勇田 3
俺の言葉が終わるや否や、藤橋少尉は地を蹴って俺に飛びかかってくる。
――速い!
右手を握ってのを見て、反射的に両腕を顎の前に置き殴打に備える。この態勢なら顎にも腹にも当たらないはず――
と思っていたら、彼は直前で拳をほどき、俺の髪を掴んでそのまま後ろに引き倒した。完全にフェイントに乗った俺の体は対応しきれず、後頭部と背中が同時に地面へ叩きつけられる。
――くっそ痛ぇッ!
「未熟者め」
そのまま藤橋は一瞬でマウントの態勢になり――不気味な顔で俺を見下ろしている。
「個の態勢からすら離脱できない。お前は、未熟なんだよ」
そしてそのまま、俺の顔面に一発。なんとか腕で防いで多少の勢いは殺せたが、上から降ってくる拳は普通にぶん殴る以上の威力。
「……クッ」
どうすればいい。馬乗りの態勢から逃げる方法なんて習ったこともないぞ。幸い両腕は自由に動くものの、丹田のあたりに重心を置かれてるせいで上半身を起こすことすらできない。
「救いようもない、愚か者め」
再び拳が振り下ろされる。なんとか直撃を避けられるように防ぎつつ、歯を食いしばって耐える。
「そもそもこんな無能、残してどうするというのだ?えぇ?」
殴打を繰り返しながら、文字通りのマウント説教を始めた。
「軍人というのは、命を懸ける職業だ。命懸けで戦うとき、無能な愚か者に、ウスノロに、背中を預けられるのか?」
殴打。
「半端者を戦場に送り出して、それで他の連中が迷惑したらどうする?そいつの無能さで仲間が死んだらどうするつもりだ?」
殴打。
「貴様の独善的な考えで無能なやつを助けたとして、他の有能な連中が被害を被ったらどうする?その愚行に対していったい誰が責任を取るというのだ?えぇ!?」
殴打。今度は、さっきのよりも強くぶん殴られた。→頬に重い一撃が入り、口の中で出血したのが分かった。
「貴様は俺の命に背いた。上に従えない者が信頼されると思っているのか?そんな反逆者を軍人として認められると思っているのか!?」
「……うるせぇ」
――うるさい。
殴打。
「口の利き方がなっていないな。その時点で、お前はもはや軍人として相応しくない」
殴打。
「俺の下から二名も離脱者が出るとは……全く残念だ。貴様ら、揃いも揃って足を引っ張りやがって」
再び、強烈な殴打。腕のガードを突き破り、今度は左の頬に拳が食い込む。両頬の内側から流れ出る嫌な味と強烈な痛み。歯が折れなかったのが不思議なくらいだ。
……つくづく嫌な男だ。少しでもこの男を立派な上官と思えた自分が腹立たしい。部下を自分の立身出世のための道具としか思っていない、最低の屑野郎。
『俺の下から二人も離脱者が出るとは……』
なるほど、ね。
確かに、あそこで倒れている隊員とは面識がある。正直成績は芳しくなかったし、俺たちの中では比較的”できない”側の人間だったとは思う。格闘訓練、射撃訓練、体力の鍛錬、いずれにおいても秀でたものを持っていなかった。頭は回るし良い奴ではあったけれど、少なくとも戦闘要員としての能力はそれほど高くなかったことを知っている。
つまり、この男の指導下から排出するにあたって彼は”不良品”であり、自主的に辞めさせることでそうなることを防ごうとしたってことか。自分の指導した人間は”皆優秀”であると、そういう状況を作ろうとしたってことか。
それだけに。
この憎たらしい藤橋の野郎のセリフを聞くのが、嫌で嫌で仕方がなかった。
……うるさい。本当に、うるさい。
そして。許せない。
「……聞こえないんすか」
「あぁ!?」
口に様々な粘液が混じり合っていて、その声はさぞ無様な叫びになることだろう。でも、言わずにはいられない。
「うるせぇって、黙れって、そう言ってんだろうがクソ野郎!」
明らかに不利な体勢。オマケに景気のいい連打を受けたせいで頭にも体にも相当にダメージが入っている。でも、諦めないし戦うしかない。コイツに盾突くと決めた時点で、俺には選択肢が無くなっている。
「んだと……うぉ!?」
馬乗りの態勢から反撃する術ってのは、基本的にほとんど存在しない。ぶん殴ろうにも腰の捻りを生かせないし、腰の入らない殴打に力は殆ど入らない。でも……
「クソがぁ!テメェ!」
安直な罵倒と共に、精いっぱいの勢いで殴りつける。先ほどまでの無抵抗もあってか、突然の反撃に二発ほど”良いの”が入ってくれた。
「この期に及んで……躾が足りんらしいな!」
殴られる。上から殴られる。下から殴り返す。また殴られる。また殴り返す。頭に血が上った俺は、ひたすらに筋肉を酷使しながら精一杯に抵抗する。
顔に届かないのなら、腹でも脇腹でもいい。こちらはモロに顔面を殴られるわけだしダメージの蓄積は圧倒的に不利だが、”今は”気にしない。怒りに任せて拳を振るい、歯を食いしばって非合理的なダメージレースを耐え続ける。
「私の訓練を受けといてその程度か、馬鹿が!」
再び拳を振るう。
殴り合っている間、俺はずっとこいつの挙動を観察していた。右手と左手の位置、重心の動かし方、殴りつける順番の癖、挙動の癖。そして今この時、藤橋は俺が予想したのとまったく同じ挙動で右の拳を振るった。
―今だ。
振り下ろされる拳を左手で”刈り”、二の腕に手をかける。
――奴の態勢が崩れ、一瞬体の自由が利くようになる。
そして間髪入れず右手で左肩を掴み、頭を後ろに下げ、そして腹筋と両腕の筋肉に目いっぱいの力を籠める。
「……オラァッ!!」
渾身の頭突き。博打に近い仕掛け方だが、上手いこと虚を突くことに成功したらしい。俺の額を藤橋の眉間にブチ当て、鼻血が流れ出るのが見えた。
「ングッ!」
俺も額に相当な痛みが走ったが、こちとらその痛みを覚悟していた分問題なく耐えられた。一方の藤橋は目をつむり、俺を押さえつけるどころじゃないって様子で痛がっている。最悪、鼻の骨でも折れているのかもしれない。
すかさず上半身を起こし、体を捻りつつ思い切り頭部を横にぶん殴ってやる。反撃の態勢が整っていないのか、上手いことぶん殴った向きによろめきやがる。
「はぁ、はぁ……」
ともかく、不利な状況を脱することに成功。しかし藤橋も直ぐに立ち直り、再び向かい合った姿勢で相対する。
「油断したが……生意気な!」
再び距離を詰めてきて、今度は普通に殴りかかってきた。流石は格闘術の教官と言うべきか、実に無駄も隙もない動きだ。
だけど、俺だって必死にこいてなんでも取り組んできた。格闘術だってそうだ、これまでさんざん努力してきたんだ。新兵時代も、その後も、そしてこの憎たらしい男にも――。
「負けねぇんだよ!」
もう、目の前の男を上官とは思わない。否、もう同じ組織の仲間とすら思わない。殺さなければ何とかなるだろうというくらいの気持ちで、遠慮なく蹴り、殴り、投げ飛ばす。
そのうち取っ組み合いになり、腕力で優位に立つ藤橋の方が俺を押し出して背中が壁に勢いよくぶつかる。
「クソ餓鬼がぁ!」
そしてそのままの態勢で、俺の胴に猛烈な膝蹴りをぶち込んでくる。背中を壁につけられ、内臓へとダイレクトにダメージが伝わる。間抜けな『カハッ』って声と共に、血と吐瀉物が溢れ出る。
「己の愚かさを思い知るがいい!」
何度も同じ攻撃を受け、骨の軋む音が鳴った。こうも強く押し付けられると、抵抗の方法も限られてくる。
これまで経験したことのない痛み、危機的状況。最悪の気分と感覚に全身が支配され、頭の回転が鈍くなっていく。
なんでこんなことになってんのか。なんでこうも辛い目に遭わねばならないのか。止まらぬ暴力の中、鈍化した頭で単純な思考を開始する。




