長期滞在の宿と、放課後の鐘の音
翌日、俺たちは朝食を済ませるとすぐに街へと繰り出した。
目的は、これからこの街でしばらく暮らすための「拠点」探しだ。
「借家、ですか?」
並んで歩くクリスが尋ねてくる。
「いや、家を借りるとなると手続きも面倒だし、家具を揃えるのも手間だ。それに、俺たち三人じゃ一軒家は広すぎて持て余すだろう」
俺は首を振った。
掃除の手間も馬鹿にならない。
あくまで「長期滞在」であって、永住を決めたわけではないのだ。
「部屋貸しをしてる大きめの宿か、長期滞在者向けのアパートメントを探そうと思う。食事付きなら尚良しだ」
「なるほど。合理的ですね。掃除や洗濯のサービスがついている宿なら、僕たちもゆっくり休めます」
「わたし、ひろいおへやがいい!」
ロウェナが俺の手をぶんぶんと振りながら言った。
俺たちは不動産を斡旋しているギルドへ顔を出し、いくつかの候補をピックアップしてもらった。
◇
紹介された物件を見て回るため、俺たちは大通りを抜け、閑静な住宅街へと足を踏み入れた。
昼下がりの陽気の中、石畳の道を歩く。
カーン、カーン……。
どこからか、鐘の音が聞こえてきた。
「ん? なんの音?」
ロウェナが足を止めて耳を澄ませる。
「ありゃ学校の鐘だな。ちょうど授業が終わった時間か」
俺が答えると同時に、前方の角から子供たちの集団が現れた。
同じような鞄を背負い、楽しそうに笑い声を上げている少年少女たち。
授業の内容について話しているのか、それとも放課後の遊びの相談か。
彼らの顔は一様に明るい。
「……」
ロウェナは無言でその光景を目で追った。
通り過ぎていく子供たちの背中を、じっと見つめている。
「ロウェナちゃん?」
クリスが屈み込んで顔を覗き込むと、ロウェナはハッとして視線を逸らした。
「……ううん、なんでもない! いこう、つぎのおやど!」
彼女は俺の手を強引に引いて歩き出した。
だが、その手には少しだけ力がこもっているように感じられた。
◇
「ここなんてどうだ? 『深緑の亭』」
三件目に訪れたのは、中庭のある落ち着いた雰囲気の宿だった。
部屋は二間続きで広く、簡易的なキッチンもついている。
長期滞在者向けのプランもあり、食事も美味いと評判だ。
「いいですね。日当たりも良好ですし、大通りからも離れていて静かだ」
クリスも気に入ったようで、部屋の中を見回して頷いた。
「よし、ここに決めるか。……女将さん、契約期間なんだが」
俺は案内してくれた宿の女将に向き直った。
「とりあえず一ヶ月……いや、三ヶ月くらいで頼めるか?」
「はいはい、長期割引が利きますよ。お支払いは先払いで――」
話を進めようとした、その時だった。
「……えど」
俺の服の裾が、クイクイと引っ張られた。
見下ろすと、ロウェナが真剣な表情で俺を見上げていた。
その瞳は、何かを訴えているようだった。
「どうした?」
「……あのね」
ロウェナは一度口をつぐみ、チラリとクリスを見て、それからもう一度俺を見た。
そして、意を決したように口を開いた。
「わたし、がっこうにいきたい」
その言葉に、俺の手が止まった。
宿の女将も「おやまあ」と目を丸くしている。
「学校?」
「うん。……ソフィアのとしょかんで、おもったの」
ロウェナは、昨日のリボンの時のように、自分の言葉で話し始めた。
「じがよめても、ほんのなかみがわからなかった。……しらないことがいっぱいあって、くやしかった」
彼女はリュックをぎゅっと握りしめた。
その中には、まだ読みこなせない『世界伝承紀行』が入っている。
「わたしは、えどやクリスみたいにつよくない。まものとたたかえないし、まもられてばっかり」
「ロウェナ、それは……」
「でもね」
ロウェナは俺の言葉を遮り、真っ直ぐに俺を見上げた。
「もし、わたしがいっぱいべんきょうして、いろんなことをしってたら……いつかまた旅に出たときに、ふたりの役にたてるかもしれない」
彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。
ただの好奇心だと思っていた。
だが、彼女はもっと先を見ていたのだ。
自分のできること、自分の役割。
それを彼女なりに必死に考えていた。
「ちずがよめたり、くすりのことがわかったり、ことばがわかったり……。たたかうだけじゃなくて、そういうことなら、わたしにもできるかもしれないから」
ロウェナは必死だった。
俺たちの重荷になりたくない。
対等な仲間でありたい。
その想いが、小さな胸に詰まっていたのだ。
「……」
俺は腕を組み、天井を見上げた。
学校に通うとなれば、数ヶ月の話ではない。
数年単位でこの街に留まることになる。
旅人としての生活は、完全に終わるかもしれない。
だが――不思議と迷いはなかった。
王都を出てからこの領都に着くまで、俺は度々ぼんやりと考えていた。
この子の将来はどうなるのか。
いつまで俺の後ろをついて回るのか。
普通の幸せとは、何なのか。
その答えが、今、カチリと音を立てて嵌まった気がした。
彼女に必要なのは、ただ守られるだけの安全な檻じゃない。
自分の足で立ち、自分の頭で考え、世界と向き合うための「力」だ。
「……そうか」
俺は長く息を吐き、そして女将さんに向き直った。
「すまない、女将さん。今の話、なしにしてくれ」
「え? あ、ああ……構わないけど、どうしたんだい?」
俺はロウェナの前にしゃがみ込み、その頭をポンと撫でた。
「ロウェナ。学校に通うとなると、宿屋暮らしじゃダメだ」
「……え?」
ロウェナが不安そうに俺を見る。
「勉強机がいるだろ? それに、静かに本を読める部屋も必要だ。夜遅くまで明かりをつけてたら、宿屋じゃ他の客に迷惑がかかる」
俺はニッと笑って、彼女の不安を吹き飛ばした。
「一軒家を借りるぞ。……これから学生を育てるんだ。腰を据えてかかる必要があるからな」
俺の言葉に、ロウェナがパァッと顔を輝かせた。
「ほんと!? いいの!?」
「ああ。お前が望むなら、とことん付き合ってやるよ。数年、いや、卒業するまでな」
隣を見れば、クリスもまた、我が事のように嬉しそうに微笑んでいる。
「師匠。そうと決まれば、不動産屋に戻りましょう。条件が変わりました」
「ああ、そうだな。『勉強に集中できる環境』が最優先だ」
俺たちは宿を出た。
夕暮れの空に、学校の鐘の音が再び響いた気がした。
それは、俺たちの新しい生活の始まりを告げる、何よりも確かな合図だった。
この流れは以前から決めていました。
ただし、この先をどうするかは全く決めていません!




