第二十五話 領主失格
「領地経営から退いていただきます」
炎の爆ぜる音だけが響いた。
エレノアは、アルベルトが差し出した書類を見つめている。
「……理由を、お聞きしても?」
「もちろんです」
アルベルトは穏やかな笑みを崩さなかった。
「税の滞納。財政悪化。港湾管理の不備。そして――」
視線がカイルへ向く。
「海賊との結託」
「結託だと?」
カイルの顔色が変わった。
「俺たちはこの港を――」
「カイルさん」
桐生が止める。
アルベルトの笑みがわずかに深くなった。
挑発している。
「王都には王都の見方があります。黒鴎団が昨日何をしたかは関係ない」
「過去に商船を襲った海賊を領内へ招き入れた。それが事実です」
ガイルが剣の柄に手をかけた。
「なら俺たちが赤蛇団に襲われた時、王都は何をしていた」
「それは別の問題でしょう」
「ふざけるな!」
「ガイル」
今度はエレノアが止めた。
声は震えていた。
それでも、アルベルトから目を逸らさない。
「これは王命ですか?」
アルベルトの表情が一瞬だけ止まった。
桐生がその変化を見る。
「……財務院の決定です」
「王命ではない?」
「同じことです」
「違います」
エレノアが言い切った。
アルベルトの目が細くなる。
「私はアストラ領主です」
「王命で退けと言われるなら従います。ですが財務院が、税を理由に領主の地位まで奪えるのですか?」
桐生は思わずエレノアを見た。
少し前までなら、押し切られていたかもしれない。
だが今は違う。
「……随分と変わられましたね」
アルベルトが呟いた。
「誰か良い先生でも?」
その視線が桐生へ向く。
「先生なんていません」
エレノアは答えた。
「私が決めています」
桐生の口元が少し緩んだ。
「結構」
アルベルトは書類を引っ込める。
「では正式な監査に切り替えましょう」
「監査?」
「財務院には、徴税能力に重大な疑義がある領地を調査する権限があります」
「帳簿、契約書、資産台帳。すべて確認させていただく」
「拒否すれば?」
「その事実も王都へ報告します」
エレノアは黙った。
拒めない。
アルベルトは満足そうに一礼する。
「明朝より開始します」
そして桐生の横を通り過ぎる。
その瞬間。
「頑張りましたね」
小さな声だった。
桐生だけに聞こえる。
「ですが、事業と政治は違う」
桐生は振り返らない。
「一つ忠告しておきましょう」
アルベルトは足を止めた。
「数字が正しければ勝てるなどと、思わないことです」
そのまま馬車へ戻っていった。
◇
「最悪だ」
城へ戻るなり、ガイルが椅子へ倒れ込んだ。
「帳簿を全部見られる」
リディアも険しい顔をしている。
「塩田の契約も、北側の開発計画も見られますね」
「黒鴎団との契約は?」
カイルが聞く。
「まだ正式契約前です」
桐生が答える。
「なら俺たちは出ていく」
「カイルさん?」
「俺たちがいるから問題になるんだろ」
カイルは当然のことのように言った。
「監査が終わるまで沖にいる。それで済む」
「駄目です」
エレノアだった。
全員が彼女を見る。
「どうしてだ?」
「昨日、この港を守ってくれた人たちを」
エレノアはカイルを見る。
「王都から怒られたから追い出すなんて、私はしたくありません」
カイルが言葉に詰まった。
「それに」
エレノアは桐生を見る。
「逃げたら、認めたことになるんですよね?」
「……そうですね」
「なら逃げません」
エレノアは椅子へ座った。
「監査を受けます」
ガイルが笑った。
「言うようになったじゃねぇか」
「怖いですよ」
エレノアは即答した。
「でも、怖いからって全部渡していたら、領主でいる意味がありません」
桐生は何も言わなかった。
この領地で変わり始めたのは、港や塩田だけではないらしい。
◇
「では、問題です」
桐生は帳簿を机へ積んだ。
「監査で一番まずいものは何でしょう」
リディアが一冊を取る。
「税の滞納」
「それは向こうも知っています」
「黒鴎団?」
「まだ契約していません」
ガイルが腕を組む。
「じゃあ何だ?」
「分かりません」
「おい!」
「だから探すんです」
桐生は帳簿を一冊開いた。
「アルベルトは勝てると思って来ている」
「放火まで仕掛けてきた連中と関係があるなら、ただ帳簿を眺めて帰るはずがない」
「待ってください」
リディアが眉をひそめる。
「放火を命じたのがアルベルトだと決まったわけではありません」
「そうです」
桐生は頷く。
「決めつけない」
「でも偶然とも考えない」
アルベルトが到着したのは、火災の直後。
しかも領地の内部事情を知っていた。
何かある。
「向こうが何を狙っているか分からないなら」
桐生は帳簿を閉じた。
「先に自分たちの弱点を全部見つけます」
◇
それから数時間。
五人で帳簿をひっくり返した。
税。
借入。
土地。
港。
塩田。
古い契約。
「これも問題なし」
「こっちもです」
夜が更けていく。
そして。
「……待ってください」
リディアの手が止まった。
「どうしました?」
「この借入」
机の中央へ古い契約書が置かれる。
エレノアが覗き込む。
「父の代のものですね」
「金貨三千枚……」
ガイルが眉をひそめる。
「そんな借金が残ってるのか?」
「いいえ」
エレノアが首を振った。
「返済済みのはずです」
桐生は契約書を受け取る。
確かに返済記録がある。
だが。
「担保は?」
ページをめくる。
その瞬間、全員が止まった。
担保。
――アストラ北部港湾用地。
「……北側の土地?」
エレノアが呟く。
桐生は返済記録と契約書を並べた。
借金は返している。
なのに。
担保解除を示す記録がない。
「まさか」
リディアが立ち上がった。
「土地の権利が戻っていない?」
桐生は答えなかった。
さらに契約書をめくる。
貸主の欄。
そこには見覚えのない商会名が記されていた。
クロイツ商会。
ガイルが低い声を漏らす。
「クロイツ……?」
全員が同じ人物を思い浮かべた。
アルベルト・クロイツ。
エレノアの顔から血の気が引く。
「では、あの人は……」
「監査だけが目的じゃない」
桐生は契約書を握った。
北側の土地。
海賊の金庫。
放火。
情報漏洩。
そしてクロイツ。
散らばっていたものが、一つに繋がり始める。
だが桐生は、そこで違和感を覚えた。
「……いや」
「どうしました?」
「おかしい」
借金は返している。
担保解除だけがされていない。
それなら普通は、もっと早く問題になっているはずだ。
二十年近く放置しておいて。
なぜ今になって動いた?
桐生は北側の古い地図を引き寄せた。
海賊の金庫。
その地下から見つかった、大量の帳簿。
「まさか……」
桐生が立ち上がる。
「ガイルさん」
「何だ?」
「地下で見つけた帳簿」
「今どこにあります?」
「騎士団の保管庫だ」
「全部持ってきてください」
「今から?」
「今すぐです」
桐生の声が変わった。
「アルベルトが欲しいのは土地じゃないかもしれない」
「だったら何が欲しいんです?」
桐生は二十年前の地図。
そしてクロイツ商会の契約書を並べた。
「この土地に残っている――」
「過去です」




