譲れないもの 2
「……きっと、本当にそうするんだろうな」
目の前の男は目を瞑り、俺の言葉をじっくり噛みしめるかのようにして――少しの間、沈黙を守る。
そして、
「俺も、お前が間違っているとは思わない。人間色々ある、色んな奴がいて、善悪の判断も人それぞれだ。たとえ軍隊組織といえど、全員が全員同じ考え方をしているわけじゃない。目指しているもの、本当に大事にしているものだって、それぞれに違うのだろう」
「……はい」
出来のいい先生に説得されているような、そんな気分。でも、押さえつけるとか説得するとかそういうんじゃなくて……。
「そして、お前には二つの”軸”がある。仲間を大事にすることと、人を信じたいってことだ」
俺を、受け入れようとしてくれている。初めて会う俺という男、憲兵に拘留され犯罪者同然の扱いをされているこの俺を、純粋に受け入れようとしている。
……そんな気が、する。
「軍隊ってのは色んな脅威と戦うものだ、そしてそのほとんどは命懸けの仕事になる。その時、周囲の者を信頼できていなければ、ロクな結果にはならない。何せ、そいつに命を預けなきゃならん場合だってあるからな」
「……はい、」
「だから、お前の行動は問題視された。上から下への命令、これは絶対的に守らねばならないこと。それだけでも致命的だが、お前は更に”信頼すべき上官”を力づくでねじ伏せるという行為にまで及んでしまった。俺はお前を認めるが、正直他の連中がどう捉えるかは分からない」
「そう、ですよね」
「……お前はこの先、どうしたい?」
「……どうしたい……ですか」
どうしたいんだろうか。
「現状は考えなくてもいい。お前は、この先何がしたい?これから、どうありたいんだ?」
……。
「……変わりません」
そう、変わらない。何も変わらない。
「俺はこれまでと同じように、仲間を大事にしたい。そして……」
藤橋少尉の顔が脳裏に過る。信頼を寄せていた上官の、最悪の本性を知ってしまった時のこと。俺の信頼があっけなく裏切られたときに事を、鮮明に思い出す。
俺の信じていたものをあざ笑うかのようにぶっ壊された瞬間を、思い出す。
……それでも。
「俺は、人を信じていたい。人から信じられる人間になって、俺自身も人を信じられるような人間でありたい。そこを、絶対に変えたくない。絶対に……」
裏切られても。負けたくないんだ。
「良いんじゃないか」
「……」
「それがお前の信じたものなら、それで良いんじゃないか。上官に裏切られ、殴り飛ばされ、それでも信念が折れなかったというのなら。これからも、その気持ちを背負っていけばいい」
「……ありがとう、ございます」
心の中でずっと答えを見つけ出せなかった俺。それをいとも容易く引き出して、存分に”思い起こさせて”くれた目の前の男。
その男は、態度を変えずに離し続ける。
「きっとこれから先は、思い通りの道を歩むことは困難になる。状況が状況とは言え、一応はとんでもない不祥事に携わってしまったという事実は残っているからな。未だにあの事件についての結論すら出ていないし、今後どうなるのかは正直俺にも分からん」
「はい」
男は、控えめに深呼吸をした。こういった適度な会話の”間”の開け方も、この男の話し方の癖――いやむしろ技術ってものなんだろう。
「俺が今日ここに来たのは、二つの目的があってのことだ。まず一つ目に、勇田秀実という優秀な男に降りかかった”在らぬ嫌疑”を払拭するための助力をすること。俺にも伝手はある、できる限りの根回しはできる」
ここで、男は懐に手を伸ばして煙草を手に取る。自然な動作で火を点け、一呼吸。
「そして二つ目。この状況が長引いたり、或いは一旦元の部隊と距離を置いて軍に残りたいと思った場合。お前さんが活躍できるもう一つの舞台を紹介しようと思っていた」
「舞台……?」
「あぁ。……あぁ、自己紹介が遅れて済まない、悪い癖でな。私は、嶺善剛毅、見ての通り階級は少佐である」
……嶺善?聞いたことがあるような……。確か、物珍しい隊員を数多く率いている、”特別な部隊”の班長だったはず。
「気が向いたら、私の元へ来い。いつでも歓迎する。お前の信念、能力、全てを生かした戦いができるようになるぞ。まぁ考えておいてくれ」
そう言って、煙草を咥えたまま席を立つ。
「あの、」
去りゆく嶺善少佐に声をかけると、彼はぴたりと歩みを止めた。
「なんで、わざわざ俺なんかに」
彼は振り向く。そして、
「俺はな。優秀な人間が腐っていくのを見過ごせないんだ」
そう言い残して、その場を後にした。
独房に残る微かな紫煙の臭い。そんな空気の中、俺はまた考える。さっきの会話を反芻し、気持ちを整理する。
……結局、結論を出すまでに翌朝までかかった。いや正確には、結論なんてとっくに出ていた。ただ、そのための覚悟と気持ちの切り替えが必要だったんだ。
* * *
「なるほど、嶺善少佐に、ね」
「はい。彼に、”あなたの元で戦いたい”と、お伝えください。お願いします」
「……承知した」
朝食を出しに来た兵に、言伝を頼む。朝食を食べ終えた俺は、居ても立ってもいられず狭い空間の中で筋トレを開始した。
――もう、覚悟は決まったし。もう、俺の新しい第一歩は始まっている!
そして暫く時間が経つ。嶺善班長自ら、俺を迎えに来てくれたらしい。
「え、今日から、ですか?」
「あぁ。善は急げってな」
「しかし、俺はまだ拘留中で……」
「あぁ、それか。実はつい先程、お前の誤解が解けたところでな。あまり詳細は話せないが……ともかく、軍法会議は開かれないと、そういうことになった」
「そう、ですか」
言われずとも、察するところではある。タイミングが良すぎるというか、出来すぎている。なんの情報も与えられないままに暫し拘留され、ある日突然説明もなしに無罪放免って。たぶん、何かの”力”が働いたのだろうと、その程度のことは簡単に理解できた。
「さて、勇田秀実二等兵。お前は今日から私の直属の部下ということになる。我が班の詳細については後程説明するが……一つ、先に言っておこう」
丁度付き添って施設を出たところで、彼は足を止めて俺に向き合う。俺も姿勢を正し、新しい上官の方へと向き直る。
「俺は、昨日のお前の言葉を全て信じる。その信念、態度、正義、全てを肯定してやる」
その言葉はゆっくりと、丁寧に、それでいて、力強く。
「お前が今後何をしようと、責任はすべてこの私が取る。お前の正しさを保証するために、俺が責任をもって担保してやる。だから、お前も俺を信じてくれ。上官としての嶺善少佐を、信じてくれ」
「……ハイっ!!」
敬礼。ビシッと、新鮮な気持ちで。軍隊に入って初めて出会う、心の底から信頼できそうな男に対して、俺なりの礼節を尽くす。
「だから、お前は思うとおりに職務を全うして良い。その能力を思う存分に振るっていい。そうしてくれると、俺は信じている」
差し出される右手。一瞬戸惑うが、差し出された手に右手を重ねて握手する。もう少しで痛みに化けそうなくらいの力強さが返ってきた。
「では、よろしくな。勇田秀実二等兵!」




