机の上の戦いと、実技試験の傷
その夜、夕食の片付けを終えたリビングで、俺はクリスに向き直った。
「クリス。お前もBランク昇格試験を受けてこい」
唐突な提案に、茶を淹れていたクリスの手が止まった。
「……え? 僕がですか?」
「ああ。俺がAランクになった以上、パーティーとしてのバランスを考えれば、お前も相応のランクを持っていた方が都合がいい」
俺が教官の仕事で拘束されている間、クリスが単独で動くこともあるだろう。
その時、CランクとBランクでは、受けられる依頼の幅も、周囲からの信用度も段違いだ。
「それに、お前の実力なら十分通る」
俺の言葉に、クリスは少し戸惑うように視線を落とした。
「……自信過剰かもしれませんが、知識には自信があります。ですが、実技となると……」
「大丈夫だ。お前の頭脳と槍捌きは、俺が保証する」
俺はニヤリと笑って、クリスの背中を叩いた。
こうして、クリスのBランク昇格試験への挑戦が決まった。
◇
数日後、冒険者ギルドの試験会場。
Bランク昇格試験の第一関門は「筆記試験」だ。
これが、多くの腕自慢たちにとっての「鬼門」となっている。
「うぐぐ……この計算、どうやるんだ……」
「弱点なんて知るかよ……殴れば解決だろ……」
周囲の席では、屈強な戦士たちが鉛筆を握りしめ、まるで魔物と対峙しているかのような形相で唸り声を上げている。
そんな中、クリスだけが涼しい顔でペンを走らせていた。
(……これ、内容自体はそんなに難しくですね)
出題されているのは、商隊の護衛に必要な物資計算、魔物の生態に関する知識。
かつて、家庭教師から厳しい教育を受けていたクリスにとっては、準備運動にもならない内容だった。
カリカリカリ……。
静かな会場に、クリスのペンの音だけがリズミカルに響く。
制限時間の半分も経たないうちに、クリスは手を挙げた。
「終わりました」
「は? もうか?」
試験官が疑わしげに答案用紙を受け取る。
だが、その中身を見た瞬間、彼の目が驚愕に見開かれた。
「……満点だ。しかも、記述の論理構成が完璧だ。字も綺麗だし……君、一体どこの学者だ?」
「いえ、ただの本好きですよ」
クリスは人好きのする笑顔で誤魔化した。
◇
筆記を通過したクリスを待っていたのは、第二関門の「実技試験」だ。
ギルドの訓練場には、試験官を務めるベテラン冒険者が待ち構えていた。
大斧を担いだ、岩のような巨漢だ。
「筆記が優秀なのは聞いたが、現場じゃインクより血が物を言うぞ。……手加減はせん。掛かってきな!」
試験官の怒号と共に、模擬戦が始まった。
「行きます!」
クリスは愛用の長槍を構え、疾走した。
相手は大斧使い。
一撃の威力は凄まじいが、振りが大きい。
クリスは正面からの打ち合いを避け、槍のリーチを活かしたアウトレンジ戦法を選んだ。
ブンッ!!
豪快な横薙ぎが空を切る。
その風圧だけで肌が粟立つが、クリスは冷静に半歩下がり、相手の隙を突いて槍を繰り出した。
「甘いッ!」
試験官は体勢を崩さず、斧の柄で突きを弾いた。
そのまま強引に距離を詰め、肩からの体当たりを敢行する。
泥臭いが、実戦的な「潰し」の技術だ。
「くっ……!」
反応が遅れたクリスの脇腹に、衝撃が走った。
防具の上からとはいえ、重い一撃。
肺の空気が強制的に吐き出される。
(……痛い。でも、足は生きている!)
よろめきそうになる体を、クリスは踏み留まらせた。
足元には、あの『青剛鉄の脛当て』がある。
カレドヴルフの職人が魂を込めたその重みと衝撃吸収力が、クリスの体勢を瞬時に安定させた。
クリスは痛みを堪え、引いた右足を軸にして体を回転させた。
追撃を入れようとした試験官の視界から、クリスの姿が消える。
いや、低い姿勢で懐に入り込んだのだ。
「――っ!?」
試験官が気づいた時には、クリスの槍の穂先が、彼の喉元数センチのところでピタリと止まっていた。
「……そこまで!」
審判の声が響き渡る。
◇
「……ふぅ。見事だ」
試験官は斧を下ろし、ニカッと笑ってクリスの肩を叩いた。
「一発いいのを食らったが、あそこで体勢を崩さずに懐へ潜り込むとはな。足腰が据わってやがる」
「ありがとうございます。……装備のおかげですよ」
クリスは脇腹をさすりながら、謙遜して微笑んだ。
「合格だ。文句なしのBランクだよ。……ただ、脇腹は冷やしておけよ。明日青くなるぞ」
◇
夕方、クリスは新しいギルド証を手に帰宅した。
「ただいま戻りました」
「おう、どうだった?」
リビングでくつろいでいたエドが尋ねると、クリスは少し痛そうに脇腹を押さえながらも、晴れやかな顔でカードを見せた。
「無事、合格です。……一発、いいのを貰いましたけどね」
「へえ! クリスもBランク! すごい!」
ロウェナが駆け寄ってきて、キラキラした目でカードを覗き込む。
「筆記は満点、実技も試験官のお墨付きだそうです」
「やっぱりな。お前の頭と、あの足腰がありゃ当然だ」
エドは満足げに頷いた。
これで俺たちは、AランクとBランクのコンビ。
名実ともに高ランクパーティーだ。
「よし、今夜は祝いだ。クリス、脇腹が痛むなら酒はやめとくか?」
「いえ、痛み止め代わりに少しだけいただきますよ。……今日はいい酒になりそうですから」
クリスは誇らしげに微笑み、俺の隣に座った。
その横顔は、出会った頃の頼りなげな青年ではなく、一人の立派な冒険者のものだった。




