第四十一話 港を開け
「条件付きなら可能だ」
ヴァルターの言葉に。
桐生が顔を上げた。
「本当ですか?」
「最後まで聞け」
海軍船の船室。
机の上には海図と、王国法の分厚い冊子。
ヴァルターは一枚の紙を指で叩いた。
「外国船を正式に入港させるには王都の許可がいる。だが、遭難や補給を目的とした一時寄港なら、現地の海軍責任者が許可できる」
「それでいきましょう」
「最後まで聞けと言っただろう」
「すみません」
「武装船七隻は沖に残す」
「商船二十隻も一度に入れない。五隻ずつだ」
「積み荷は海軍が検査する」
「武器の売買は禁止」
「魔石は?」
「商用品なら禁止されていない」
桐生の目が輝く。
「それなら――」
「ただし」
ヴァルターが睨む。
「これは補給のための寄港だ」
「港で大規模な取引を始めれば、通商と判断される可能性がある」
「可能性?」
「法に明確な線引きがない」
桐生は少し黙った。
「つまり」
「やりすぎなければ?」
「私はそう言っていない」
「でも止めるとも言ってない」
「お前、本当に面倒だな」
ガイルが笑った。
「今頃気付いたのか?」
「ガイルさんはどっちの味方です?」
「面白い方」
「最悪だ」
セレナは静かに二人を見ていた。
「一つよろしいですか?」
「どうぞ」
「私たちは、アストラでなければ帰ります」
桐生が彼女を見る。
「王都北港では?」
「行きません」
「なぜ?」
「高いからです」
即答だった。
「入港税」
「荷役料」
「倉庫料」
「そして、理由の分からない手数料が七種類」
「七種類?」
「書類確認料。再確認料。荷札発行料。荷札照合料」
「同じことしてません?」
「私もそう思います」
ヴァルターが気まずそうに目を逸らす。
「それに」
セレナは続けた。
「順番を早めるには、役人へ別の金が必要です」
「賄賂?」
「北では心付けと呼んでいます」
「王都でも似たようなものだ」
アルベルトが淡々と言った。
全員が彼を見る。
「何だ」
「元財務院の人が普通に言うんですね」
「だから腐っていると言っている」
桐生は海図を見る。
アストラ。
王都北港。
南方。
北方自由都市。
今まで別々に見えていたものが。
一つに繋がり始めている。
「戻りましょう」
「アストラへ?」
「はい」
「でも」
桐生はセレナを見る。
「一つだけ約束してください」
「何を?」
「アストラは」
「何でも安くする港にはしません」
セレナの目が細くなる。
「……どういう意味です?」
「安いから来るだけなら」
「もっと安い港ができた時に、みんなそっちへ行くでしょう?」
セレナは少し黙り。
笑った。
「では」
「何を売るつもりです?」
桐生も笑う。
「それを今から作ります」
◇
アストラ港へ戻ったのは。
日が沈む直前だった。
「来た!」
港から声が上がる。
エレノア。
リディア。
そして多くの商人たちが待っていた。
「桐生さん!」
エレノアが駆け寄る。
「大丈夫でしたか?」
「はい」
「王国海軍に囲まれたと聞いて――」
「誰から聞いたんです?」
「黒鴎団の一隻が先に戻りました」
「なるほど」
その横。
リディアは桐生ではなく。
沖を見ていた。
「……何ですか、あれ」
「二十七隻です」
「見れば分かります」
「北方から来ました」
「それも旗を見れば分かります」
「商売したいそうです」
リディアがゆっくり桐生を見る。
「桐生さん」
「はい」
「私が二日間」
「南方商人の荷を捌くためにどれだけ走り回ったと思います?」
「かなり?」
「十二隻です」
「はい」
「やっと残り三隻まで来たんです」
「はい」
「そこへ?」
沖。
二十七隻。
「追加です」
「二十七隻」
「……怒ってます?」
「怒ってません」
「よかった」
「殺意があるだけです」
「もっと悪い!」
エレノアが慌てて二人の間へ入った。
「でもリディアさん」
「北方船が来たということは」
「分かっています」
リディアの表情が変わる。
「商機です」
やはり早い。
「積み荷は?」
「鉄、木材、薬草、小麦、魔石」
「魔石?」
「商用品だそうです」
「量は?」
「まだ分かりません」
「価格は?」
「王都より安いと思います」
「決済は?」
「聞いてません」
「誰が買うんです?」
「決めてません」
「……何を決めて帰ってきたんです?」
「入港できるかどうか?」
「それだけ!?」
「大事でしょう!」
リディアが額を押さえた。
そして。
数秒後。
「……市場を開きます」
「え?」
「明日の朝」
「港に商人を集めてください」
「何をするんです?」
「北方商人が何を売りたいのか」
「南方商人が何を買いたいのか」
「アストラの商人が何を欲しいのか」
「全部、一度に聞きます」
桐生が気付く。
「直接売らせる?」
「そうです」
「私たちが買い取る必要はない」
リディアは沖の船団を見る。
「場所を貸すんです」
◇
翌朝。
港の広場には。
人が溢れていた。
「北方鉄!」
「王都価格の八割だ!」
「南方の染料と交換できるか!?」
「小麦なら欲しい!」
「薬草を見せろ!」
「この布はどこで作った!?」
怒号。
値段。
笑い声。
交渉。
昨日まで荷役場だった場所が。
巨大な市場に変わっていた。
「すごい……」
エレノアが呟く。
「私」
「何もしてません」
桐生が答える。
「俺もです」
「珍しいですね」
「どういう意味です?」
横でリディアが忙しく帳簿をめくっている。
「場所代」
「荷役料」
「一時保管料」
「商談区画使用料」
「水」
「食料」
「修繕」
「護衛」
「全部、料金を統一します」
「高くしないんですか?」
エレノアが聞く。
「安くもしません」
リディアは即答した。
「桐生さんの言った通りです」
「安いだけの港にはしない」
「じゃあ何で選ばれるんです?」
「早いからです」
リディアは市場を指す。
「北方商人が王都へ行って」
「南方商人を探して」
「価格を交渉して」
「荷を動かす」
「それだけで何日かかると思います?」
目の前では。
北方の鉄商人と。
南方の染料商人が。
直接話している。
「ここなら今日終わる」
桐生は市場を見る。
物を売る。
それだけではない。
人が集まる。
買い手がいる。
売り手がいる。
船がある。
馬車がある。
倉庫がある。
護衛がいる。
全部が同じ場所にある。
「港を売るんじゃない」
桐生が呟く。
「時間を売る」
「そういうことです」
リディアが答えた。
「ですから」
帳簿を桐生へ押し付ける。
「働いてください」
「はい」
◇
昼過ぎ。
「桐生さん!」
エレノアが走ってきた。
「集計が出ました!」
城の会議室。
机の上に金貨が並ぶ。
入港料。
停泊料。
荷役。
市場区画。
倉庫。
水。
修繕。
そして南方船団からの残金。
リディアが一つずつ確認する。
「今日までに」
「税へ回せる現金は」
桐生。
エレノア。
ガイル。
カイル。
全員が数字を見る。
「金貨七百四十八枚」
ガイルが首を傾げる。
「税はいくらだ?」
「元々の不足が八百四十」
「優先使用権や既存収入から回せる分を含めて」
リディアが帳簿を閉じる。
「あと九十二枚です」
静かになった。
「九十二?」
ガイルが聞き返す。
「はい」
「それだけ?」
「それだけです」
残り七日。
金貨九十二枚。
届く。
ようやく。
見えた。
「魔石」
エレノアが呟く。
「売らなくても」
「払えそうですね」
「はい」
桐生は頷いた。
その時。
「領主様!」
扉が開いた。
港の役人が飛び込んでくる。
「王都から使者です!」
全員の表情が変わる。
「財務院?」
「いえ」
役人は息を整える。
「王宮です」
◇
使者は一人だった。
老人。
灰色の外套。
王家の紋章が入った書状を持っている。
「エレノア・アストラ殿」
「はい」
「国王陛下より」
「緊急の命令をお伝えする」
エレノアが書状を受け取る。
封を切る。
読む。
その顔から。
血の気が引いた。
「エレノア様?」
桐生が尋ねる。
彼女は答えない。
「何て?」
ガイルが聞く。
エレノアが書状を机へ置いた。
桐生が読む。
最初の一行。
意味が分からなかった。
もう一度読む。
「……アストラ港を?」
リディアが横から覗き込む。
そして。
息を呑んだ。
書かれていたのは。
たった三つの命令。
北方船団との取引を即時停止すること。
外国船をすべて領海外へ退去させること。
そして。
アストラ港を王国直轄管理下へ移すこと。
「直轄……?」
エレノアの声が震える。
港を取られる。
塩を動かし。
海賊と戦い。
倉庫を作り。
商人を呼び。
ようやく。
自分たちの力で金を生み始めた港を。
「拒否したら?」
ガイルが聞く。
使者は淡々と答えた。
「王命への反逆となります」
部屋が静まり返る。
桐生は書状を見る。
おかしい。
グレゴールは消えている。
アルベルトはクロイツから離れた。
レオンもこちらにいる。
なのに。
今度は財務院ではなく。
国王自身の命令。
敵が一段上がった。
――いや。
本当に?
「使者殿」
桐生が尋ねる。
「何でしょう」
「この書状」
「いつ出されたものです?」
「昨日です」
昨日。
桐生たちが北方船団と出会った日。
「北方船団がアストラへ来たことを」
「王都はいつ知ったんです?」
老人が答える。
「存じません」
桐生は書状を見る。
早すぎる。
まただ。
税の期限を縮めた時と同じ。
情報が届くより。
命令が先に出ている。
「エレノア様」
「はい」
「これ」
桐生は王家の印章を指差した。
「本物ですか?」
全員が凍りついた。
使者の顔が。
初めて動いた。
エレノアは書状を見つめる。
そして。
「……違います」
「何?」
「王家の紋章は本物です」
指先が。
印章の端をなぞる。
「でも」
「この印」
「父が持っていた書状と違う」
エレノアが顔を上げた。
「王冠の下にある星が」
「一つ足りません」
使者が後ずさる。
ガイルが立ち上がる。
「おい」
「待て」
老人が扉へ走る。
「逃がすな!」
ガイルが追う。
だが老人は懐へ手を入れた。
赤い光。
「魔石!」
桐生が叫ぶ。
爆発。
窓が吹き飛ぶ。
「桐生さん!」
煙。
破片。
怒号。
視界が戻った時。
使者の姿は消えていた。
床には。
偽の王命だけが残っている。
レオンがそれを拾い上げた。
「これは……」
「分かるんですか?」
レオンは裏面を見る。
紙の端。
ごく小さな透かし。
「王宮の紙ではない」
「では?」
アルベルトが横から覗く。
その顔が強張った。
「第七倉庫だ」
「何?」
「クロイツ商会が王都で使っている専用紙だ」
王都第七倉庫。
二十年前の魔石搬入記録。
地下に何かが残されている場所。
そして。
偽の王命。
「グレゴールですか?」
桐生が聞く。
アルベルトは首を振った。
「分からない」
「父なら」
「王命を偽造する危険くらい理解している」
「じゃあ誰が?」
誰も答えられない。
桐生は窓の外を見る。
港では。
北方と南方の商人が。
まだ取引を続けている。
ようやく。
金貨九十二枚まで来た。
だが。
誰かは金ではなく。
この港そのものを欲しがっている。
そしてその誰かは。
財務院の命令だけでは足りず。
ついに。
国王の名前まで使った。
残り七日。
不足、金貨九十二枚。
アストラの敵は。
まだ姿を見せていなかった。




