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ひのくに戦記1913 -戦火の世界-  作者: 茂野夏喜
第一章 
86/134

勇田 4

 ふと、倒れた仲間の方へと目を向ける。彼はまだ立てず、相変わらずの丸まった姿勢を保って震えている。再び身に降りかかるであろう脅威に恐怖し、逃げる選択肢すら奪われて。ただ、絶望に打ちひしがれている。


 あぁ、あいつは俺より酷い目に遭ったんだな。俺はまだ立っていられるけれど、あいつはもう抵抗はおろか逃げるって選択肢すら失くしてるんだ。それほどまでに執拗な暴力を受けてきたのだろう。



 仲間を。


 そんな目に遭わせる奴は、許せねえよな――。


 そうだ、俺はこいつが許せねえんだよ。俺はどんなことをしてでも、どんな手段を使ってでも、仲間を傷つける”敵”をぶっ殺さなきゃいけねーんだよ――!!




 「お前は、敵だ」


 遠慮が、一段階消える。目の前の”敵”対し、平手打ちをお見舞いする。頬を打つんじゃなくて、丁度掌の中心が相手の耳に当たるように、目いっぱいの力でぶっ叩く。


 「ングゥッ!」

バチィンッ!って音と共に、藤橋は悲鳴を上げた。そりゃそうだ、鼓膜をぶっ壊して脳みそにもいくらかのダメージが伝わったことだろう。この男は十分以上に鍛えられているが、きっと自分が直接ダメージを受けるって経験はないんだ。


 ぶん殴られる側の気持ちが、見下される側の気持ちが、”壊される側”の気持ちが分からねぇんだ。なら、打たれ強いはずもない。



 もう一つ、遠慮を無くす。


 今の平手打ちでよろめいた藤橋。背中を解放された俺は、奴の股間を渾身の力で蹴り上げる。睾丸を、その中身を、完全に破壊するくらいのつもりで蹴り潰してやる。



 「ンゥッ!!」


 これは相当に効いたらしい。下腹部を押さえて体を丸め、既に倒れている仲間と似たような態勢になる。たとえどんなに鍛えられた人間でも、どんなにタフで打たれ強い人間でも、ここだけは絶対に耐えられないんだ。


 関節、首、股間。隙あらばここをぶっ壊すようにと、こいつにも教え込まれてきた。



 「這いつくばる気分はどうだ、屑野郎」

彼は答えない。答えられない、それどころじゃないってが正確か。情けない態勢で、情けない呻き声を漏らし、皺の寄った顔で必死に痛みと戦っている。


 「何とか言えよ!」

背中を、胴を、顔を、遠慮なしに蹴り上げ、踏みつけ、痛めつける。この時点で俺は勝利を確信していた、だから”殺す”って選択を取らずに済んだ。



 逆を言えば。


 俺はこの時、最悪こいつを殺しても構わないと考えていたってこと。俺にとって大事な”仲間を攻撃し傷つける、”敵”と認識していた。



 「貴様……」

藤橋少尉は、下から俺を睨みつける。この上ない痛みに耐えつつ、彼もまた心折れることなく敵愾心を隠さない。自分は正しい、生意気に反抗してきた俺の方が悪いんだと、そう思っているのだろう。


 「……チッ」

腹立たしい。


 「お前どうせ、今までもこんなこと繰り返してきたんだろ。大事にすべき部下をぶん殴って、心は痛まねえのか」

 「……そ、ガキ」


 無理やり咽喉を振り絞ったって感じの声色。苦悶の呻きとゼェゼェした呼吸を織り交ぜながら、藤橋は独白する。



 「お前ら……グッ……みたいな……使い捨て……を、ングッ……俺が、間引いて……間引いて、……貴様のような反逆者、を……出す、わけには……」


 「……」



 確信した。こいつは、人間を人間と思わないタイプなんだろう。自分が上、下は下。上は自分が上り詰めるための存在、下は踏み台であり顧みる必要のない存在。利用できないなら、そいつは”どうでもいい”。


 だから、平気な顔してぶん殴れる。捨てられる。



 こんなやつが。



 こんなやつが、のさばって良いはずがない。




 「だ……から……ッ!!」


 地に伏していた藤橋が、ゆっくりと起き上がる。まだ痛みは引かないはずだが、無理やり自分を鼓舞して動いてるらしい。その志の善悪はさておき、見上げた根性である。



 そして、あろうことか、


 「こんなところで、貴様のようなゴミ如きに……!」


 奴は改めて構え直し、再び俺に拳を振り上げてきた。




 「!?」


 もう戦えないだろうと踏んでいたが、結構な速さで動きやがる。おかげで頬に一発鋭い一撃を食らった。切れていた口内の傷が広がり、暖かい液の味と臭いが味覚と鼻孔を刺激する。


 「テメェッ!」


 最初の展開の意趣返し。再び俺を張り倒そうと掴みかかる手を掴み返し、逃げられなくした状態で奴の横っ腹に蹴りをぶちこむ。


 「グッ」


 そして動きが止まった瞬間を見逃さず、奴の襟元を片手で掴んで――この瞬間に訓練の時を思い出す。そして今この時、こいつから習得した技は使いたくないと思った――そのまま力任せに投げ倒す。無理やりに体を動かしていただけの藤橋は、なすすべなく仰向けに転がった。



 「お返しだ!」


 逃げる暇も体を転がす暇も与えず、マウントポジションへと移行。この時奴の両手を膝で制圧し、一切の抵抗ができないようにした。もはや防御の手段を失い無防備な顔面を晒す藤橋は、今だ俺を憎悪の目で睨みつける。



 「俺は、アンタが大嫌いだ!!」


 怒りに任せて拳を振り下ろす。奴は歯を食いしばり、殴打に耐えている。


 「仲間を仲間と思わねぇ、その腐った性根が大嫌いだ!」


 頬を右から、左から、あまり考えず次から次へとぶん殴る。


 「お前に媚びないと行けないところなんて、俺は行けなくてもいい!!」


 本気で、そう思っていた。



 春宮隊、俺にとって目指すべき頂点ともいえる存在。ほんの一握り、本当に優秀な人間しか選ばれないこの国随一の最高の精鋭部隊。そんなところに入れたならば、俺はこの上なく充実した気分で研鑽し、仲間と信頼し合い、誇りある職務に人生を懸けることができるんじゃないかって思う。


 でも。



 それはつまり、俺の目指すものってのが”仲間を大事にする”ってことで。互いに信じられて、互いのために行動できて、しかも国や命を守るっていう最高の目標に向かって突き進むってことだとしたら。



 傷つき倒れた仲間を見捨てるようなこと、決して許されるはずもない。




 そして、


 「お前は、お前だけは、許せない!」


 こいつを許しちゃいけないだろうって、そう思えたんだ。




 ………。


 ……。


 …。




 それから程なくして、珍しく巡回していた警備兵がたまたま近くを通りかかり。それが、ちょうど俺が馬乗りになって藤橋をぶん殴っている所で。


 周りに目を向けていなかった俺は、状況を見た警備兵に肩を掴まれるまでその存在に全く気が付かなかった。大声で『何をしている!』『やめんか!』などと警告されていたらしいが、そんな声にも気づかないくらい頭に血が上っていたってことだろう。



 傍から見れば、馬乗りになって上官に暴行を加えている反逆者って構図だ。当然の流れですぐさま俺は警備兵に連行され、藤橋少尉と倒れた同期は駆け付けた看護兵と軍医に医務室へと運ばれていった。



 ……この後、藤橋少尉と暴行されていた同期がどうなったのかは知らない。




 俺は警備兵に連行された後、簡単な手当てを受けたのちに独房へとぶち込まれた。俺もぼうっとしていてマトモに受け答えができなかったし仕方ないけれど、仲間の危機を救ってこの扱いってのに寂しさと虚しさを感じていた。


 『上官に暴行を加えるなど……』


 『気が触れたのでしょうか?勇田の奴は優秀な者だと聞かされていましたが……』



 漏れ聞こえる警備兵の雑談。


 『まぁ、人間ってのは腹の底で何考えてんのか分からんからな』


 全くだ。

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