第二十話 海賊を雇う
「あなたたちの船。俺に貸してください」
誰も動かなかった。
剣を構えていた騎士も、黒鴎団の男たちも、何を言われたのか理解できないような顔をしている。
最初に反応したのはガイルだった。
「桐生」
「はい」
「お前、頭でも打ったか?」
「打ってません」
「こいつら海賊だぞ」
「知ってます」
「さっき俺たちを殺そうとしたんだぞ!」
「それも知ってます」
「だったら何で船を借りる話になる!」
ガイルの怒声が地下に響いた。
黒鴎団の男が堪えきれず吹き出す。
「ははっ! あんたの仲間の方がまともらしいな」
男は剣を鞘へ戻した。
「俺は黒鴎団の頭、カイルだ」
「桐生です」
「それで桐生。俺たちの船で何をする?」
「荷物を運びます」
「…………は?」
「塩、木材、食料。何でもいい。金を払って運んでもらう」
カイルはしばらく桐生を見つめたあと、腹を抱えて笑い始めた。
「おい、聞いたか!」
後ろの海賊たちからも笑い声が上がる。
「俺たちに商人になれってよ!」
「違います」
桐生の声に、笑いが少し収まった。
「商人になる必要はない」
「あなたたちが得意なことを、売ってほしいんです」
カイルの表情から笑みが消える。
桐生は指を折った。
「船を操れる。海流を知っている。危険な航路も知っている。長期間海に出られる。船の修理もできる」
「それだけの技術を持っているのに、どうして積み荷を奪うことにしか使わないんです?」
「他に仕事がねぇからだと言っただろ」
「だから、俺が作ります」
カイルが黙った。
今度は誰も笑わなかった。
「港の北側に物流拠点を作る予定です。倉庫を建てて、商人を集める。うまくいけば、今より多くの荷物がこの港に集まります」
「それを俺たちに運べと?」
「はい」
「馬鹿か」
カイルは吐き捨てた。
「黒鴎団の船が港に入った瞬間、王都から討伐隊が来る。俺たちは海賊だ。お前一人が商売しようと言ったところで何も変わらねぇ」
「エレノアさん」
突然名前を呼ばれ、エレノアが顔を上げた。
「領主には、この土地での犯罪を赦免する権限はありますか?」
「え?」
「待て桐生!」
今度はガイルが割って入る。
「さすがにそれは話が違う。こいつらが今まで何をしてきたと思ってる!」
「分かっています」
「分かってない!」
ガイルの声が地下に響いた。
その顔から、いつもの豪快さは消えていた。
「商船を襲われて死んだ奴もいる。積み荷を奪われて商売を潰された奴もいる。二十年前に何があったか知らんが、それで今までの罪が消えるわけじゃない」
桐生は黙った。
その通りだった。
二十年前に正義があった。
だから現在の罪まで正当化される。
そんな理屈は通らない。
「……そうですね」
桐生はカイルを見る。
「赦免は撤回します」
カイルが鼻で笑った。
「もう終わりか?」
「いいえ」
桐生は少し考えた。
「働いた金で償ってください」
「何?」
「被害を受けた商人を調べる。奪った額も可能な限り調べる。その分を、これから稼いだ金から返す」
「何年かかると思ってる」
「何年でも」
カイルの顔から完全に笑みが消えた。
「その代わり、働く場所はこちらで用意する」
「お前……」
「罪があるなら償えばいい。でも、償う方法が死ぬか牢に入るかしかないなら、誰も戻ってこられない」
桐生はカイルから目を逸らさなかった。
「あなたたちには船がある」
「技術もある」
「だったら、それで稼げばいい」
「奪った相手に返して、それでも余った金で飯を食う」
「その方が、海賊を続けるよりよほど難しいでしょうけど」
カイルの眉が動いた。
「……喧嘩売ってんのか?」
「少しだけ」
後ろでリディアが吹き出した。
カイルは睨みつけたが、やがて自分まで笑い始める。
「とんでもねぇ奴だな、お前」
だが、すぐ真顔に戻った。
「一つ忘れてる」
「何でしょう」
「俺たちが海賊を辞めたら、この海域を誰が通れると思う?」
桐生の表情が変わった。
「どういう意味です?」
「黒鴎団だけじゃねぇんだよ」
カイルは地下室の壁に掛けられていた古い海図を引き剥がし、床へ広げた。
「この海には海賊が七ついる」
「七つ……」
エレノアが息を呑む。
「俺たちが押さえているから、そいつらはアストラの近海まで来ない」
カイルの指が海図を走る。
北。
南。
そして沖合。
いくつもの印が書き込まれている。
「俺たちが旗を降ろしたと知れば、三日で来る」
ガイルが海図を覗き込み、顔をしかめた。
「だから最近、海賊の被害が少なかったのか……」
「俺たちが善人だからじゃねぇ」
カイルは笑った。
「縄張りを荒らされたくないだけだ」
桐生は海図を見つめた。
海賊を商人にする。
それだけでは終わらない。
むしろ黒鴎団が海賊を辞めれば、この領地の海が危険になる。
――なら。
「カイルさん」
「何だ」
「海賊を辞めなくていいです」
「……さっきと話が違うぞ」
「名前だけ残しましょう」
カイルが怪訝そうに眉を寄せる。
桐生は海図の中央、アストラ港を指差した。
「黒鴎団の旗は降ろさない」
「商船を襲うのだけやめる」
「代わりに――」
桐生の指が、港から沖へ伸びる航路をなぞった。
「この海を守ってください」
リディアが息を呑んだ。
「まさか……」
「商船から護衛料をもらうんです」
海賊たちの空気が変わった。
「船を襲えば、一度しか稼げない」
「でも安全に港まで連れてくれば、その船はまた来る」
「荷物を運んでもいい。護衛してもいい。船を修理してもいい」
桐生はカイルを見る。
「海を一番知っている人間が、海の安全を売る」
「その方が何度でも稼げます」
カイルは何も言わなかった。
やがて床に広げた海図を見る。
「……海賊が、商船を守るのか」
「面白くないですか?」
「馬鹿げてる」
そう言いながら。
カイルの口元は笑っていた。
その時だった。
地下の入口から、一人の黒鴎団員が駆け込んできた。
「頭!」
「どうした」
「沖に船だ!」
「旗は?」
男は息を切らしながら答えた。
「赤蛇団!」
カイルの顔色が変わった。
「何隻だ」
「五隻!」
「こっちへ向かってる!」
カイルが桐生を見る。
つい先ほどまでの笑みは消えていた。
「三日どころじゃなかったな」
桐生も海図を見る。
まだ黒鴎団が商人になると決まったわけでもない。
計画を知る者も、ほとんどいない。
それなのに。
別の海賊が、もう動いている。
桐生の脳裏に、あの脅迫状が浮かんだ。
――情報が早すぎる。
偶然なのか。
それとも。
「桐生!」
ガイルが剣を抜いた。
「考えるのは後だ!」
地上から鐘の音が響いた。
港の警鐘だった。
カイルが剣を抜き、黒鴎団の男たちへ叫ぶ。
「野郎ども、船へ戻れ!」
海賊たちが一斉に駆け出す。
桐生もその後を追った。
交渉の答えは、まだ聞いていない。
だが――。
黒鴎団が何者になるのか。
その答えを出すには、これ以上ない舞台が向こうからやって来た。




