第三十話 差し押さえ
翌日、正午。
北側の土地には、不釣り合いなほど多くの人間が集まっていた。
財務官。
騎士。
港の商人。
塩田の職人。
そして黒鴎団。
「見世物じゃねぇぞ!」
ガイルが怒鳴るが、誰も帰ろうとしない。
当然だった。
ここに倉庫が建つと聞いた者。
土地を借りる予定の者。
仕事が増えると期待していた者。
全員に関係する話なのだ。
「来ました」
エレノアの声に、桐生が街道を見る。
王都の馬車。
アルベルトが降りてきた。
後ろには十数人の財務官。
さらに――レオン。
桐生と一瞬だけ目が合う。
互いに何も言わない。
「では、始めましょう」
アルベルトが書類を開いた。
「アストラ領主家がクロイツ商会より借り入れた金貨三千枚について、元本返済後も遅延損害金の支払いが確認できておりません」
ざわめきが広がる。
「よって契約に基づき、担保である北部港湾用地を――」
「一ついいですか」
桐生が手を上げた。
アルベルトが面倒そうに見る。
「何でしょう」
「確認です」
「借金の相手はクロイツ商会ですよね?」
「ええ」
「なのに、なぜ財務院が差し押さえるんです?」
周囲が静かになる。
アルベルトは笑った。
「クロイツ商会から債権回収の申し立てがあったためです」
「財務院にはそれを執行する権限がある?」
「もちろん」
「なるほど」
桐生は頷く。
「では続けてください」
アルベルトの眉がわずかに動いた。
「……よろしいのですか?」
「払えないものは払えませんから」
「昨日お話しした通りです」
アルベルトは桐生をしばらく見ていた。
だが、再び書類へ目を落とす。
「では」
財務官が別の書類を持ってくる。
「本日をもって北部港湾用地の管理権を財務院へ移管。その後、担保権者であるクロイツ商会への引き渡し手続きを――」
「待ってください」
今度はエレノアだった。
アルベルトが見る。
「何でしょう、領主様」
エレノアの手は震えていた。
それでも声は明瞭だった。
「最後に一つだけ確認させてください」
「どうぞ」
「この手続きは、あなたの責任で行うのですね」
アルベルトが笑う。
「もちろんです」
「財務院特別監査官、アルベルト・クロイツとして?」
「ええ」
「記録にも残りますか?」
「当然でしょう」
「分かりました」
エレノアは一歩下がった。
「では、お願いします」
アルベルトが署名する。
財務官が印を押す。
ドン。
重い音が響いた。
レオンの目が細くなる。
桐生もその印を見ていた。
これで。
財務院の人間であるアルベルトが。
自らの一族が所有する商会のために。
公権力を行使した。
「完了です」
アルベルトは満足そうに書類を閉じる。
「北部港湾用地は、ただいまをもって財務院の管理下となりました」
誰も動かなかった。
アルベルトが桐生を見る。
「残念でしたね」
「ええ」
桐生は頷く。
「本当に」
「ですが、あなたなら王都でも――」
「ところで」
桐生が遮った。
「まだありますか?」
「最後です」
桐生は一枚の紙を取り出した。
「この土地」
「本当に差し押さえて大丈夫ですか?」
アルベルトの表情が止まる。
「何を今さら」
「いや、ちょっと気になって」
桐生は紙を開いた。
「担保の対象は『アストラ北部港湾用地』」
「そうです」
「でも、当時の地図を見ると」
もう一枚。
二十年前の地図を広げる。
「北部港湾用地はここまでです」
指で境界線をなぞる。
そして現在の地図を横へ置いた。
「今、倉庫を建てようとしている場所の半分は、その後に埋め立てられている」
ざわめきが起きる。
アルベルトの顔から笑みが消えた。
「……それが何です?」
「担保に入ってないんですよ」
ガイルが吹き出した。
「お前、それ昨日言えよ!」
「言ったら差し押さえてくれないでしょう」
アルベルトが桐生を睨む。
「くだらない」
「半分残ったところで――」
「そうですね」
桐生はあっさり認める。
「倉庫は小さくなる」
「計画も遅れる」
「かなり困ります」
「では何がしたい」
「確認したかったんです」
「何を?」
桐生は笑みを消した。
「あなたが本当に、クロイツ商会のために財務院を動かすのか」
アルベルトの目が鋭くなる。
「言葉に気をつけなさい」
「事実ですよ」
「クロイツ商会の債権を」
「クロイツ家のあなたが」
「財務院の権限で回収した」
周囲の商人たちがざわめき始める。
「それが何だ!」
初めてアルベルトの声が荒れた。
「私は正式な手続きに従った!」
「ええ」
別の声がした。
「だから問題なのです」
レオンが前へ出る。
アルベルトが振り返る。
「……レオン?」
「財務院規則、第十四条」
レオンは書類を開いた。
「執行官本人、または三親等以内の親族が利害関係を有する案件について、当該執行官は職務から除外される」
空気が変わった。
「あなたはクロイツ商会創業家の直系」
「にもかかわらず、自ら執行を決裁した」
アルベルトの顔が歪む。
「私は財務院から正式に――」
「その正式な書類に」
レオンは先ほどアルベルトが署名した紙を掲げた。
「あなた自身の署名があります」
沈黙。
桐生はアルベルトを見る。
「数字は嘘をつかない」
「でしたっけ?」
アルベルトの顔から、完全に笑みが消えた。
「……最初からこれが目的か」
「いいえ」
桐生は答えた。
「最初は土地を守るつもりでした」
「でも途中で変えました」
「土地を守っても、あなたはまた来る」
「だったら」
一歩前へ出る。
「あなたが二度と同じことをできない形にした方がいい」
アルベルトはレオンを睨む。
「貴様……!」
「監査官」
レオンの声は冷たい。
「ここから先は、私が担当します」
「あなたには職務停止命令が出ます」
財務官たちが動き出す。
だが。
「触るな!」
アルベルトの怒声が響いた。
今までの余裕が消えていた。
「たかが利益相反だ!」
「それでクロイツ家が潰せると思うな!」
桐生の目が変わる。
レオンも黙った。
アルベルトは気付いていない。
自分から言った。
クロイツ家。
つまり。
「潰す?」
桐生が聞き返す。
「誰もそんな話してませんよ」
アルベルトの顔が固まった。
「俺たちはただ」
「あなたがこの案件から外れると言っただけです」
遅かった。
周囲には商人。
財務官。
騎士。
証人がいくらでもいる。
アルベルトは唇を噛んだ。
桐生は追及しない。
まだだ。
ここで全部出せば、逃げ道を塞ぎすぎる。
逃げようとする人間は。
必ず、自分が一番隠したい場所へ向かう。
「今日はここまでにしましょう」
桐生が言った。
アルベルトが睨む。
「何?」
「土地の差し押さえは無効」
「監査官は交代」
「それで十分です」
レオンが桐生を見る。
何かに気付いたようだった。
だが何も言わない。
アルベルトは乱暴に馬車へ乗り込んだ。
車輪が土を跳ね上げる。
その姿が遠ざかっていく。
「……行かせていいのか?」
ガイルが小声で聞いた。
「はい」
「なんでだ?」
桐生は答えず、カイルを見る。
「お願いできます?」
カイルがニヤリと笑った。
「もう二人つけてる」
「仕事が早い」
「誰かさんに使われるのも慣れてきたからな」
エレノアだけが話についていけず、二人を見る。
「何をするんですか?」
桐生はアルベルトの馬車が消えた街道を見る。
「アルベルトは今、焦ってます」
「職を失うかもしれない」
「調べられるかもしれない」
「そして――」
鉄箱の中に眠る、二十年前の証拠。
アルベルトはまだ、その存在を知らない。
「自分たちの過去まで掘られるかもしれない」
「なら、どうする?」
ガイルが聞く。
「俺なら」
桐生は静かに答えた。
「証拠を消します」
◇
夕方。
アルベルトの馬車は城へ戻らなかった。
港にも向かわない。
街道を北へ。
さらに山道へ入っていく。
その後ろを二人の黒鴎団員が追う。
やがて馬車は。
人の寄りつかない古い屋敷の前で止まった。
アルベルトが降りる。
扉を激しく叩く。
中から現れた人物を見て。
黒鴎団員の一人が息を呑んだ。
「……おい」
「どうした?」
「あいつ」
「知ってるぞ」
屋敷から出てきた老人。
胸元には、小さな鳥の紋章。
「二十年前――」
「セイル商会を海賊認定した財務官だ」
アルベルトは老人へ何かを叫ぶ。
そして二人は屋敷の中へ消えた。
黒鴎団員はすぐに立ち上がる。
「桐生に知らせろ」
「やっと尻尾が出た」
だが。
二人が走り出そうとした、その時。
屋敷の中から。
青白い光が漏れた。
地面が震える。
「何だ……?」
次の瞬間。
轟音とともに、屋敷の一角が吹き飛んだ。
炎ではない。
青い光が夜空へ立ち昇る。
二人は呆然と見上げた。
その光の中で。
巨大な魔法陣が、ゆっくりと回転していた。




