追跡と観察、そして五日目の帰還
翌朝、俺は玄関先で靴紐をきつく結んだ。
装備はいつもの剣と、野営道具が入った腰袋。今回は一週間の期限付き任務だ。
「いってらっしゃい、えど!」
ロウェナが登校用の鞄を背負って見送ってくれる。
「ああ。戸締まりはしっかりな」
「師匠、無理はしないでくださいね。一週間ありますから」
エプロン姿のクリスが声をかけてくる。
俺は軽く頷いた。
「期限は一週間だが、無駄に長引かせるつもりはない。……仕事はさっさと片付けるに限る」
俺は二人に手を振り、朝の光が射す石畳の道を歩き出した。
気分は冒険の旅立ちではなく、ただの「仕事」だ。
◇
ギルドで手続きを済ませ、俺は街の北に広がる討伐対象のいる森へと足を踏み入れた。
今回の試験内容は、この森に巣食う『双頭の黒犬』の討伐。
Aランク相当の危険度を持つ魔獣だ。
森に入ってすぐ、背後に気配を感じた。
試験の監視役兼、採点者となるAランク冒険者だろう。
姿は見せないが、一定の距離を保ってついてきている。
俺は意識を切り替え、目の前の「仕事」に集中した。
――初日と二日目は、ひたすら痕跡を追った。
広大な森の中から、特定の個体を見つけ出すのは骨が折れる。
フン、足跡、獣臭、折れた枝。
衛兵時代に培った追跡術を総動員し、俺は徐々に包囲網を狭めていった。
◇
三日目の昼。
ついにターゲットを視認した。
岩場の陰に、その魔獣はいた。
体長三メートルを超える巨体に、二つの狂暴な頭部。
間違いない、オルトロスだ。
だが、俺はすぐには仕掛けなかった。
風下の茂みに身を潜め、じっと観察を続けた。
(……右の頭が警戒、左の頭が睡眠。交代制か)
そのまま、丸一日。
俺は微動だにせず、オルトロスの行動パターンを監視し続けた。
食事の時間、排泄のタイミング、そして二つの頭が同時に活動を停止する瞬間があるかどうか。
背後の監視役が「まだ行かないのか?」と苛立っている気配がしたが、無視だ。
確実性を高めるための準備は、サボりではない。仕事の一部だ。
四日目の未明。
最も気温が下がり、生物の活動が鈍る時間帯。
観察の結果、この時間だけはオルトロスの両方の頭が深く眠りにつくことが分かった。
(……今だな)
俺は音もなく茂みを出た。
殺気は出さない。敵意も向けない。
ただ、そこにある石ころや木と同じ「風景」になりきって、間合いを詰める。
あと十歩。
五歩。
三歩。
オルトロスの鼻先まで近づく。
獣の寝息が聞こえる距離。
俺は逆手に持った剣を、迷いなく振り下ろした。
ズドッ。
狙うのは心臓。
肋骨の隙間から正確に刃を突き入れ、心臓を両断する。
オルトロスは悲鳴を上げる間もなく、一度だけ大きく痙攣し、そのまま絶命した。
一撃。
戦闘時間は、わずか一秒。
丸一日の観察が、この一秒のための布石だった。
「……ふぅ」
俺は剣を引き抜き、血を払って鞘に納めた。
周囲を警戒し、他の魔物がいないことを確認してから、討伐の証拠となる牙の採取作業に取り掛かった。
「……よし、終わり。帰るぞ」
俺は遺骸に土をかけ、踵を返した。
予定より早いが、長居する理由はない。
◇
五日目の昼過ぎ。
俺は冒険者ギルドのカウンターにいた。
「討伐完了だ。確認してくれ」
俺がドン、とオルトロスの牙を置くと、受付嬢が目を丸くした。
「えっ……? エドウィンさん? 一週間の予定でしたよね?」
「五日で終わった。……移動に二日、捜索と観察に二日、処理に一日だ」
ざわめくギルド内。
奥から、監視役を務めたAランク冒険者が顔を出した。
疲れたような、それでいて呆れたような顔をしている。
「……報告通りだ。丸一日動かないと思ったら、寝込みを襲って一撃だ。派手さのかけらもないが……完璧な仕事だったよ」
監視役の言葉に、人事担当の職員が頷いた。
「合格だ。文句のつけようがない。……君は今日からAランク冒険者であり、当ギルドの特別教官だ」
「そいつはどうも。……で、帰っていいか?」
「は?」
「もう昼だ。腹が減った」
俺は新しいステータスカード――『 A』の刻印が入ったもの――を受け取ると、呆気にとられる職員たちに背を向け、ギルドを後にした。
◇
家に戻ると、ちょうどクリスが庭の水やりをしているところだった。
門を開ける。
「ただいま」
「えっ? 師匠!?」
じょうろを持ったまま、クリスが目を丸くして振り返った。
「どうしたんですか? まだ五日目ですよ?」
「ああ。仕事は片付けてきた。……野宿はもう十分だ」
俺が靴を脱いで上がり込むと、クリスは可笑しそうに微笑んだ。
「お疲れ様です。……ちょうど今、お茶にしようと思っていたところなんですよ」
「そうか。じゃあ、一杯もらうかな」
家の中に漂う、落ち着いた空気。
やはり、森の中での野営より、ここでの時間が一番だ。
俺は装備を解き、ソファに深く身を沈めた。
ロウェナが学校から帰ってくるまで、あと数時間。
それまでは、泥のない綺麗な床で、ゆっくり羽を伸ばすとしよう。




