第十六話 何もない土地
「未来そのものに、金を出してもらいましょう」
桐生の言葉に、誰も反応しなかった。
バルドが地図を覗き込み、眉間に皺を寄せる。
「……荒れ地だぞ?」
「だからいいんです」
「意味が分からん」
「見に行きましょう」
桐生は地図を丸めて立ち上がった。
「ここで話すより早い」
◇
港の北側。
そこには、本当に何もなかった。
腰まで伸びた雑草。
ところどころに転がる岩。
海から吹き付ける風を遮るものすらない。
「見事に何もないな」
ガイルが呆れたように呟く。
バルドはさらに露骨だった。
「これに金を出せと?」
「ええ」
「昨日は感心したが、今日は撤回する。お前は馬鹿だ」
リディアまで苦笑している。
「さすがに私も、今回はバルドさんに賛成です」
桐生は気にせず歩き出した。
「リディアさん。港の倉庫、足りないと言っていましたよね」
「ええ。以前からです。荷が増えれば、さらに足りなくなります」
「バルドさん。追加の荷馬車を十台呼びましたね」
「ああ」
「どこに置きました?」
「港の外だ。中は混んでいたからな」
桐生が振り返る。
「じゃあ、ここにあったら?」
バルドの表情がわずかに変わった。
桐生は地面に一本の線を引いた。
「港で降ろした荷をここへ運ぶ。塩も木材も、一度ここに集める」
もう一本。
「王都へ行く荷馬車は、港の中まで入らない。ここで積み替える」
さらに大きな四角を描く。
「倉庫を建てる」
リディアがしゃがみ込み、地面の図を見る。
「港の外に……?」
「はい」
「船のための港と、荷物を置く場所を分けるんです」
バルドが腕を組んだ。
「待て。それなら倉庫を一つ建てればいいだけだろう」
「それじゃ面白くない」
桐生は即答した。
「ここに商人を集めます」
「……商人?」
「倉庫だけじゃない。荷馬車の修理屋、宿、食堂。商人が荷物を預けて、次の商売へ向かえる場所を作る」
話しているうちに、桐生自身の声が弾んでいく。
「港に船が来る。荷が集まる。荷が集まれば商人が来る。商人が来れば金が落ちる。そうすれば、さらに船が来る」
何もない荒れ地だった。
だが桐生には、もう違う景色が見えていた。
倉庫が並ぶ。
荷馬車が行き交う。
商人が値段を叫び、船乗りが酒を飲み、職人が荷を運ぶ。
港町そのものが、大きくなっていく。
「……面白い」
リディアが呟いた。
目つきが変わっていた。
「倉庫を私に貸すんですか?」
「貸してもいい。自分で建ててもいい。条件次第です」
「他の商会にも?」
「もちろん」
「私だけじゃないの?」
「一社だけに貸したら競争がなくなるでしょう」
リディアの笑顔が消えた。
「それは困りますね」
「でしょう?」
「だから早い者勝ちです」
今度はバルドが笑った。
「なるほど。リディア、お前がいらんなら私が取るぞ」
「誰がいらないと言いました?」
二人の間に火花が散る。
ガイルが桐生の隣へ寄ってきた。
「……お前、わざとやってるだろ」
「何がです?」
「いや。いい」
◇
城へ戻る頃には、話が具体的になっていた。
第一倉庫をヴァレンス商会。
第二倉庫をバルド。
建設費はそれぞれが負担する。
代わりに一定期間、土地の使用権を与える。
領地には使用料が入る。
商売が増えれば、さらに税収も増える。
エレノアが指を折りながら確認する。
「つまり……土地そのものは売らない?」
「売りません」
桐生は即答した。
「今は金がないから、売りたくなる。でも、この場所はこれから価値が上がる」
「だったら持っておく」
バルドが感心したように顎を撫でた。
「金に困っている人間ほど、土地を売りたがるものだがな」
「だから困り続けるんです」
桐生は地図を広げる。
「価値が上がるものは手放さない。その代わり、使う権利を売る」
エレノアが計算を終え、顔を上げた。
「二つの商会から最初の使用料を受け取れば……税の不足分のかなりの部分が埋まります」
「まだ足りません」
桐生は言った。
「でも、これなら未来の売上を食いつぶさずに済む」
塩田には金を残せる。
港にも投資できる。
そして領地には、毎年金を生む土地が残る。
三十日を生き延びるためだけの策ではない。
その先を作るための策だった。
「よし」
ガイルが立ち上がった。
「なら明日から建てるぞ」
「いや、待ってください」
リディアが止めた。
その顔から、先ほどまでの楽しそうな表情が消えている。
「どうしました?」
「この土地、本当に領地のものなんですよね?」
エレノアが頷く。
「資産台帳にはそう書かれています」
「台帳には?」
リディアはその言葉を繰り返した。
そして、ゆっくり地図の一点を指差す。
「ここには昔、別の建物がありました」
エレノアが首を傾げる。
「建物?」
「ええ。私も子供の頃なので、詳しくは知りません」
リディアは港の北側を見つめる。
「でも覚えています」
「大きな旗が立っていた」
「黒い船の旗です」
ガイルの表情が変わった。
「……黒い船?」
リディアが頷く。
「海賊です」
部屋の空気が一変した。
桐生は地図へ視線を落とす。
何もないはずの土地。
そこに、消された過去がある。
「なるほど」
桐生は小さく呟いた。
「簡単には使わせてくれないらしい」




