第三十七話 道がなければ海を行け
「小舟を六隻出す!」
カイルの声が夜の港に響いた。
「積むのは薬草と染料だけだ! 香辛料と布は後回し!」
「おう!」
黒鴎団の男たちが一斉に動き出す。
商船から降ろした荷が、今度は黒鴎団の船へ運び込まれていく。
ダリオが険しい顔でその様子を見ていた。
「本当に三日で出せるんだろうな」
「出します」
桐生は答えた。
「東街道の検問より先に荷を降ろす。そこから王都までは?」
「馬車で一日半ほどです」
リディアが地図を指す。
「問題は馬車です」
「向こう側には手配してないですからね」
「それと」
カイルが地図を覗き込んだ。
「もっと問題がある」
「何です?」
「ここだ」
指差したのは、荷揚げ予定の岩場。
「船を寄せられるのは沖までだ」
「そこから小舟で運ぶ」
「はい」
「一度に積める量が少ねぇ」
「何往復?」
「波次第だが、二十……いや三十」
ガイルが嫌そうな顔をした。
「地味だな」
「戦いに行くんじゃないですよ」
「分かってる」
「本当に?」
「ちょっと期待はしてる」
「しないでください」
カイルが笑った。
「安心しろ」
「海じゃ俺たちの仕事だ」
黒鴎団の旗が上がる。
黒地に白い鳥。
その下に、アストラの青い布。
「出すぞ!」
六隻の小型船が、夜の海へ滑り出した。
◇
翌朝。
「……あれか」
桐生は船縁を掴んだ。
目の前に切り立った岩壁が続いている。
港どころか。
桟橋すらない。
「本当にここから運ぶんですか?」
「言い出したのお前だろ」
「地図ではもう少し優しそうでした」
「地図に波は描いてねぇからな」
カイルが笑う。
小舟が激しく揺れた。
「うっ……」
「おい」
「大丈夫です」
「顔真っ青だぞ」
「大丈夫です」
「海弱いのか?」
「……ちょっと黙っててください」
カイルがさらに笑う。
その横でガイルは平然としていた。
「情けねぇな」
「ガイルさんは何で平気なんです?」
「気合い」
「一番参考にならない回答ありがとうございます」
「見えたぞ!」
船員が叫ぶ。
岩壁の間。
わずかに砂浜が見える。
「入れる!」
カイルの表情が変わった。
「帆を落とせ!」
「右へ寄せろ!」
「岩に近づきすぎんな!」
次々と指示が飛ぶ。
先ほどまで笑っていた男とは別人だった。
船が岩の間を抜ける。
その瞬間。
「待て」
カイルが手を上げた。
全員が止まる。
「どうしました?」
「……変だ」
「何が?」
「静かすぎる」
波の音。
鳥の声。
それ以外、何もない。
カイルが砂浜を見る。
「ここは漁師が使う」
「港じゃねぇが、天気が荒れた時に逃げ込む場所だ」
「なのに」
桐生も気付いた。
小屋がある。
網もある。
だが。
「人がいない」
「ああ」
ガイルが剣へ手を伸ばす。
「ようやく俺の出番か?」
「嬉しそうにしないでください」
船が砂浜へ着く。
「荷物はまだ降ろすな」
カイルが命じた。
「先に見る」
ガイル。
カイル。
桐生。
黒鴎団の四人。
七人で浜へ降りた。
エレノアとリディアは港に残している。
「足跡があります」
桐生が砂を見る。
「多いな」
ガイルがしゃがむ。
「馬もいる」
「いつのです?」
「知らん」
「ですよね」
「何だその言い方」
小屋へ近づく。
扉が開いている。
中には誰もいない。
だが。
「おい」
カイルが床を指差した。
縄。
食べかけのパン。
倒れた椅子。
「連れていかれた?」
桐生が呟く。
ガイルが外を見る。
「誰に?」
答えはすぐに見つかった。
小屋の裏。
岩壁の向こうに。
道があった。
「こんな道、地図にありました?」
「ねぇな」
カイルが答える。
「俺も知らん」
細い。
荷馬車一台が通れる程度。
だが明らかに人の手で整備されている。
桐生はしゃがんだ。
轍。
新しい。
「最近も使われてる」
「行くか?」
ガイルが聞く。
「荷物は?」
「船に残します」
「黒鴎団も半分残す」
カイルが男たちへ指示を出す。
「何かあったらすぐ船を出せ」
「頭は?」
「ちょっと散歩してくる」
「剣持って散歩する人初めて見ました」
「お前の周り、そんな奴ばっかだろ」
否定できなかった。
◇
道は岩壁の裏を通り。
森へ続いていた。
「かなり使われてるな」
ガイルが周囲を見る。
「草が踏まれてる」
十分ほど進む。
そして。
「止まれ」
カイルが手を上げた。
前方。
木々の間に。
建物が見える。
「……倉庫?」
桐生が目を凝らす。
一つではない。
二つ。
三つ。
森の中に、巨大な倉庫が並んでいる。
その周囲を武装した男たちが歩いていた。
「財務院の兵か?」
ガイルが囁く。
「違う」
カイルが答える。
「紋章がねぇ」
桐生は荷馬車を見る。
次々と倉庫へ入っていく。
荷台には。
袋。
大量の袋。
「穀物?」
その瞬間。
二十年前の話が頭をよぎった。
飢饉。
クロイツ商会。
王都第七倉庫。
価格が上がるまで放出を禁止された小麦。
「まさか……」
「桐生」
ガイルが肩を掴んだ。
「人がいる」
倉庫の裏。
檻のようなものがある。
中に十人以上。
漁師らしい男。
女。
老人。
「あの浜の連中か」
カイルの声が低くなる。
「見られたから捕まえた?」
「多分」
「じゃあ」
ガイルが剣を抜こうとする。
「待ってください」
「何でだよ」
「人数が分からない」
「俺ならいける」
「その自信どこから来るんですか」
「経験」
「否定しづらいな……」
桐生は倉庫を見る。
今ここで戦う必要はない。
まず荷を王都へ届ける。
税を払う。
クロイツとの戦いはその後――
「おい!」
声がした。
全員が固まる。
背後。
武装した男が一人。
こちらを見ている。
「誰だ!」
「走れ!」
カイルが叫んだ。
森を駆ける。
「侵入者だ!」
後ろから鐘が鳴る。
「捕まえろ!」
「何人来てます!?」
「知らねぇ!」
「だから先に数えたかったんですよ!」
「今言うな!」
矢が木に突き刺さる。
「桐生!」
ガイルが桐生を引き寄せる。
直後。
さっきまで頭があった場所を矢が抜けた。
「ありがとうございます!」
「後で飯奢れ!」
「安い!」
前方。
海が見えた。
「船を出せ!」
カイルが叫ぶ。
黒鴎団が動く。
「頭!」
「敵だ!」
「分かってる!」
砂浜へ飛び出す。
だが。
桐生は止まった。
「……カイルさん」
「あ?」
海。
先ほどまで六隻あった船。
その沖に。
別の船がいる。
一隻。
二隻。
三隻。
黒い船体。
ただし。
黒鴎団ではない。
「囲まれたな」
カイルの顔から笑みが消えた。
船の帆に描かれている紋章。
赤い鳥。
「知ってます?」
桐生が聞く。
「知ってる」
カイルが剣を抜いた。
「黒鴎団が海賊になる前からいる連中だ」
「味方?」
「だったら剣抜かねぇよ」
沖の船から声が響く。
「黒鴎のカイル!」
「積み荷を置いて消えろ!」
「そうすれば命までは取らん!」
カイルが鼻で笑った。
「懐かしい言い方しやがる」
「誰なんです?」
カイルは赤い鳥の旗を睨んだ。
「赤鷲団」
「赤蛇団とは違うんですか?」
「格が違う」
その一言で。
ガイルの口元が上がった。
「強いのか?」
「嬉しそうに聞くなよ」
背後からは武装した男たち。
海には赤鷲団。
そして船には。
王都へ急ぐ荷物。
桐生は周囲を見回した。
「カイルさん」
「何だ」
「この浜」
「何隻入れます?」
「……何考えてる?」
「十二隻は無理ですよね」
「当たり前だ」
「じゃあ」
桐生は沖を見る。
大型商船はアストラ港に残っている。
ここにいるのは小型船だけ。
そして目の前には。
こちらから積み荷を奪いに来た船が三隻。
「ちょうどいいですね」
「何が?」
「船が足りなかったんですよ」
カイルが一瞬黙る。
そして。
笑った。
「お前」
「海賊より海賊みてぇなこと言うな」
桐生は首を振る。
「借りるだけです」
「誰が貸すんだよ」
「そこを交渉します」
「剣持って?」
ガイルが剣を抜く。
「俺はその交渉、得意だぞ」
森から敵が飛び出す。
沖では赤い鳥の旗が迫る。
残り八日。
金貨三百十九枚。
そして。
王都への道を塞いだ者たちが守っていたのは。
ただの検問ではなかった。
「ガイルさん!」
「おう!」
「捕まってる人たちを助けます!」
「やっと分かりやすい仕事だ!」
ガイルが地面を蹴った。
その横でカイルが叫ぶ。
「黒鴎団!」
「船を守れ!」
黒い旗が上がる。
赤い旗が迫る。
森から剣が抜かれる。
アストラ最大の荷運びは――
いつの間にか。
三つ巴の戦いに変わっていた。




