第二十二話 海賊の初仕事
翌朝。
桐生が港へ着くと、そこには見慣れない光景が広がっていた。
「……なんですか、これ」
黒鴎団の船の前に、人が並んでいる。
商人。
船乗り。
荷馬車の御者。
昨日までなら黒い旗を見ただけで逃げていた者たちだ。
その先頭で、カイルが露骨に困った顔をしていた。
「俺に聞くな」
「朝起きたらこうなってた」
一人の商人が桐生に気づき、駆け寄ってくる。
「領主様のところの方ですよね!」
「ええ」
「黒鴎団に護衛を頼みたいんです!」
「俺もだ!」
「うちが先だぞ!」
後ろから声が飛ぶ。
カイルが頭を抱えた。
「昨日まで討伐しろって言ってた連中だぞ」
「人気者ですね」
「笑ってんじゃねぇ」
だが、理由は単純だった。
昨日、港から多くの人間が戦いを見ていた。
黒鴎団は赤蛇団を退けた。
しかも、商船を一隻も失わずに。
海を渡る商人にとって、それ以上に分かりやすい実績はない。
「カイルさん」
「なんだ」
「これ、仕事になりますよ」
「……だろうな」
カイルもそれは理解していた。
問題は別にある。
「で、いくら取ればいい?」
「俺に聞くんですか?」
「お前が言い出した商売だろ!」
桐生は少し考える。
「じゃあ、商人に聞きましょう」
「は?」
桐生は列の先頭にいた商人へ向き直った。
「普段、この海域を通る時、何に一番お金がかかります?」
「護衛ですね」
「海賊に襲われた場合は?」
「積み荷次第ですが……一度やられれば商売そのものが終わることもあります」
「なら、いくらなら払えます?」
商人は腕を組んだ。
「積み荷の価値にもよりますが……無事に港まで着くなら、このくらいは」
提示された金額を聞いて、カイルの顔が変わった。
「そんなに取れるのか?」
商人が呆れた顔をする。
「命が懸かってるんだぞ」
別の商人も口を挟む。
「しかも黒鴎団が護衛してる船を襲う馬鹿はそういない」
「昨日の戦いも見たしな」
「俺なら払う」
「俺もだ」
カイルが黙った。
桐生はその横顔を見て笑う。
「奪うより儲かりそうですね」
「……うるせぇ」
◇
昼には最初の仕事が決まった。
塩を積んだ商船三隻。
目的地は南の交易都市。
黒鴎団の船一隻が護衛につく。
残る二隻はアストラ近海を警戒する。
そしてもう一つ。
「これを掲げる」
カイルが一枚の旗を桐生へ投げた。
黒地に白い鳥。
ただし昨日までのものとは少し違う。
白い鳥の下に、青い布が縫い付けられていた。
「何です?」
「アストラの色だ」
エレノアが目を見開いた。
「知っていたんですか?」
「昔から海にいるんだぞ。それくらい知ってる」
カイルは少し気まずそうに鼻を掻く。
「黒鴎団の旗は降ろさねぇ」
「でも仕事中くらいは、どこの船を守ってるか分かった方がいいだろ」
エレノアはその旗をしばらく見つめていた。
「……ありがとうございます」
「やめろ」
「え?」
「そういう真っ直ぐなの、慣れてねぇんだ」
ガイルが吹き出した。
「海賊が照れてやがる!」
「殺すぞ!」
「昨日までなら冗談に聞こえなかったな!」
港に笑い声が広がった。
桐生はその様子を眺めていた。
少し前まで、この港には活気がなかった。
荷物は滞る。
塩田では事故が起きる。
商人は安く買い叩く。
海には海賊がいる。
全部、別々の問題に見えた。
だが今は違う。
塩田で作る。
港へ運ぶ。
商人が買う。
黒鴎団が守る。
一つずつが繋がり始めている。
「桐生さん」
リディアが隣に立った。
「楽しそうですね」
「そう見えます?」
「ええ」
桐生は海を見る。
「やっと領地が動き始めた気がするんです」
何か一つだけを強くするのではない。
誰か一人だけが頑張るのでもない。
それぞれが自分の得意なことをやる。
それが繋がった時。
領地そのものが、一つの大きな商売になる。
「でも」
リディアが声を落とした。
「まだ税には足りません」
「……ですよね」
三十日の期限まで、残り十九日。
塩。
港。
土地。
海。
確実に状況は良くなっている。
それでも期限は待ってくれない。
「あと一手必要ですね」
桐生が呟いた、その時だった。
「桐生!」
ガイルが走ってきた。
顔色が違う。
「どうしました?」
「城へ戻るぞ」
「何かあったんですか」
「レオンから使いが来た」
桐生の表情が変わった。
「税の件ですか?」
「違う」
ガイルは周囲を確認してから声を落とした。
「王都がお前のことを調べ始めた」
桐生の背筋に冷たいものが走った。
「……俺を?」
「ああ」
「港の改革」
「塩田の取引」
「北側の土地」
ガイルの声がさらに低くなる。
「黒鴎団との接触まで知られてる」
桐生の顔から笑みが消えた。
早すぎる。
黒鴎団との話がまとまったのは、昨日だ。
「誰から聞いたんです?」
「分からん」
「ただレオンからの伝言は一つだ」
ガイルは桐生を見る。
「――味方を選べ」
それだけだった。
◇
その夜。
城の一室で、一人の男が机に向かっていた。
小さな紙に文字を書いていく。
黒鴎団、アストラと契約。
商船護衛を開始。
北側土地の開発計画は継続。
そして最後に。
桐生。
男の筆が止まる。
しばらく考えたあと、その横に短く書き加えた。
――危険。
紙を丸め、小さな筒へ入れる。
窓を開けると、一羽の黒い鳥が待っていた。
筒を脚へ括りつける。
「頼んだぞ」
鳥が夜空へ飛び立つ。
男はその姿を見送った。
その背後。
暗い廊下で――
何かが動いた。
「……誰だ?」
男が振り返る。
誰もいない。
静かな廊下が続いているだけだった。
だが床には。
男のものではない、濡れた足跡が一つ残っていた。




