「生きてます?」
「当たり前だ!」
「ガイルさんなので一応」
「どういう意味だ!」
地下の一室。
老人は椅子に縛られていた。
服は泥だらけ。
逃走中に黒鴎団に捕まったらしい。
「誰の命令です?」
エレノアが聞く。
老人は黙っている。
「グレゴール・クロイツ?」
反応なし。
「財務院?」
反応なし。
「王都第七倉庫?」
僅かに。
老人の指が動いた。
アルベルトが気付く。
「やはりそこか」
「中に何がある?」
老人が。
初めて笑った。
「……もう遅い」
「何が?」
「税を払う?」
全員の表情が変わる。
「払えばいい」
「払ったところで」
「アストラは終わる」
桐生が老人を見る。
「どういう意味です?」
「お前たちは」
「税の期限を縮められたと思っている」
「違うのか?」
「違う」
老人が笑う。
「期限を縮めたのは」
「お前たちから金を取るためではない」
地下室が静まる。
「では何のためです?」
老人は。
エレノアを見た。
「払わせるためだ」
「……何?」
「アストラが」
「自力で税を払えるほど回復したと」
「王都に証明させるためだ」
桐生の背中に。
嫌な感覚が走った。
「それの何が問題なんです?」
老人が笑う。
「知らないのか」
「王国法を」
レオンの顔色が変わった。
「待て」
「何です?」
レオンは答えない。
「レオンさん?」
「……アストラは」
レオンがゆっくり言う。
「長年」
「王国の特別救済領に指定されている」
「それが?」
「救済領には」
「王家から与えられた特例がある」
アルベルトも気付いた。
「まさか」
「何なんです?」
桐生が聞く。
レオンはエレノアを見る。
「地下資源だ」
空気が止まった。
「救済領で発見された地下資源は」
「領主財産として保護される」
「しかし」
「救済指定が解除された場合――」
老人が続きを言った。
「新たに発見された戦略資源は」
「王国との共同管理になる」
魔石。
桐生の頭に。
その二文字が浮かんだ。
「待ってください」
「税を払ったら」
「救済指定が解除される?」
「一度で自動的にではない」
レオンが答える。
「だが財務院が」
「財政再建完了を申請できる」
老人が笑う。
「そうだ」
「だから」
「払ってもらわなければ困る」
金貨八百四十枚。
短縮された期限。
妨害。
港。
商人。
すべて。
税を払わせないためだと思っていた。
逆だった。
「グレゴールは……」
アルベルトが呟く。
「最初から」
「魔石を奪うために」
「アストラを立て直そうとしていた?」
老人は答えない。
だが。
その笑みが。
答えだった。
机の上には。
税として送るはずだった金貨がある。
払わなければ。
アストラは税を滞納する。
払えば。
魔石を守ってきた制度を失う可能性がある。
残り七日。
金貨は。
揃った。
そして初めて。
桐生は理解した。
今回の問題は。
金を作ることではなかった。
作った金を、払っていいのか。




