第十四話 信用という武器
「一番大事なことを忘れています。」
桐生の言葉に、塩田が静まり返る。
バルドは腕を組み、不敵に笑った。
「聞こうじゃないか。」
「私が何を忘れた。」
桐生は、ずらりと並んだ十台の荷馬車を見渡した。
「荷馬車は用意できました。」
「資金もあります。」
「ですが。」
一拍置く。
「人は用意できません。」
バルドの眉がわずかに動く。
「……どういう意味だ。」
「荷馬車を増やせば運べる。」
「それは半分正しい。」
桐生はヨハンへ視線を向けた。
「ヨハンさん。」
「はいよ。」
「今、この塩田で一番足りないものは何ですか。」
ヨハンは即答した。
「荷車じゃねぇ。」
「積み込む人間だ。」
その一言で、職人たちも顔を見合わせる。
十台の荷馬車は並んでいる。
だが、それぞれに御者が一人いるだけ。
荷を積む職人は増えていない。
「一人で十台は積めません。」
桐生は静かに続ける。
「荷馬車は待つ。」
「待てば、人も止まる。」
「止まれば、また渋滞です。」
バルドは笑みを消した。
部下へ目配せをする。
「人を集めろ。」
しかし部下は困ったように首を振った。
「旦那……。」
「近くの荷役夫は、もう港へ出ています。」
「日当を倍にしても、今日は集まりません。」
バルドは舌打ちした。
「なら三倍だ。」
その瞬間だった。
「無駄ですよ。」
リディアが初めて口を開いた。
バルドが振り返る。
「何?」
「この辺りの荷役夫は、お金だけでは動きません。」
「長年付き合いのある商会を優先します。」
「今日だけ高い日当を出しても、明日仕事がなくなる相手には付いていきません。」
桐生は静かに頷いた。
「商売は、お金だけでは回らない。」
「信用で回るんです。」
ヨハンが大声で笑った。
「その通りだ!」
「困った時だけ来る奴の仕事なんざ、誰も受けねぇ!」
職人たちも笑い始める。
空気が変わった。
バルドはその様子を見渡し、小さく息を吐く。
「……参ったな。」
そして桐生へ歩み寄る。
「私は間違えた。」
「金があれば解決できると思っていた。」
桐生は首を横に振る。
「間違いじゃありません。」
「資金は大切です。」
「でも、それだけでは事業は続きません。」
「人がいる。」
「信用がある。」
「だから、初めてお金が生きる。」
バルドはしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。
「王都に帰ったら、部下に笑われそうだ。」
「二十年商売をしてきて、若造に教えられたと。」
桐生も笑う。
「私も毎日教えられています。」
そう言ってヨハンを見る。
「現場は、本当に奥が深い。」
ヨハンは照れくさそうに鼻を鳴らした。
「分かったような口を利くな。」
「まだ半人前だ。」
周囲から笑いが起こる。
その空気を見ていたエレノアは、どこか嬉しそうだった。
昨日まで誰も笑っていなかった塩田に、笑顔が戻っている。
それだけでも、大きな変化だった。
バルドは桐生へ右手を差し出した。
「約束どおり、市場価格で買い取ろう。」
「それと。」
「王都で塩を売るなら、私にも手伝わせてくれ。」
桐生はその手をしっかり握り返した。
「こちらこそ。」
「長い付き合いになりそうですね。」
遠くで荷馬車が動き始める。
塩田の改革は終わった。
だが桐生は、その先にあるもっと大きな戦いを見据えていた。
――三十日の期限まで、残り二十二日。
領地を変えるには、まだ仲間が足りなかった。




