第二十九話 味方の条件
「レオンの船だと?」
ガイルが黒鴎団員の胸ぐらを掴んだ。
「本当に見たのか?」
「間違いねぇ。王都の紋章に、銀の横線。昨日から港に停まってる監査船だ」
ガイルの顔が険しくなる。
「……あの野郎」
「待ってください」
桐生は港へ目を向けた。
怒るには、まだ早い。
「何を待つんだ。地下へ忍び込んだ奴がレオンの船に逃げ込んだんだぞ」
「だからです」
「は?」
「おかしいでしょう」
桐生は考えを整理する。
「レオンは俺たちが情報漏洩を疑っていると知っている」
「それがどうした」
「そんな人が、自分の船を逃げ場所に使わせますか?」
ガイルが黙った。
カイルも腕を組む。
「罠か?」
「分かりません」
「なら本人に聞けばいい」
カイルが剣を担ぐ。
「一番早い」
「それは賛成です」
桐生は歩き出した。
「行きましょう」
◇
夜明け前。
レオンの船には、明かりがついていた。
桐生たちが近づくと、船員が慌てる様子もなく桟橋を下ろす。
「お待ちしておりました」
ガイルの眉が跳ねた。
「待ってただと?」
「レオン様が船室にいらっしゃいます」
三人は顔を見合わせた。
逃げる気がない。
むしろ――呼んでいる。
◇
「早かったですね」
船室へ入ると、レオンは紅茶を飲んでいた。
「座りますか?」
「いらん!」
ガイルが机を叩く。
「説明しろ!」
「何をでしょう」
「とぼけるな!」
「ガイルさん」
桐生が前へ出る。
「地下から逃げた男が、この船へ入りました」
「知っています」
あっさりした返答だった。
「あなたの部下ですか?」
「違います」
「では、なぜここに?」
「私が入れました」
ガイルが剣を抜いた。
カイルも笑みを消す。
だがレオンは動じない。
「最後まで聞くことをおすすめします」
「だったら早く話せ」
レオンはカップを置いた。
「彼はアルベルトの人間です」
桐生の目が細くなる。
「証拠は?」
「本人が話しました」
「随分素直ですね」
「素直にする方法はいくつかあります」
「……聞かないでおきます」
レオンは机の上へ一枚の紙を置いた。
「彼が持っていた指示書です」
そこには短い命令が記されていた。
――北部地下施設より旧セイル商会の記録を回収せよ。
署名はない。
「これだけではアルベルトに繋がりません」
「ええ」
レオンは頷く。
「だから、あなたが持たせた偽の帳簿を届けてもらいます」
桐生の動きが止まった。
「……知っていたんですか」
「中を見ました」
「勝手に?」
「財務官ですから」
ガイルが額を押さえる。
「こいつら二人で話すと腹立つな……」
カイルが笑った。
「俺は結構好きだぞ」
桐生はレオンから目を離さない。
「あなたは何者なんです?」
「財務院の人間です」
「それは知ってます」
「なら十分でしょう」
「全然足りません」
桐生は椅子へ座った。
「俺たちに情報を流す」
「内通者の存在を匂わせる」
「今度はアルベルトの部下を匿う」
「味方にしては怪しすぎる」
「敵にしては親切すぎる」
レオンが少し笑った。
「では、どちらだと思います?」
「それを聞きに来ました」
しばらく二人は黙っていた。
先に口を開いたのはレオンだった。
「私は、アストラの味方ではありません」
エレノアのいない船室で、その言葉だけが冷たく響く。
ガイルの手が再び剣へ伸びる。
「ですが」
レオンは続ける。
「クロイツの味方でもない」
「じゃあ誰の味方だ」
「王国です」
ガイルが露骨に嫌そうな顔をした。
「出たよ、王都の役人」
「あなた方騎士も似たようなものでしょう」
「一緒にするな」
「話が進まないので喧嘩は後で」
桐生が割って入る。
「王国のためなら、なぜクロイツを追っているんです?」
レオンの表情から、わずかに笑みが消えた。
「腐っているからです」
短い答えだった。
「財務院には、領地から税を集める権限がある」
「商会を調査する権限もある」
「土地を差し押さえる権限すらある」
「強いですね」
「強すぎるんです」
レオンは窓の外を見る。
「権限は本来、王国を守るためにある」
「ですが長く同じ場所に留まれば、人は勘違いする」
「自分が王国そのものだと」
桐生は黙って聞く。
「クロイツ家は三代にわたり財務院へ人を送り込んできた」
「商会と役所」
「金を貸す側と、取り立てる側」
「両方に同じ一族がいる」
カイルが鼻で笑う。
「随分便利な仕組みだな」
「ええ」
「だから崩したい?」
「正確には」
レオンは桐生を見る。
「証拠が欲しい」
「今まで取れなかったんですか」
「取ろうとした人間はいました」
「どうなりました?」
「左遷」
「失踪」
「事故」
ガイルの表情が変わった。
「……最後の二つ、同じ意味じゃねぇだろうな」
「ご想像に任せます」
レオンは続ける。
「私一人で動けば、同じ結果になる」
「だから待っていました」
「何を?」
「クロイツが自分から動く瞬間を」
桐生の中で、ようやく理解が追いついた。
北側の土地。
昔の帳簿。
アルベルトの監査。
すべてを利用して――
「俺たちを餌にした?」
「そうとも言えます」
ガイルが剣を抜いた。
「てめぇ!」
レオンの首元へ刃が突きつけられる。
それでもレオンは動かない。
「そのせいで資材が燃えた」
「人が死んでいたかもしれない」
「承知しています」
「承知してるだと?」
「ガイルさん」
今度は桐生も止めなかった。
これは怒っていい。
レオンは剣先を見つめたまま言った。
「ですから、私を信用する必要はありません」
ガイルの眉が動く。
「信用?」
「私はあなた方を利用した」
「そしてこれからも、必要なら利用します」
「いい性格してんな」
「よく言われます」
レオンは桐生を見る。
「桐生殿も同じでしょう?」
「……何がです」
「ロイドを捕まえた後、牢へ入れず利用した」
痛いところを突かれた。
「黒鴎団もそうだ」
「討伐せず、能力を利用した」
「言い方が悪いですね」
「では訂正しましょう」
レオンは少し笑った。
「使えるものを、使える場所に置いた」
桐生は返さなかった。
「だから私はあなたを評価しています」
「褒められている気がしません」
「褒めていますよ」
レオンは一枚の書類を差し出した。
「そこで取引です」
「何です?」
「アルベルトを捕まえる」
空気が変わった。
「明日の差し押さえ」
「彼は必ず来ます」
「そこで?」
「あなた方は負けてください」
ガイルが呆れた顔をする。
「昨日から負けてばっかりだな」
「最後に勝てばいいんです」
桐生が言うと、レオンが初めて少し楽しそうに笑った。
「同感です」
「具体的には?」
「北側の土地を渡す」
「本当に?」
「形式上は」
レオンは差し押さえ書類を指差す。
「アルベルトに所有権移転の手続きをさせる」
「なぜ?」
「彼は必ず一つ、やらなければならないことがある」
「何です?」
「クロイツ商会が持つ古い担保権を、財務院の権限で処理することです」
桐生の目が細くなる。
「それをやったら?」
「私的な商会の利益のために、財務院の権限を使った証拠になる」
「……なるほど」
初めて。
アルベルト本人とクロイツ商会が繋がる。
過去ではない。
今、この瞬間の不正として。
「でもアルベルトが気づいたら?」
「気づかせないでください」
レオンは当然のように言った。
「簡単に言いますね」
「そのためにあなたがいる」
桐生はため息をついた。
そして書類を手に取る。
「一つ条件があります」
「何でしょう」
「エレノアさんには全部話します」
レオンの眉がわずかに動いた。
「領主を騙して進める気はありません」
「彼女が嫌だと言えば、この話はなしです」
レオンはしばらく桐生を見つめた。
「……分かりました」
桐生が立ち上がる。
「それともう一つ」
「まだ?」
「大事です」
桐生はレオンを見る。
「俺もあなたを信用しません」
「結構です」
「だから」
桐生は笑った。
「あなたが裏切った時の準備もしておきます」
レオンは一瞬黙り――
やがて笑った。
「やはり、あなたは面白い」
◇
船を降りる。
朝日が海から昇り始めていた。
「で?」
カイルが桐生の隣へ並ぶ。
「レオンが裏切った時の準備って何だ?」
「今から考えます」
「決まってねぇのかよ!」
ガイルが頭を抱えた。
だが桐生は歩き続ける。
レオンは味方ではない。
黒鴎団も、少し前までは敵だった。
リディアもバルドも、自分の利益があるから協力している。
それでいい。
全員が同じ理想を持つ必要なんてない。
利益も。
立場も。
目的も違う。
それでも同じ方向へ進める瞬間はある。
それを作るのが――
たぶん、自分の仕事だ。
「桐生」
ガイルが呼ぶ。
「何です?」
「楽しそうだな」
「……そう見えます?」
「見える」
桐生は少し笑った。
明日の正午。
北側の土地を賭けた差し押さえ。
アルベルトは勝ったと思っている。
レオンも、自分の計画通りに進んでいると思っている。
なら。
「二人とも」
「少しだけ予定を狂わせましょうか」
三十日の期限まで――
残り十五日。




