カリラヤ・ベルト 3
ともかく、スピードである。この上陸がうまくいくこと自体は大前提。問題はこの先、彼自身の手腕が問われるのもこの先の戦いがどうなるかに懸かっている。
「……ここは、力を見せつける場面だ」
そう判断する。
「キーウィに、オージー。貴様らをはるかに上回る我が軍の最高戦力。どれ程のものか見せつけてやろう」
* * *
「……頃合いか」
戦場を静かに見つめていた嶺善班長が、唐突とも思えるタイミングでそう呟く。
「了解!」
そして全員が――正確には頭の中が『?』でいっぱいの俺だけが言いそびれたが――それに応じ、順次前線の方へと歩を進めていった。
……このタイミング。未だに第一線を攻略しきれていない、このタイミング。ここから前線へ上がるまで、結構な時間がかかるとは思う。
しかし、あの中に今から飛び込んでいくって……。
「どうした、刻峰。行くぞ」
「……はい」
怖い。
怖い。
あの絶望的な状況に飛び込んでいくのが、とても怖い。死にに行くんじゃないか、むざむざ敵弾を浴びて死んじゃうんじゃないかって、そういう思いで頭の中がいっぱいになる。
これまで何度も戦ってきた。敵の砲弾が近くで爆発するようなこともあったし、目の前にいる敵を殺したり、殺されかけたことも何度もあった。
……そんな時でも、ここまで脅えることはなかったんだけどな。なんでだろう、生き延びる自信が湧いてこないんだ。
「怖いか」
「……はい」
「お前、これから戦いに行く人間の顔じゃないぞ」
「すみません、曹長」
「……」
霧雨曹長は、やはり不思議の多い人間だ。悪い人じゃないのかもしれないけれど、圧というか迫力というか、そういうものを強く感じる、普段何してるとかどうして戦ってるとかそういうのも分からないけれど、この人が俺に取る態度もよくわからない。
「……あの」
「なんだ」
「霧雨曹長は、怖くないんですか?」
世界で最も優秀な兵。あり得ないほどの実力を持つと言われている男に対して、それでも聞いてみた。思えばこれまでこの人には何かを言われてばかりで、俺の方から何か話しかけるとか聞くってのは初めてだと思う。
この人について、優秀な兵と言われる男について、俺は何かを感じ取りたかった。
「……あぁ。”怖い”な」
意外な回答。
でも、怖くはなさそうな声である。むしろ挑戦的というか、普通に『怖い』って以上の含みを持たせたような言い方で。
この人の言う”怖い”ってのは、たぶん俺が今感じている死の恐怖とは別物なんだろう。
「そう、ですか」
………。
……。
…。
森を抜け、死体だらけの中間地帯――無人地帯――へとたどり着く。やはり敵の砲撃が続いており、運が悪ければここを通り抜ける前に死んでしまうだろうと、徳長軍曹が縁起でもないことを口にする。
しかしそんなものは全員が承知していること。
最初に見た時より、敵陣地への道なりは起伏に富んだ地形になっている。砲撃で空いた穴、隆起した地面、そして途中に転がっている数多の死体たち。彼らの亡骸は文字通りの肉壁となり、場所によっては後続の者達の手で”積み上げられた”ような場所まである。
それでも、砲撃は相変わらず続いている。どこかで爆発が起きるたび、土煙に混じって誰かの”何か”が宙を舞っている。
「行くぞ」
そんな光景を前にして、今更逃げ出そうとする者など居ない。俺も、皆に続いて砲弾と銃弾の飛び交う戦場へと歩みを進めていった。
ドォンッ!
バァンッ!
何とも形容しがたい轟音の中、俺たちは進んでいく。途中には死体に混じってギリギリ生存している者たちもいたが、それを無視して進んでいった。
急いで渡るべき場所は駆け足で、少しでも安全そうな遮蔽物のある場所までできる限りの速さで動いていく。上からの直撃はどうしようもないから諦めるしかないが、少しでも味方の集まっていない場所――”標的が多いほど、敵の狙いもそこに集中すると読んで――を選んで進んでいるようだ。
時に立って走り、中腰で駆け、這って目立たぬように進む。
「誰か!誰か、助けてくれ!」
「……水……水を……」
「看護兵!看護兵!こっちへ来てくれ!」
そういう悲痛な叫びがそこかしこで響いている。中には呻き声しか出せない者、それすら出せず胴体だけが微かに膨張と縮小を繰り返している者、内臓が見えるような負傷をしつつも涙の溜まった眼で何かを訴えかけて来る者。中には念仏のような何かを唱えて縋っている者すらいた。
信濃原一等兵はそんな彼らに目を遣るが、何かを言い出す前に嶺善班長が制していた。
「我々が今すべきは救助じゃない、余計な危険を冒すな」
と。
それを聞いた信濃原一等兵は軽く顔を伏せ、負傷者たちから目を背けるようにして従う。そんなことが、何度かあった。
「……ここで待て」
運よく砲撃の雨を潜り抜けた俺たちは、最前線から僅かに離れた場所で歩みを止める。都合よく見つけた窪みの中に身を伏せ、指示を待った。
……この時、俺はあまり頭を動かしていなかった。恐怖で我を忘れるとかそういうんじゃなくて、きっと俺はここに至るまで”余計な”ことしか考えないと予想できていたから。
敵弾に当たったらどうする、とか。
直ぐ近くに砲撃が来たらどうする、とか。
そういうどうしようもない脅威について考えても、何も前には進まない。足も前には進めなくなるだろう。だから頭の中はできるだけ空っぽに。ふと怖さを感じそうになった時には、『大丈夫、敵の攻撃は絶対俺に当たらない』とだけ心の中で唱え、それ以外の全ては思考の外に追いやっている。
……。
「これより先は、敵兵と肉薄して戦うことになる。各員、備えはできているか」
悲観的なことは何も考えない。ただこの状況を上手く切り抜けられる、そういう都合のいい未来だけを想像する。
「了解!」
俺を含め、全員が小声で、しかしハッキリと返事をする。
「では進む……霧雨、お前もあまり離れるな」
「場合によるが……」
「それでいい。では、行くぞ」
その一言を皮切りに、嶺善班長自らが窪みから飛び出し、前へと走り出した。続いて各人も同様にし、思い思いのコースで敵弾を避けつつ前へ進んでいく。
「こっちだ!」
どう向かえばいいのかと一瞬躊躇し、それを察した勇田から指示が飛んでくる。反射的に
「あぁ!」
とシンプルに応答し、彼の後に続いて進んだ。
先ほど到達した場所もそうだったが、本格的に敵兵からの射撃がビュンビュン近くを掠めている。俺達と同じようなタイミングで大勢が前進していて、その中でも少なくない者が俺の視界内でバタリバタリと倒れていく。
――俺は大丈夫。根拠はないが、信じるんだ!
先ほどまでよりも忙しく動き回り、ひたすらに勇田の後ろについていく。彼は一切立ち止まろうとせず、ただただ先を見据えて走りこんでいく。
無心で彼の後を追い、時折敵へ反撃したい衝動が湧いてくるのを抑え――立ち止まってはいけない、静止する標的など敵にとって格好の餌食だ――、そして先ほど陥落の気配が伺えなかった第一防衛線の手前まで到達した。
……此処までくれば、敵の射線は通らない。俺達だけじゃなく、他にも大勢の兵員がこの場に残っているらしい。そのうちの殆どが倒れた味方の治療をしており、それ以外の者達は次から次へと上へ登っている。
そして。
俺たちのすぐ真上にあるはずの敵トーチカ及び塹壕からは、殆ど銃声が聞こえてこなかった。




