第二十三話 誰が見ている
翌朝。
桐生は城の執務室で、一枚の紙を見つめていた。
北側新倉庫建設予定地。
黒鴎団との契約。
港の改革。
塩田の取引。
ガイルが腕を組む。
「王都に全部筒抜け、か」
「全部ではありません」
桐生は紙を机へ置いた。
「だから厄介なんです」
「どういうことです?」
エレノアが尋ねる。
「俺たちが話したこと全部が漏れているなら、誰かが会議を盗み聞きしている。でも王都が知っているのは、実行したことばかりです」
リディアが目を細める。
「誰かが、動きを見て報告している?」
「たぶん」
「なら城の人間を全員調べるか」
ガイルが立ち上がる。
「待ってください」
「またか」
「今捕まえても、証拠がない」
「じゃあ放っておくのか?」
「逆です」
桐生は地図を広げた。
「もう一度、漏らします」
三人が黙った。
「……わざと?」
エレノアが聞く。
「はい」
桐生は紙を三枚取り出した。
「違う情報を」
◇
その日の午後。
三つの計画が城内を駆け巡った。
一つ目。
北側の土地に巨大な造船所を建てる。
二つ目。
黒鴎団へ領地の巡回権を与える。
三つ目。
王都へ納める税を、塩で現物納付する。
もちろん。
全部嘘だった。
しかも、それぞれ伝えた相手が違う。
「これで何が分かる?」
ガイルが小声で尋ねる。
「王都がどの情報に反応するかです」
「なるほど」
ガイルがニヤリとする。
「一番早く動いた情報を知っている奴が怪しい」
「そういうことです」
「でも」
エレノアが不安そうに二人を見る。
「城の人を疑うんですよね」
その声には迷いがあった。
ここで働く者たちは、父の代から領地を支えてきた。
その中に裏切り者がいる。
簡単に受け入れられる話ではない。
「エレノアさん」
桐生は静かに言った。
「まだ誰も裏切り者とは決まってません」
「……え?」
「王都へ情報を送る理由も分からない」
「金かもしれない。脅されているかもしれない。それとも――」
桐生は言葉を切った。
「本人は、領地のためだと思っているかもしれない」
エレノアは少し驚いた顔をした。
「捕まえる前に、理由を聞きます」
「その後で決めましょう」
エレノアはゆっくり頷いた。
◇
二日後。
何も起きなかった。
三日目。
それでも王都から動きはない。
「失敗じゃないのか?」
ガイルが欠伸をする。
「三日だぞ」
「そうですね……」
桐生も少し焦り始めていた。
三十日の期限は待ってくれない。
内通者探しだけに時間を使うわけにもいかない。
その時だった。
「桐生さん!」
エレノアが勢いよく扉を開けた。
「レオンさんが来ています!」
「レオンが?」
桐生たちは急いで応接室へ向かった。
◇
レオンはいつもの無表情で座っていた。
「お忙しそうですね」
「おかげさまで」
「今日は何の用でしょう」
「確認です」
レオンは一枚の書類を机へ置いた。
「王都から問い合わせが来ました」
桐生とガイルが目を合わせる。
「内容は?」
「黒鴎団についてです」
ガイルの表情が変わった。
二つ目。
巡回権の情報だ。
「黒鴎団へ、この領地の海上巡回権を与える予定があるのか、と」
エレノアが息を呑む。
桐生は黙った。
この情報を伝えた相手は限られている。
「答えは?」
レオンが尋ねる。
「ありません」
「では誤報ですね」
「ええ」
レオンは書類を畳んだ。
それだけで帰ろうとする。
「レオンさん」
「何でしょう」
「この問い合わせ」
「誰から来たんですか」
レオンの足が止まった。
「お答えできません」
「でしょうね」
桐生は笑った。
「では、もう一つ」
「王都はこの情報を、いつ知ったんです?」
レオンは少しだけ桐生を見る。
「昨日の朝です」
桐生の笑みが消えた。
嘘の情報を流した翌朝。
早すぎる。
「ありがとうございました」
「……何か仕掛けましたね?」
「さあ」
今度は桐生が答えなかった。
レオンは一瞬だけ口元を緩め、そのまま部屋を出ていった。
◇
「分かったぞ」
扉が閉まるなり、ガイルが立ち上がった。
「二つ目を伝えた連中を捕まえる」
「まだです」
「なんでだ!」
「人数が多い」
黒鴎団の巡回権について伝えたのは、城の文官たちだった。
全部で十二人。
「十二人全員を尋問するんですか?」
「……面倒だな」
「それに、犯人がその十二人とは限らない」
「どういう意味だ?」
「誰かから聞いた可能性もあります」
ガイルが頭を掻く。
「じゃあどうする」
桐生は少し考えた。
その時。
廊下の向こうから声が聞こえた。
「失礼します!」
一人の若い兵士が飛び込んでくる。
「何だ!」
「城門で妙な男を捕まえました!」
「妙な男?」
「はい」
兵士は戸惑った様子で続ける。
「城から出ようとしていたんですが……」
「荷物の中から、これが」
机へ置かれたのは、小さな筒だった。
エレノアが顔を上げる。
桐生も見覚えがあった。
鳥の脚に括りつけるための伝書筒。
「中身は?」
「ありません」
「空です」
ガイルが剣を掴む。
「連れてこい」
◇
数分後。
一人の男が連れてこられた。
桐生はその顔を見て、言葉を失った。
知らない人間ではなかった。
港の改革にもいた。
塩田にもいた。
黒鴎団が港を守った日も。
いつも少し離れたところで、黙って働いていた男。
「……あなたでしたか」
男は俯いたまま答えない。
エレノアの顔色が変わった。
「ロイド……?」
男がゆっくり顔を上げる。
「申し訳ありません」
エレノアの声が震えた。
「どうして?」
ロイドは唇を噛んだ。
「私は……」
言葉が続かない。
ガイルが机を叩く。
「誰に送っていた!」
ロイドの肩が跳ねる。
「答えろ!」
「ガイルさん」
「止めるな、桐生!」
「聞き方を変えましょう」
桐生はロイドの前へ椅子を置いた。
そして座る。
「ロイドさん」
「……はい」
「あなたが情報を送っていた相手は聞きません」
ロイドが顔を上げた。
ガイルまで驚いている。
「一つだけ教えてください」
桐生は静かに尋ねた。
「なぜ、やったんですか」
長い沈黙。
やがてロイドの目から、一筋の涙が落ちた。
「……娘がいるんです」
エレノアの表情が変わる。
「王都に」
ロイドは震える手を握り締めた。
「三年前から――」
「人質に取られています」
部屋から、音が消えた。
桐生は何も言わなかった。
ようやく内通者を見つけた。
だが。
どうやら本当に見つけなければならない敵は――
その男ではなかった。




